232.誰より若い ◆
広い斎場に数十名の騎士が整列している。
彼らの前方に並べられた棺の数は十三、うち二つにはオークス公爵家の紋が入っていた。バサム山で起きた事件の被害者達だ。
かなり時間がかかったものの、雪崩に飲み込まれた遺体も全て回収する事ができた。
ただ妙な事に、戦闘の形跡どころか剣を抜いた者すらいないようだった。切り刻まれていた女騎士一名を除いて。
『剣、前へ。』
騎士団長ティム・クロムウェルの号令が響くと、騎士達は一斉に剣を胸の前に掲げる。剣先は高い空を、両刃は左右を向くように。ばらつきのない統率のとれた動きだった。
『月の女神のもとへ旅立った同志達に、祈りを。』
全員が目を閉じ、彼らの眠りが安らかであるよう祈りを捧げる。
どこからかすすり泣く声や押し殺すような吐息が聞こえても、ティムや隊長達がそれを咎める事はない。
今参列しているのは殉職者と同じ隊の者、また後発で一行を追い、バサム山の途中にて現場を発見した三名、そして遺体の捜索作業を行った者達だ。
国王夫妻や国の重鎮などは一足先に儀を済ませており、隊長格以上はこれが二度目の参列だった。夕刻までは斎場が解放され、他の騎士達も献花や祈りに訪れる事ができる。
『――直れ。』
その言葉で皆目を開き、剣を鞘に納めた。
参列者の一人、ダークブラウンの髪と瞳を持つエイブラム・ガイストは、虚ろな目で一番端の棺を眺めている。友人であるメルヴィン・ベアードがその中で眠っていた。
ガイストにはまだ、わからない。
――何で、あいつが死ななきゃいけなかったんだ?
考えるのは事件のことばかりだ。
騎士団長も務めた実力派の軍務大臣パーシヴァル・オークス公爵。彼と夫人の護衛には十人の騎士がついた。警護任務を担当する九番隊に、サポートに長けた十三番隊を交えた編成だった。誰がどう見ても充分だ。
しかしガイストは当日、急にティムの指示を受けて一行の後を追う事になった。ベアード達と共に。
命じられた時、その場には第二王子アベルがいて、自分の護衛騎士であるロイ・ダルトンも一緒に行かせるかと提案してきた。
不思議には思わなかった。
第二王子が騎士団に関わるのはそう珍しい事ではないし、まだ十二歳とは思えないほど実力も確かだったから。ただ、今考えてみれば。
――何で、殿下はあそこにいたんだ?ティムさんの指示自体、もしかして殿下が言い出したんじゃないのか?
気付けば、整列した場所に残っているのはガイストだけだった。
数人の騎士が棺の傍らで泣き崩れたり、胸に片手をあてて俯いている。公爵の棺の前で跪いている者もいた。
離れた場所ではベアードが所属していた十三番隊の隊長と副隊長が、赤髪の副団長レナルド・ベインズと何か話している。
『――これは、殿下。』
斎場の入り口へ水色の瞳を向けたティムが、静かに言って礼をした。
ご機嫌麗しくとは続かないその一言で、斎場にいた騎士全員がそちらへ向き直って頭を下げる。ガイストは機械的に倣いながらじろりと彼を見やった。
少し癖のある黒髪、冷徹な金色の瞳、何を考えているかわからない表情には子供らしさの欠片もない。
珍しく護衛騎士を二人とも連れている。
『遅くなった。』
アベルは淡々と告げ、ティムが「どうぞこちらへ」と献花台へ案内する。そのやり取りでガイストは悟った。
国王が参列した葬儀に王子もいるべきなのに、彼はいなかったのだ。今しがた行われた騎士団としての葬儀にすら遅刻し、結局間に合わず。
――閣下を、あいつらを、何だと思ってんだよ。
アベルと護衛騎士二人は剣を抜き、胸の前で掲げた。
第一王子と揃いで作られた剣先はピタリと上向きに固定され、僅かな揺らぎすらない。十三名もの死者を前にして、第二王子はあくまで冷静だった。
