272.ティータイムは三人で
ツイーディア王国。
私が生まれた国の名前。
他の国からは「魔法大国」と呼ばれていて、魔力を持って生まれる人の割合が多いみたい。私もその一人で、この春からドレーク王立学園に通っている。
生まれつきの白髪と珍しい赤い目がどうしても奇異に見られて、ちょっと嫌な思いをする事もあった。でもこんな私と一緒に笑ってくれる友達がいるから、今はあんまりつらくない。
校舎の外側をぐるっと囲む通路は、横を見れば手入れの行き届いた芝生や花々を楽しむ事ができる。私は結構好きなんだけど、校舎の中を通る方が近い事が多いし、特にここは裏庭側で人気が無い。
だから、複数人が固まってるとすごく目についた。
通路から裏庭へ少し外れた所で、一人の女の子が男子生徒に囲まれている。
「あの……わたくしに何かご用でしょうか?失礼ながら、お名前も存じ上げないのですが。」
さらさらの長い銀髪がとても綺麗な、華奢で儚い雰囲気の子だった。
声もどこかぼうっとしていて、強い風が吹いたらパッタリ倒れちゃいそう。佇まいと言葉遣いから、きっと貴族の子だろうと思う。どこか見覚えがあるから同じ一年生かも。
取り囲んでるのは上級生かな?皆にやにやしてて、帯剣してる人もいて、正直に言えば怖い。どうしよう?
「確かに可愛いな。全学年でもトップクラスじゃないか?」
「貴族連中がこぞって狙うような子に手を出すのはまずくね…?」
「デートに誘うくらい良いだろ!どう、週末とか。俺らと遊ぼうよ」
「…なぁ、顔は良くても……ちょっと不気味だよ。今これどういう感情なんだ、この子。」
「困っちゃってるんですよねーお嬢様~?」
「………。」
黙って瞬いた女の子の眉は憂鬱そうに下がっている。
私は鞄を抱きしめ、できるだけ音を立てずに近付いて木陰から様子を窺った。まだ誰にも気付かれてないみたい。
よし、作戦を決めよう。
まず「こんなところにいたんだー」って大きい声を出して、笑顔!笑顔でね、あの子のところにいって、「皆もう待ってるんだよ」って手を引っ張って、あの人達が何か言ってきても「すみません急いでるので」って……
「何なら今からでも良いよ、ほら行こ」
「いえ……わたくし、」
断ろうとしてるみたいなのに、一人が強引に女の子の手首を掴んだ。い、行かなきゃ!でででも手の引っ張り合いになっちゃうかな!?
手を引っ張った人は、校舎じゃなくて裏庭の奥へ足を向けている。とにかく止めようと、私は大きく息を吸って木陰から飛び出…
「うるさいんだけど。」
私も、女の子を取り囲んでる人達も一斉に固まった。
反射的に辺りを見回すと、この近くでは一番大きな木の上から一人の男子生徒が飛び降りる。少し癖のある黒髪に金色の瞳、腰には剣を携えたこの国の第二王子。アベル様だ。……お昼寝でもしてたのかな?
「殿下…」
笑顔を見せないまでも、女の子は幾分かほっとした様子で呟いた。
反対に、彼女を取り囲む人達はアベル様を見て顔を引きつらせている。わざとか無意識にか、一歩、二歩と後ずさっている人までいた。どれだけ怖がられてるんだろう。
目を細めて口角を吊り上げ、アベル様は意地悪く笑った。
「騒ぐなら他に行ってくれないかな?それとも……僕が遊んであげようか。」
剣の柄に長い指を添える動きはどこか勿体ぶるようで、彼は誘う声色で僅かに首を傾げ、黒髪がさらりと揺れる。誰かがごくりと喉を鳴らした。
どうしてか、これは直視してて良いのかな、なんてよくわからない考えが頭をよぎる。
女の子を囲んでいた人達は、口々に「けけけ結構です!」「すみませんでした!」「遠慮します!」と叫んで走り去っていった。
「……ありがとうございました、殿下。助かりましたわ」
スカートの裾を持って、女の子は静かに頭を下げる。シャロン達、貴族の女の子がやるご挨拶のそれだ。
本当に綺麗な子…「か弱い美少女」っていう言葉がそのまま人になったみたい。さっきの人達はちょっと強引でよくないと思うけど、男の子は皆放っておかないだろうな。
「君を助けたつもりはないよ。足止めされてたんだから、早く行けば?」
つ、冷たい……。
時々そんな気はしてたけど、アベル様って結構ウィルフレッド様達以外には素っ気ないよね。
そんな言い方をされても、女の子は傷ついた様子も驚いた様子もなく、「失礼致します」とだけ言って通路へ戻っていった。
木の後ろにいた私には最後まで気付かなかったみたい。
私はなんとなく、校舎の中へ消えていく細い背中を見送った。
「君いつまで隠れてるの。」
「ぅわあ!」
すぐ後ろから声がして飛び上がる。
慌てて振り返るとアベル様が立っていた。わ、私がいた事に気付いてたの、いつから!?
