249.その時は是非
「やぁーっと見つけた!!」
満天の星空の下、呆れと疲労の混じった声が響く。
城を囲う防壁の上に寝転がっていた男――王国騎士団十番隊長アイザック・ブラックリーは、ぱちりと目を開けた。
竜胆色の短髪に、服の上からでもわかる引き締まった身体をしていて、左目の下には泣きボクロがある。瞳孔の開いた黄金の瞳や無表情さは、見る者を怯えさせかねない気迫があった。
「ガイストか…どうした?」
ブラックリーがそう返すと、階段を上がってきた男はやれやれと首を軽く横に振る。後ろでちょこんと結ったダークブラウンの髪が揺れた。
エイブラム・ガイスト。髪と同じ色の瞳を持つ彼は十番隊の隊員だ。百七十に届かない身長と童顔のせいで、まだ二十歳にも届かない青年のように見える。
「どうしたじゃないでしょ、ウロウロされると捕まえるの大変なんだって。」
「お二人がもう入学の年頃かと思うと、少し感慨深くてな…」
「え、それでこんなとこに?」
辺りを見回してガイストが言う。
上いっぱいに広がる見事な星空だって、数メートル下に生えた草を風が揺らす程度の静けさだって、何も防壁のてっぺんでなくていいものを。
「隊長、そんなだから嫁いないんですよ。せっかく辺境伯の息子でツラも良いのにさぁ。……目はちょっと怖いけど。」
「嫁か……そういえば父から何か届いていると、屋敷の者から連絡があったな。」
「ぜってー見合い話でしょ。家帰ったら釣書が山になってんじゃない?前みたいにさ。」
十番隊の何人かでブラックリーの屋敷にお邪魔した時の話だ。目の前で読ませても盛り上がるのは周りばかりで、本人はずっと無表情だった。
「その気になりゃすぐ結婚できるなんて、貴族サマは贅沢だよなぁ!」
「貴族といっても、俺の父は元々庶民だ。母も身寄りがなく…」
「はいはい。ギルバート陛下に働きを認められて大出世したんですよね。せっかく親父が爵位持ったんですから、隊長も嫁もらって家を安定?さしてやったら。」
「俺は、家を継ぐのは領民から養子をとってもいいと思っている。向こうで父を支えてくれている者達に」
「うへぇ~……持ってる人は持つ事に興味ないってヤツだ…。」
ぼそぼそと呟きながら、ガイストはブラックリーの横にすとんと腰を下ろした。
胡座をかいて王都の上空に広がる星々を眺める。通り過ぎていく雲の向こうから、月の白い光が漏れていた。
「アベル様…卒業したら、俺の代わりに隊長をしてくれないだろうか。」
「何言ってん……あー、でも確かに入団しかねないっつーか、ティムさんが放っとかなさそう。」
騎士団長ティム・クロムウェルは、使える人材は使う。たとえ王族でもだ。
むしろ、成人した第二王子を無理なく入団させるために、これまで騎士団の仕事に関わることを容認ないしは黙認してきた、とも言える。経験と実績は何よりの根拠だ。
「俺は元々、あまり人の上に立つタイプではないからな。ただの騎士に戻る方がいいと思う。」
「そうかなぁ?俺は、次の隊長があんただってなった時、「あー」って感じだったけど。」
「あー。」
「っぶは!ははは、隊長、今のって俺のマネ!?あっはははは!真顔でやる事かよ!」
げらげらと笑うガイストを見つめ、ブラックリーは「今の何がそんなに可笑しいんだ」と首を捻る。
十番隊は個人の強さに重きを置く隊であり、今はブラックリーが最も強い。ガイストが言う通り、当然の任命ではあった。
「もし他の隊にいたならば、俺が隊長になる事はなかっただろうな。」
「でもさぁほら、任務を「どうこなすか」って。ウチ基本的には個人戦だけど、合同任務とかで隊長が作戦組むと無駄なくてさ、スゲーってなるぜ。」
「そうか?」
