269.最初の選択
お父さん、お母さん、二人とも元気ですか?
学園には貴族の子もたくさんいて、中には嫌な人達もいるけど、私は元気だよ。
下町の広場で仲良くしてくれたレオや、時々来てくれたダンさんはもちろん、ルイスやバーナビー達とも再会できたんだ。いつか機会があれば二人にも紹介したいけど、全員はちょっと難しいかも。
私は今、……今……
「雑草?それはまた不思議な事を仰られたものだな。」
「えぇ。あちらの第二王子殿下の耳に入れば、またよからぬ誤解を生みそうです。」
「僕達が言わせたって?あり得るね。」
「ほ~んとどうしちゃったんだろうね?あんなに自信満々だったのに。」
「私にまで緊張なさっているのが、よくわからないのよね……仲良くなれたら良いのだけど。」
――双子の王子様や公爵家の人達と、同じテーブルを囲んでいます――……聞いていい会話なのかな、これ……いいんだよね?
つい、少し遠い目をしてしまう。
本当にどうしてこうなったんだろう。私、一生の運を皆との縁で使い切ったのかな。
隣の席に座ってるレオや、シャロンの隣にダンさんがいなかったら、もっと緊張でガチガチになっていたかもしれない。
「ん?どした、カレン。もう食わないのか?」
「ううん、食べるよ。」
レオはよく…本当によく、このメンバーの中で平気でお菓子を食べられるなぁ……。公爵令嬢であるシャロンのお屋敷に通ってたから、そこで慣れちゃったのかな。
シャロンとはしょっちゅう、ウィルフレッド様達は時々、一緒にランチを取る。
だから私も、食べた物の味がきちんとするくらいには慣れてきた。一緒にと言ってもアベル様はあんまり長居しなくて、食べ終えたらすぐにどこかへ行ったりするんだけど。
今日みたいに放課後に皆が集まるのは初めてで、食堂から中庭側に出たバルコニーの中央に置かれた、大きな円卓のテーブルを囲んでいる。予約したダンさんによると、ここも個室扱いらしい。
「カレン、君は大丈夫か?」
「えっ!?」
急にウィルフレッド様に話しかけられて、ちょっとだけ飛び上がってしまった。私?目をぱちくりさせると、アベル様が補足するように言う。
「僕達やレオがいない時、困った事はないかって話。例えば、護身術ではロズリーヌ殿下と一緒でしょ。」
「あぁ…えーと、大丈夫だよ。話しかけられた事もないし。」
よく目が合うけどすぐにそらされる。
でもそれは私の白い髪と赤い目が珍しくて見てるだけだと思うから、わざわざ皆に言う事でもないよね。
正直に言えば王女様より、聞こえるようにヒソヒソ言う貴族の女の子達の方が嫌だ。
特にあの三人はクスクス笑いも嫌だけど、話しかけてくるわけじゃない所がちょっと困る。いっそ堂々と来てくれたら、私だって「やめてください」って言えるけど。
シャロンやウィルフレッド様達が近くにいる時は、見てくるだけで何もない。
「殿下の事以外でもいいのよ。もし貴女が困っている事があるなら、どうか教えてね。」
「うん、ありがとう。大丈夫だよ!」
優しく微笑んでくれたシャロンに心が温かくなる。
あの人達は遠巻きにヒソヒソクスクスするだけだから、どうにかしてほしいなんて皆にお願いするほどの事じゃない。
私がにっこり笑って返すと、シャロンは心配そうに少しだけ目を細めた。
「ところでダン、貴方は剣術でラウル・デカルトと一緒でしたね。どうですか、彼は。」
「どうも何も見た目通りだ。ここにいる中であいつに勝てねぇのはカレンぐらいだろ」
ダンさんが私を顎でしゃくって言う。
シャロンはレオを剣術で負かしてしまうほどだし、私は身体を鍛えた事がないから当たり前だ。護身術の授業がある度に筋肉痛になる。
「王女サマがお前らの方見に行ってるせいか、初級の女連中はほとんどあいつに群がってるぜ。」
「あ~、ラウル君顔が良いからね。女の子達はそうだろうな。」
「マジで?初級の女子って言ったらレベッカもか?想像つかねぇ…。」
スコーンをぼりぼり食べていたレオが目を丸くして聞いた。