『あの時何で、ダルトンをつけるか聞いたんです。』
口をついて出た言葉が、静かな斎場によく響く。
背を向けて黙祷するアベルの両脇で、護衛騎士リビー・エッカートとロイ・ダルトンが先に剣を下ろして振り返った。続いてアベルも目を開き、静かに剣を下ろしてこちらを見る。
『…ガイスト。不敬だよ』
『本当は何かわかってたんじゃないんですか。』
ティムに注意されても、一度言い始めれば止まらない。
『何ですぐに引き下がったんだよ…いきなり言い出すくらいだから、何か根拠があったんだろ!?あんたがそれを話してくれてれば…!』
無礼者を黙らせるべくリビーは手足に力を込めたが、アベルは僅かな手の動きでそれを制止した。ガイストを止めようとしていたティムとレナルドが、それを見て静観を決める。
『城の客室焼かせるとかわけわかんねぇ事して、仕事増やしてよ……相手は力も無い画家だぜ?何やってんだよ、こんだけ死んだってのに!閣下は軍務大臣で、あんたの従者の親父だぞ!!知ってる事があるなら何で言わなかったんだ、こいつら皆……皆、あんたが殺したようなもんじゃ、ッぐぁ!』
背後から蹴りを叩きこまれ、ガイストは勢いよく倒れ込んだ。立ち上がろうとしたところで強制的に頭を下げさせられる。
彼の頭を鷲掴みにしているのは、瞳孔の開いた黄金の瞳に、竜胆色の短髪。左目の下には泣きボクロがある男。ガイストが所属する十番隊の隊長、アイザック・ブラックリーだった。
『跪け。ガイスト』
『ッ、たいちょ…』
『口を閉じて頭を垂れろ。』
ブラックリーは淡々と命じながら並んで跪き、険しい表情で深く頭を下げた。まだ顔を上げようとするガイストからは決して手を離さない。
『申し訳ありません、殿下。大変なご無礼を。』
『私からも謝罪致します。此度の事件は騎士団の力不足。戦力の増強をご提案くださった殿下に問題ないと宣ったのは、他でもない我らなのですから。』
ティムが団長として頭を下げた横で、レナルドも深く礼をする。
それを衣擦れの音で察し、ガイストは歯を食いしばった。ティムとレナルドはかつて同じ十番隊にいた先輩でもある。これ以上ガイストが声を上げれば、二人にも現在の上司であるブラックリーにも余計に迷惑をかけるだろう。
胸がむかむかするのを堪えて自ら頭を低くすると、ようやくブラックリーの手が離れた。
『ガイスト』
何の感情も読み取れない声でアベルが呼ぶ。
ガイストは頭を下げたまま、怒りと悔しさに顔を歪めて言葉を待った。アベルの声に動揺があれば、申し訳なさがあれば、侮蔑があれば、こうまで思考が乱れる事はなかったかもしれない。
『僕を恨め。』
思いがけない一言に目を見開き、ガイストは許可もなく顔を上げる。アベルはただ、彼を見下ろしていた。声と同じく、無感情に冷えた瞳で。
なぜそんな事を言うのか。やはり何か黙っていたのか。
言外の問いに答える事なくアベルは踵を返し、こちらを侮蔑の目で見るリビー達を連れて斎場を出て行った。
ブラックリーが立ち上がり、ガイストの肩に重く手をかける。
『俺は殿下を追う。…隊舎で大人しくしていろ。』
『…はい。』
返事を聞くと同時にブラックリーは駆け出し、すぐに見えなくなった。
ガイストはぐしゃりと自分の髪を混ぜ、苦く眉を顰めたまま視線を上げる。ティムは困ったように眉尻を下げていた。浮かべた笑みは、右側で二つに結った髪の水色と同じくらい冷えている。
『ガイスト。君ね――』
言いかけたティムの横を通り過ぎ、真顔のレナルドがガイストを殴り飛ばした。
遠巻きに見守っていた他の騎士達が痛そうに顔を歪めている。ティムは困り笑いのまま首を傾げた。
『レナルド、急に学生時代に戻らないでくれるかな。』
