244.行ってくるわね
ホクホク顔のギャビーを連れ、シャロン達は日が暮れる前に下山した。
屋敷につくと、帰還を知ったらしいクリスが階段から玄関ホールへと下りてくる。
「姉上!お帰りなさ…」
「ただいま、クリス!」
シャロンは疲れが吹き飛んだと言わんばかりの笑顔で両腕を広げたが、弟は小さな口をあんぐり開けてアベルを見ていた。
「でんかー!!」
公爵家の跡継ぎらしくないドタバタした足音を立て、クリスがアベルのもとへ突っ込む。
アベルは問題なくそれを受け止め、笑顔で両腕を広げたまま固まっているシャロンの方を見ないよう意識した。ダンがそっと肩に手を置いてやっている。
「アベルでんか!いついらしたのですか、こんにちは!会えてうれしいです!」
「こんにちは。昨日はちょっと姿を変えていたんだ。服でわかるかな。アンソニーだよ」
「ええぇ!?」
ぴしゃん、と背景に雷が落ちたかのごとく驚いて、クリスは目をまん丸にする。
アンソニーは姿を変えたアベルだった。
という事はつまり、クリスが「けんせい」したのもアベルだったのだ。慌てて頭を横に振る。
「でんか、そしたらあの!昨日のは無しです!ダメじゃないです、から!」
「うん?」
「アベルでんかは良いんです、むしろ姉上をよろしくお願いしますっ!」
「…あぁ、学園か。ウィルもいるから大丈夫だ。安心しなよ」
笑いかけもせずにクリスの銀髪をくしゃりと撫で、アベルが言う。クリスはほっとしたようにはにかんでシャロンを振り返った。
「姉上!でんかがいるから大丈夫だよっ!」
「うぅ…クリス、姉離れが早いこと……」
とてて、と駆け寄ってきた弟をぎゅぅと抱きしめ、シャロンは心の中で涙を流した。
そのうちお年頃になったら「姉上には関係ありませんから」とか言われる事もあるのだろうか、などと考える。涙腺が崩壊してしまいそうだった。くぅ、と目を閉じる。
「っアベル、ダン…その時は弟を頼むわね…私の分まで力になってあげて……。」
「…何の話をしてるのかな。」
「さぁ。坊がでかくなった時の話とかじゃね?お嬢、いいから立てよ。メリルが待ってんぞ。」
「はい…」
ダンがしゅんとしたシャロンの腕からクリスを取り上げると、メリルを始めとする侍女達がシャロンを連行していった。
何せ第二王子殿下がいらっしゃっているため、一刻も早くお嬢様をピカピカにしなければならない。
「ヘイウッド」
「はい。」
アベルに声をかけられ、使用人にギャビーを引き渡したヴィクターが振り返った。
テンションが上がり過ぎた画家は怪我を無視し、意気揚々と自力で歩いて帰ろうとしたため、とうとうヴィクターのスキル《固形化》で水の枷をはめられたのだ。「早く描きたい」とビチビチ魚のようにもがいているが、そのまま使用人達に風呂場へ運ばれていった。
「僕も先に湯を浴びてくる。ウェイバリーには再度忠告しておいてくれるかな。」
「承知致しました。フラヴィオ・テートでしたか、画商の方にも断りがいりますね。」
「むしろそちらがメインだね。彼は、ウェイバリーの絵について流通の一切を握っている。」
「王都に戻り次第会えるよう手配致します。」
「頼む。」
ヴィクターは一礼してその場を後にし、アベルは昨日も使った三階の浴室へと足を向ける。
カンデラ山にあった女神像は騎士を連れていた。
シャロンと話した通り、可能性が高いのは初代国王である建国の騎士エルヴィス・レヴァイン、そして初代アーチャー公爵だろう。
これまで巷でそんな石像が見つかった事はなかった。
ひっそりと隠すようにあんな洞窟の最奥にあった事といい、存在を一般公開するか否かは議論が必要だろう。歴史的遺物は荒らされないよう守らなければならない。
――あの様子では、もしウェイバリーに「描くな」と命じる事になっても通じないだろう。ならば描いた上で非公開にするか、保管させる事に不安があればいっそ王家で買い取るか……正当な額であれば、画商は恐らく言う事を聞く。
「………。」
温かい湯舟に浸かり、窓の外に見える夕焼け空に目をやりながらアベルは眉を顰めた。
頭の片隅に何かが引っかかっている、そんな気がする。
『なんだか見た事があると思ったけれど…アベル、左のお方、私のお父様に似ていない?』
シャロンはそう言い、アベルはもう一人を帝国のジークハルトに似ていると言ったが、それ以外の既視感を覚えていたのだ。ありえない話だというのに。
城の図書館、全てではないが王家の機密文書、王立図書館の最上階。
女神伝説の資料も大体は目を通し、記憶しているはずだった。
――文献が他に残っている可能性があるとすれば、サディアスが言っていたニクソン家の保管庫か、あるいは他国くらいだが。俺が見た事は当然ない。では、この妙な既視感は何だ?