「そーそー。隊長はフラフラしてたいかもだけど、俺的には人の上に立つタイプだと思う。部下を振り回す系のな!」
目も怖いし、と付け加えて笑うガイストを見上げ、ブラックリーはようやく身を起こした。
上を通っていた雲が過ぎ去り、月明かりが降り注いでいる。
「お前、少しは魔法が上達したのか?」
「……えっへっへぇ~……今日は、素敵な月夜ですね。」
「ガイスト」
「隊長はいいよなぁ!スキルあるから、周りの被害気にしなくていいもんな~。」
「団長達にも前から言われているだろう。そのままではいざという時に――」
「わかってる、わかってますって!!」
皆まで言うなとばかりに手のひらを突き出し、ガイストはグッと目を閉じてから脱力した。
がりがりと頭を掻き、ブラックリーではなく街の方を見つめながら口を開く。
「……やべーのに当たりましたからね。ちっとは自信過剰も自覚しますよ。」
「そうか…」
「って、そうだった!それで隊長のこと探してたんだ!」
確かに「やっと見つけた」とかなんとか言っていたなと、ブラックリーは苦笑いのガイストを見やった。
「魔法練習しようとしたら、なんかわかんねぇけど演習場の客席がバーンてなって、「十番隊の経費な」ってティムさんに言われちまって…」
「…副隊長に怒られてこい。」
◇
薄緑色の髪をハーフアップにした長身の騎士。
常に閉じているように見える細い目、薄く微笑む唇。第二王子の護衛騎士ロイ・ダルトンは、城の外へと通じる抜け道の入り口で静かに佇んでいた。
君影国の姫エリと、その護衛であるヴェン。
ロイは二人を神殿都市サトモスへと送り届けた帰りだった。彼女らが探している相手、エリの兄アロイスが返信を出してきたのが、サトモスの騎士団詰所だったためだ。
第二王子アベルはエリに協力すると決め、せめてサトモスまでは確かに送り届けろとの命令だった。ヴェンはアベルに剣を向けた男で、ロイ個人としてはあまり気が進まなかったが、エリに聞きたい事もあって快く引き受けた。
しかし、
『おぬし…わらわとアベルの話を聞く事を、許されなかったのじゃろう。あの日、外側におったものな。』
十六歳という年齢の割にかなり幼く見える姫君は、存外、きちんと観察していたらしい。
ロイの質問には答えず、真っ直ぐ見上げてくる蜂蜜色の瞳には恐れがなかった。
『それともアベルから別で聞いたのか?話してみよ。』
『……貴女がどこまで知っているか知らない以上、話せません。』
『その通りじゃ。同じ言葉をわらわも返そう。』
聞き出す事はできないと悟る。
他国の王族でありアベルが協力すると決めた相手だ。脅す事も拷問にかける事もできない。
『案じておるのじゃな。あやつを』
わかったような口ぶりで、エリは何か思い出すように視線を横へ滑らせた。音のないため息を吐き、僅かに眉を顰めてロイを見上げる。
『おぬしは焦っている。察しが良いというのも困りものじゃな。』
『…何が言いたいのです。』
『本人の望むようにしてやれ。』
どこまで知っているのか、エリはそう言った。
まるで、アベルから望みを聞いた事があるかのように。
『わらわが言えるのはそれだけじゃ。…案内、ご苦労であった。』
アベルはいつか、消えてしまう。
それは国を去るとか、公の場に姿を見せないという話ではなく――死ぬ、という意味でだ。
理由すら教えてくれない主は、君影の姫にはそれを語ったのだろうか。
さくり、草を踏む音に視線を上げると、誰もいなかった場所からゆらりと黒髪の女騎士が現れた。
顔の下半分を黒布で隠し、茶色の瞳は真っ直ぐにこちらを見ている。長い髪は後ろの低い位置で一つに縛り、前髪には金色のヘアピンを二本、挿していた。
