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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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227/525

226.全ては命令で

 



「申し訳ありません」


 普段の態度とはまるで似ても似つかない。

 消え入るような声、頼りなく揺れる瞳、少し曲がった背中も、蒼白な顔も。母親にひどい事をされたというあの日より余程、彼は怯えていた。


「どのような処罰も受け入れます…どうか、アベル様をご説得ください。」

「まずは座ってくれ。今にも倒れそうだ」

「私の事など…」

「座らないのなら何も聞かないよ。」

「………失礼、致します……。」

 いつも冷静で淡々と物事を進めていたあのサディアスが、座るというだけの所作すらおぼつかずにいる。彼はよろめくように椅子に近付き、半端に引いてぎこちなく座った。姿勢の維持にほとんど気を配れていないのだろう。


 サディアスが来た時点で、護衛騎士のヴィクターとセシリアには廊下へ出てもらった。暴走を起こした後とあって、ヴィクターは渋い顔をしたけれど。

 侍女も二人分の紅茶を注いだら静かに礼をして退室する。扉が閉じてから、彼は話の続きを口にした。


「あの方は……今の貴方様ならば、聞いてくださいます。」

「そうだな。」

「ウェイバリーを襲ったのは紛れもなく私の失態です。アベル様は関係ない」

 ガブリエル・ウェイバリー。

 稀代の天才画家…誰が相手でもそうなのだろうあっけらかんとした態度で、父上や母上を前にしてもまるで物怖じしなかった。

 炎が迫ろうと自分の髪が焼けようと、逃げる事なく。掴みどころがなく気分屋で、いっそとても純真な人だと言えるかもしれない。有名であるがゆえに下手に捕えられず、かと言って口止めできるのか疑問が残る。厄介な相手だ。


 彼はたまたま控室の前を通りかかったサディアスを招き入れた――正確には、本人の意思を聞かずに連れ込んだ上で施錠した。

 扉の内鍵を守りはしなかったそうなので、監禁とは言えないだろう。まして力ずくなら圧倒的にサディアスが有利だ。

 そこでウェイバリーが放った一言が、火をつけた。



『君はサディアス・ニクソンじゃないだろう?』



「なぜ…アベル様の命令だった事になっているのですか。」

「俺はそのような指示をしないし、万一したら、君は止めるだろう?」

 黒縁眼鏡の奥で目を見開き、サディアスは青ざめた顔で俺を見つめている。

 紅茶の香りが漂っていた。


「第二王子派筆頭であるニクソン公爵の息子で、俺に対して絶対的な忠誠を見せてきたわけでもない。君がアベルの命令で動いても、誰も不思議に思わないよ。」

「…貴方は…アベル様を悪く言う事には、反対だったはずです。」

「君は協力していた。あいつが民の命を奪った、とか……少々事実と異なる内容を、幾度か市井に巡らせていたはずだ。それに比べれば今回はマシじゃないのか。()()()()、君はウェイバリーに怪我はさせなかった。」

