250.繋ぎ留める方法
建国の騎士、エルヴィス・レヴァインには五人の兄弟がいた。
彼らは今もなお続く五公爵家の初代となり、それぞれの立場から国を、エルヴィスを支えたという。
万一レヴァイン家の血が絶えるような事があれば、王位は血を分かつ五公爵家のいずれかが継ぐものとする――それは初代国王が定め、未だ使われた事のない法だ。
月の女神と共に戦った六人の騎士。
彼らが血の繋がった兄弟であるという証が、全員の署名が、未だ城の最奥に残されている。
「それがこれだ。」
手のひらの上に浮かべていた火を壁の燭台へ移し、現国王ギルバート・イーノック・レヴァインは振り返った。
部屋の中央には美しく磨かれた石板があり、そこへ貼られた一枚の紙を、淡く発光する透明な壁が守っている。王都襲撃の際にギルバートが作り出した防壁に似ているそれは、間違いなく魔法で作られた物だろう。
「なぜ……」
並んだ署名を凝視し、ウィルフレッドは無意識に呟いていた。
《 エルヴィス・レヴァイン 》
建国の騎士、初代国王だ。その名を知らぬ者はない。
《 グレゴリー・ニクソン 》
初代騎士団長。国の各所には今もなお、彼の希少スキルの恩恵が残る。
《 ハーヴィー・オークス 》
弓の腕で敵う者はいなかった。各地に残る女神像の製作者とされる。
《 コーネリアス・マリガン 》
魔法学術研究塔の設立者。スキルが組み合わせ可能と気付いた人物だ。
《 アンジェリカ・ドレーク 》
母は君影国の女だったとされる。ドレーク王立学園の初代学園長となった。
そして――
《 以上五名、血を分かつ我が兄弟である事を認める。 レイモンド・アーチャー 》
「…なぜエルヴィス様でなく、レイモンド様が認める形なのですか。」
ウィルフレッドの言葉の続きを、隣に立つアベルが口にする。
ギルバートは壁際からゆったりと二人の方へ歩き、共に石板を見つめた。
「お前達も知っての通り……かつて古の国は滅び、統治する者のいない地で奪い合いが起き……エルヴィス様はご家族と分かたれた。もっとも早く再会し、女神達と出会う前から彼を支えたのがレイモンド様だ。」
各地を平定する長き旅は、元は二人が立ち上がったところに月の女神が現れたという。エルヴィス・レヴァインにとって、五人の兄弟の中でもレイモンドは特別な存在だった。
しかしその経緯を知る国民はほとんどいない。六兄弟と女神の伝説は各地に残り、今も神話学として研究に努める者もいるが、当時誰といつ再会したかなど、わざわざ紙に残っているはずもなかったからだ。
エルヴィスからレイモンドへの深い感謝は、レヴァイン家と代々のアーチャー公爵にのみ伝わっている。
「お前達の祖父などは――あぁ、俺の父の方だが――恐らくレイモンド様が長兄だったのだろうと言っていた。実際はわからないがな。」
「父上も、入学前にこれを?」
ウィルフレッドは母譲りの青い瞳で父を見上げた。
ギルバートは目を細めて頷く。六人の騎士全員の署名が集まった書類――当時、同じように圧倒された。同じように疑問を抱いた。同じように聞いた。
「十二歳だった俺はこれを見て………やはり、自分は死んでエリオットに託すべきだと。そう思った。それが国にとっての《正解》に感じられたからだ。」
アベルが目を瞠り、信じられない気持ちでギルバートへ視線を移した。ウィルフレッドも瞳を丸くして硬直している。完璧と称される父王からそんな言葉を聞くとは、思いもしなかった。
しかし、とアベルは考える。
――父上が死んでいれば、俺は生まれなかった。……その意味でやはり、陛下は正しい。
「エリオット・アーチャーが王となり、セリーナ・マリガンは王妃となる。俺はそんな未来が最善だと思いながら、どうしても諦められなかった。」
「……陛下は完璧であられると、皆言います。ご存知のはずでは…」
「ウィル。俺が良き王に見えるのなら、それはエリオットを始め、優秀な部下達の力だ。俺自身にはこの大国を治めるほどの器も能力もない。考えを読ませない才だけはあるようだがな。…完璧な王などいなくとも、国は回るものだ。」
自分は王の器ではないなどと、国王が言うものではない。まして、いずれ後を継ぐ息子達に。
わかっているからこそ今まで触れなかっただろう話だ。
――もし、アベルと和解できないまま入学を迎えていたら……父上は俺に、この話をしてくれただろうか。