「…だから、そう驚かなくてもいいでしょ。」
「おおお驚くよ……!」
制服の上から心臓を押さえるけど、まだバクバク鳴っている。
驚いて取り落とした鞄を、アベル様が差し出してくれ……って王子様に拾わせちゃった!ごめんなさい!!
慌てて受け取りながら、いつの間にやら彼も片手に自分の鞄を持っていると気付く。木の上に置いてたのを取ってきたのかな?
「アベル様、ずっとあそこにいたの?」
「いた。君がいつ割って入ろうか悩んでるのも見えてた。」
「そ、そっか…。」
意気地のない姿を見られていたと思うと少し恥ずかしいけど、もしかして私が飛び出す前に代わりに出てくれたのかな……?
「僕はもう行く。じゃあね」
「あっ、うん。ありがとう!助けてくれて」
立ち去る背中にそう声をかけたけど、返事はなかった。
春風に吹かれて見上げた空はまだ明るい。
ふと、誰か友達と少し話がしたいなと思った。
都合よく会えるかはわからないけど、食堂かどこかで話せたらいいな。といっても王子様を誘う勇気はないし、サディアス様もなんだか警戒されそう。
【 私の頭に浮かんだのは――… 】
「カレン?」
小さな声に振り返ると、シャロンとダンさんが通路に来ていた。
微笑んで小さく手を振ってくれるシャロンに嬉しくなって、私も笑顔で駆け寄る。
「二人とも寮に戻るところ?」
「えぇ。貴女は?」
「私は…」
言おうか少し迷った。
実はちょうどシャロンと話したかったんだけど、一つ不安な事がある。これだけ先に聞いておこう。
「えっと……シャロン、あれから喉は大丈夫?」
昨日の夜うたた寝をしちゃったらしくて、今朝のシャロンは喉にちょっぴり違和感があると言っていた。お茶に誘ったら付き合ってくれるだろうけど、悪化させちゃったら嫌だ。
シャロンは私を安心させるように笑って、自分の喉に軽く触れる。
「もうすっかり治ったみたい。大丈夫よ」
「本当?よかった……そしたらあの、無理はしなくていいんだけど…少しだけお話できないかな。」
「まぁ、私と?もちろんいいわ。食堂に行きましょうか。」
シャロンはためらう事なく頷いてくれた。
ホッとしたけど、ダンさんの予定は大丈夫だったかな。ちらりと見上げたら「別に予定ねぇから気にすんな」と言ってくれた。
室内の個室なら、ダンさんは気兼ねなく椅子に座っていられる。
入学してからはビシッとした姿を見る事が多かったけど、ネクタイを緩めて姿勢悪くお菓子を食べる姿は、下町で会っていた頃の彼そのものという感じだ。
私は自分の紅茶に砂糖を入れて、改めて正面に座るシャロンを見る。
【 何か聞いてみようかな? 】
「シャロンって、家族は……兄弟とかいるの?私はお父さんとお母さんと三人暮らしだったんだけど。」
「七つ離れた弟がいるわ。名前はクリス。後は両親と、ダンみたいな住み込みの使用人の皆と一緒に暮らしていたの。」
「賑やかなんだね。弟さんはシャロンに似てる?」
「顔はそうでもないかもな。どっちかっつーとお嬢は母親似で、坊は父親似だ。つってもわかんねぇか?」
ダンさんの言葉に、お菓子をかじりながら頷いた。
公爵様と奥さんを見た事なんてない。むしろあったらすごい。
「そうよね…ウィル達の事を知らなかったのだから、カレンは女神祭のパレードも見なかったのね?」
「王様と王妃様の?うん、見てないよ。下町からちょっと遠いし、人混みはあんまり得意じゃないから。」
「うちの旦那サマは特務大臣ってのやってて、国王の一番の側近なんだよ。パレードにも一緒に出てたらしいぜ。」
「す、すごい……」
私じゃその光景を想像する事もできない。
無意識に目を見開いていたと気付いて、私はぱちぱちと瞬きした。急に喉が渇いたので紅茶を一口流しておく。
