257.王子様って、誰が?
二頭立ての馬車が街道を進んでいた。
中には私を入れて十人の新入生が、男女それぞれの制服に身を包んで座っている。
新品のシャツにベストを着て、リボンかネクタイをつけて、ズボンかスカートを履いて、ブレザーに袖を通して。私やもう何人かはその上からさらにローブを纏っていた。
「なんだか着慣れないや…」
「俺も見慣れないな…お前そういうの履いてなかったし。」
「う、うるさいなぁ!」
堂々とスカートを見て言わないでほしい。丈が長いとはいえ恥ずかしいでしょ!
レオはいつも通り短いこげ茶の髪にバンダナを巻き付けてるけど、着てるのは古いシャツじゃなくて真新しいぱりっとした制服だし、師匠から貰ったらしいお古の真剣を腰に提げている。
ちょっとかっこいいね、と褒めた私に対する返事が「だろ!?お前もあれだな、新入生って感じだな!」なんだから……やっぱり、絶対に、レオはあんまりモテないと思う。
髪型を変えたら違ったのかな。後ろで低く二つに結った短い三つ編みを、ちょんと触ってみたりする。
「うわっ、すげー豪華な馬車!」
「…ほんとだ、綺麗だね。」
私達の乗合馬車を、真っ白に塗られた壁にピカピカの飾りをつけた馬車が追い越していった。きっと貴族の人が乗ってるんだろう。行先は私達と同じ《神殿都市サトモス》かな。
貴族といえばすぐにルイス達を思い出す。
レオと一緒に剣の鍛錬をしている、本当は女の子のルイス。ぶっきらぼうだけど面倒見の良いダンさん、私の髪を綺麗だと言ってくれたバーナビー、女神祭で助けてくれたアンソニーも。
皆、学園で会えるはず。
楽しみで楽しみで、私はつい微笑むのだった。
「着きました。さぁ、新入生の皆さん。降りて大神殿へどうぞ。」
御者さんの声で目を覚ます。
いつの間に寝ちゃってたんだろう、座りっぱなしでお尻が痛い。
「着いたって、ねぇ!」
勝手に枕にしていたらしいレオの肩を慌てて揺すった。……起きない!もう!!
「いてッ!」
王立学園があるのは《学園都市リラ》で、馬車が着いたのは《神殿都市サトモス》。
リラはとっても遠いけど、この大神殿から移動できると入学案内に書いてあった。緊張で神父さんらしき人の挨拶も聞き流しながら、私達は他の馬車で来た子達とも合流して大部屋に案内される。
「では、皆様の学びが良いものでありますように。」
ツヤツヤした石の床に大きな模様が描かれてる事に気付いた。だって、光り始めたから。あちこちから驚きの声が上がる。
眩しさに閉じた目をゆっくりと開くと、そこはもう別の場所だった。
「学園都市リラへようこそ!!」
お、大きな声…。思わずびくっとしてレオの袖を掴んだらちょっとつねっちゃって、レオまでびくってなっていた。ごめんね。
うっすらと光る床の模様に気を取られながら、案内役らしい男の人を見る。
「まずは陣から出るといい、そのままではまたサトモスに戻ってしまうからな。」
腰には立派な剣を持ってるし、警備の人にしては派手だから…剣術の先生、とか?女の子達がひそひそと「かっこいい!」って騒いでる。…レオも目が輝いてるなぁ。
歳は三十代前半くらいに見えた。瑠璃色の髪に明るいグリーンの瞳で、騎士の人が着ていそうなカッチリした白地の正装だけど、上着は羽織るだけで腕を通してない。
「俺はレイクス!新入生諸君、よく来た。これから学園に向かうが、その前にまずは《魔力鑑定》だ!魔力がある者もない者も、事前の申告と相違ないか確認させてもらうぞ。」
案内された部屋で一人ずつ名前を呼ばれて、台座に置かれた白い石に触れて扉の奥へ去っていく。
《鑑定石》…確か魔法には五つくらい属性があって、これはその内のどれが一番自分に合っているかを教えてくれる石だ。
「次――カレン・フルード!」
「は、はいっ。」
私が触れると、冷たい石は淡い緑色に光った。これは風の属性が合っているという事。
鑑定を終えて進んでいくと、学園行きの馬車が待っていた。あの不思議な床の模様で移動したのは、学園都市の中にある教会だったみたい。
馬車に乗り込む子達を少し見送ってたら、教会の雰囲気苦手だな~、と顔に書いてあるレオが出てきた。
「新入生の皆さーん…こ、こちらへついて来てくださいね~……。」
学園につくと、先生っぽい気弱そうな女の人が懸命に声を出していた。
