253.物語の舞台へ
とうとう迎えた入学式の日。
号泣するクリス、大きくなったと涙を流すお父様とメリル。微笑むお母様とランドルフに見送られ、私とダンは《神殿都市サトモス》へ向かう馬車に乗り込んだ。
女子の制服はロングスカートが基本だけれど、パンツスタイルを選んでも良いので、騎士家系の令嬢などはそちらにする事もあるみたい。私は一応そちらも購入し、先に学園へ送った荷物に忍ばせておいた。
「いよいよだな、お嬢。」
「えぇ。」
にやりと笑ったダンは、きちりと締めたネクタイを解きはしない。もうメリルもランドルフも見ていないのに。
灰色の短い髪、黒い瞳の三白眼。チェスターと同じで今年十六歳になる、私の従者だ。本来、ここにいる事はあり得なかった人。
今日、ゲームの《学園編》が始まる。
仲良くなれたウィルとアベル…オークス公爵夫妻は生きているし、ジェニーの病気も治った。友達のいなかったカレンには既に、レオや私達がいる。私はある程度身を守る方法も学んで、ダンという心強い味方もできた。状況は確実に違う。
シナリオを変えていくにはきっと、ダンのような「本来いなかった人」や、アベル達のような「ありえなかった関係性」が鍵になる。
前世を思い出してから一年近く……いよいよ、シナリオの時間軸だわ。
「旦那サマに手ぇ置かれたとこが痛ぇ。くれぐれも悪い虫が寄り付かないようにな、だってよ。」
「ふふ、ちょっと心配症よね。客観的に見ても、私を狙う方はあまりいないと思うわ。」
「王子サマが二人もいたらな。」
「近寄りがたいでしょうね。おまけに、公爵令嬢が帯剣までしているのだから。」
お父様達が贈ってくださった剣。
学園では帯剣してよい事になっているから、一応持ち歩くつもりだった。入学式の今日ばかりは別だけれど。
「そんで俺が横にいたらまず無理だな。」
「えぇ。今年は特に、殿方の相手をする余裕はないもの。授業は沢山とらなくてはいけないし…」
――シナリオと何が違うか、カレンは誰のルートに入るのか…自分を鍛えながら見極めなければ。
「授業は正直、だりぃな…」
「一定の成績は取らないと、ランドルフからお叱りの手紙が飛んでくるわよ。」
「わーってるよ。お嬢の顔に泥塗る気もねぇし。」
「まぁ…ありがとう、ダン。」
嬉しくて頬が緩んでしまう。私もだいぶ頑張ったつもりだけれど、出会ってから一番成長したのはダンかもしれない。
……という私の気持ちは、出発して三十分経たずにぐっすり眠りこんだ姿を見て、静かに空へと消えていった。今日はとても良い天気だわ。
そうして着いたのは、《神殿都市サトモス》。
私が住んでいた王都ロタールの南東に位置する都だ。
まだツイーディア王国が無かった時代、ここで大きな戦いがあったらしい。月の女神様は騎士達と共に剣を振るい、太陽の女神様は多くの怪我人を治したという。
人々はその感謝を忘れず、女神様を讃えて大神殿を造り上げた――それが今もなお残っていて、なんと《学園都市リラ》へ繋がる《ゲート》もここに設置されている。
もちろんこれは、前世でプレイしていたゲームには出てこない話。
神話学を学んだ事のある人にとっては常識レベルで、ここに教皇や枢機卿がいる事も私は知っているけれど、カレンは「神父さん」と間違えていた気がする。
階段を上がって大神殿のホールに入ると、五十代後半だろう男性が見えた。オレンジ色の長髪は白も混じらず健在の様子。
