223.刺してでも
「…どういう事かな、これは。」
いつからそこにいたのか、少し癖のある黒髪の少年がそう呟く。
明らかに身分の高い方だとわかる黒地に金装飾の衣服、淡い青色のマント。彫像のように整った顔立ちをしていて、私と同年代くらいだろうか、それにしては大人びた表情だった。
切れ長の目は冷静にレイモンド様とエルヴィス様を見据え、薄い唇はにこりともせず、かと言って年上を相手に怯えた様子もない。
一歩前へ踏み出した彼が、まるで私を守ってくれるように思えて心臓が震えた。
なんて、堂々たる立ち姿なのだろう。
どうして私はこんなに、安心しているの。
つい見惚れてしまって言葉を返せずにいたら、彼はちらりと私を見た。金色の瞳と目が合って肩が跳ねる。
「おい。」
「ひゅあい!」
「……どういう事かって聞いてるんだけど。」
「へ、あ、えっと!」
とんでもない声を出してしまって顔が熱い。たぶん顔が真っ赤になっているだろう私は、ひどく焦りながらエルヴィス様達と彼を見比べた。
レイモンド様が片手で口元を押さえて肩を縮めている。どうやら笑っているらしい。
早くこの方の質問に答えなければ。えっと、どういう事か?…どういう事かとは??この方はまさか、私の知り合いなの?
あちらはエルヴィス様とレイモンド様で、私はアメで、貴方は誰?
知りたい。なんというお名前なのか、どうして守るように立ってくださるのか。
きっと高貴な方だから無礼のないようにしなければ、でも知り合いなら私の名前は知っているのかしら?それとも初対面?
まずは答えなければと思うのに、緊張と羞恥と焦りで何がなんだかわからない。心臓は早鐘のように鳴っていて、彼の視線に耐えられない私はとにかく口を開いた。
「あ、あぁああの!」
「うん。」
「わ、私はアメといいます。あな、貴方のお名前を…お、教えてくらしゃいっ!」
「……は?」
「――ふはっ!くっ、だっははははは!!」
レイモンド様が膝から崩れ落ちて大笑いしている。
舌が上手く回らなかった上にちょっぴり噛んでしまって、私はもう涙目だった。失礼だし恥ずかしい。
俯いた視界の中、彼が片膝をつく。
指先が僅かに私の頬へ触れた。その意味するところをなぜかすぐに理解して、私はそっと顔を上げる。
「ぁ……」
近くて恥ずかしくて、戸惑いの声が出た。
気遣わしげに細められた彼の目に、私が映りこんでいて。どんどん顔に熱が集まっていく。だって同年代の男の子なんて見つめ合うどころか、話した記憶すらない。いきなり至近距離で会話なんて無理に決まっている。それもこんな…す、素敵な方と……。
つい恥じ入って目をそらし、自分を守るように胸元で両手を握った。手の中に小さな石の感触があるけれど、気にするどころではない。
「顔が赤い…熱でも?」
わぁあ、そっ、そんな優しい声で囁かないで!
「さっきのは本気で言っているのか。なぜその服を着てる。ここは?あいつらは何だ。」
彼自身に参っているのに矢継ぎ早に質問され、私の頭はパンクしかけた。
万一微笑みかけられでもしたら、心臓が止まってしまうかもしれないと察し――この方が微笑む?そんな事あるのだろうか。わからない。直視できない。
「っあの、ち、近いです……恥ずかしい、ので、もう少し離れて…!」
「恥ずかしい?…正気か?」
そこで正気を疑われるの?どうして!?
びっくりして思わず彼を見ると、ものすごく怪訝そうに眉を顰めておいでだった。私そんなに変な事を言ったかしら――…って、あら?
私はぱちりと瞬き、まじまじと彼を見た。慣れた金色が不機嫌に睨み返してくる。
もしかしなくても貴方はアベルでは?