『戻ってない。…ガイスト、十番隊ならば《己の実力が全て》だろう。まして殿下に責任をなするなど、騎士のする事ではない。』
『ッ…けど……』
『ま、水の魔法でもかぶっておきなよ。頭が冷えるまでは謹慎処分。いいね』
問答無用の響きで言いつけ、二人は本部に戻るべく斎場を出て行った。
ガイストは口元を拭い、ふらりと立ち上がる。
微かに誰かの声がしたような気がした。
気のせいとは思いつつそちらを見ると、もさもさした青紫の髪をした男がガイストの方を向いている。十三番隊の隊長、バターフィールドだ。のっそりと背が高く、顔の下半分は襟巻で隠れ、伸びた前髪からギリギリ紫の瞳が見え隠れしている。
『エイブラム・ガイスト。…と、お呼びですよ。』
バターフィールドの隣で爽やかに通訳をしたのは、若き副隊長ジェリー・ニコルだ。艶めく細い金髪をティムそっくりに右側で二つに結い、美少女と見紛う顔立ちをしている。
亡くした友の上司である二人に声をかけられ、ガイストは気まずそうに目をそらした。
『……何ですか、バターフィールド隊長。』
『…メルヴィン…ベアードも……コンスタンス・イーリイも。…九番隊の騎士達も。』
ぼそぼそと小さな声で言い、バターフィールドは伸びた前髪の境からガイストを見つめる。
『今のお前を見たら、怒るだろう。ブラックリー達と…同じ、ように。』
『僕は幼く見られがちですけど……先程の場で誰より若いのは、間違いなく貴方でしたよ。もちろん、殿下よりもね。』
『…ニコル………、………。』
『はい。そうですね、隊長』
不規則に漏れる吐息のような音を聞き、ニコルは納得したように頷いた。バターフィールドの小声を完全には聞き取れずとも、彼には何となくわかるらしい。
『これより先は自分で定めること。僕達は引きましょう――失礼。』
礼儀的な笑顔を浮かべ、ニコルはきちりと礼をした。ガイストの返事も待たずバターフィールドと共に去っていく。
斎場の隅で一人、ガイストは壁に寄りかかってずるずると座り込んだ。
肘を膝の上に置き、組んだ手に額をあてる。
上に対して疑問がある時、文句がある時、話を聞いてくれたのはベアードだ。言葉を返し、時に諫めてくれる友人とのやり取りの中で、ガイストも冷静になる事ができていた。
しかし、その彼はもういない。
騎士団に入った以上は殉職もありえると、それくらいの事は互いにわかっていた。
同僚の亡骸を見るのも、友人の葬儀に出るのも初めてではない。
それなのに今は感情を整理しようにも、頭に浮かべた言葉が端からぐしゃぐしゃに黒く塗り潰されていくようで、まとまらない。
浴びせられた言葉を反芻して、ガイストは強く目を瞑った。
アベルの言動に苛立った事は間違いない。
しかしそれが根底ではないのだ。
魔法は下手でもいいと呑気に構えていた自分が、ロイがいなくても平気だと宣った自分が、何も起きないだろうと軽んじた自分が、ベアードの判断に従うのが遅れた、自分が。
自分が、全て悪いのではないか。
目をそらしたいから言葉がまとまらない。
信じたくないから疑いを強める。誰かのせいにできたらどれほど楽だっただろう。
心の底でそれを許さないからこそ、ガイストは不安定になっていた。
『……何が、僕を恨めだ……』
結局のところ、アベルは何も答えを返さなかった。一介の騎士にあれだけ暴言を吐かれながら。ブラックリーやティム達が罰するとわかっていたのだろうが、自分ではガイストに対して何もしなかった。
ロイを行かせるかと提案した事も、客室を焼かせた真意も、葬儀に遅刻した理由も、何も言わずに彼はただ、恨む事を許しただけだ。
『…じゃあ、恨んでやるよ。』
自分の腕を強く握りしめ、ガイストは吐き捨てるように呟いた。