 サディアスの肩が強張る。

 恐らく膝の上で拳を握っているのだろう。顔色は悪いままだ。


「君も知っての通り、彼が呼ばれたのは肖像画のためだ。付き添いの画商は随分と心配してね、防音の魔法を張った上で通訳の真似事をする徹底ぶりだった。」

「…あの画家は、権力に頭を垂れません。」

「あぁ、君の言う通りだ。俺は気にしていなかったけど、アベルは読唇して何を言ったか見ていたそうだ。言い当てられて画商は真っ青になっていた……」

 もちろん、何度も念を押して防音の魔法と通訳を絶対条件にした画商に、何の落ち度もない。

 それで良いと招いたのはこちらなのだから。


 俺はアベルと画商の男が面会した時の事を思い出した。




『ひっ、ひぃい…!』

 恐怖に顔を引き攣らせる画商と違い、アベルには余裕があった。

 愉悦を感じているかのように弧を描いた目で、剣ではなく抜き身のナイフで手遊びをしながら。

『それと、何だったかな?……あぁ、そうだ』

 ローテーブルの上に片足をガンと振り下ろし、アベルは冷笑する。

『僕は、笑顔の練習をした方がいいんだったね?』

『ちちち違うんです!そ、それはその!決してそういう意味では』

『そういう意味?』

『お、お助けを…命だけは…あいつ、悪気があるわけじゃないんです!どうか、どうか命は、ッ!』

 ナイフの先端を向けられ、画商の喉がヒュッと鳴った。

 俺は座った椅子ごと姿を魔法で隠したまま、二人のやり取りを眺めている。


『畏れ多くも国王陛下と王妃殿下を侮辱し、王子である僕達を貶した。――あぁ、わかってるよ。君は色々と気を配ってくれたね。』


 アベルは目を細めて微笑んだ。

 人を下に見る事に慣れ、それが当然だと言わんばかりの目だった。声はどこか酔わせるような響きで、意思の弱い者はフラフラとついて行ってしまいそうだ。

 つ、と後を引くように足を下げてソファに座り直し、尊大に脚を組む。目線や仕草のタイミングまで魅せ方を完璧に心得た所作に見えた。まるでオペラに登場する悪役だな……俺の弟は、たとえ役者になっても大成するんじゃないだろうか。


『ちょっと()()()()()()してあげたんだ。どうして()()()()()()()()のかは、知らないけど?』


『ぁあ…かるく…っ!?』

『今日のところは大人しく帰るがいい、フラヴィオ・テート。ガブリエル・ウェイバリーは必ず、傷もなくお前のもとに戻るだろう。』

『お…お咎めは……』

『欲しいなら、躾をくれてやるが?』

 そんな悪の帝王みたいな顔、一体どこで覚えてきたんだ。シャロンには絶対に見せるんじゃないぞ。

 画商はか細い悲鳴を上げて震えあがっている。


『それから、くだらない嘘や冗談を撒かないように。僕の耳に入ったら、王家至上主義の連中に今日の事を話してしまうかもね。』

『いいい言いません、虚偽など…その、ギ…ギャビーが、あいつがちゃんとかかき帰ってくるなら!』

 目に見えるほどだらだらと汗を掻き目は泳ぎ呼吸を乱しながら、それでも画商は、フラヴィオ・テートは言いきった。

 アベルがほんの一瞬、素の顔で笑う。

 頭を下げていた彼には、見えなかっただろうけれど。


 これで、サディアスの魔力暴走を知らないこの男にとって、《第二王子が命じて部屋を焼かせた》事が真実となった。

 元は不敬が理由、アベル本人からやや物騒な口止めもされている。酒か何かで口を滑らせたとしても、話すのは自分が知る真実のみだろう。




「…それでなぜ、私を処分しないのです。」


 手を伸ばさない彼に代わって、俺はシュガーポットから角砂糖を一つ取り出した。白く、均整の取れた四角に成型されたそれを、サディアスの紅茶に落とし入れる。

 整っていた形が崩れ、しかし溶け切らずに残った。


「今回の件で私を消す事もできたはずです。そうすれば父もただでは済まない…労力なく押さえ込めた。オークス公爵家が揺らいだ、今だからこそ……貴方がたは、私を庇うべきではなかった。」