二度瞬いて、首を傾げた。
「……どうして貴方がここに?」
「…知らないよ。」
アベルは呆れ果てたような声で言って、私の手に自分の手を重ねる。なぜそうするのかしらと不思議に思いながら、もう一度彼の瞳を見上げた。
「帰るよ。■■■■」
最初に目に入ったのは、自分の左手に重なった誰かの右手だった。
金糸で刺繍が施された黒地の袖から腕、肩とたどれば淡い青色のマント。私の身体を斜めに横断するようにして、誰かが覆いかぶさっている。
目が覚めてそんな状況なら、本当は大声で人を呼びながら逃げるべきだろう。
でもどうしてか安心感が強くて、ぼんやりした頭で誰かしらと考える。
触れた手の温もりに、微かに漂う香りに、覚えがあって。
あら?と瞬けば、少し意識がはっきりしてきた。
ここは私の部屋で、ベッドの上だ。開け放たれた窓から夜空が見える。額縁に敷いたふわふわの絨毯の上には、私にのしかかったままぴくりとも動かない人の足先が引っかかっていた。どう見ても本人の意思でこうなったわけではなさそうだ。
例えば額縁に膝をついて、私の左手に触った瞬間に気絶したら…こちらの方が低いわけだから、倒れ込んでこうなるかも?
――…そんな事ってあるかしら?
だって、彼に限ってその状況で気絶しないでしょう。
もしくは、よっぽど疲れていて眠ってしまった?格好を見るに、着替える暇もないほど忙しかったと思うけれど……意識を保てない危険があったら、ここへ来ると思えない。
我ながら冷静でいられるのは、私達の身体の間に辛うじて布団が挟まっているからだ。
私は確か、布団を肩にかけるようにして額縁の前へ座っていた。そのまま寝てしまって左へぱたりと倒れ、やって来た彼はきっと、放置したら私が風邪を引くと思ったのだろう。厚着しているとはいえ、身体の前側には布団がないから。
それで、左手の中にはネックレスがあるから、ひとまず避難させようとした……とか?辻褄は合っている気がするけれど、なぜ倒れたのかはわからない。
「……アベル?」
小さく呼んでみたものの、反応はなかった。
顔を少し右へ向けると、肩のそばに予想通りの黒髪が見える。閉じられた右目も。睫毛が長いな、と呑気に考えた。
右腕は布団越しにアベルがのしかかっていて動かせない。
仕方ないので、左手の指でとんとん、と彼の手の甲を叩く。私達が手を繋いでいる時、アベルがたまにやる事だ。私がするのは初めてかもしれない。
「ね、このままだと貴方が風邪を引くわ。」
それ以前にも色々と大きな問題があるけれど。
正直貴方じゃなかったら、叫んで窓の外へ投げ飛ばしていたかもしれない。
眉根を寄せて、アベルは「んん」と呻いた。意外と眠りが深いのかしら。重なっていた手がぴくりと動いて、包むように握られる。やっぱり寒かったのか、身じろぎした彼は私の肩口に擦り寄った。
眉に込められた力がふっと抜けるのを見ると、可愛くも思え――いえ、さすがにこれ以上は恥ずかしい。私の限界だ。意識すると緊張して身体が固くなる。
「ぁ、あの…。」
ついでに声も出づらくなった。
私は意を決して、ちょっと左を向いていた上半身をしっかり仰向けにする。これで首に負担をかけずに右を見る事ができた――瞬間、身体が大きく揺れたせいだろう、至近距離で目が合った。
…。
「なっ――…!?」
彼は目を見開き、勢いよく起き上がろうとしてバランスを崩した。両方の足先が額縁に上がっているから当然と言える。突っ張った両腕を絶対に曲げないという固い意志のもと、代わりに左膝が私の身体を跨いで布団を踏んだ。
それはまるでアベルが私を押し倒したような格好で、ここでメリルが「朝ですよ」なんて扉を開けたら、とんでもない大騒ぎになっていた事でしょう。