私はテーブルにあったナプキンを横からレオの手に押し付ける。口の周りについた食べかすを拭いてから喋ってほしい。レオはどうせ、サディアス様の目が冷たい事にも気付いてない。
ダンさんが片方の眉を吊り上げた。
「はぁ?知るか。どれだよ」
「髪が赤い奴いるだろ?なんか黒いの差してて…」
「ヘアピン。」
「首の輪っかもしてる!」
「それはチョーカー。」
私の補足に、レオは「そうそれ」みたいな笑顔で頷く。
レベッカは私達と同じ平民だから、生活算術の授業なんかが一緒だ。いつの間にかレオと友達になってて、挨拶に巻き込まれる形で私とも知り合った。
「そいつは確かに、あの従者ほったらかしで授業受けてたな。」
「だよな!」
「うん、レベッカはそういうタイプじゃないね。」
私もそう言って頷く。
結構強気に物を言う子で、誰が格好良いとかって話に加わる姿は見た事がない。
「レベッカ・ギャレットの話はもういいです。ダン、貴方はデカルトと話す事はないのですか?」
「従者同士仲良くしましょうとか言って、あっちから話しかけてくる。うさんくせぇしすぐ女共が来るから、挨拶ぐらいだけどな。」
サディアス様がダンさんと話す横で、ウィルフレッド様は「彼の娘か」なんてアベル様に話しかけている。レベッカのお父さんを知ってるのかな?
「俺達は去年の殿下を知っちゃってるから気まずいのかもしれないけど、シャロンちゃんに対しても堅いのは何なんだろうね、ほんと。」
「そうなのよね。圧をかけるような事は、特にしていないと思うのだけれど……。」
「剣持ってるからじゃねーか?」
レオの一言にシャロンがぱっちりと目を見開いた。
「確かに!」という声が聞こえてきそうだけど、小さな唇は「そうかもしれないわね…」とだけ呟く。女の子で帯剣してる生徒はそんなにいないもんね。
小さく割ったクッキーの欠片を口に入れて、さくさくと食感を楽しんでから飲み込んだ。紅茶は銘柄を聞いても覚えられなかったけど、すごく良い茶葉を使ってるらしい。こくりと喉に流してカップを置いた。
皆、ちょうど話が一区切りついたところみたい。
【 誰かに話しかけてみようかな? 】
私は――サディアス様を見た。
紅茶の二杯目を注いだところみたいで、角砂糖の入った瓶を引き寄せ、一個だけカップに入れてかき混ぜている。甘い方が好きなのかも。
ウィルフレッド様が「そういえば、また上級生に試合を挑まれたんだろう」と話し始めた。誰に聞いてるかは考えるまでもない。アベル様が「そうだね」と簡潔に返している。
サディアス様は静かに紅茶を口に含み、黒縁眼鏡の奥にある瞳をそちらへと向けた。
綺麗な瞳だな、と思う。
初めて会った時は、いかにも厳しそうというか、ちょっと怖い人だと思ったけど。レオの無作法を怒鳴ったりはしないし……ぎゅっと眉をひそめて注意する時もあるけど、言ってる事は正しい。
サディアス様はウィルフレッド様の従者として、公爵家っていうすごいおうちの長男として、一生懸命なだけなんだろうな。
「――…何ですか。」
急にこっちを見るからびっくりして目を見開いちゃった!
うわあと叫ばなかっただけえらい。私は慌てて背筋を伸ばした。
「ご、ごめんね。ごめんなさい。じっと見ちゃって…」
「別に叱っているわけではありません。私に用があるなら言えばいい。何です?」
「えっと…」
瞳が綺麗だから見てました……なんて言うのも変だよね。
見惚れてたって意味だと思われたら反応に困るだろうし、見世物扱いなんて絶対に誤解されたくない。それがどんなに気分が悪い事かは私が一番知ってるんだから。
せっかくだから、何か聞いてみよう。
「サディアス様は、甘いものが好きなのかなって。あの、お砂糖を入れてたから。」
「特にそういうわけではありません。紅茶には一つ入れると決めているだけで――」
「あぁ~それね、ア」
「チェスター。少し聞きたい事があるのだけれど、そちらに行っていいかしら?」
シャロンが上品に笑いかけて、チェスターさんは口を閉じた。
てっきり私とサディアス様の会話に対して、何か言いかけたのかと思ったけど…違うのかな?
