22.王立図書館へ
「――弟に会えないとは、どういう事かな。」
第一王子の私室。
訪れた騎士達に向けて、ウィルフレッド様は顔をしかめて聞いた。
「申し訳ありません。と言っても城内のどこかにはいらっしゃいますし、しばらく騎士団で見守らせて頂くだけですので。」
困ったように眉尻を下げて、けれどにっこりと、我らが騎士団長は笑っている。
白手袋に覆われた手を顎に沿える仕草はどこまでも優雅だ。
「アベルは何て言ってるんだ。」
「それはもう、ご快諾頂きましたよ。」
「弟が城を抜け出すのは昔からだ。何を今更騎士を増やしてまで止める必要が?」
「城下では今、通り魔殺人が起きていまして…不思議と、事件が発生する時間帯は、第二王子殿下がお一人でお出かけになるタイミングなのです。」
「な…っ!」
ウィルフレッド様が目を見開き、立ち上がる。
「どういうつもりでそんな言い方を!!」
「だから危険なので城内に居て頂きます、というご説明です。」
どちらとも取れる答えを返して、団長は首を傾ける。
ウィルフレッド様は歯をくいしばり、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「弟君がご心配なのはわかりますが、どうか今しばらくは、こちらの捜査をお待ち頂ければと思います。」
「…証拠はないんだろう。」
「えぇ、犯人はローブで身を隠しており、判明しているのは犯行に使われた《剣》だけです。」
「――馬鹿な。」
むすっとしていたウィルフレッド様が、はっとして自分の剣の柄を握る。
青い瞳が俺に向けられたので、覚えはないと首を横に振った。ウィルフレッド様が剣を外す時、預かるのは俺の役目だ。
最初から疑いではなく確認の視線だったそれは、やはりそうか、とばかりそらされる。
ウィルフレッド様とアベル様の剣は、完全に同じ意匠で作られた…この世に二本しかない剣だ。
基本的に城内で授業や鍛錬をしているウィルフレッド様は、常に誰かしらの目にさらされている。城下で事件を起こせるわけもない。
反対にアベル様は…
「そういうわけで、お二人の面会も禁じられております。よろしいでしょうか?」
「…状況はわかった。捜査をよろしく頼む」
「えぇ、どうかご安心なさってください。政を担う貴族院の方々より、我々騎士団のほうが――あの方を理解しておりますので。……もちろん、ウィルフレッド殿下には負けるのでしょうが。」
そう言って、団長は踵を返した。
俺はセシリアが室内に残っているのを確認して、団長が出た後に自分も出てから扉を閉める。
ウィルフレッド様は、何も言わなかった。
「団長」
足を止めさせてしまわないよう、自分も同じ方向に歩きながら声をかける。
「剣の事は初耳でしたが…本当なのですか。」
「残念ながらね~。」
殿下の前から退出した事で、団長はいつもの口調に戻った。
「ヴィクター、君が預かってる間は絶対に彼の剣から目を離してないね?」
「はい、我らが月の女神に誓って。」
「アベル様も絶対に手放さない。という事は、他の可能性しかないよね。」
団長はそう言って笑ったが、俺はもう少し詳しく剣についての状況を聞きたかった。
目撃ならば見間違いとか、当時お二人の剣を作った鍛冶屋はどうかとか。俺が考えるような事なんて、既に調査を指示していそうだが。
しかし俺が口を開く前に、団長は呟くように言った。
「久々にウィルフレッド様と話して、なんだか懐かしくなったよ。護衛騎士を決めた時のこと。」
五年前の話だ。
お二人が七歳になった時、騎士団からそれぞれに「護衛騎士に求めることは何か」を伺った。本人の希望を鑑みて騎士を任命するためだ。
そして、ウィルフレッド様は。
『…アベルの悪口を、言わないひと。』
「それじゃ、ヴィクター。頑張っておいで。」
唐突に放られた激励の言葉に違和感を覚える。
単に仕事に戻れと言われたわけではなさそうだが、心当たりがない。
「…何の話ですか?」
「良い子の時間はもう終わりだ。――彼、逃げるよ。」
「は?いえ、まさかウィルフレッド様に限っ…」
サッと顔が青ざめた。
団長が困り眉のまま、楽しげに目を歪ませて、刺すように俺を見る。
