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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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257/525

255.噴水広場にて

 



 それは突然だった。


 平和に進んでいた王子殿下一行の馬車の上空に、三メートルはあるだろうか、剣を象った炎が現れた。魔法発動に必要な宣言は何も、叫ぶ必要はない。何の前触れもなく敵の魔法が現れる事など珍しくもなかった。

 ただ、それが炎である以上は熱気と光がある。気付く事ができる。

 炎が剣の形になりきるよりも早く、フランシス・グレンは菫色の瞳をそちらへ向け、口を開いた。


「大海よここに。」


 一瞬で馬車の上方を覆う分厚い水の膜が現れる。

 炎の剣が振り下ろされるのと、グレンが杖で地面をガツリと鳴らすのは同時だった。


「打ち上がれ」


 ドパン!


 盾で剣を弾き返そうとするように、水の膜が真っ向から剣先へ向かう。炎の剣を打ち消した水は大雨となって降り注いだ。馬車が、牽引する馬達が、並走するグレン達が容赦なく水に濡れる。


「はァ!」


 馬車の右側へ放たれた複数の矢を、乗馬服に身を包んだ若い女が剣で叩き落とす。窓のカーテンが開いたため、誰か顔を出したと思い狙ってきたのだろう。

 ウェーブした黄緑の髪は肩につかない長さに切られ、健康的な肌色の頬に水で張り付いている。大きな緑の瞳はギラギラと輝いていた。


「何度狙っても無駄だよっ!馬に乗ったあたしは最強ーーッ!!」


 矢の雨は馬車だけでなく彼女が乗る馬にも向けられたが、目がいくつあるのかと思うほど的確に全てを叩き斬った。

 馬術と語学を担当する彼女――オルニーの雄叫びを聞きながら、馬車の後方を守る男は弓を引き絞る。放たれた矢は正確に敵を撃ち抜いた。


「はい、終わりっと。今ので射手はやったか?」


 短く刈り上げた銀髪に細いつり目、高い身長に無駄なくついた筋肉。

 剣術の初級と弓術を担当する()()――イングリスは緩く笑っていたが、前方からゴンゴンとノックが聞こえ、馬車の左側を守るグレンへ声をかけた。


「グレン先生!早くしないと出てくってさ。」

「そうですか…困りますね。宣言、疾風よここに。壁となれ」

 本当に困っているのか怪しい落ち着いた声で返し、グレンは再び地面をガツリと叩く。馬車全体へ降り注いだ風の刃が強風で作られた壁にあたり、ドドドと音を立てた。


 ぶわ、と風が巻き起こる。

 イングリスは一瞬、それは風の魔法同士が上空でぶつかって発生した余波だと考えた。しかしすぐに違うと気付く。風は上からではなく下から吹いていたのだ。敵の狙いは別にある。


 ガタン!


 王子殿下が乗った馬車が数十センチ浮き上がり、バランス悪く左へ傾いた。ぐらぐらと揺れながら高度を上げようとしている。御者が慌てて御者台にしがみつき、牽引していた馬達は不快そうにブルルと頭を振った。


「風よ、滝のように。」


 グレンが杖で馬車を叩くと、持ち上げようとする力を越える重さの風が上から吹き付ける。徐々に強める事で調整し、平衡を取り戻した馬車は大した揺れもなく車輪を地上へ着けた。

 ぶつかり合う強風の余波に街の人々は騒いでいるが、オルニーが調教した馬達には動揺がなく、その脚を止めはしない。


 イングリスはチラリと視線をはしらせ、流れゆく街並みを確認する。

 射手は落とした。後は魔法攻撃を仕掛けてくる敵の居場所だ。火の魔法で剣を象ってみせた者、風の魔法を打ってきた者が同一人物か否かもわからない。こちらが移動を続けているからには敵もついてきているはずだが、並走する野次馬は見当たらない。


 ――そんじょそこらの奴だとグレン先生の魔力量に追いつかないし、魔力切れになる前に直接来るか、それともこのまま逃げるか?


 考えながら、イングリスは手綱を握り直す。暗器なら基本は飛んできた方向に本人がいるが、魔法はそうでないから厄介だ。


「ゴーゴー!スピード上げてこ!!」

 オルニーの声で、御者やグレン達が指示するより早く馬達が速度を上げる。

 元から新入生を送る時間帯は大通りを空けておくよう通達されており、わざわざ邪魔をしようと考える者はほとんどいない。

 加えてこの馬車に乗っているのは王子と五公爵家、しかも襲撃中だ。学園までの道を塞ぐ馬鹿者などいなかった。


「オルニー!」

 仮にも王子殿下と公爵家が乗っている馬車だ、あまり速度を出して揺らすものではない。グレンの叱責混じりの声はきちんとオルニーに届いていたが、彼女はただまっすぐに前を見つめていた。