頭の片隅でそんな事を考えながら、ウィルフレッドは石板に目を戻した。
たとえ長兄であっても、戦友として一番長くとも、王位継承問題のためにこの証書が作られたのなら――本来はやはり、初代国王エルヴィス・レヴァインが「認める」べきのように思える。
「…シャロンを妃にせよというお話も、これに関わっているのですか?」
「それは少し違う。俺は、お前達を授かって良かった…そう思うのと同じほど、エリオットを王にすべきだったと思っている。」
相反した言葉を返しながら、ギルバートは部屋の壁一面に設置された古い本棚へ足を向ける。納められた本はどれも相当年月が経ったものだ。
「あいつの血を王家に戻した方がいい……戻す?と言うのはおかしいか――…まぁ、家格からいっても順当で、お前達から不満もないなら何も問題がないだろう。だから彼女を王妃にすべきだと言った。」
ウィルフレッドはアベルと顔を見合わせた。
弟はさして動揺した素振りもなく、こくりと頷き返してくる。ギルバートは長い指で本の背表紙をいくつか辿り、大判の一冊を取り出した。
「エリオット・アーチャーの娘だ。お前達が気に入らないわけはないし、王妃を務められない女に育つとも思えなかった。…今のところ、そうだろう?」
「ではなぜ撤回などと――」
「アベル。俺は何も、全ての事において国を優先しているわけじゃない。俺自身が王になったようにな。」
本の閲覧用に設えられた豪奢な机に本を置き、ギルバートは肩越しに振り返って言う。
古びた本を開いて目を落とすと、息子達は大人しく彼の両脇へやってきて本を覗き込んだ。
「《血の契約》……存在は二人共知っているな。」
アベルがぴくりと片眉を上げる。
騎士団に古くから伝わるものであり、ティム・クロムウェルからも概要は聞いていた。それを行うには契約する二人の人間双方が、魔力持ちでなければならない。
加えて必要なのは互いの血液、信頼関係。
契約者は離れていても魔力を分かち合える上に、互いに対する治癒の効果を飛躍的に上げる事ができる。
そして何よりも、
「魂を繋ぎ留める事ができる、唯一の方法……そう聞いております。」
ウィルフレッドは真剣な表情で答えた。
ギルバートがページをめくる手を止めると、そこには《血による契約の方法》と書かれている。
「その通りだ。もっとも、死の瞬間その場にいなければ意味はないんだがな。蘇生の際に身体が崩壊していても成功しない上に、病には勝てん。契約できるのは生涯に一人だけ。たとえ契約相手が死んでも、身体には《契約紋》が残り続けるという。」
「契約紋……相手の瞳の色が出るそうですね。」
確かめるように言いながら、アベルはギルバートが開いているページに目をはしらせた。
大体はティムから聞いた内容と一致している。
「そうだ。なぜ属性の色ではなく瞳の色なのかはわかっていない。紋が現れる場所も人によりけりで、理由は不明だ。たとえば、騎士団のクロムウェルとベインズは手の甲にある。」
レナルドが左手にだけつけている黒手袋の下だ。
ティムは両手を白手袋で覆っているが、右手の甲に紋がある。
「他にお前達が知っている中でいえば、エリオット達…アーチャー公爵夫妻だな。」
「えっ、公爵は夫人と契約しているのですか。俺はてっきりその、父上と契約しているのかと。」
「……俺が断った。」
意外そうに瞬くウィルフレッドに、ギルバートは小さく首を横に振った。
学園の卒業を機にエリオットから申し出はあったのだ。確かに歴代の王にも特務大臣、即ちアーチャー公爵と契約した者が何人かいる。
そしてギルバートが己の魔力を委ねられる相手といえば、それはエリオット・アーチャーを除いて他にない。
しかし、契約するべきだとは思えなかった。
――結果として、あいつの嫁はディアドラ・ネルソン…共に死地を駆けられる女だった。だから恐らく、俺の選択は正しかった。
「戦時でもない今、この契約をしている者は少ないが……次代に伝えていくべきものだ。覚えておいてくれ。いいな?アベルもだ。」
「…は。」
「やり方は単純だ。」
几帳面に真っすぐ書かれた文字を指先で辿りながら、ギルバートは口頭で補足していく。
「血を交わしたら、互いを信頼していると確認する。ここは再認識の必要があるだけのようだからな、簡単な問答でいい――その後に宣言を唱える。」
