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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
幕間

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番外編:秘密を飲んで笑う ◆

 



『何だ、これは。』


 差し出された包みを受け取りながら、第二王子アベルは怪訝そうに片眉を吊り上げた。

 相対した者の全てを見透かしそうな鋭い金の瞳で、シックな色合いにまとめられたラッピングを眺める。テーブルの向こう側で、シャロン・アーチャー公爵令嬢は緊張した面持ちで口を開いた。


『チョコレートよ。』

『チョコレート。』

 そのまま聞き返したアベルの意図を汲み、シャロンは「お誕生日でしょう」と続ける。

 アベルは長い睫毛をゆったりと重ね合わせて、彼女の薄紫色の瞳を見やった。妙にそわそわした様子で目をそらされ、さらに疑問がつのる。特段、誕生日プレゼントを欲しがった覚えも、チョコレートが好きだと告げた事もない。


『たまたま、カレンと約束があったの。それで、せっかくだから大人向けの味付けのものをと…』

『そうか。』

 街にでも買い物に行ったのだろうと考え、リボンを解く。

 平たい箱を開けると、仕切りの中に一つずつ四角い生チョコが納まっていた。横に添えられた小さなフォークは一つだけだ。

 お前は食わないのか。そう聞こうと、アベルは視線を上げた。


『あっ――…』


 チョコレートを見下ろし、シャロンが小さく叫んで両手で口元を押さえる。

 だんだん青ざめていく彼女を見ていると、目が合った。


『わ、私……あじ、…ど、毒見をしてないわ』

『は?』

『どれか一つ指定してくれる?私それを食べ――ぁあっ!』

 深刻な表情のシャロンを無視し、アベルはさっさと一つ口の中へ放り込んだ。

 フォークを置き、書類の続きを読もうとして、広がった風味に思いきり眉を顰める。


『ぁ……』

 シャロンの眉が下がり、咄嗟に目をそらした瞳は涙に潤んだ。

『ご、ごめんなさい。口に合わなかったわね』

『…味がどうというか…』

『……』

『まずい』

 その一言にズキリと胸が痛み、シャロンは必死に涙を落とすまいとする。

 震える唇を引き結び、微笑みの形にしようとして――


 どさっ バサバサバサ


『え?』

 予想外の音に目を戻すと、アベルは座っていたソファに仰向けに倒れ、取り落とした書類が床に散らばっていた。

 シャロンは一瞬呆けてしまったが、すぐに駆け寄って床に膝をつく。


『アベル!どうしたの、アベル!』

『………。』

『わ、私スキルを使ってなんかいないわ、ねぇ…!』

 肩を揺すりながら、まさか本当に毒が仕込まれていたのかと記憶をたどった。しかし制作過程からラッピングに至るまで、目を離した事などない。

 堪えていた涙がこぼれた事も気付かずアベルの顔を覗き込むと、目は僅かに開いているものの、焦点が合っていない。

 頬は紅潮し、うっすらと汗ばんでいて、呼吸も少し荒い。


『……これは…え?まさか……』


 原因に思い当たったシャロンが動揺していると、ふとアベルがこちらを見ている事に気付いた。

 意思の強さを感じさせる金の瞳は、今は力なくゆらゆらとして見える。謝ろうとしたシャロンの頬に、アベルの手が触れた。いつもより体温が高い。


『…泣くな』

『っ…ごめんなさい、私知らなくて』

 ツイーディア王国において、十六歳は飲酒ができるようになる年齢だ。その誕生日に差し入れるのだからと、チョコレートに少量の酒を加えていた。


 指の背がそっと涙の跡を拭い、さらり、梳くように薄紫の髪に触れる。

 うっとりと微睡んだ目で見つめられ、指先が耳をかすめた瞬間にシャロンは動けなくなった。熱く悩ましげな息を吐き、赤らんだ頬で少しだけ困ったように笑う第二王子殿下は、恐らくきっと、間違いなく――酔っている。

 シャツのボタンが一つ空いている事などいつも通りなのに、壮絶な色気が感じられた。慈しむように髪を、頬を撫でられてシャロンの顔にも熱が集まる。心臓がばくばくと鳴っていた。


