25.マクラーレン伯爵邸の戦い
俺は必死に馬を走らせていた。
背中を伝う冷や汗は留まるところを知らず、喉がカラカラに乾く。
「まさか、アーチャー公爵邸にいらっしゃらないとは……!!」
完全にアテが外れてしまった。
ウィルフレッド様がいなくなってから、彼の愛馬が連れ出された事はすぐに確認がとれた。アベル第二王子殿下の事で動揺し、あの公爵令嬢に会いにいったのだろう…そう思ったのに。
「そうカリカリするな、お陰でサディアスの事を思い出せたじゃないか。」
「誰のせいでこうなったと思ってるんだ!!」
笑顔で話しかけてくる同期を怒鳴りつけたが、セシリアはまったく気にした様子もなく自分の馬を走らせている。
アーチャー公爵邸の門番は、ウィルフレッド様は来ていないという情報と共に、そういえばお嬢様は王立図書館に向かわれましたが、と話してくれた。
普通そんな情報は出さないのだろうが、護衛騎士が王子の行方を探している事、屋敷のご令嬢とウィルフレッド様は友人である事から気を回して伝えてくれた。
そして、王立図書館ともなれば俺達には思い当たる人物がいた――ウィルフレッド様の従者である、サディアス・ニクソンだ。
アベル様の件を気にしてウィルフレッド様が飛び出したなら、彼に会いに行くのは筋が通っている。
彼の父親は第二王子派を公言する、いわばウィルフレッド様の敵対派閥の筆頭だ。
息子たる彼も実際はそちら側という噂は有名で、そしてあの十四歳の少年は、なんというか非常に――情報に強い。
ウィルフレッド様はその情報を期待して会いに行ったのだろう。
第一王子だからこそ、兄だからこそ、知らされない情報を得るために。
「お前がクッキーなどにつられなければ…!」
「失礼だな、クッキーだけじゃないぞ?」
「ああそうかよ、他に何を貰ったんだこの馬鹿!!」
二頭分の蹄の音に負けない大声を出すと、意外な答えが返ってきた。
「良い目をしていらっしゃった。」
『セシリア、少しバルコニーに出ていいかな。…そして、こちらを見ないでほしい。』
「子供が強くなる時、我々大人は見送ってやらねばならない。そうだろう?」
そう言って微笑むセシリアは、紛れもなく一人の母親の顔をしていた。
護衛騎士として最悪の事態を起こしたこいつが、俺の知らない事を知ったふうに説くことを腹立たしく思う。
「…お前ん家の子供と一国の王子を一緒くたにするな!」
「ははは!大丈夫だ、ヴィクター!」
厳しい訓練もつらい仕事も、全て笑い飛ばしてこなしてきた女が、今日も俺の不安を笑い飛ばす。
「あの方は強いぞ!」
初めて会った時から変わらない、屈託のない笑顔。俺はどうしても苦い顔になる。
「それは知っているが!」
「ウィル様がさらにお強くなられるんだ、私達の処罰など些事だろう?」
「お前な…!」
何かあれば首が飛ぶかもしれないというのに、ウィルフレッド様ならそこまでの事態はないと信じているようだった。
「強いと言ってもあくまで《子供にしては》だろ!アベル様とは違う!」
「冒険はいいぞ~、ヴィクター!私も子供の頃はよくやった!」
「あーもう、本ッ当何でお前が護衛騎士なんだよ!!」
腕が確かなのは知っているが、もっと真面目であればどんなに良かったか。
せめて無事にサディアスと合流出来ていますように、何も起きていませんようにと強く祈った。
王立図書館に到着してすぐ、馬の待機所へ向かった。
馬車ではなく単騎、それも王子の愛馬となれば扱いは別格だ。さほど労せずしてその姿を見つける事ができて、俺は心から安堵してため息を吐いた。
思わずその場に膝をついたほどだ。
「よ、よし…後は持ち出し禁止棟で…閲覧制限の…」
「むっ、ヴィクター。ちょうどよい方々がいらっしゃるぞ?」
俺と違ってまったく精神疲労のないセシリアに呆れながら、つい「はぁ?」とガラの悪い声を出してそちらを見た。
瞬間、立ち上がって背筋を伸ばす。相手はまだこちらを見ていないというのに。
さほど話した事もないのにそうなってしまうのは、団長に以前言われた言葉があるからだろう。
セシリアがちょうどよいと言った意味はわかったが、先方は司書服を着た女と話しながら歩いている。そこへ俺達が割って入っていいとは思えないし、どうする。
機を窺うか、気にせず…
「おーい!皆さまがたーっ!」
悩む俺を置いて、セシリアが大きく手を振って駆けて行く。――この、馬鹿!!
