247.行ってくる
「こちら、正式な報告書です。」
困ったように柳眉を下げ、騎士団長ティム・クロムウェルは目を細めて笑う。
瞳と同じ水色の髪を頭の右側で二つに結い、白手袋に包まれた手で第二王子アベルへと書類を差し出した。アベルは軽く頷いて受け取り、団長室の応接用ソファへ腰かけて読み始める。
ツイーディア王国では現在、魔法学術研究塔――魔塔にて、魔獣の研究が行われていた。王都襲撃に際して捕えられた生体サンプルを用いての事だ。
今回届いた報告によれば、オオカミの魔獣は通常のオオカミより繁殖力が高かった。妊娠して平均一ヶ月で仔を産む。本来の半分ほどの期間だ。また、群れの最上位のペアのみが子を作る事が基本とされるが、魔獣になるとそのルールは存在しないらしい。
「有毒な魔石を体内に持つがゆえの短命、それによる生態の変化か。」
「時間をかけて生み出された存在、なのでしょうね。書いてある通り、生まれた仔には何の石も見当たらなかったそうですから……後から飲まされています。」
魔石とは何か?
自然発生する鉱物か、人為的な加工が必要なのか、魔獣に飲ませる事で変質した結果なのか。
それを調べるため、あらゆる鉱物を使って実験が行われた。
「《鑑定石》とは、少し意外だったね。」
アベルの言葉に、ティムは考え込みながら相槌を打つ。
魔力を有した人間が触れると、もっとも相性の良い属性を色で示してくれる鉱物、鑑定石。通常のオオカミに欠片を飲み込ませて経過観察したところ、十日から十四日ほどで吠えなくなり、火を吹いた。魔獣に変化したのだ。
吐き出させた鑑定石は見た目が変わり、魔石となっていた。
ツイーディア王国の殆どの民は、七歳になると鑑定石で自分の魔力を調べる「魔力鑑定」を行う。他に使い道のない石であるため滅多に売られる事もなく、各地に設置された教会が一つずつ鑑定石を持ち、管理していた。
「あれだけ大量に魔獣を送ってきたのです、先方は潤沢に在庫があるのでしょうが……念のため、各地の管理者には警戒を呼びかけます。紛失したら笑い事ではすまなくなりますから。」
「司祭達は信用できるの?」
「ふふっ…そうですね、一部は。どこまで情報制限するか、上が頭を捻っている頃かと。厳罰化はニクソン公爵が草案練ってるでしょうから、じきに。」
一枚岩の組織など無く、表を繕う事に長けた者はいくらでもいる。
少なくとも神殿都市サトモスにいる教皇や枢機卿には事実を伝えるべきだろうが、各地の司祭にまで教えてしまうと、悪用する者がいないとも限らない。鑑定石に特殊な用法があるという情報自体が危険なのだ。
アベルはふと残りのページをばらりと探したが、目当ての情報は載っていなさそうだった。執務机で仕事を続けるティムに視線を移し、口を開く。
「魔塔では何人やらかしたの。」
「おや、陛下と同じ事を聞きますね。」
「何人だ。」
「魔石を試したのが一人、腕に欠片を貼っただけですが爛れて軽傷です。鑑定石は医務室行きが十五人、ほぼ軽傷ですが飲み込んだ二人は吐血、摘出して治療中です。」
「馬鹿が…」
アベルが低い声で呟いた。
研究職である以上興味好奇心積極性は大いに結構だが、自ら実験体になってどうするというのか。国としては、優秀な人間を馬鹿な事で失いたくない。
「馬鹿と何とかは紙一重ですよ、殿下。」
「三番隊は何をしてる。普段以上に気を張れと命じてたんでしょ。」
「管理体制の強化と監視の徹底に努めるそうですよ。他にやった者がいたら、自己申告しないと知らんと脅させました。」
「結果は?」
「追加で三名。材料は自分で買ったそうですが、命令違反の自覚はあると。」
「…次やったら、僕が首を刎ねに行くとでも言っておいて。」
「いいですねぇそれ!…あぁ、いや…殿下見たさにやりかねないか…徹夜明けハイとかで…」
「………。」
アベルは不満げに片眉を上げた。良くも悪くも曲者が多いのだ、魔塔は。
監視と警備は三番隊が担っており、副隊長率いる部隊が魔塔に常駐している。残念そうに眉根を寄せるティムから目を離し、アベルは再び資料に目を落とした。
「鑑定石を大量にね……コクリコは何て言ってるのかな。」
「《調査に時間を頂きたい》と。」
「ふん…」
貴石の国、コクリコ王国。
