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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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231.白き暇人

 



「それはただのネンネじゃ。」


 ケーキの生クリームを口の横につけたまま、エリが断言した。

 真剣な顔をしていたアベルは目を見開き、呆然として彼女の言葉を繰り返す。


「…ねん、ね……?」

「む、わからぬか。こちらには無い言い回しじゃったかのう。ネンネとは――」

「違う。…まさか……幼児語で言われると、思わなかっただけだ。」

「ほうか。」

 モゴモゴと頬を膨らませて咀嚼し、エリはフォーク片手に次の一手をケーキへと繰り出した。それはアベルが持ち込んだ手土産だったが、「視界に入ると食欲が失せる」という辛辣な一言により、アベルはエリとは距離を取りつつ背中合わせに座っている。

 一定の信を置いた間柄ではあるものの、彼女の護衛であるヴェンとは互いが視界に入るように位置が調整されていた。


「眠気が無かったという言葉を信じるなら、んぐ、失神じゃろうがな。」

「失神…」

 アベルはいまいちピンとこない顔で紅茶のカップを傾ける。

 シャロンの寝室で眠ってしまった事について、詳細は省きつつもエリに聞いてみたのだ。以前、アベルに憑いたモノがいよいよ周りに影響を及ぼす前触れとして、《短時間の気絶》が挙げられていたから。


「うむ。直前にひどく興奮した覚えとかはないのか?」

「ッば…馬鹿を言うな!」

 噎せそうになったところをギリギリで堪え、アベルは振り返ってエリの背中に言い放つ。断じてそんな覚えは無かった。未公表とはいえ兄の婚約者だ。自分がそういう意味で安全な男である自覚と自信がなければ、彼女の部屋になど死んでも行かない。

 エリは背を向けたまま首をひょいと捻る。

「…?ヴェン、何を焦っとるんじゃ、あやつは。」

「わかりません。」

「…何でもない」

 アベルは元通り背を向けた。エリは一つ頷いて話を続ける。


「まぁとにかくな、パッタリ倒れて動かなかったようなら、ソレのせいではない。」

「……なら、いいんだ。」

「おぬしの身体を長年欲してるわけじゃから、ちょっぴりでも手に入ったら何かしら行動を起こすはずじゃ。むぐ、特に……力の強いもの、知恵のあるものは自分に有益なように動く。」

 フォークの先でくるりと円を描くようにし、エリは例を挙げた。

 あくまで一時的に宿主の身体を手に入れた場合の話だ。


「たとえば――宿主にとって大事な人間。友人や恋人をその手で殺しておく…とかじゃな。それで、あえてその瞬間に身体を戻してやるのじゃ。」


 アベルは、あの夜見たシャロンの寝姿に剣が突き立てられた光景を想像した。

 見慣れた血の色が広がって、自分の手が柄を握っている。


 苦痛に歪んだ顔で、涙に濡れた瞳でこちらを見て、彼女は言うだろう。



「どうして」と。



「その状況で精神が揺らがぬ者はおらぬ。混乱と動揺の隙に身体の所有権を握るというわけじゃ。まさか、()()()()()()()()()()()()()()()者もおらぬだろう?本人はわけがわからぬまま飲まれ、黒き魂が成り代わる。」

「……貴女達はなぜ、そうも詳しいんだ?君影国では過去に実験でもされていたのか。」

「…状況が見えていようと、宿主が理解してくれるわけでも、外の人間が手伝ってくれるわけでもないからのう。結果として、経過観察のような事になる。」

 戦で焼かれる事もない、略奪の憂き目にも遭わない。

 君影国には長い歴史の中で多くの《例》が書き残されている。


「それに、白き魂が他所で見たものを教えてくれる事もあったようじゃ。」

「あぁ…話せる者もいるんだったね。」

「うむ。たまーにしかおらぬがな。白いのは特に、姿を見せたりもするからのう。君影の者でなくとも、ほれ、幽霊騒動とかはこの国にもあるのじゃろ?」

「……言われてみればそうだね。」

「奴らヒマしとるからな。わざと姿を見せて生者を脅かしたがるのじゃ。」

 エリ達の話を聞くまでは与太話と思って興味もなかったが、なるほど中には本物と出会った話もあるのかもしれない。

 アベルは考え込むように腕組みをした。

 そうなれば気になるのは《夜教》だ。影の女神を実際に見て話しているかのような言動をする。


「わざと姿を見せる時は、その場に複数いても特定の人物にだけ見せる事ができる?」

「できる。…らしいぞ。白き魂としばし友人だった男の日記があってな…」

 彼の友人の話によれば、普段隠している姿を現すというものではなく、「魔力を少し渡して見えるようにしてやる」ものなのだという。ゆえに、その場に他の人間がいても見えるようにはならない。


 生者側にも素質というものがあり、魔力を渡したとて見えない者もいる。そして魂には生前と同程度の魔力しかなく、複数に一度に見せられるほどは無い事が多いそうだ。

 無論、エリのように元から見える人間には関係ない。


「……実は、見えない何かと話してるらしき人がいるんだけど。気狂いか本当に見えているのかは、君がその場を見たらわかるのかな。」

「ん~む…ちょうど居るならわかるがのう。生者の身体を乗っ取ろうとでもしない限り、魂は自由に動けるのじゃ。わらわに見えなかったとして、いないという証明にはならぬぞ。」

「なるほどね…。」

 どの道捕えている信者をエリと引き合わせるのは厳しいものがある。

 普段アベルに協力的な騎士団長ですら「無理」と言っていたのだ。彼の場合、「もしやるなら絶対に私にわからないようにお願いします。関わりたくないので。」という意味でもあるだろうが。


