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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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237.隠れんぼは無しで

 



 山麓の街ヨルト。


 カンデラ山の麓に位置するこの街の一番奥――山の斜面に差し掛かったところに、アーチャー公爵家の別邸が建っている。


「皆変わりないようで安心したわ。」


 シャロンが微笑んで言った。

 背中まである薄紫色の髪は艶があり、肩より下がふんわりと緩くウェーブしている。ぱっちりとした目は長い睫毛に縁取られ、髪と同じ色の瞳は優しく温かな光を宿していた。

 ティーカップの持ち手を摘まむ指は細いが、実は大人の男でさえ軽く一本背負いできる腕っぷしの持ち主だなどと、麗しい外見からは到底想像もつかない。


「シャロン様は変わられたと、皆言っておりますよ。」

 片手を頬にあて、専属侍女のメリルが悩ましげに息を吐く。

 ぴしりと背筋を伸ばして立つ彼女の、オレンジ色のボブヘアがさらりと揺れた。シャロンが小さく笑う。


「授業を詰めたから、今年は中々こちらに来れなかったものね。でも、噂くらいは届いていたんじゃないかしら。」

「護身術程度と思いますよ、普通は。驚くのも無理はありません。それに…ダンも連れてきましたし。」

 今やすっかり使用人の一員になった青年の名前が出ると、シャロンの瞳がくるりと部屋を見回した。

 目つきの悪い従者兼護衛の姿はない。どうしてもとついてきた弟のクリスも、自分の部屋に押し込まれてお勉強の時間である。


「ダンを紹介できたのは良いけれど、あれからどこへ連れて行かれたのかしら。姿を見ないわね。」

「力自慢達に引きずられておりましたから、まぁ、何か力仕事でしょう。」

「今頃きっと文句を言っているわね。きちんとやりながら。」

「そうですね。」

 メリルが苦笑いするのと同時に、部屋の扉がノックされた。

 今日から滞在予定の画家、ガブリエル・ウェイバリー氏が到着したとの報せだ。シャロンはメリルと顔を見合わせ、すぐに玄関へ向かった。



「やぁ、シャロン!久し振りだねぇ。」


 すたんと馬車から飛び降りて、その男は朗らかに手を振る。

 エメラルドグリーンの長髪はところどころにピンク色のメッシュがあり、腰までの太い三つ編みにされていた。浮世離れした中性的な美貌の持ち主で、年齢は二十代半ばほどに見える。


「こんにちは、ギャビーさん。ようこそいらっしゃいました。」

 お元気そうで何よりですと言ったシャロンに、ギャビーは「君もね」と笑いながら歩み寄る。

 彼はボタンをいくつか開けたシャツの上にだぼっとした毛玉つきセーターを着て、カーキ色のズボンに、使い古されたブーツを履いていた。本の挿絵から出てきたような彼の美しさも、その格好ではどこか霞んで見える。


「あら……少し、髪を切られましたか?」

 シャロンが聞くと、ギャビーは太い三つ編みを手でぱしりと弾いた。

 エクトル・オークションズで二人が会った時は、彼の三つ編みは膝下にまで届く長さだった。少しどころか、結構な量を切っているはずだ。


「そうみたいだよ。ボクはどっちでもよかったんだけど、整えた方がいいんだってさ。」

「整える…ですか……。」

 シャロンは曖昧に返事をしながら頬に手をあてた。

 ギャビーの三つ編みはあちこちからぴょんぴょこと髪が飛び出て、とても整っているとは言えない惨状だが、本人は気にしていない様子だ。

 荷物を運び出しながら馬車を降りた人物の顔に覚えがあり、シャロンは軽く目を見開く。


 私服だろう薄手のコートにラフな旅装をしてはいるが、腰に提げた剣はよく見ると上等なものだ。胸まである緑髪を頭の低い位置で一つに結び、体の前側へ流している。

 黒い瞳に疲れが滲んでいるあたり、道中なにがしかの苦労をしたのだろう。使用人に荷を渡した彼は、シャロンと目が合うと僅かに安堵を見せ、こちらへ歩いて来た。


「こんにちは、シャロン様。此度は護衛の任を受けて参りました。」

「ヴィクターさん、こんにちは。屋敷ではどうかごゆっくりなさってくださいね。」

 正体を隠しているわけではないらしいと察し、シャロンは微笑んで礼をした。ヴィクターも片手を胸にあて、シャロンより深くなるよう頭を下げる。


 ――まさかヴィクターさんが来るなんて…今回のことはウィルもよく知っているという事ね。アベルと違って、ウィルから護衛騎士の方が離れる事は滅多にないはずだもの。事情を話してもらえない事を考えても、やっぱり何かあるのだわ。