皆なんとなく一塊になって彼女について行こうとしてる。私達もその中に入ろうと近付いたら、最後尾にいた女の子が私を振り返って、途端に嫌そうに口元を引きつらせた。
「うわっ何あの髪。」
「え?わ…ほんとだ。すごいね」
「きもちわる~」
ぼそぼそした小声だけど、私に聞こえるように言ってる気がする。あの子達とはあんまり関わりたくないなぁ…。
ちょっとゲンナリしていたら、横から肩をがくがく揺すられた。
「おいカレン!学園ってすんげぇでかいんだな!な!?」
レオときたら、ああいう小声の悪口が全然聞こえない耳をしてるんだから。羨ましい。
はいはい、と適当に返事をしながら、目をきらきらさせるレオが指す方を見上げた。下町にはないとっても大きな建物だ。
周りに広がる芝生も草木も、庭師さんがちゃんと整えてるんだろうな。
石造りの校舎と青空を一緒に見上げながら歩いていたら、二人同時に躓いて転んでしまった。うぅ…入学式に何をしてるんだろう、私。
会場は、平民と貴族とで席が真っ二つに分かれていた。
さすがに名前順で並びが決まっていたから、レオと離れて椅子に座る。周りからの視線がちくちく頭に刺さった。ひそひそ声も聞こえるし、早く入学式終わらないかな…なんて思いながら学園長先生の話をじっと聞いていた。
次は新入生代表で、金髪の男の子が壇上に現れた瞬間ざわざわと「第一王子殿下だ!」と囁きが聞こえた。そういえば王子様も今年なんだっけ。関わる事はないだろうけど、正面を向いた男の子を私も見――…
あれは、バーナビーだよね?
私は目をこすった。
周りからは「あの方が…!」とか「かっこいい」とか、うん、バーナビーはかっこいいよ。きらきらしてて…でも、え?
ぱちぱち瞬きをして、よ~く目をこらしてみる。やっぱりバーナビーだ。制服の上から淡い青色のマントをつけている。
……王子様って、誰が?
何か、認めたくない事に気付いてしまったようで、耳鳴りがしているような変な感覚。バーナビーが喋っているのに内容がまったく頭に入ってこない。
バーナビーが綺麗な笑顔で礼をして席に戻っていくのを、呆然と眺めていた。
……隣の席でお揃いのマントをつけてるのは、アンソニー?
心臓がどくどくとうるさい。
嘘だ、でもだって、そんな……。
私の目は、吸い寄せられるように薄紫色を捉える。バーナビーとアンソニーの、一列後ろ。四つ並んだ座席の一つに彼女は座っていた。
記憶の中とは違う、背中へ下ろされた長い髪。覚えのある微笑み。
バーナビー達とは友達だって言っていた。本当は女の子だって言っていた、ルイス。
二人は王子様で、それであんな真後ろに座っているルイスは一体、どれくらい高位のお嬢様なんだろう。
もう何がなんだか、頭から湯気が出そうな気持ちで私はただ座っていた。
入学式が終わったら絶対、絶対にレオを問い詰める!
…と思ってたのに。
人が多過ぎて勝手に掻き分けて進めないし、そもそもレオを見失っちゃったしで、私はひとまず尋問を諦めざるをえなかった。
貴族だとは思ってたけど、ちょっとレベルが違い過ぎるよ!もう!!
「うぅ、すぐ諦めればよかった…」
皆は寮へ案内してくれるという先生について行ったけど、レオがいないかときょろきょろしてたせいで完全に置いてかれちゃった…。
配布された学園の地図を見ながらとぼとぼ歩く。
校舎から西側に出たから、今通っている石畳の道から……真っすぐが教会で、右が女子寮、左は男子寮だから私は行かなくて…
「あっ。」
風が吹いた途端に地図が飛ばされてしまい、私は慌てて石畳から芝生へ足を踏み入れる。一生懸命追いかけたけど、追いつきそうで追いつけなくて、結構走ってしまった。
教会の角に引っかかった地図をようやく捕まえる。
ドカッ!
「っ!?」
曲がった先の壁に何かがぶつかったみたいで、思わず肩が跳ねる。
おそるおそる角の向こう側を覗くと――
「終わりかな、先輩方?」
抜き身の剣を手に、アンソニーが立っていた。
周りには上級生らしき男子生徒が十数人も倒れてるけど、全員倒しちゃったのかな。
整った顔で意地悪く笑って、地面に這いつくばる人達を見下ろしてる。……教会の敷地だよね、ここ。一体何をしてるんだろう。
「ぐ…くそっ!」
彼の背後で、うつ伏せに倒れていた一人が片手で剣を振りかぶった。投げるつもりだ!