「じゃあ、将来はシャロンの弟の……クリス君が公爵になるのかな。」
「えぇ。」
「今んとこは、お嬢と王子サマにベッタリのちびっ子だけどな。」
「王子様って、ウィルフレッド様達?」
他にいるわけがないんだけど、ついそうやって聞き返した。
シャロンが苦笑して小さく頷く。
「ウィルとも仲が良いけれど、アベルにすごく憧れているみたいなの。」
「クッ、ぶふっ……アイツ領地じゃとうとう、お嬢を無視してそっち行ったからな。」
「む、無視?」
説明を求めてシャロンを見たものの、彼女はすごい勢いでシュンとしていた。まるでどんよりした雲を背負っているみたい。肩も視線も落とし、かろうじて聞き取れる声で何か呟いている。私は懸命に耳を澄ました。
「無視では…無視ではないもの……順番が前後しただけで……。」
「シャロン、あの…」
「ほっとけほっとけ」
ダンさんはそれでいいの!?一応シャロンに仕えてる人なんだよね……?
目で疑問を訴えてみると、ダンさんは「耳を貸せ」と手振りする。私はそちらに身体を傾けた。ダンさんが口の横に手をあてて囁く。
「坊はな、第二王子とお嬢をくっつけようとしてんだよ。そうすりゃ大好きな義兄上ってワケだ。」
なるほど、と深く頷いた。
弟さんとしては、もちろん良い人と結婚してほしいもんね。自分が憧れてるアベル様なら…って考えたんだ。
私達が姿勢を戻すと、シャロンは切り替えるように一つ息をついて顔を上げる。
「ごめんなさい、少し物思いにふけってしまったわ。」
「大丈夫だよ。レオを見てると、男の子がアベル様に憧れるのはしょうがないのかな、って少し思うよね。私もさっき助けてもらったんだ。」
「え?」
ぱちりと瞬いたシャロンは目を丸くしていた。
そっか、いつも私を心配してくれてるのに、まるで私に何かあったみたいな事を言ったから!慌てて「違うよ」と手を横に振る。
「私が大変だったというより……上級生に絡まれてる子を見かけて、でも私に助けられるのかなって迷ったところでね、先にアベル様がその子を助けてくれたの。」
「そ、そうなの……もしかして裏庭で?」
「うん。」
「道理であんなハンパなとこに突っ立ってたわけか。」
椅子の背もたれによりかかって、ダンさんは納得した様子だ。シャロンは少し考えこむように目線を横へ流していたけど、私と目を合わせて微笑んでくれる。
「人気が少ないところは危ない事もあるから、アベルがいる時でよかったわ。」
「本当にな。…馬鹿にする気はねぇけど、お前強いわけじゃねぇんだから無茶はすんなよ。」
「そうだね…」
アベル様がいなくて私が割り込んでたら、あの女の子を上手く逃がせたかはわからない。時間稼ぎくらいにはなって、シャロンとダンさんが来てくれたかもしれないけど。
私だけじゃ……でも、見ないフリするわけにも……うぅ。
そのまましばらくお茶を楽しんで、私は二人と一緒に食堂を出た。
周りの生徒達はチラチラこっちを見るけれど、ウィルフレッド様達がいないせいか、いつもより数は少なく思える。
遠目からじろじろ見られても、私の髪色のせいだと憂鬱になる事はあまりなくなっていた。
「ん~……。」
食堂の出口へ歩いていく三人を、柱の影から見ている者がいた。
楽しげに弧を描く唇をぺろりと舐め、制服の上から羽織ったローブのフードをかぶる。
「そろそろ、シャロン・アーチャーの《姿》も知られてきたかな。」
誰にも聞こえない声量で囁き、こほんと空咳をした。
隅を通って注目を浴びる事なく食堂を抜け出し、片頬に手をあてて小さく首を傾げる。
「雇い主ごと消えたバイト代、何とかしないとね。」
公爵令嬢とまったく同じ声で呟き、くすりと微笑んだ。