『――私はアメといいます。あな、貴方のお名前を――』
悪寒がはしった。
「っ!」
咄嗟に首筋を手で押さえ、湯がバシャンと音を立てる。
君影国の姫、エリが「杭か、爪のようなものが突き立てられている」と告げた場所。物心ついた頃からずっと、悍ましい気配がする場所。
それはほんの一瞬で、すぐに平穏が訪れた。
刃先を肌にあてるような殺気は続いているけれど、アベルにとってそれは何年も続く日常だ。
何か、誰かの声を聞いた気もしたが、もう何も思い出せなかった。
「……煩わしい。」
眉根を寄せて吐き捨て、アベルは触れたままの首筋に爪を立てる。削られる痛みがジリジリと響く。
『一手打たれている以上は、おぬしの精神が揺らげば《お終い》じゃ。』
要は揺らがなければいいのだと、アベルは奥歯を噛みしめた。
悪化すれば周囲の人間に被害を及ぼすという、忌まわしいもの。
『通常ならば、先に宿主自身を狙う。ひどい頭痛や身体の痺れ、短時間の気絶などは覚えがあるか?――それらが出始めてもなお、おぬしが持ち堪えたのであれば。やがては周りに順番が来るかもしれぬな。』
――そんな事はさせない。
首筋の傷に治癒の魔法をかけ、アベルは息を吐いた。
まだ時間はある。
生きている間に少しでも兄の役に立つために、自分がいなくなった後もこの国で生きていく彼女達が、安心して暮らせるように。
死に際を見誤ってはならない。
アベルが己の死を前提に生きる覚悟をしたのは、随分と昔の事だ。
今更未練などあるはずもないのに、どうしてか最近は、死を考えると浮かぶ顔がある。
『貴方を想う人達の事を忘れずに。自分のせいだなんて一人で抱え過ぎたら駄目よ。』
――別に、忘れない。
『貴方が守ってくれるように、私だって助けになりたいと思っているの。その気持ちまで全部、貴方がつらい時にこそ思い出してほしい。』
――つらくはない。俺はただきっと、最初からそういう星のもとに生まれていた。
『少しでもいいから、一緒に背負わせて。貴方が抱えるものはきっと、とても重たいから。』
――……これだけは、駄目だ。
あの夜、アベルはシャロンに「忘れない」と言った。
「覚えておく」と言った。
ともに背負ってくれとは、決して言わなかった。
【 双子の星が生まれる時、女神は長き旅路を終える。 】
トントンと、鳥が窓を叩く。
いつの間にか下がっていた視線を上げ、アベルは窓の鍵を開けた。向こう側が透けて見える美しい水の大鳥が、中身の見えない硝子瓶を首から下げている。
王国騎士団十三番隊の隊長、バターフィールドの《使い魔》だ。
硝子瓶には手紙が入っていた。暗号化された文章を読んでアベルは目を細め、濡れた黒髪からぽたりと雫が落ちる。
王都襲撃に際して捕えた魔獣の生体サンプルについて、魔塔から正式に報告が上がった。
その内容が、騎士団長とアベルの間での隠喩を交えて記されている。
浴室にペンなどない。
手紙を裏返し、指先を切って了解を示す記号を書いた。
硝子瓶に手紙を詰めて《使い魔》へと返す。大鳥は空へ舞い上がり、王都へと飛び去っていった。
【 片割れは死を振り撒く凶星となるだろう。 】
「う~ん…アベル達が帰るまで、どれくらいかかるんだろう。」
「ウィルフレッド様、今日それ言うの五回目☆」
「そんなに言っていたかな。つい心配で……もしギリギリに戻ってきたら、入学までにあの書類の山を片せるのか…?」
「アベル様ちょっとおかしいくらい仕事早いし、まぁ何とかなりますよ。サディアス君もあと三日で謹慎明けるんですから。」
「そうだな……いや、《も》というか、アベルはそもそも明けてないはずなんだが…」
「あははは。まぁ今は仕事片付けがてら、俺のアリバイ作りに付き合ってくださいよ。城には来たけど、父のとこにも、叔父の牢にも寄ってないって、ね。」
「もちろん良いけど、後でちょっと意見を聞いても構わないかな。」
「何なりと?」
「贈り物をしたいんだけど、候補が多くて…三百六十五までは減ったんだが…」