教会の人々に指示を出しているみたい。大勢の新入生がここから飛ぶので、その準備があるのだろう。ホールの壁際にいた神父達からは、余所者である私とダンに向けて無遠慮な視線が投げられている。
「…お嬢様、あちらの方が?」
小声でも届くよう少し屈んだダンに聞かれ、私は小さく頷いた。
ラッセル枢機卿。
仕事柄お父様とは付き合いがある事、メリルの伯父である事はダンにも伝えていた。私は数年前に彼が王都へいらした際にご挨拶を済ませている。
ツイーディア王国における教皇や枢機卿の位置付けは、神話学の権威。教会をまとめる立場上ある程度の権力もあり、爵位で言うなら侯爵と伯爵にあたる。
ダンは黙って姿勢を正し、半歩下がって控えた。ラッセル様は話し終えたようでこちらへ歩いてくる。私は微笑んでスカートをつまみ、軽く腰を落として挨拶した。
「お会いするのを楽しみにしていましたよ、シャロン様。ますますお美しくなられましたね。」
「お久し振りです、ラッセル様。お褒め頂き光栄ですわ。」
丸眼鏡の奥には髪と同じオレンジ色の瞳がある。
お歳のせいか以前お会いした時よりも少し瞼が垂れている気がしたけれど、姿勢はしゃっきりとしていた。朱色の祭服に白いストールをかけている。
「姪は寂しいでしょうが、学園でより成長される事をお祈り申し上げます。」
「王都へ戻る頃には彼女を驚かせるほどの良き淑女になれるよう、精進致します。」
学園都市リラへ飛ぶゲートは、少なくとも枢機卿一名が立ち会わなくては使わせてもらえない。ゲート自体は常に繋がっているので、単にその部屋に入らせてもらえるかどうか…なのだけれど。
王立学園の入学と卒業以外では、基本的に審査を受けたり予約が必要で、お金を払う仕組みだ。
「猊下!お話し中申し訳ありませんが…」
「少し待て。…すみませんな、シャロン様。殿下達が揃われるまで今しばしお待ちください。」
「はい。私の事はお気になさらず、どうぞご準備の方へ。」
「ありがとうございます。失礼…。」
ラッセル様は少し早足に去っていった。彼らの到着もうすぐだろうにここで待たないとは、本当にお忙しいのね。
後方から扉の開く音がして、振り返る。
「失礼するよ。――こんにちは、シャロン嬢。」
爽やかな青色の瞳に喜びを浮かべ、サディアスを連れたウィルがやってきた。
きちりとネクタイを締めた制服の上から淡い青色のマントをつけ、窓のステンドガラス越しに差し込む太陽光は、金色の髪にきらきらと反射している。
うん、私の幼馴染は今日も輝いているわね。顔を綻ばせて、私は恭しく淑女の礼をした。
「こんにちは、第一王子殿下。ご機嫌麗しく。」
「顔を上げてくれ。…あぁ、髪飾りが君の色をより美しく見せているね。制服もとても似合っているよ。」
「まぁ…ふふっ、ありがとうございます。」
ゲームでもつけていた、白いサザンカの髪飾り。
今朝お母様が手ずからつけてくださった物だ。サザンカの花言葉は「困難に打ち勝つ」……学園でしっかり頑張れという事ね。
白いサザンカだからといって、「理想の恋」を見つけてきてね、という意味ではないはず…いえ、お母様なら両方の意味を込めているかもしれないけれど。
「殿下の凛々しいお姿、このように間近で拝見できる事を光栄に思います。」
制服に合わせて調整しただろう新しい帯剣ベルトも、王家のマントも制服自体もばっちり似合ってるわ、ウィル!