しかし俺は、セシリアの行動に感謝せざるを得なかった。
何せ彼らと一緒にいた司書服の女は、俺達の会話を聞いてこう言ったのだ。
「その子達なら、風の魔法で飛んでいきましたよ。マクラーレン伯爵のところだったかな?」
◇
風で飛ぶうちに勢いにも慣れ、私は目を開けていられるようになっていた。
飛び始めてすぐにサディアスが「お願いですから目くらましをしてください!」と言って、自身も光の魔法の宣言を唱えていた。
飛んでいる間は周りから姿が見えなかったはず。
目的地に着いた事でその魔法は解け、一人しかいない門番がポカンとして、降りてくる私達を見つめていた。
「第一王子、ウィルフレッド・バーナビー・レヴァインだ。中に入れて頂こう」
明らかに怒り心頭の王子が現れたと気付き、跪こうとしていた門番は慌てて門を開けた。同時に、家人へ伝えるべく全力で屋敷へと駆け出していく。
私達はその後から早足で向かったので、結局さほど時間を稼ぐ事はできずに。執事が来るのと私達が玄関に到着するのはほぼ同時だった。
「こ、これは第一王子殿下。現在、主人は不在にしておりまして…」
そうでしょうねとは思った。
私達は魔法で飛んできたのだ。伯爵が馬車で移動していたら、あるいは他に用事があれば、こちらが早いに決まっている。
「おやそうですか。まぁ、こちらも急な訪問ですからね。仕方ありません、不敬だとは言いませんよ。では客間で待たせて頂きますので、案内をお願いしても?」
とても美しい営業スマイルでサディアスが言う。
すぐにでもお帰り頂きたそうな雰囲気だった執事が、苦みのある愛想笑いを浮かべた。
「いえ…王子殿下をお待たせするわけには……また改めて主人から、」
「俺が中に入ってはまずいのか?」
ウィルの青い瞳でじろりと睨みつけられ、執事が喉を鳴らした。
「そ、んな事は。…支度だ!急ぎなさい!」
さきほどから廊下の角や小さく開いた扉の隙間からこちらを窺っていた使用人達が、慌ててバタバタと動き始める。
恭しく案内する執事に早足でついていくウィルの後から、少しだけ遅れて私とサディアスが続いた。
歩調を遅くするよう目で指示してきたサディアスに合わせると、彼が声を潜めて言う。
「…鍛えていると仰ってましたが、実戦は。」
「まだよ。剣も持ってきていないし」
「チッ。そうですよね…」
小さく舌打ちされてしまった。
しょうがないじゃないと言いたくなるけれど、我慢する。
サディアスは警戒しているのだろう。罪を暴かれる事を恐れた彼らが襲ってくる事を。
彼が想定しているものと比べたらきっと、私がダンを投げた事があるのなんて数に入らない。
「せめて騎士を連れてきてくだされば、私が別で動けたものを…」
恨めしそうにウィルの背中を睨んで、サディアスが呟いた。なるほど、相手がウィルに集中している間に証拠を押さえたかったのね。
でも護衛騎士がいない今、ウィルの護衛は従者であるサディアスの最優先事項だ。私が戦えるならまだしも素人同然なのだから、とてもウィルの傍を離れるわけにはいかない。
執事はウィルの機嫌をとろうとしているのか、必死で世間話をしていて私達の会話には気付いていないみたい。
それなら私がこっそり探してみようかしら?誰かに見つかっても、迷ってしまいましたという事で…
なんて考えていたら、廊下の途中にある扉の中からパリンと音が聞こえた。つい足を止める。
それはサディアスにも聞こえたようで、彼も同じく足を止めた。ウィルが気付き、続いて執事も私達を振り返る。その目が明らかに泳いだ。
「そちらは食堂でございます。応接室はこちらに…」
「屋敷の内装を見ても、マクラーレン伯爵はとても良いセンスを持っておいでだ。食堂も拝見させて頂きたいものですね、ウィルフレッド様?」
「…そうだな。良いだろうか。」
「いえ、まだ片付いておりませんので――」
執事が否定し始めた瞬間、サディアスが無言で扉を開け放った。
「……なんだぁ?そのガキどもは。」
それなりの広さがある食堂のテーブルは、酒瓶と汚れた皿で散らかっていた。