 何もかもに首を突っ込む気はないシャロンだが、何かあると思うとついソワソワしてしまう。ざわつく心を抑える彼女から目を離し、ヴィクターはちらりとギャビーを見やった。


「奔放な方だと噂は聞いていましたが……閣下の領地に足を運ぶとあって、()()()()()()()俺が来る事になりました。」

「まぁ……」

 道中の出来事を思い返しているだろうヴィクターの疲労感溢れる顔を見つめ、シャロンは痛ましげに眉尻を下げた。シャロンとて、ギャビーのマイペースさを少しは知っている身だ。殺されかけても逃げようとしてくれない相手では、護衛する方も大変なのだろう。

 ヴィクターはシャロンに目を戻すと、ふと眉を下げて笑った。


「今回は隠れんぼは無しでお願い致しますね、シャロン様。」


 シャロンが目を丸くして口元に手を添える。

 ウィルフレッドがバーナビーと名乗っていた頃、既に護衛騎士はついていた――つまりかつてシャロンがウィルフレッドと共に遭難した当時、ヴィクターもこの屋敷に来ていたのだ。

 迷惑をかけた相手の一人と知ってシャロンは焦りながら記憶の中でヴィクターの姿を探すが、うまく思い出せない。代わりにこくこくと頷いた。


「も、もちろんです。」

「あの時はちょうど俺が鬼でした。相方(セシリア)は産休でしたが、代理の騎士も本気で隠れる始末で……貴女がたを見失ってしまい、申し訳ありませんでした。」

「謝るならこちらの方です、王子殿下と知らなかった事を差し引いても、勝手に庭から連れ出してしまって…」

 ヴィクターは当然、二人の捜索に加わったらしい。

 気絶したシャロンを抱えてよろよろ歩いていたウィルフレッドを見つけ、保護したのも彼がいる班だった。今回ギャビーの護衛兼、女神像探しの同行者に選ばれたのも、それも理由の一つだろう。


 謝り合う二人から一定の距離をとって、使用人達が屋敷と馬車を行き来している。

 何日滞在するか不明な上に画材一式もあって、荷物は多いようだった。駆り出されたらしいダンが、一人の少年が運ぼうとした大きな荷物を無言で先に持っていく。

 肩を越す長さに伸びた茶髪を後ろでちょこんと結び、キャスケット帽を深くかぶった少年。彼が次に選んだ荷物の上に白猫が一匹寝そべっているのを見て、シャロンは頬を緩めた。


「ギャビーさん、そろそろ中へどうぞ。」


 屋敷の外観をじろじろ眺めていたギャビーに声をかけると、彼はぐるんと身体を回して振り返る。子供が庭で両手を広げて走るような、大げさな仕草だった。


「ねぇシャロン、屋根の上から女神像が見えたりしないかなぁ。登ってもいいかい?」

「やめてください。」

 ヴィクターが即座に切り捨てる。

 シャロンはくすりと笑い、開いたままの玄関扉を淑やかな手振りで示した。


「私が以前見たものがそうなら、我が家からでは厳しいですね。探すのは明日の楽しみにして、今は備えましょう。」

「せっかく着いたんだから、今から探せばよくないかい?」

「春のカンデラ山はほのかに温かいですが、夜になると冷え込みます。体力が減っては女神様にたどり着けないかもしれませんし、よく休んでからが良いと思いますよ。」

「夜でもいいと思うけどなぁ…。眠くなったらその辺で適当に寝転がればいいじゃないか。」

 そう言って首を傾げるギャビーの背を、ヴィクターが無言でぐいぐいと押していく。

 二人と共に屋敷へ入りながら、シャロンは馬車を振り返った。


 ――アベルは、付き人として来ると言っていた、けれど……


 疑問を顔に出さないまま、視線を戻した。

 髪はカツラでどうにでもなるとして、シャロンの知るアベルはもう少し背が高い。それとも、少年が猫背気味だったから低く見えただけだろうか。

 アベルから「初めて見る他人だと思ってほしい」と言われたからには、シャロンが見てそうとわかる見た目のはずだが、少年の顔が見えただろうダンには反応がなかった事も少し気になった。