 ティースプーンを持つ事もなく、サディアスは疲れ切った声で言う。

 俺は自分のカップを傾けて紅茶を飲み、意識してゆっくりとソーサーに戻した。


「サディアス、君は何か記憶違いをしているようだ。」

「記憶違い…?」

「君に命じた際、少しやり過ぎても構わないと言ったのはアベルだっただろう?」

「ウィルフレッド様!…本気で言っておられるのですか。」

「君はアベルの命令を無かった事にして、公爵に虚偽の報告をする気か?」

「…そ、れは」

 サディアスは目に見えて混乱していた。

 俺がこんな話をするとは思いもしなかったのだろう。そもそも、今の彼の頭が普段と同じように回っているとは、とても思えないが。


 それでも君は理解したはずだ。

 俺だけの意見ではなくアベルの意見でもあると。魔力の暴走など起きなかった…ニクソン公爵に報告するなら、正しく言ってくれなければ困る。


「飲みなさい、サディアス。冷めてしまう」


 普段の君ならもっと上手く立ち回っていた。

 《サディアス・ニクソンではない》。

 その言葉は君にとってどれほど重いものなのか……俺を見る目が怯えているのは、どこまで調べた(知った)か気にしているのだろう。


「君が自棄になっている事くらい、俺が見たってわかるよ。」

「……申し訳、ありません。」

 サディアスは視線を落とし、緩慢な動作で紅茶のカップを手に取った。

 砂糖を混ぜる事すらしていない。俺は彼がいかにも気の進まない顔で少し飲み、カップを戻すまでを見届けてから口を開いた。


「君のせいにして消せという話だけど、デメリットが多過ぎるので却下だ。これまでの仕事ぶりを評価しているし、この程度でニクソン公爵家の嫡男が消えては困る。我が国の芸術分野を担う者として、ウェイバリーを失うつもりもない。」

「…彼は何を言いましたか。」

「どんな会話をしたかは全て聞いている。自分が気に障る事を言ったから怒らせたのだろうと、君やアベルに対する罰は望まなかったよ。」

 もっとも、望まれたとして罰が叶うとも思えないが。

 あくまでアベルの指示だったとする俺の言葉に、サディアスは視線を落としたまま眉根を寄せた。


「なかなか、火に囲まれる事などないからね。本人は気にしていないようだったが、()()()()()()()だろうと思って、褒美に色をつけておく事にした。」

「……金を欲しがる男では、なかったと思います。」

「その通りだ。立入禁止区域に設置された女神像を見る事を、一部許可する。」

「まさか、王家の?」

「はは、さすがにそれは許されないよ。彼には候補があるようだったから、まずは希望を聞いている。」

 穏やかに笑って返し、また一口、少しだけぬるくなった紅茶を飲む。

 俺が緊張していてはサディアスも今以上に気が抜けないだろう。いつもなら君はもっと俺の考えを、扱いを、心得ているはずだ。


「ウェイバリーには見張りをつけるし、君にはこれまで通り、俺の従者でいてもらう。」

「…貴方は、私を信用していないはずです。」

「そんな台詞を俺本人に言うあたり、本当に自棄になっているよ。自分でもわかるだろう」

「……いけませんか。」

 反抗心の滲む声に少しだけ、いつもの調子が戻りつつあるかと考えた。


「悪くはないが、引きずられても困る。罰が欲しいなら、消えたいという君の願いを叶えない事も罰だ。罪だと思うなら、消えるのは償ってからにしなさい。それだけの働きをしたと思った時、まだ消えたいなら改めて話を聞こう。」

 アベルは今、騎士団と話している。

 本当なら真っ先にあいつと話したかっただろう君は、俺のところに来るしかなかった。


「サディアス」


 今回の判断が正しいのか、間違っているのか。

 本当はもっと上手く調整できるのではと迷っている。でも今の彼の前で揺れる姿は見せられない。小さな不安を隠して堂々と振舞い、真っ直ぐに見据えた。


「その名が何を示すものであろうと、この六年近く俺の従者でいてくれたのは君だ。部屋を一つ駄目にしたくらいで捨てるほど安くはない。」


 ジョシュア・ニクソン公爵の髪と瞳の色を、そのまま受け継いだ君。

 サディアス・ニクソンではないと言われた君。

 その言葉に怯えた君。


 真面目な君が全て投げ出したいと思うくらい、ウェイバリーの言葉は突き刺さったのだろう。心を揺らしたのだろう。追い詰めたのだろう。暴走を起こすほどに。


 俺がもし優しい人だったなら、君を逃がしてやったんだろうか。

 公爵からも誰からも隠れられるように、死んだ事にでもして、何の責任も負わなくていい場所へ。


 けど俺は、君の力が惜しいから。



「これからも俺()を支えてくれないだろうか。」



 問いの形式で命令する。

 サディアスは唇を引き結び、苦しげな顔で頭を下げた。




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