『ぁああの、アベル』

『お前に泣かれると、困る…』

 囁くような吐息混じりの声、目をそらすことができない熱っぽく潤んだ瞳。

 悲鳴を上げたい気持ちを堪えて、シャロンは緊張のあまり小さく唾を飲み込んだ。アベルは幼子にそっと言い聞かせるような優しい声で言う。


『わかるか?』

『はい、泣かない…な、泣かないから、その』

『シャロン』

『はひ』

 頬から離れた手が、待つように差し出される。

 反射的にそっと自分の手を乗せると、アベルの目が『それでいい』とばかり満足げに細められた。


『俺が生きている限りは、ウィルに代わってお前を守る。』

『……っ。』


 あくまでも。

 アベルにとってシャロンは、《兄の幼馴染》で。


『でなければ……ウィルに怒られる…』


 ゆったりと瞬いて手を引き寄せ、アベルはシャロンの指の背に軽く、ほんの一瞬だけ唇を触れさせた。

 それは自分にではなくウィルフレッドに対しての誓いだと、シャロンは誤解しないよう気を付けて認識する。


『私…』

『だから、…勝手に、どこかへ行くな。』

『……アベル』

『お前は……必、ず…俺が守れる、場所に……』


 重たくなった瞼が閉じ、アベルの手から力が抜ける。

 シャロンは彼の手を両手で包むと、薄い唇が触れた自分の指先に目を落とした。


『ごめんなさい』


 静かな部屋にぽつりと零れ、消えていく。

 重ねた手の温もりを失いたくなくて、シャロンは悲しく顔を俯けた。


 ――私、貴方の優しさを利用しているわ。私がただ貴方の傍にいたいだけなのに。貴方は私がウィルの幼馴染だから、守ってくれているだけなのに。触れられて喜ぶなんて、守ると言われて嬉しいなんて……なんて、浅ましいの。


『卑怯だわ、私…勇気もないくせに……』


 アベルの呼吸は安定している。

 まだ頬の赤みはあるけれど、閉じられた瞼が開く頃には、だいぶよくなっているだろう。シャロンはそっと手を伸ばし、アベルの黒髪を柔らかく撫でた。

 以前、やめろと言われてしまったけれど。


『貴方はね、きっとカレンに惹かれているの。自覚できてないって、わかっているのに……私、それを教えてあげないのよ。ひどい話でしょう?』


 決して起こしてしまわないように、囁くよりも小さな声だった。

 自分と比べて大きく武骨な手を見つめ、ほんの指先だけ、下から掬うように持ち上げる。


 ――貴方が気付かなければ、まだ、一番近い女性(ひと)でいられるなんて。……本当に、愚かなこと。


 シャロンは自らの髪を片方、さらりと耳にかける。

 静かに頭を下げ、アベルの指先にそっと唇を寄せた。誓いを返すように、ほんの一瞬だけ。



『好きよ、アベル』



 誰にも聞こえてはならない一言だった。

 瞳を涙で潤ませ、泣きそうな顔で微笑みを浮かべて、シャロンは立ち上がる。


 散らばった書類を拾い上げ、端を揃えてテーブルに置く。壁に掛かっていた外套を身体にかけてやって、チョコレートの箱を手に取って自分の席に戻った。

 フォークに唇が触れないように気を付けて、一つ口に入れる。舌の上で崩れたチョコレートはふわりとお酒の香りがして、ほろ苦さが残った。






『くそ…』


 目が覚めて即座に壁掛け時計の時刻を確認し、アベルは深く眉間に皺を寄せた。

 ソファに座り直して両膝に肘をつき、組んだ手に額をあてる。


『……頭が痛い。』

『まぁ…そんなに……。』

 そんなに弱かったのね、とまで言わないでおいてやり、シャロンは水の入ったグラスをアベルの前に置いた。無言のままそれを手に取り、アベルはしかめっ面で喉へ流す。

 不機嫌そうな金の瞳はちらりとテーブル上を探したが、シャロンはもうあの箱を片付けてしまったようだった。向かいに腰かけた彼女に目を移す。


『何を入れた?』


 予想はついていたが、アベルは確認のために聞いた。

 片頬に手のひらをあてたシャロンが、申し訳なさそうに眉尻を下げる。予想外ではあったが、アベルだってただの人間なのだから、きちんと警戒するべきだったのだ。


『お酒。本当にごめんなさい』

『いや…お前の制止を無視したのは俺だ。』

『体質のこと、貴方は元から知っていたの?』

()()()事になる、くらいはな。』

 アベルはため息混じりに返すと、テーブルの上に整えられた書類に手を伸ばす。長い脚を優雅に組んで目を落とし、気を失う前の続きを読み始めた。


『俺が吞めないと知った時は皆、これは国家機密だと青ざめていた。』

『…そうでしょうね…。』

 大樽に入った酒でもアベルに浴びせられたら、それだけで国としても大ダメージだろう。

 宣言も無しに魔法を使う彼を相手に実現可能かは不明だが、もしこの弱点が不特定多数の人間に知られてしまったら、今回のように何かに混ぜて狙われる事だってあるかもしれない。