「処罰は何がいい?」
「――ッ今すぐ戻ります!!」
俺は脱兎の如く駆け出した。
団長の目は明らかに「君は気付けなかったか、そうか」と言っていた。その通りだ。俺はウィルフレッド様なら決まりを破るような事は、騎士の注意に背く事は、大人を困らせるような真似はしないと思っていた。
「ウィルフレッド様!!」
ノックもせずに王子の私室の扉を開けた俺は。
開きっぱなしのバルコニーの扉から吹き込む風で、カーテンがはためいている前で。
幸せそうにクッキー缶を抱く同期の姿を見つけてしまった。
「セシリアーーーッ!!!」
◇
結局、レナルド先生が帰った後もお父様達は何も話してくださらなかった。
アベルに何があったのか気になるけれど、相手が王子殿下である以上、私は自分から彼に気軽に会いに行く事はできない。
お見舞いの打診についての返事で、チェスターがまた来てくれたら聞けるのかしら…。
そうチェスターの顔を思い浮かべた時、彼に言われた言葉を思い出した。
『王立図書館で捕まえるといいよ。』
――そうだ、サディアスなら。
アベルに関する事だもの、彼なら把握しているかもしれない。魔法の相談もしたいし。
「メリル、今日は王立図書館に行くわ」
突然言い出した私に、メリルは一瞬驚いた表情だったけれど、すぐに納得したように頷いた。
「サディアス様を探されるのですね?」
「えぇ。」
たまたま今日、居ればいいのだけれど…いなかったらいなかったで、図書館の本で勉強しましょう。
メリルが「それなら今日はおめかしですね!」と、いそいそとドレスを私にあてる。
五着ほどそうしたメリルは、これに決めたとばかり薄い緑色のドレスを掲げ、着付けてから「可愛い系も捨てがたいですけれど、やはり清楚系がお好きだと思います」と私の髪を後ろで高く結った。…お好きとは?
「ねぇメリル、今後のためにもっとこう質素で、それでいて男の子っぽい服も一、二着あると嬉しいのだけれど。」
「まぁ、今度は何を企んでおいでですか?」
企むだなんて…ちょっとばかり、次に町へ出る時の事を考えただけだわ。やっぱり動きやすいに越したことはないもの。
そう考えた私の脳内を見透かしたかのように、メリルが言う。
「また町へ行くのですか?」
「と言っても、もう少し強くなってからよ?先生の課題を達成できてからにするわ。」
「そういう問題では無いのですが…」
メリルはこめかみに手をあててため息をついた。
「私が鍛錬の時に着ているような服は、あまり平民の女の子は着ないでしょう?いっそ男装してしまえば目立たないと思ったのよ」
「う~ん、確かに、貴族のご令嬢がいらしたら、よからぬ輩も……いえ、そもそもはしっかり供の者をつけての外出をですね。」
「も、もちろんよ!念の為だわ。」
「……きっと、行く時には止めても行ってしまわれますものね…。であれば、少しでも危険のないように。えぇ、探しておきましょう。」
渋々といった表情で頷いたメリルに、私はありがとうと微笑んだ。
実はそのうち、ドレスに剣か何かを仕込む方法を相談したいのだけれど…そちらは果たして、頷いてくれるかわからないわね……。
身支度を終えて、私は玄関ホールへ降りる。
眉間に皺を寄せて本を何冊も運んでいたダンが、足音に気付いてこちらを見上げた。
「あぁ?なんだお嬢、ずいぶんめかしこんでんじゃねーか。」
どうしても「様」をつけたくないのかそんな呼び方をするダンが、恐らくランドルフに頼まれたであろう本をドサリと床に置いた。
にやにや笑いながら、階段を下りた私に近づいてくる。
「今日は剣じゃなくて男を振り回してくるのか?」
「そんなところよ。」
ものすごく適当に返事をしながら、私は改めてダンは背が高いなと思った。
確認したらチェスターと同じ十五歳という話だったけれど、もう既に百七十センチは越えているんじゃないかしら。
「は?本気かよ。この前の王子サマか?」
ダンが目を丸くして聞き返してくる。信じてしまうあたり、結構素直なのよね…。
私は「冗談よ」と笑った。
「王立図書館に行くだけ。」
「んだよつまんねぇな。」
「ダン、そんな口調ではまた怒られてしまいますよ。」