 荷物を運んでちょうど戻ってきたのか、キャスケット帽をかぶった少年が階段から降りてくる。ヴィクターが足を止め、ギャビーに向き直った。


「ウェイバリー殿、紹介を。貴方の付き人ですから。」

「ボクの事はギャビーと呼んでくれ、ギャビーと。何回言ったらいいんだい?もうほっぺたに自分で書いておこうかな。シャロン、何色の絵の具が良いと思う?」

「えぇと…書く事自体、やめておいた方がいいと思います。」

 そんなやり取りをする間に少年は階段を降りきり、紹介という言葉が聞こえていたのだろう、帽子を取ってこちらへと歩いて来た。


 真っ直ぐに伸びた茶色の髪を低い位置で縛り、いまいち視線の合わない目は睫毛が薄く、黒い瞳には覇気がない。特徴を述べるのに困るような、はっきり言うならば平均的な顔立ちをした彼は、近くで見てもやはり猫背気味だった。


 ――まったく知らない方なのに、どうしてか既視感があるような。


「私はシャロンと言います。屋敷に滞在される間、どうかよろしくお願い致しますね。」

 にこりと笑って挨拶したが、少年は庶民らしいと言えば庶民らしい、ぎこちないお辞儀をするだけだ。

「その子、口が利けないんだよね。」

 ギャビーが事もなげに言う。

「でも聞こえてるし大体の事やってくれるし、あんまり問題ないんじゃないかなぁ。」

「そうなのですか…」

「うん。ボクも最近雇ったばっかりだからよくは知らないんだ。あぁ、名前はアンソニーって言うんだけど。」

 シャロンは一瞬だけヴィクターを見やり、その瞳が自分からそれている事を確認する。

 彼はウィルフレッドがアベルと共に下町へ来た時に同行しており、アベルの偽名を知っているはずだ。決して、珍しい名前ではないけれど。


 ――お父様は結局、アベルが来るとは言わなかった。本人から明かされているとは、きっとヴィクターさんも知らないでしょう。私達が会った事は秘密だもの。それでいて、私が知っている偽名をあえて使った。これほど顔立ちが違うのに。


 ゆったりと瞬きをして、シャロンは令嬢の微笑みを浮かべた。

 既視感の正体、「初めて見る他人と思ってほしい」という言葉、顔立ちそのものを変える方法。


「アンソニーさんですね。明日は一緒にカンデラ山へ行かれますか?」

 軽い礼をもって肯定する彼に頷き返し、シャロンは使用人達に目線で指示をしながら客室へと歩き出す。

 玄関ホールにいた中でメリルとダンだけは名前に反応していたが、どちらも僅かに眉を動かしただけで、声に出すような事はなかった。


「私も同行しますので、よろしくお願い致しますね。ではギャビーさん、こちらへ。」

「なんだかお腹が空いてきたなぁ。お菓子とかあるかい?」

「ふふ。もう一刻せずに夕食になりますが、お辛いようでしたら部屋に少し用意がありますよ。」

「シャロン様、部屋割りは閣下がお決めになられたと聞いておりますが…」

「えぇ、父が決めたまま変えておりません。お客様が来る事も珍しいですから、どうか好きにお使いください。」

 ギャビー、ヴィクター、アンソニーそれぞれに一室ずつだ。

 元より客人の付き人をぞんざいな扱いにはしないが、ヴィクターとしては気がかりだったのだろう。シャロンはアベルが来る事を知らない、あるいは知らなかったのだから。


 案内した部屋のベッドにギャビーがダイブするのを眺めながら、シャロンは少しだけ眉尻を下げて微笑んだ。



『それにしても、よく偽名だけで悟られずにいるわね…?』

『必要があれば姿を変えてる。』



 一度だけ。

 本当にたったの一度だけ、シャロンは茶髪に黒目の、顔立ちの違うアベルを見た事があるのだ。半年近く前に数秒だけなので、覚えていられなくて当然だろう。同じ顔だった自信もない。


 ――「魔法だから、誰かが一緒だと使えない」んじゃなかったの、もう……。


 調度品を見回したヴィクターがだんだん青ざめていく事に気付かないまま、シャロンは小さくため息を吐いた。

 ギャビーは嬉々として荷物から絵の具が入った瓶を取り出している。


「…しまってください、ウェイバリー殿。一滴でも垂らしたらコトです。」



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