見るからにならず者であろう十数人の男達が、各々姿勢を崩して椅子に座っている。彼らに声をかけていたらしき使用人の横に、割れた酒瓶が落ちていた。
そして何より私達の目を引いたのは、テーブルに先端を突き刺してまっすぐ立っている一振りの剣。
それはまさしく、ウィルやアベルが持っているのと同じ意匠の剣だった。
「…探すまでもありませんでしたね。」
サディアスが呟く。
使用人と執事は蒼白な顔で口をパクパクさせていた。身を隠すよう伝えさせたものの間に合わなかった、そんなところでしょう。
シンとした空気を読んでか、ならず者達が立ち上がった。
「じじぃ、コイツら、いたら悪いタイプの目撃者だよなあ?」
「っお待ちを!」
止めようとしたサディアスの手をすり抜け、激昂したウィルが徐々にスピードを上げながら歩いていく。
「同じ剣って事はあれだろ、こいつがアベル様か。」
とんでもない勘違いをしている男の声は聞こえているのかどうか、ウィルが自分の剣を抜き放って叫んだ。
「その剣を渡せ!!」
「ブッ殺しちまえ!!」
執事が止める間もなく、テーブルに刺さった剣が抜かれるのを合図に――戦闘が始まった。
「火よ焼き払え!!」
呆然として動けない私の前で、サディアスが焦ったように早口で叫ぶ。
彼が最も得意とする火の魔法だ。食堂に現れたまるで津波のような炎は、男達のほとんどを一瞬で飲み込んだ。
「ッぎゃあああああああああああ!!!」
幾人もの絶叫が不協和音となって響き渡る。
目の前で十人以上が一斉に火だるまとなった事実に、私は足がすくんでしまっていた。指一本さえ動かす事ができず、ただそこで起きる出来事を目に映している。
燃え移らずとも熱の余波は受けたであろうウィルは、臆する事もそちらを見る事もなく、リーダーらしき男と切り結んでいた。
「宣言、水よ掻き消せ!」
続けてサディアスが発動させた魔法により、大量の水が火だるまになった彼らをずぶ濡れにする。
火が燃え移っていた家具も一瞬で沈火され、床に倒れた男達は何が起きたかわかっていない様子で咳き込んだ。
動けはするでしょうけれど、あまりの事に戦意は削げたようだった。誰も立ち上がろうとしない。
「すっげぇバケモン連れてんなあ!さすが王族ってか!?気味悪い!!」
「よくも、よくもこんな事を!!」
同じ意匠の剣がぶつかり合う。
筋骨隆々というわけではないけれど、二十歳は越えているだろう男を相手にウィルは互角の戦いをしていた。力では負けてもスピードと技術で補っている。
私ははっとして横にいるサディアスの袖を掴んだ。
「さ、サディアス。ウィルを…」
「静かに。……バレるとまずい」
小声で言われて気が付いた。きっともう魔力が少ないのだ。
人間を燃やすという行為に驚いてすぐには思考が追いつかなかったけれど、派手な魔法を連発したのは人数の不利を作らないためだ。
現にならず者の多くはサディアスを恐れて戦意喪失し、座り込んだまま呆然と二人の戦いを見守っている。
「…せめて、距離を取って頂かねば。」
眉間に皺を寄せたままサディアスが呟く。
最適ではない属性の魔法は魔力の消費も激しい。ここまで飛んできたウィルもサディアスも風が最適ではないし、目くらましに使った光の魔法もサディアスには痛手だったはずだ。
せめて距離をという事は、枯渇してはいないのでしょうけれど…
「はぁあっ!」
私が焦りをつのらせた時、ウィルが男の腕を切りつけて見事に剣を取り落とさせた。
そのまますぐに男の剣を壁際へと蹴り飛ばし、ウィルは怯んだ男を睨みつけて――
「きゃ、っ!?」
「動かないで頂きましょうか、第一王子殿下。」
私はすっかり忘れていた。
「シャロン!!」
「っくそ…」
「お前も動くな!」
まだ近くに、執事がいた事を。
「その場から動いたり、宣言を唱え始めたら…わかりますね。」
首にヒタリとあてられたのは冷たくて硬い何か。
殺されるかもしれない――その恐怖が、じわじわと頭の中を侵食していった。