「いやいや、女の子に立たせるなんて、そんな。俺がそっち行くよ☆」
シャロンにウインクして立ち上がったチェスターさんから、サディアス様へと視線を戻した。チェスターさんを見る彼はちょっぴり、目が辛辣な気がする。
水色の瞳はすぐに私へ向いて、気を取り直すように一度瞬いた。
「――そう決めているだけで、特別甘いものを好んでいるわけではありません。」
「そうなんだ…。」
寮の調理室は自由に使っていいみたいだから、いつかちょっとしたお菓子くらい作ろうかと思っていた。
もし甘いものが好きならおすそ分けでも…なんて考えたけど、そもそも皆は貴族だから、素人が作ったものなんて食べちゃ駄目かもしれない。作る時はその辺りの事情をシャロンに聞いてからにしよう。余っちゃっても、レオが全部食べてくれるだろうけど。
「じゃあ、サディアス様の好きな食べ物って?」
「そんな事を聞いてどうするんです?」
怪訝そう、っていうのかな。
あからさまに眉を顰めて聞き返されちゃった。甘いものが特別好きってわけじゃないなら、好きなものは何だろうって……思っただけなんだけど。わたわたと手を横に振った。
「ど、どうもしないよ。せっかくなら好きな物が知りたいって思っただけ、です。」
サディアス様は目を細めて、小さくため息を吐く。
呆れたとか怒ったというよりは、なんだか困り顔だ。まさか、貴族の間では好きな食べ物を聞くのは駄目とか…
「急に聞かれても特に浮かびません。辛味、苦味、甘味…いずれも、極端なものは避けます。人並みだと思いますよ。」
「特に好き嫌いがないんだね。」
「そうなのでしょうね。国や地域で好まれる味付けは違いますから、それはある程度学びましたが……自分の好みかどうかはあまり考えた事がありません。」
つい、ちょっとだけ首を傾げた。
色んな料理や味付けを知ってるって事は、きっと食べたんだと思うけど…これは美味しいとか、あんまり好きじゃないとか、思わなかったのかな。
なんだかちょっと勿体ない。
「ふふ」
小さく笑い声が聞こえて、私とサディアス様はシャロンを見た。
隣のダンさんの椅子の背もたれに手を置いて、チェスターさんが間に立っている。それまで三人で話していたみたい。
シャロンは私達の視線に気付くと、微笑んで口を開いた。
「これから考えていけるといいわね。」
「必要ですか?」
「不要でもないわ。」
どう聞いても「必要ないでしょう」と言ったはずのサディアス様に、シャロンはさらりと返す。
「今すぐに浮かばなくても、しばらく考えたらわかるかもしれないでしょう?」
「そうだよね。食堂は色んな料理があるし……学園はまだ四年もあるし。もしわかったら教えてね、サディアス様!」
「あっはははは!カレンちゃん、四年って!」
チェスターさんが口元に手をかざして笑い出した。ダンさんもゲラゲラ笑っている。
「好きな食いモン見つけるだけで、んなにかかるわけねーだろ!馬鹿じゃねぇんだから!」
「そうか?結構難しくねぇ?」
私の隣でレオが首をひねったけど、それは「全部好きだから」じゃないかな…。話をろくに聞いてない証拠だ。放っておこう。
笑い過ぎと判定されたのか、ダンさんはシャロンに「さすがに」と微笑まれて口を閉じた。
サディアス様にものすごい形相で睨まれ、チェスターさんも「さ~て」なんてそっぽを向きながら席に戻っていく。
「カレン。」
「はい!」
サディアス様に名前を呼ばれるなんて初めての事だ。ちょっとびっくりして目をぱちぱちしてしまう。
「…好物の事は……、考えておきます。」
「あ、あの、気が向いたらで大丈夫だからね……。」
そっと付け足してみたけど、返事はなかった。
サディアス様はすっかりしかめっ面だし、ウィルフレッド様は深刻な顔でアベル様と話し込んでいる。
「お前、それはもう…挑戦者ではなくストーカーなんじゃないか?」
……あっちはあっちで気になる話だなぁ!