幸いにもまだそんな時間ではなく、メリルだって扉の鍵を開ける前にはノックをする。
私を見下ろしたアベルの目が部屋の中、そして窓へと素早く移り、もう一度目が合った後で片手を繋いでいる事に気付いた。磁石でも弾かれたのかという勢いで離れる手を見送りながら、自分より焦っている人を見ると、こちらの焦りは落ち着くものなのかもしれない……などと思う。
それに、気付くのが遅れた割には、彼は起き上がる時私の手に体重をかけたりはしなかった。無意識にそんな事ができるのだから……本当に優しいひと。
しみじみする私とは違い、アベルは動揺のままに額縁へ逃げ込んだ。置いてあったクッションを外へ落としそうになって慌てて掴んでいる。身を起こしたところでそのクッションを押し付けられたので、ひとまずお腹のあたりに抱えた。
「…何で寝て…お前はどうして、……!?」
「おはよう、アベル。」
すっかり混乱しているのがちょっと微笑ましくて、ついくすりと笑ってしまった。
外へ落ちないギリギリに片膝をついている第二王子殿下は、周囲に目をはしらせてから深いため息をつく。そして沈痛な面持ちで片手を胸にあて、
「………失礼した。」
なんと頭を下げた。
びっくりした私の前で壁に寄りかかり、脱力してずるずると額縁に座り込む。
「そ、そこまで気にし、なくていいとも言い難いけれど…」
「ウィルに絶縁される……」
「え!?そんなはずないでしょう。」
「寝具の上でお前にかぶさるなど禁忌も禁忌だ。なぜ寝た…?俺はただ、お前が声を掛けても揺すってもまったく反応しないから、妙だと……」
「ご、ごめんなさい…」
私ったらそんなに寝起きが悪かったかしら。
しゅんと肩を落として反省していると、アベルはもう一度ため息を吐いてから私を見やった。ひどく訝しげに眉を顰めておられる。
「言い訳ではなく、俺にそこまでの眠気はなかった。絶対だ。……それに何か込めたのか?」
「これ?」
私は左手に持っているネックレスを軽く掲げる。
アベルが言うには、本当にこれに触った瞬間から記憶がないらしい。そんな馬鹿な。
「魔力を込めたりはしなかったはずだけれど…どうだったかしら。お祈りはしたような…寝てしまう前の事、あまり覚えていなくって……」
「…少し見てもいいか。」
「はい。」
すぐに渡そうとしたけれど、アベルはハッとして手を引っ込めた。真剣な顔をして私を見る。
「もし俺が気絶したら、刺してでも起こせ。」
「嫌よ…」
何を言ってるの、この人は。
「これを渡しておく。大丈夫だとは思うが念のためだ、口は塞いで刺せ。」
「嫌って言ってるでしょう。」
「反射でお前を噛むような事はないはずだが、手ではなく布を使っ」
「貴方を刺すのが嫌だと言ってるの!」
深刻そうにナイフを置かれても困る。
押し問答の最中、面倒になった私は強引にネックレスをアベルの手に押し付けた。気絶しなかったので、彼は険しい表情でアメジストを観察し始める。
…見てわかるの?なんて聞いてはいけない。
気絶したら刺せなんて言ってくるあたり、恐らくまだ動揺しているのだ。見た目は平静そのものだけど。
「変わりはないな。そもそもこれには俺が魔力を…いや、もう発動したのか。あれは。」
「えぇ。バサム山で戦闘になった時、例のスキルを受けずに済んだのはそのお陰だもの。」
立てば不安定な上に目線が高くなってしまうので、私はベッドに座ったまま居住まいを正した。静かに礼をした後、目を合わせて微笑む。
「ずっとお礼を言いたかったわ……ありがとう、アベル。貴方の魔法がなければ、私達は帰ってこられなかったかもしれない。」
心から感謝を伝えた私を見つめ、彼は少しだけ眉を顰めた。