メリルがやんわりと注意したが、ダンはニヤリと笑うだけで何も言わない。どうやらランドルフ本人がいなければいいと思っているらしい。
「気になるなら貴方も来る?」
「はァ?これ以上本は見たくねぇよ。じゃあな」
ダンは灰色の短髪をガシガシ掻くと、床に置いた本を抱え直して去っていった。たぶん本棚の整理か移動の手伝いをしているのだろう。
玄関の扉を開けると、メリルが呼んでおいてくれた馬車が門前に停まっている。
「ランドルフは、ダンの事を何か言っていた?」
馬車に乗り込みながら聞いてみた。
一緒に出掛けるので、今日はメリルも使用人服ではなく、落ち着いた色合いのドレスを着ている。
屋根付き馬車の中で椅子に座ると、御者が扉を閉めて足台を片付けた。
「とにかく口調と態度が直らないようですね。これまでの育ち方が違いますから、ランドルフさんもある程度仕方ないとは考えているようですが…」
「勉強のほうはどう?」
「ふふ、ものすごく嫌がりながら受けてますよ~。」
「目に浮かぶわね。」
彼の今後の人生を考えて、「最低限のことは身につけさせなさい」というのがお父様の考えだった。
夜に手の空いた使用人が交代で、彼に少しずつ文字や一般教養を教えている。
馬車はカタカタと走り出した。
「可能であれば、お嬢様と一緒に学園へ…という話も出ております。」
「そうなの?」
「学園内は表立って護衛をつける事ができませんから。元々生徒の中からどなたか、護衛としての協力を仰ぐ予定でした。内密に選考も始まっていたのですよ。もちろん、いずれシャロン様にもお話しする事になっておりました。」
「でも、表立った護衛は禁止なのよね?」
「表向きはお友達です。有事の際にシャロン様を守り、屋敷への伝達等を請け負いますが、普段は一緒に授業を受けていればそれでよいのです。」
なるほど、と感心しながら私は頷いた。
雇われる側も依頼料を貰えるという事で、お互い悪い話ではないらしい。貴族の子供達は、そうして雇われた護衛役の生徒がいる事が多いのだとか。
「普通の事であれば、私の護衛はこの人だわというのは、話してもよい事なの?」
「避けて頂いたほうがいいです。知られていると、いない時を狙われてしまいますから。」
「確かにそうね…」
「護衛役は出身や家族構成、本人の人柄や能力など様々な調査をして、最終的に数名から一人、シャロン様に選んで頂く予定です。」
「私が?」
「長く一緒に過ごしますから、気の合わない方とは難しいでしょう?」
それもそうねと頷いた。
どれほど護衛として優秀でも、お父様やお母様が認めた人でも、悪い人じゃないのにどこか気が合わない…という事はありえる。
お互いに気疲れするようではよろしくないものね。
「それならやっぱり、ダンが来てくれるのが一番いいかもしれないわね。」
大体の人柄はわかっているし、有事の際も一般の生徒よりは度胸があると思う。メリルは苦笑した。
「あの子が旦那様や奥様、それにランドルフさんの信頼を得られるかどうかですね。屋敷へ来てまだ日が浅いですし、経歴はよくないですから。」
「馬車のこと?」
「シャロン様に手をあげようとした事もです。」
少しだけ眉を顰めて、メリルが言う。
「護衛役なのです。万一にも、シャロン様に危害を加えるような事があってはなりません。」
「…ダンはきっともう、そんな事はしないと思うけれど。」
ランドルフに怒られてしかめっ面をしながらも、うちのまかないや使用人室のベッドは気に入っているようだった。
屋敷で会う度に雑な口調で絡んでくるけれど、もう胸倉を掴もうとしたりはしないし。
メリルは頬に手をあててため息をついた。
「シャロン様はお優しいですね。ダンに聞かせてやりたいものです。」
たぶん「あぁ?」って言うわね、第一声は。
「とはいえ、ご入学まではまだ半年以上ございますから。ゆっくりしっかり選定されますよ。」
「私もそれまでに、護衛の方が心配しないよう強くなるわね!」
「……無茶は駄目ですよ?」
「もちろん、じっくり鍛えていくわ。剣術も魔法もまだ全然なのだから。」
私が不甲斐ないせいで、護衛役の方に怪我を負わせるような事になったら申し訳ない。
気持ちを新たにして、私は王立図書館への道を眺めた。