 近づいてきたのは、街で一番大きな広場。

 中央には女神像の立つ噴水があり、ベンチ代わりにぽつぽつと数人が腰かけている。


「魔法が使えてるって事はさ、こっちが見えてるんだよ、ずっと!そうでしょ!!」


 オルニーが大声を出して指さすと、噴水付近で唯一、真正面にいた男だけが焦ったように立ち上がった。

 同時に馬車を浮かせようとしていた風が途切れ、イングリスは鞍を蹴る。馬車の上に着地すると同時に矢をつがえ、弓を引き絞りながら相手を捕捉した。


「宣言。この矢は必ずあいつを射抜く、絶対にだ」


 男は突然現れたイングリスに動揺し、険しい顔で口をパクパクと動かしている。恐らく宣言を唱えたのだろう、視界を塞ぐように大火が巻き起こったが、すかさずグレンが水を生み出してかき消した。

 イングリスの狙いはブレていない。


「さぁ風よ、()()()!」


 宣言を唱え終わると同時に矢を放つ。

 男は横へ走って逃げたが、矢はまるで意思を持っているかのようにそれを追って軌道を変え、男の背中に突き刺さった。

 遠巻きに見守る街の人々から歓声と悲鳴が上がる。


 広場を警備していた騎士から二人が倒れた男の回収に向かったが、途端に野次馬のあちこちから武装した男達が飛び出し彼らに襲いかかった。

 敵は三十名前後、もう少しで馬車は広場へ着く。敵の半数以上がこちらに向けて武器を構えているのを見て、オルニーが叫んだ。


「グレン!道作れるなら突っ切るけど!」

「全員減速を!」

「了解っ!」

 控えていた他の騎士が加わるだけでなく、制止を振り切った善意の民間人まで出てきている。そんな状態では、グレンの魔法で強引に押しのけるわけにはいかなかった。

 オルニーの指示で馬達は統率された動きで減速し、御者もそれに合わせて車輪のブレーキをかけていく。


「馬車が来たぞ!」

「ぶっ壊して引きずり出せ!」

 武装集団は騎士の手で数が減り、放っておいても数分で片付いたかもしれないが、さすがに十数秒では無理だ。孤立すればグレンの魔法を食らうとわかっていてか、考え無しに飛び出してくる者もいない。


 一度馬車を止めざるを得ない、そう判断した瞬間――扉が開いた。



「遅い。」



 目が合ったグレンに一言告げ、彼はひらりと馬車の上へ跳ぶ。イングリスが苦笑して「あ~あ」と呟いた。

 王家を示す青色のマントはなく、制服の腰につけた帯剣ベルトから剣を抜き放つ。金色の瞳で前を見据えると、晒された刃が太陽光に反射してきらりと光った。

 馬車から黒髪の少年が出てきた時点で、敵はそれが誰かを悟ったらしい。


 第二王子アベル。

 月の女神に愛されたと言われる剣の天才、民殺し。魔力を持たない屑星。


「「「宣言!」」」


 複数人が同時に叫ぶ。

 まだ距離のある、そして魔法を使えない相手への攻撃手段として当然の事だった。アベルの足は既に馬車を蹴っている。減速中の馬達よりも前に出て、強く踏み込んだ。


「火――…」


 男が瞬きする一瞬の間に、アベルの姿は消えている。

 宣言はまだ唱え始めで、魔法の発動は到底間に合わない。そもそも相手が視認できない以上、発動するべき場所もわからなかった。ただ幸いな事に、男はそれ以上悩む必要も考える必要もなく。


 ゴッ。


 視界が明滅すると同時に己の頭蓋骨が音を立てた。

 激痛、だらりと流れ伝う液体、血の匂いがする鼻からはろくに息ができない。足はいつの間にか地面から離れ、身体と一緒に意識も飛んでいた。


 アベルはとうにその男から離れてもう一人蹴り飛ばしている。

 横薙ぎに振るわれた剣を弾いた勢いのまま回転し、相手の顔面に柄を叩き込みながら背後を襲ってきた男の刃を避け、即座に振り返って顎を蹴り上げた。

 気絶した敵はグレンが風の魔法で運び、乱闘から離れた場所に落としていく。


 仲間がやられた事にひるんだ者は騎士に組み伏せられ、フライパンを握ったまま呆然とする宿屋の女将も騎士によって追い出された。

 人数で押し切ろうと同時に襲い掛かったところで、武器を振り下ろす頃には幾人か吹っ飛んでいる。剣は弾き落とされ拳は当たらず、魔法は近ければアベル、遠ければイングリスの邪魔が入り発動させてもらえない。


「なんだありゃ……」


 野次馬を押さえながら、騎士の一人が呟いた。


「化け物かよ。」


 否、アベル第二王子殿下においてはこれが「普通」なのだ。

 小さい頃から見てきた王都の騎士達は、彼がそういう存在だという共通認識を持っている。しかし神殿都市サトモスしかり、学園都市リラしかり。王都にいない騎士達はアベルの強さに慣れていない。