「白い魂は、自身の未練や感情に呑まれると黒く染まる。確かそう言っていたよね。」

 アベルの問いにエリは頷き、しかし背中を向けていたと気付いて「うむ」と声を返した。初めて見たタルトの食べ方がよくわからず、眉を顰めてフォークでつつく。

「大抵そうなる前に消えるが、ダラダラしておると呑まれてしまう。」

「それはどれくらいかかるんだろうか。」

「まぁ、人による。当然じゃな。」

「数百を優に超える年月は?」

「不可能じゃ。」

 きっぱりと言いきって、エリは唇についた食べかすをぺろりと舐めた。

 アベルは組んだ腕を指先で一度だけ叩く。


 《夜教》の主張は「ツイーディア王国の建国当時、月の女神、太陽の女神とは別に、影の女神が存在していた」というものだ。

 信者の中には影の女神と会話できる者もいるらしい。

 アベルの師である十番隊長アイザック・ブラックリーも、現在騎士団で捕らえている信者がそれらしき会話をする所を確認した。


 仮に影の女神が白き魂として実在するのなら、遥か昔の死者であるはずだった。


「考えてもみい。数百年もの長き時……人間の精神に耐えられるものではあるまい。」

「最長記録は?」

「わらわが知る限りでは五年じゃ。書物に記載があったもので、この目で確かめたわけではないがの。生前の魔力量が多いほど長く耐えるのではないか…などと考えた者もおる。」

「魔力、か……」

 顎に軽く手をあて、アベルは視線を空中へ投げる。

 特定の人物に姿を見せる時、白い魂はその人物に魔力を渡す――つまり。


「魂になっても魔法は使えるんだね?」

「使える者もおる、らしいな。じゃがそれも、生前ほど威力は出ぬと聞く。風の術で物が勝手に動く、火の術で誰もいない場所に火の玉が浮かぶ……手も触れずに水が溜まって井戸の桶はカラカラ下がり、部屋の明かりが一瞬だけ途絶えては、夜中、雷鳴も無しにピカリと光る。」

 からん、と音を立ててフォークが皿に乗る。

 口元をナプキンで拭って、エリは紅茶をぐいと飲み込んだ。


「ま、その程度じゃ。」

「ふぅん……」

 生者を殺すまでは至らない、あるいはそこまで悪意の芽生えた魂はとうに黒くなっており、生者の身体を奪う方に思考が向くらしいという。

 アベルは一口だけ紅茶を飲み、音もなくカップをソーサーに戻した。


「ふう、馳走になったのう!美味であった。このような甘味、兄様(あにさま)も食しておればよいが。」

「見つかってまだ食べてなければ、これくらい奢るよ。」

「むふふ。アベルおぬし、良い奴じゃな!……ソレさえなければ……。」

 笑顔で振り返ったエリが不快そうに眉根を寄せ、ゲンナリした顔で目をそらした。

 見えないという事は幸せである。


「…そちらは、いつ頃ここを出る予定なのかな。」

「来週あたりじゃ。もうじき、この王都でめぼしい所は回れてしまうからな。」

「そうか。あの貼り紙は各地に送ってあるから、今後立ち寄った街では一度騎士団の駐屯所に顔を出すといい。すぐにとはいかないかもしれないけど、何かあれば連絡が届くようにしてあるよ。」

「手数をかけるな。礼を言うぞ」

 に、と口角を上げてエリは笑ってみせた。彼女の方を向いたアベルに視線を向けて。決して目が合わないまま、見えないと知りながらアベルは僅かに微笑みを返す。


「気にしなくていい。お陰で色々な事がわかった…こちらこそ感謝している。貴女の兄君が見つかるといいけど。」

「うむ。見つけてみせるとも」

 蜂蜜色の瞳をきらりと光らせ、エリは懐かしい兄の姿を思い浮かべた。



 薄桃色の花びらが舞い散る里で、真っ赤に塗られた橋の欄干に腰かけた後ろ姿。

 すんと背筋を伸ばし、餌もつけずに釣り糸を垂らして。


『あにさま』


 エリと違ってまっすぐ伸びた黒髪は、銀色の簪でまとめられていた。

 左腰には刀が二本。振り返った兄が手を振ると、鎖が鳴る。


『やぁ、エリ。』


 彼は朗らかに笑っていた。

 冷たい枷が首と両手首に嵌められて、長い鎖がそれらを繋いでいる。エリは、枷と鎖の無い兄の姿を見た事がなかった。瞳が他人から見えないよう、顔につけた猫面の目には薄く闇の術がかかっている。


 《君影の化け物》。


 古い書物にも記載がある。

 瞳が尋常ではなかったがゆえに兄は生まれついて高尚な存在であり、同時に恐怖の対象だった。長男であり、刀においても術においても誰より強い腕を持ちながら、化け物であるがゆえに後継ぎではない。

 エリには未だ、その理屈がわからないけれど。



「では、そろそろ失礼する。」


 アベルの声で現実に引き戻され、エリは頷く。

 ちょっといいかなと声を掛けられて、ヴェンがアベルと共に部屋を出た。彼がエリを置いてどこかへ行く事はないとアベルも知っているので、すぐに戻ってくるだろう。

 エリはそれ以上深く考えず、兄との思い出に僅か、目を伏せた。



 廊下へ出たアベルは、通行人もおらず見張りの騎士の位置が遠い事を確認して密かに防音を張る。こちらを見下ろすヴェンの赤い瞳を見上げて、小声で問いかけた。


「この前聞けなかったけど――《忌み子》というのは?」





来週あたりヒスイ地方に出かけるので、更新がないかもしれません。

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