「あ、危な――」
私は悲鳴のように声を上げたけど、アンソニーは飛んできた剣をあっさり叩き落してしまった。小さい子に棒きれでも投げられたのを払うような、雑な動作だった。
そして唖然として動けずにいるその生徒の肩に、靴裏をとんと乗せる。剣をしまわないまま。
「吠えるなら、相手をよく見る事だね。」
「……っ!」
上級生らしき生徒は口をぱくぱくさせている。
アンソニーが軽く蹴るようにして離すと、怒りで顔を真っ赤にしたその生徒を他の人が引っ掴んで逃げ出した。それぞれ落ちてる剣を忘れずに回収している。あの人、涙目ですごくアンソニーを睨んでるけど…後でやり返しに来たりしない?大丈夫なのかな。
「久し振りだね。」
「ぅわあ!」
急に振り返って話しかけてくるからのけぞってしまった。
私がいた事に気付いてたの、いつから!?
「そう驚かなくてもいいでしょ。」
「お、驚くよ…!」
ばくばく鳴る心臓を押さえる私と違って、アンソニーは平然とした様子で剣を鞘に納める。茂みに放っていたらしいマントをばさりと肩にかけ、こちらへ歩いてきた。
第二王子殿下、なんだ。
そう思ったらぼんやり口が開いてしまって、うまく言葉が出てこない。何か話さなきゃ、と思うのに。
目の前に立ったアンソニーは私をじっと見下ろして、クッと笑った。
「そうだね、正体を隠してた。――第二王子、アベル・クラーク・レヴァインだ。よろしく」
「は……はい、よろしく…カレンです…」
「知ってる。兄の名はさっき会場で聞いたかな。君やレオに会うのを楽しみにしていたから、顔を合わせた時はあまり気負わずに接してやってほしい。」
「うぅ…」
王子様相手に「気負うな」は無理があるんじゃないかな…!
こくりと頷くのが精一杯だ。頭がパンクする前に他の話題をと、私は口を開く。
「えと、アベル…様は、何をしてたの?」
「見た通り。学園内において、帯剣している者同士の野良試合は認められてるんだ。」
そういえば、入学案内に書いてあったかも。
物騒に思えるけど、仲の良い友達同士なら練習でやるのかな…くらいに思ってた。つまりアベル様は、あの人達と試合をしたんだね。
たったったと足音が聞こえて、私達は開きっぱなしの教会の門を見る。
「あーいたいた!アベルさ、ま……」
私より幾つか年上に見える、すらっと背の高い赤茶色の髪の男子生徒だった。優しそうな垂れ目が印象的で、ゆるくウェーブした髪は編み込みを作って後ろへ流している。おしゃれさんだ。
笑顔で走ってきた彼は、私とアベル様を見比べて瞬きした。
深刻な事を考えるように眉根を寄せ、私達から目をそらしてちょっと低い声で呟く。
「…俺、邪魔しました?」
「ぜぜぜ全然!!」
邪魔っていう言い方はちょっと、駄目だと思う!
そんなんじゃないから!そん、そんなんじゃない!!顔が赤くなるというより青ざめる。誤解されたらとんでもない事だ。両手をぶんぶん横に振った。
「チェスター、ウィルが言ってた子だよ。カレン・フルードだ」
「ん…あぁー!この子がそうなんだ!」
「え?えっ?」
状況についていけない。
チェスターと呼ばれた人はニコッと笑って私の前に片膝をついた。……どうして?
片手をひょいと取られて――手の甲にちょん、と口付けられる。
え?
「初めまして、お嬢さん。俺はチェスター。オークス公爵家の長男で、アベル様の従者。君みたいな可愛い子がいると、学園生活も華やぐよ。これからよろしくね☆」
ぱちん、とこなれたウインクを飛ばされながら、私は固まっていた。
だ、だって手…て、手にくくく口付けあぁでも貴族の人のアイサツにそういうのが、えっと、えっと!
「…チェスター。」
「あはは、ごめんごめん。ちょーっと刺激が強かった?」
アベル様の叱るような声も、立ち上がったチェスターさんが手を離してくれても、赤くなった顔も戻らないし頭はこんがらがって私はもう涙目だ。
待って、公爵家って言った?
……一番上の貴族だ。うぅ…レオ、どこにいるの……