「……俺はまだ、妹を可愛がりたい時ですね……。」
「…何の話だ?」
【 ならば片割れは、死に追われる凶星となるだろう。 】
「はぁ~~ワワワワ、もう一週間ちょっとで入学だなんて、本当ですの!?日が経つのが早すぎますわーっ!!」
「殿下、目標体重いくつでしたっけ?」
「ラウル…貴方いつの間に悪魔に心を売り渡してしまったの。」
「まだ売ってないですね。殿下はいつの間にこの菓子類を悪魔から買ったんですか?」
「勝手に置いていったのです!お兄様の部屋に返しておいてくださいな!わたくし入学までのラストスパートをかけなくては!あちらへ行ったら一人ですからね、心も鍛えないと――」
「俺も行きますよ。」
「え?……そうなんですの?」
「まぁ、一応許可を取っておきましたので。」
「あら…貴方もしかして、わたくしを心優しき唯一の主と認めて…」
「ちゃんと食べるよう見張ってきなさいとの事です。」
「やはり悪魔ッ!!」
【 近付くな、近付くな。凶星の双子には決して近付くな。 】
「ここでレオとご飯食べるのも、もうちょっとで最後だね。」
「あ~、もうすぐ学園だもんな。」
「感慨深くなったりしないの?…ほら、しんみりしたり。」
「何でだよ、向こうでも一緒に食うだろ?シャ…ルイス達も皆で。結構な人数になるな!」
「そっか…ルイスも、バーナビーもアンソニーも、ダンさんもいるもんね。」
「剣術の授業もあるし!すげぇ楽しみだ。また俺と試合してくれっかなぁ…」
「最近はルイスに負けてるんだっけ?」
「う゛っ……お前、たまにきついよな。」
「ご、ごめん…。」
【 その命を失いたくないのなら。 】
「もうじき、ですね。」
ぽつりと声をかけられて、私は窓越しの夜空から目を離した。
オレンジ色の瞳を少し寂しそうに暗くして、メリルは小さく微笑んでいる。私は意識して明るく笑い返した。
「三月も終わりだものね。再来週には学園だと思うと、今から少し緊張するわ。」
「どうかご無理はなさらずに。事件らしきものがあっても首を突っ込んではいけませんよ。」
「ん…そうね、どうかしら……」
「そこは「もちろんよ」と返して頂けるところでは?」
私の返事にメリルは呆れ声だ。
ゲームの《学園編》が始まるのだもの。シナリオにちょっと変更はあれど、何も起きないわけはない。
「友達を守れるのなら、きっと首を突っ込んでしまうわ。」
一番の事件は王子殿下のどちらかが殺される事だけれど、もちろん他にもイベントはある。主人公のカレンは勿論、その親友キャラである私も巻き込まれていくだろう。
油断は禁物。
たとえ前世の記憶があったって、シナリオから読み取れていない事も沢山あるのだから。
「……そうですね。貴女は…そうなのでしょう。」
お腹の前で揃えた手を握り、メリルは笑顔をみせてくれた。
スカートの裾を摘まみ、片足を引いて淑女の礼を披露して。
「お気を付けて行ってらっしゃいませ、シャロン様。」
静かに姿勢を戻した彼女に、私も立ち上がって軽く礼を返した。
礼節もいき過ぎては相手が恐縮してしまう。気持ちは笑顔にこめて。
「ありがとう、メリル。行ってくるわね。」
皆に笑って生きていてほしいから。
私も生きて、その光景を見届けたいから。
誰の命も失わせないために、《学園編》の一年を乗り切ってみせる。
貴方を死なせたりなんてしない――絶対に。
◇ 第一部・完 ◇
一年間ありがとうございました!
もしかしたら幕間に何か書くかもしれないし、書かないかもしれませんが、二部開始まではしばらくお時間を頂く予定です。
数ヶ月空くのではないかと予想…
ツイッターのほうで小ネタ(SSではないです)更新くらいはあるかもです。
後ほど活動報告に小ネタモーメントのURLを載せておきますので、登場人物のイメージ絵があっても平気な方はお楽しみ頂ければ幸いです。
ブクマ、ご評価、ご感想、いいねも大変励みになっております。
シャロン達の話を読んでくださり、本当に本当にありがとうございます!
ではまた!