ぱらりとめくられた先に、契約を結ぶのに必要な宣言が載っていた。
ウィルフレッドがぱちぱちと瞬きをして、ギルバートをチラと見上げる。
「……読み上げに何分かかるのですか、これは。」
「何せ魂の乖離を引き留め、確定した死を覆す程の術だ。エリオット達が契約するのを見たが、少し噛む程度なら問題ないようだった。」
「あくまで事前に契約を結んでおくのですね……死の間際にこれはできない。」
「そうだな。おまけに契約で魂を繋ぎ直しても、致命傷を治せなければまた死ぬだけだ。うまく蘇生できる例は少なく、遠隔の魔力共有を主目的とする事が多かった。」
何代も昔、アクレイギア帝国と戦をしていた頃の話だ。
騎士達は互いに契約し、効果の高まった治癒を活かし、離れる際は魔力のやり取りを情報共有に使用した。
場合によっては夫婦で契約を交わし、戦場にいる夫に妻が避難先から魔力を渡す事で力になり――渡せなくなって、死を悟る。
そんな時代があった。
「俺がそうであるように、王族だからといって契約相手を探す必要はない。だが、ウィルフレッド。もしお前がこの先、契約を交わしたい相手を見つけたなら――…」
薄く綺麗な笑みを浮かべた父の横顔を、真剣に聞き入る兄の顔を見つめながら、アベルは黙っている。
どこか隔たれた場所にいると思っていた父が、今は近いように思えた。
似ている。
そう感じられたからこそ、真意がわかる。
――貴方が公爵と契約しなかったのは、自分がいつ死んでもいいようにだ。
契約は人生に一度きり。
ギルバートが死ねば、エリオットが王になる。当時はそんな状況だった。
もし契約の後にギルバートが死んだ場合、エリオットはその身に契約紋を宿したまま生きる事になる。他の人間と契約し直す事はできず、もう何の意味もない、使えないモノがずっと体に残る。紋の場所によっては目立つだろう。
そしてエリオットの性格上、彼が一生ギルバートの死を気に病んで生きる事も簡単に想像できた。
「その時はまた、この部屋に連れてこよう。」
「ありがとうございます、父上。…確かにこれは、俺ではこの場で覚えきれませんね。」
苦笑しながら、ウィルフレッドは黙ったままの弟へ目を移した。
アベルの瞳はびっしりと書かれた文字列を追っている。
――もし、アベルに魔力があったら……「俺達で契約しておこう」なんて誘ったら、お前はどうしただろうな。
小さなため息が聞こえて、ウィルフレッドとアベルは同時にギルバートを見上げた。僅かに眉をしかめた父は、考えを読ませない目で見下ろしている。
ゆっくり手を上げたかと思うと、赤子にするようにそっと、二人の頭を撫でた。
ウィルフレッドは軽く目を見開いたが、石のごとく硬直したアベルを見てつい噴き出してしまう。
「っ、ふふ…少しくすぐったいです、父上。稚児ではないのですから、普通の力加減で平気ですよ。」
「普通と言われてもな…こうか?俺は人を撫でるのが苦手なんだ。セリーナに気絶されない事はほぼ無い。」
「母上は…そうですね、耐えられないかもしれません。」
「…アベルは気絶しているのか?」
存外、嫌がり方が母に似たのだなと言うギルバートに首を傾げつつ、ウィルフレッドは「驚いているだけだと思います」と説明した。目を丸くしているけれど瞬きはしているのだ。
――そういえばこの前俺が撫でた時も、珍しく言葉がつっかえていたっけ。………今度、思いきり猫可愛がりしてみようか。
ウィルフレッドにほんのり悪戯心が沸いてきたところで、ギルバートは手を離した。アベルがぎこちない動きで姿勢を正す。
金髪に青い瞳を持つ第一王子、黒髪に金の瞳を持つ第二王子。
「ウィルフレッド。アベル。」
二人の息子を見下ろして、ギルバートはくしゃりと笑った。
「入学おめでとう。――気を付けて行ってこい。」
◇
黒い翼を悠々と広げ、彼は王都ロタールの上空を飛んでいた。
身体と同じ色をした鞄には、仕事として託された手紙が入っている。遠い遠い場所にいる主のもとへ、確実に届けなくてはならない。
「――……?」
ふと下を見やって、その人間に気付いた。屋敷の窓からこちらを仰ぎ見て、緩やかに大きく手を振っている。
覚えのある色だ。これは仕事が増えたかもしれない。
鳴き声と共に大きく旋回し、彼は進路を下へと変えた。