鉱脈を多く有し、金属となる鉱石や装飾に向いた宝石を近隣各国に輸出している。鑑定石も例に漏れず、最大の産出国だ。ツイーディア王国内にも鑑定石が採れる地はあるものの、ごく稀に少量見つかる程度だった。流通から辿るならコクリコ王国だろう。
「去年こちらにいらした第二王女殿下、コクリコ王をせっついてくれているようですよ。こちらに協力は惜しまないそうで。」
「イェシカ殿下が?……向こうに探りは入れてるのかな。王族とはいえ、下手をすると消されるぞ。」
「陛下も同じ考えでした。残念ながらオークス公爵夫妻は動かせませんので…以前コクリコ訪問の際に同行していた騎士を集め、明日には出立させる予定です。」
コクリコ王国第二王女、イェシカ・ペトロネラ・スヴァルド。
去年の女神祭でツイーディア王国を訪れ、内密に魔石を調べてくれた学者の一人だ。「魔石」「魔獣」という名称をつけたのも彼女であり、アベルに「茶会で王妃が手紙を受け取っていた」と教えてくれた人物でもある。
彼女の情報がなければ、王妃セリーナは周囲に黙って行動するつもりだった。年末にハワード・ポズウェル男爵を捕えられなかったかもしれず、ダスティン・オークスの件に気付くのが遅れた可能性がある。イェシカがもたらしてきたのは華々しい成果ではなく、重要な布石だ。
「……可能なら、コンスタンス・イーリイを。」
アベルの口から出た名前に、ティムが意外そうに眉を上げる。
十三番隊に所属する、藍色の髪と瞳を持つ女騎士だ。魔法の中でも治癒を得意としているが、粗雑な言葉遣いと態度で要人警護には向かない。
先日のバサム山の一件では、ランドルフ・グレイアムの身体から「そらよっと」、などと剣を引き抜いて大量出血させ、シャロンとダンに絶叫されていた。
「確かに十三番隊からも入れるつもりですが……王族ですよ。」
「殿下ご自身は王族扱いにこだわりがない。」
「…まぁ、そうですね。」
「コクリコはコクリコで、彼女を守ってはいるつもりだろうからね。見るからに戦える人間ばかり送り込むと、あまり良い気はしないでしょ。イーリイは、黙っていれば性別で選ばれただけの医師に見える。いざという時は性格上、強引な手を使ってでも殿下を守るだろう。あのスキルを受けた経験もあるしね。」
「――…いいでしょう。」
からりと笑って、ティムは意見を受け入れる事に決める。
自国の王女を他国の騎士が護衛する事に対し、向こうでは反発もあるだろう。しかしコクリコの者なら安心できるとも限らない。あちらにいる誰かは魔獣を作った組織と繋がっているのだから。
「イェシカ殿下は賢明な人だ。仮にイーリイが無礼な口をきいても、護衛を断る事はないと思う。」
「貴方が人選に関わったとお伝えしてもよろしいですか?国で決めたと言うよりは信用を得られるかと。」
「構わないけど、それなら面子を全員教えてくれるかな。」
「もちろん。後ほどリストを届けさせます。」
「わかった。」
ティムの水色の瞳は、書類を読み進めるアベルの横顔を観察している。
初めてこの部屋に来た時と比べると、随分大きくなったものだ。
「殿下」
「なに。」
「イザベル・ニクソンに手を出すのは、まだ待って頂けますか。」
文字を追っていた目を止め、アベルはゆるりと瞬いてティムへ視線を流した。騎士団長は困ったように眉尻を下げて微笑んでいる。
イザベル・ニクソン――ジョシュア・ニクソン公爵の妻であり、サディアスの母親だ。
「ロベリア王国との交易についてお調べになっているのは、彼女が原因ですよね。」
「……まだ、手を出せるほどの札は無い。」
「公爵の目を盗んでロベリアとの繋がりを調べるの、こちらは結構大変だったのですが。どうやって調べました?リビーに潜らせたんですか。」
「いくらスキルがあっても、リビーでは力不足だ。」
「そうですよね。えぇ、そうなんですよ。」
アベルは私兵組織を有していると、巷ではもっぱらの噂だ。
彼に協力している者達の存在は、ティムもいくらかは知っている。自分もその一人なのだから。
護衛騎士であるリビー・エッカート、ロイ・ダルトンは元より、ユーリヤ商会を運営するコールリッジ男爵の情報網。《先読み》のスキルを持つホーキンズ伯爵令嬢、そして事件をきっかけにアベルに心酔している、サディアス・ニクソン公爵令息。今回は彼は除外されるだろう。実の母親とはいえ、彼は滅多に屋敷には寄り付かない。
ここ最近で加えるならば、従者のチェスター・オークス公爵令息と、妙に活動的になったシャロン・アーチャー公爵令嬢。その辺りが、アベルに協力する中でも権力ないしは力を持つ者達だ。