『症状は何が出ていたんだ。』

『発汗、体温の上昇…座っていられなかったようだから、平衡感覚も失っていたのだと思うわ。意識は……貴方、何を話したかは覚えているの?呂律は回っていたけれど。』

『…すぐに気絶したのではないのか?』

 アベルが僅かに首を捻って聞き返すと、シャロンは薄紫の瞳を丸くし、瞬いた。かと思えば目をそらし、話が終わったかのように立ち上がって自分のソファの後ろへ回る。


『覚えていないのね、わかったわ。』

『おい。何を話したんだ』

『他愛もない事だから大丈夫よ。』

『なら言えばいいだろう。』

 アベルに背を向け、シャロンは頬を朱に染めて視線を彷徨わせていた。

 彼が立ち上がってまでは追わないのをいい事に、顔の熱が引くのを待っている。それなのについ自分の指先を眺めてしまったりして、再びじわじわと赤みが戻った。


『と、とにかく、貴方は絶対にお酒を飲んではいけないし、混ざっていそうな食べ物は気をつけないといけないわね。』

『当然だ。さすがにまだ死ねない』

『――…』

 冗談のような軽さで放たれた言葉は、シャロンの胸を少し暗くした。まるで、そのうち死ぬのは構わないと言われたようで。


『……悪かった。』


 考え過ぎだと言い聞かせる間に謝罪され、シャロンは振り返る。

 アベルは彼女の目を真っ直ぐに見ていた。


『祝いに用意してくれたんだろう。あれしか食えなくてすまない。』

『そんなこと…いいの、事前に聞くべきだったのよ。』

『お前には伝えた方がいいと、サディアス達にも前から言われていた。』

『そうなの?』

 視線で着席を促されて従いながら、シャロンが聞き返す。アベルは僅かに頷き、手元の書類を一枚めくった。


『口が堅く信用があり、野心がなく、夜会で俺の近くにいても、勧められた飲食物をかわしても、許されるだけの立場がある女に、と。』

『そう……。』

 シャロンは少しだけ眉尻を下げて頬に手をあてた。

 勧められた物をかわすには上手い言い方と理由が必要だろうけれど、確かに夜会であれば騎士や部下とは別に、それとなくサポートできる女性がいた方が良い。

 アベルからも腹心のサディアスからも信用を得ており、筆頭公爵家の令嬢でもあるシャロンはうってつけだろう。


『前から言われていたなら……なぜ、教えてくれなかったの?』

『………。』

 聞くと、アベルはあからさまに眉を顰めた。

 書類に視線を落としたまま、不機嫌そうに脚を組みかえる。


『…言おうとは思っていたが……言いたくはなかった。』


『まぁ……』

 そのしかめっ面はなんだか拗ねたようにも見えて、シャロンはしばらく会えていない可愛い弟を思い出した。

 食事に嫌いな野菜が出た時、物語のお化けが怖かった時、弟のクリスはそれを隠そうとする事がある。

 明らかに強がっている姿を見て、侍女のメリルが「シャロン様に弱い子だと思われたくないのですね」なんて、微笑んでいたものだ。


『ふふ』

『…何が可笑しい。克服できるならしている』

『ごめんなさい、貴方を笑ったわけじゃないわ。なぜだかクリスを思い出してしまって。』

 アベルがますます眉間の皺を深めた。

 成人を迎えた王子殿下に小さい子を重ねるのは失礼だったと、シャロンは少し反省する。


『お前にとっては、俺は弟みたいなものかもしれないが…』

『弟?……どちらかと言えば、兄のような気がするけれど……それとも私、貴方にとって《お姉さん》かしら?』

 シャロンはどこか嬉しそうにはにかんだが、アベルはピンとこない顔で目を細めた。


 ウィルフレッドの婚約者であるシャロンは確かに義姉になる予定だったが、自分にとって姉のような存在かと聞かれたら、それは間違いなく《否》だ。

 アベルの反応を見て、シャロンは落ち込むように目を伏せた。

『ではやはり…小言の多い妹のような――』


『俺にとってお前は、守るべき相手だ。それは変わらない』


 大昔に決められた絶対的な法を口にするかのように、アベルは淡々と告げる。

 書類の文面を追う彼には、シャロンの表情が見えていなかった。


『私が、ウィルの大事な人だから?』

『そうだ。』


 ほんの僅か傷ついた目をした彼女は、たった一度の瞬きでそれを隠す。

 穏やかな微笑みを浮かべてみせて、


『アベル』


 彼を困らせる問いなど、決して口にしない。

 秘密にした想いが知られてしまったらきっと、今までの関係ではいられないから。


『誕生日おめでとう。貴方が生まれてくれた事に、出会えた事に、心から感謝しているわ。』

『…ありがとう。シャロン』


 じくりとした胸の痛みを無視して、アベルは少しだけ困ったような微笑みを返した。

 兄が死んだ日からずっと、罪悪感が拭えない。


 ――本当ならお前はそれを、ウィルに言えていただろうに。


 アベルさえ生まれてこなければ、第二王子派などというものもなく。

 優秀な王太子として立つウィルフレッドの傍で、彼女は笑っていたはずで。


 ――あの日死んだのが俺だったなら、どれほど良かったか……


 それなのに、出会えて嬉しいとすら言うのだ。

 アベルを心配し、励まし、時に怒り、強引に世話を焼く。どこまで心根が優しいのか。


 きっと彼女が作ってくれたのだろうほろ苦い甘味は、たった一つしか口にできず。



 もう香りさえも残っていなかった。




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