「こんな所で何をしている。」
リビー・エッカート。
ロイと同じくアベルの護衛騎士であり、二番隊長ダライアス・エッカートの養女だ。いつもなら彼女を見てすぐに微笑みを深めるロイはしかし、今は少しだけぎこちない。
「…おや、これはどうも。リビー。」
「何をしていると聞いた。」
「ンッフフ、考え事ですよ。少し厄介な。」
「そうか。」
姿を消してここへ来たという事は、アベルの指示で城外へ出る所だろう。しかし急いではいないのか、リビーは立ち去らずにロイを見ていた。
会話を終わりにはできないらしいと察して、ロイは適当な話題を探す。
「私はやはり、宰相閣下に嫌われているようですねぇ。リラへの同行は許されませんでした。」
「…来ないのか?」
「サトモスへ行けないか掛け合います。リラと王都を繋ぐ拠点ですし、教会本部に対して監視を強めたい時でしょうから、そう難しくはないかと。」
「そうか。」
学園都市リラ。
この王都ロタールから遠く離れたその地で、アベル達は全寮制のドレーク王立学園へ入る。
布の下で僅かに口角を上げたらしいリビーを見つめ、ロイは少しだけ眉尻を下げた。
「…リビー。怒らないで答えてほしいのですが」
「内容による。」
「フフ…あくまで仮定の話です。もしも、万が一ですよ。」
「早く言え。」
「アベル様を殺すようご本人に命じられたら、貴女はどうしますか。」
まったく想定外の質問だったのだろう、リビーは目を見開いて硬直した。ロイを凝視し、彼の表情から本気の問いだと察する。
小さく、首を横に振った。
「――………万が一、にも、ありえない。」
「…そうですね。」
「……我が君は、そんな事を、……私には、頼まない。」
そんな事を頼まない、ではなく。
私には頼まないと彼女は言った。
「確かに、そうかもしれません。」
「私には」
視線を地面へと落とし、リビーは掠れた声で呟く。
「……私には、できない……」
だから、アベルは頼まない。
リビーの方へ歩きながら、ロイは主との会話を思い出していた。
『俺を殺せと命じたら、間髪を入れずに殺せるか。』
『事前に…私が納得するだけの理由を、お聞かせ願えるのであれば。』
納得できるなら、ロイはアベルの願いを叶えるだろう。
その意志に従って。
「…あり得ない事を聞いてしまい、すみませんでした。」
リビーの前に立って、ロイは笑う。
俯いたままの彼女がこちらを見ていないと知りながら。
「どうか忘れてください、リビー。ふと考えてしまっただけなのです。」
「……趣味の悪い想像だ。」
「フフ…そうですね、本当に。」
「お前は」
リビーは視線を上げる。
眉を顰めた彼女の瞳に、笑みを張り付けたロイが映っていた。
「お前は……命じられたら、やるのか。」
「……私の行動理由は、自分が納得できるかどうかです。」
「納得したら殺すのか」
「納得、できると思いますか?」
「……いや…」
リビーは歯切れ悪く呟いて目をそらす。
共にアベルに仕えてきたのだ、ロイの事は知っている。この男がアベルの死に納得するなど、余程の事がない限りありえないだろう。
それこそ、殺さないと主の誇りを守れない――そんな、馬鹿げた事態でもなければ。
「もし――…あり得ない事が起きて、お前が我が君を殺したら」
決して起きないと知りながら、絶対にありえないと信じながら、リビーは指先に触れた剣の鞘を握りしめた。
自分より背の高い同志を、強く睨みつける。
「それがどのような理由だったとしても、私はお前を殺す。」
「…はい。その時は是非」
眼差しを和らげて、ロイは微笑んだ。
――貴女はそれでいい。リビー
「私を殺すまで、生きていてください。」