 初めて目の当たりにする「噂の第二王子」に、職務を忘れて呆然と見入る者も多かった。月の女神に愛された天才という言葉は、何の誇張もない事実だったのだ。


 暴れる者がいなくなり、一時の静寂が訪れる。

 最初は王子の登場に沸いた野次馬も、全てがあっという間でポカンとしていた。アベルが何かしたという事はわかるが、その「何か」がまったくわからない。剣を血に濡らす事なく終えた彼のシャツは白いままで、いっそ誰かの魔法だとか、男達が自分で飛んで行ったのだと言われた方がまだ信じられそうだった。


「申し訳ありません!殿下にお手数をかけるなど…!」


 広場の警備を任されていた、恐らく小隊長だろう騎士が跪き頭を下げる。襲撃犯の拘束を終えた部下達もそれに倣った。

 無言で剣を鞘に納めるアベルのもとに、従者であるチェスターが恭しく淡い青色のマントを差し出す。馬車の中で預かった物だ。アベルはマントを手に取り、ばさりと肩にかけた。

 一拍遅れ、街の人々が歓声を上げる。


 サディアスを連れたウィルフレッドが馬車から現れると、その声はより一層大きく、拍手と共に広場に響き渡った。噴水の前にいるアベル達のもとまでたどり着くと、ウィルフレッドは観衆を見回して微笑みかける。人々は彼の言葉を聞くべく口を閉じた。


「拍手をありがとう。第一王子、ウィルフレッド・バーナビー・レヴァインだ。この良き日に街を騒がせてしまい、すまなかった。少々不届き者がいたようだが、騎士の皆と先生方の活躍に感謝する。そして頼もしい俺の弟――」


 広場を囲む店舗の屋根の一つから、踏み込みの音。

 ローブに身を包んだ男が剣を振りかぶって飛び込んでくる。


「火槍」


 パチン。

 指を鳴らしたサディアスの一言で空中に槍を模した炎が現れ、飛び込んでくる男めがけて放たれた。同時に、アベルの斜め後ろに控えたチェスターが「宣言」と呟く。火槍が直撃して男の勢いを完全に打ち消し、その身体を焼き始めた。


「水よ包み込め、そして凍ってくれ。」


 絶叫する間もなく男の全身が水に覆われ、かと思えば氷に変わる。地面に落下した衝撃で氷が砕け散る頃には、男は完全に気絶していた。


「――アベルの強さも、知ってもらえた事と思う。」


 襲撃者の方など見向きもせず、ウィルフレッドは穏やかな笑みを浮かべて話を続けている。急襲されてもまったく動揺のないその姿に、聴衆の幾人かがごくりと唾を飲んだ。父王譲りの金色の髪が、日を浴びて神々しく輝いている。

 アベルは兄の傍らに控え、自分の出る幕は終わったとばかりに沈黙していた。


「剣を持たぬ身でありながら立ち上がった者達の勇気を、咎めはしない。けれどもし次があったら、その時は自分と家族の身を守ってほしい。」


 第一王子とばっちり目が合ってしまい、宿屋の女将はフライパンを握り締めたままコクコクと頷いている。その他にも参戦していた二、三人と順に目を合わせ、ウィルフレッドはにこりと頷いた。


「本日より俺達は学園の生徒となり、休みにこちらへ来る事もあるだろう。あのまま待っていても問題はなかったが、今後の牽制と考えて少し手を出させてもらった。…後はよろしく頼む。」

「はっ。」

 跪いたままでいた小隊長が返事をし、改めて頭を下げる。

 囁き合う声と歓声が混ざって広場はざわめいていた。



 まだ残党がいるかもしれないとシャロンとダンには待機を命じており、彼女達は馬車の中ではなく扉の外で待っている。迎えに来たグレンに促され、ウィルフレッド達はそちらを振り返った。


 野次馬の中に潜んでいたのだろう、シャロン目掛けて三人の男が飛び掛かる。王子を狙っても駄目だと理解し、彼女を人質に取るつもりだ。

 イングリスは馬車の後方へ戻っており、オルニーは馬車を挟んで反対側にいる。死角だ。扉側を守っていたグレンは今、ウィルフレッド達の傍にいた。

「あ」

 危ない、と叫びかけたウィルフレッドの声が途切れる。


 あらかじめガントレットを装着していたダンの拳が一人の顔面を捉え、且つもう一人の腹に蹴りを叩き込んでいた。最後の一人がシャロンに手を伸ばしていたものの、彼女は男の腕を受け流すようにくるりと回転し、体勢を立て直したダンのもとへと送り出す。ついでに足を躓かせた。


 頬に鉄拳がめり込んだ男は馬車の壁に豪快なキスをし、振り返った御者がひどく嫌そうな顔をする。腹を蹴られて後ろへ倒れ込んでいた男が、よろめきながら立ち上がった。

 再び襲い掛かってきた瞬間に頭を掴み、ダンは顔面に膝をお見舞いする。


「――お嬢様に、近付かれませんように。」


 敬語とは思えないドスの効いた声で呟き、暴力的な従者は姿勢を正した。

 両手を上品に前へと揃え、公爵令嬢は麗しい微笑みで王子達を迎えている。


「皆様お見事でした。さぁ、学園へ参りましょう。」




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