「ありがとう。アベルもすぐに来るよ。」
ウィルは嬉しそうに目を細めてそう言うと、一歩後ろで控えるサディアスに視線を流した。私もそちらへと向き直る。
「サディアス様も、これから四年間よろしくお願い致します。」
「はい。…もし何か困り事があればおっしゃってください。多少は力になります。」
「ありがとうございます。頼りにさせて頂きますね。」
ウィルが横で「君もよろしく」とダンに小さく声をかけてくれている。
サディアスには中々ダンを紹介する機会がなかったけれど、二月の終わりに我が家へ来てくれたタイミングで挨拶は済ませていた。
二人より少し速い足音が聞こえ、ホールの入り口を見る。
思った通り、チェスターを連れたアベルがすたすたと歩きながら――ちらりと、壁際にいる人々を見やった。ひっ、と息をのむ声が聞こえてくる。あの人達は「噂の第二王子殿下」を見るのが初めてなのかもしれない。
私達の前まで来て、アベルは何事もなかったようにこちらへ視線を戻した。
「待たせたかな。」
「私も着いたばかりです、第二王子殿下。お気遣い頂きありがとうございます。」
スカートを摘まんで静かに腰を落とすと、アベルがすぐに「顔を上げなよ」と言ってくれる。返事をして姿勢を正すと、チェスターがアベルの横からぱちんと片目を瞑った。
「今日からはしょっちゅう会えますね、シャロン嬢☆」
「はい。学園でもよろしくお願い致します、チェスター様。」
ゲームの立ち絵では基本的にネクタイを緩めていた彼だけど、今日は入学式だからちゃんと締めているみたい。
チェスターは目立たないよう指先で軽く自分の頭を指し、「めっちゃかわいー」と唇の動きで伝えてくれた。髪飾りの事ね。「ありがとう」を込めて微笑み返しておく。
ここから学園都市へ向かう新入生は、大きく分けて貴族と平民で別々に飛ぶ。ただ今年はそれに加えて王子と公爵家――つまり、ウィル達と私が一つのグループになって先に向かう事になっていた。警備上の問題らしい。
「お待たせ致しました!お久し振りにございます、第一王子殿下、第二王子殿下――」
ラッセル様が急ぎ足で戻ってきた。
懸命に挨拶の口上を述べ始めたけれど、アベルが「いいから早く案内してくれる」と切り捨てている。ウィルとお揃いのマント、ゲームではつけていなかったけれど……あれは、カレンと初めて会ったタイミングの問題なのかしら。
「失礼致しました、こちらです。」
ラッセル様の案内でウィルとアベルを先頭に、サディアスとチェスター、続いて私、最後にダンが続く。
深紅の絨毯が敷かれた広い廊下を進み、左右に警備兵の立つ両扉から大部屋へ入った。
大理石の床は歩く度にコツリと音が鳴る。
部屋の中心部に丸く大きな文様が描かれていて、その上へ立て少し待てば魔法が発動するはずだ。心臓がどきどき鳴っている。前を歩く四人の後ろ姿を見つめながら、私はダンと一緒に魔法の効果範囲へと足を踏み入れた。
初めての《ゲート》を警戒しているのか、ダンが険しい表情で私に手を差し出す。万一にもはぐれるといけないものね。私は小さく頷いて手を乗せた。
ラッセル様は部屋の最奥にある女神像の前から私達を振り返る。文様が光を放ち始めた。
いよいよだわ。
「では、皆様の学びが良いものでありますように。」
主人公が言われたのと同じ台詞。
物語の舞台へ、始まりの時へ――今。
強まった光に思わず目を閉じ、ほんの少し、ふわりと浮いたような心地がする。両足は確かに床を踏みしめたままなのに。
すぐに眩しさがおさまって、ダンと目を合わせてから手を離した。
ゲームでは確か、格闘術と剣術の上級クラスを担当されている……そう、レイクス先生が出迎えに来てくださったはず――
「お待ちしておりました。第一王子殿下、第二王子殿下。そして公爵家の皆様。まずはこちらへどうぞ…そのままですと、再びサトモスへ戻りますので。」
穏やかな男性の声に従って、私達はうっすらと光る床の文様から出た。
前方にいたはずのラッセル様は消え、部屋の大きさは一回り小さくなったように思う。私達の後方、部屋の入り口に男性が一人立っている。
背中まで伸びたブロンドベージュに菫色の瞳。
三十代ほどに見えるその人は神父服を着ていて、両耳には金色のピアスが揺れていた。手には金属製の長い杖を持っている。
「私はフランシス・グレン、魔法学の上級と神話学を担当しております。これからどうぞ、よろしくお願い致します。」
グレン先生。
ゲームの中で――ウィルとカレンを、殺した人だ。
来週にしようと思っていたのですが、つい更新しました。
ゲームの《学園編》となる「第二部 定められた岐路」開始です!
身長目安
178cm…ダン
176cm…ラウル
172cm…チェスター
169cm…レオ
166cm…サディアス
163cm…ウィルフレッド、アベル
158cm…シャロン、ロズリーヌ
152cm…カレン
~歳になる年
16歳…チェスター、ダン、ラウル
15歳…サディアス
14歳…レオ、ロズリーヌ
13歳…シャロン、カレン、ウィルフレッド、アベル