しかし、アーチャー公爵領でアベルに変装を施したという魔法使い。
長時間顔立ちを変えるほどの魔力量と、ヴィクター・ヘイウッドに気付かせないだけの隠密技術。ニクソン公爵夫人を調べたのもその者だろうか。
「私が知らない《手》をいくつ持っているのだか……本当に貴方は頼もしい王子です。」
アベルの金の瞳は探るようにティムを見ている。
真っ向からその視線を受け止め、水色の瞳はどこか楽しそうだ。
「お前、公爵を相手取る気があるのか。」
「いいえ?あの方は尻尾がいくらでも切れますから、掴めないでしょう。奥方の何かを立証し、連帯責任で動きづらくする程度が関の山かと。」
「それはいつになる?」
「無実だったらいつにもなりませんね。何か掴んでます?」
「持病のための、真っ当な薬の買い取りだ。今のところは。」
読み終えた報告書をテーブルに置き、アベルは顎に軽く手をあてる。
表向きは病気療養中という事で出てこないイザベルだが、元気に邸内を歩き回っていた。身体ではなく精神的な治療が必要なのだろう、取り寄せている薬は心を落ち着ける作用があるものだった。
屋敷の惨状を思い返し、アベルは音のない溜息を吐く。
――彼女はあの程度の薬では無理だろう。気休めにもならない。
「殿下も話は聞いているかもしれませんが、イザベル本人は、元は頭の良い女性なのです。」
「……悪趣味な加虐性は元からか?」
「趣味は存じませんけど、下々に対して気の荒い方ではありましたね。私とレナルドが入学した頃、彼女は四年生でした。直接の関わりはなかったのですが、噂はいくらか。狡猾な事もできる人です。今も、かはわかりませんが。」
「勝手に調べるなと言いたいわけか。」
「どなたが動いているか共有してくださるなら、別ですが?」
首を軽く傾けて、ティムはにっこりと笑いかける。答えはわかっていた。明かす気があるならとうに会話に出ているだろうから。
動揺のない落ち着いた様子で、アベルは瞬きと共に頷いた。
「わかった、お前に預ける。僕が学園から戻るより早く片が付くのか?」
「やってみないとわかりませんね。ただ万全を期したいので、可能なら貴方がこちらへいらっしゃる時に。在学中でも、何とかして来れなくはないでしょう?」
「こちらの不都合は考えなくていい。魔獣でも夜教でもその女の事でも、何かあればすぐ情報をよこしてくれるかな。」
「えぇ、仰せのままに。ちょっと距離が微妙ですが、ね。」
学園都市リラは王都ロタールから遠い。
これまでは城と騎士団本部という近さで情報共有できていたが、今後はそうはいかないだろう。
繋ぎ役を買って出そうな人間の見当はついているものの、基本的には必要がある場合のみ、報告を送る事となる。
――使える《手》が減っちゃうなぁ。
心中で深々とため息を吐いて、ティムはニコリと笑みを浮かべた。
「殿下がいると仕事が捗るので、今からでも入学を取りやめてもらいたいくらいです。」
「王子に生まれなければ良かったけどね。」
「まったくです。……ふふっ。いえ、流石に今のは冗談という事にさせてください。」
「そうだな、不敬でこの部屋も焼かれるかもしれない。」
「くっ、……こほん、笑わせないでもらえますか。」
咳払いで笑いをごまかしたティムに、アベルは立ち上がって報告書を返した。
魔獣の生み出し方について、国内はもちろんのこと、同盟各国にはどう伝えていくのか――父である国王ギルバート含め、上が協議中だろう。
「学園は学園で、色々と事件が起こるものです。殿下」
考え事をしていたアベルの視線が、椅子から立ち上がったティムへと向けられた。
かつて王立学園の生徒会長を務めた男は、まるで困っているかのように、けれど楽しそうに微笑んだ。
「どうか、お気を付けて行ってらっしゃいませ。」
片手を胸にあて、背筋を伸ばしたまま腰を折る。
手本のように美しい騎士の礼を受け、アベルは軽く頷いた。
「行ってくる。――留守を頼む。」
「はい。仰せのままに。」
使っていたパソコンが天に召されてしまいました。
第二部の設定や学園編シナリオをまとめていたExcelシートが綺麗に消えたため、
当初の第二部開始予定(第一部終了から数か月後)よりもう少しお時間を頂くかもしれません。
まったり見守って頂ければ幸いです!




