222.睡郷の君
大混乱の一言である。
金髪碧眼で十代後半くらいまで若返ったお父様が――いえいえ、そんな事あるわけないでしょう。私は一歩、二歩とよろめきながら後ずさる。いったい何者なの、この方は。
「…答えてもらおうか。君は誰だ」
「っ!」
すらりと剣を抜かれて、私は反射的に右手を胸元にやった。外着ならば大体仕込んでいるはずのナイフの感触がない。下を見ると、狩猟の時に城で頂いた白いドレスを着ていた。セットの靴もだ。
草原を歩くにはよろしくないわね、と頭の片隅で思いながら、私はますます混乱し――前にもこんな事があったと、唐突に思い出す。
『あたしは■■■・■■■■。ん?■■■――あれ、名前が話せないな。妖精さんは?』
なぜ、忘れていたのだろう。
あんなに強烈な出会いだったのに。
前方は草原。
辺りを見回すと、ほんの数メートル後ろに大きな樹が一本立っていた。影が後ろへ向かって伸びているから気付かなかったわ。あとはさらに十数メートル後ろに幅の広い川が流れている。
人はお父様似の彼以外に見当たらない。
せめてあの時会った女性、ヒスイさんがいれば…と思ったのだけれど。彼女は山の中にいたから、ここにはいないのかもしれない。
「仲間でも探しているのか。そもそもどこから現れた?何だその格好は。」
「そ、そう言われましても」
私は焦る心を落ち着かせながら、お父様のそっくりさんに向き直る。
剣を下段に構えて油断なくこちらを観察しているけど、私が少女だからか、怪しんではいても敵と確信したわけではないらしい。
大丈夫、きっと話を聞いてもらえる。
そうは思いつつも不安で両手を握り締めようとして、私は左手に何かあると気付いた。目を落とすと、アベルに貰ったネックレスがきらりと光る。軽く握り直して、深呼吸を一つ。
「私は、なぜ自分がここにいるかはわかりません。」
「何?」
「部屋にいたはずが、気付いた時には――」
そこまで言った時点で男の人は顔色を変えた。
「君の意思ではないと?ならば直前に男を見なかったか、瞳が赤い男だ。」
構えをといてズンズンと近付いてくる。
お父様そっくりとはいえ、知らない男性との距離が詰まるのは少し怖い。私は再び数歩後退した。それが怯えたように見えたのか、彼は気まずそうな顔で立ち止まる。
「…怖がらせる気はないが、逃げないでくれ。追わないといけなくなる。」
「す、すみません。そのように詰め寄られますと、つい」
「詰め寄っ…たつもりは、なかった。すまない。」
「ぶはっ!くくく…」
頭の上の方から笑い声がして、瞬いた。
何事かと見上げれば、木の枝に一人の男性が腰かけている。お父様のそっくりさんと同じく簡素な騎士服にローブを羽織ったその人は、枝に片手をついて軽やかに飛び降り、着地した。
絶句する私を置いて二人が言い合いを始める。
「何を笑っておられるのですか!この子は気付いていなかったのだから、出てこないでください!!」
「くはははは!!笑うなと?あっはっは、無茶を言うな、エルヴィス!」
彼のフードは下ろされていて、後ろで一つにまとめた艶やかな白銀の髪が、太陽の光に反射して輝いていた。
自信に満ちた顔、にやりと笑って見える歯は鋭く、つり目の中にある瞳は――白い。
アクレイギア帝国第一皇子、ジークハルト・ユストゥス・ローエンシュタイン殿下。
……の、そっくりさんという事になるだろう。
あぁ、ますます状況がわからない。
「お前がこのような小娘相手に、っくく、すまないだの逃げないでくれだの…!っはぁ、よい。続けろ。滑稽…いや、面白いぞ。」
「そのような場所で寝転がらないでください!この者が敵だったらどうするのですか!!」
「小娘一人、お前が立っていれば充分であろう。」
「だとしてもです!」
まるでお父様がジークハルト殿下の面倒を見ているかのような光景だ。
殿下のそっくりさんは怠そうにしつつも、寝転ぶのをやめて草の上に胡坐をかいた。
――ちょっと待って。
「なにこれ」の一言に塗り潰されそうだった思考を立て直す。
さっき、あの方はなんと言った?お父様に似た彼の事をエルヴィスと呼んだの?
「娘、貴様も座れ。」
「は…はい!」
笑顔でありつつも有無を言わせぬジークハルト殿下…のそっくりさんに従い、私は大人しくドレスの裾を整えて草原に両膝をついた。もし汚れても気にしなくていいだろう、ほぼ確実にこれは夢だ。
エルヴィス様はまだ警戒の残る目で私を見ながらも、剣を納めて片膝をついた。
「それで、君はどこの者なんだ。」
「…聞こえると、よいのですが…」
ヒスイさんと話した時の事を考えると、どうなのかしら。
部分的に声が途絶え、お互いの名前など固有名詞のやり取りができなかったはずだ。夢なのだから何も問題ないかもしれないけれど。
「私は■■■■■■王国から参りました。」
「あァ?」
やはり、出したはずの声が聞こえない。殿下のそっくりさんは不快そうに片眉を跳ね上げた。
重ねて証明するために私は言葉を続ける。夢であろうと、殿下とお父様の姿をとった彼らが鈍感であるはずがないと思ったから。
「■■■■■■王国です。」
不快を示していた柳眉は、すぐに怪訝なものに変わった。
「やはり声が出ていないようですが……名は■■■■と申します。」
「…ほう?」
にやりと、殿下のそっくりさんが笑う。
「実は以前も気付いたら知らない場所にいたのですが、その時出会った方も、私の名が聞き取れなかったのです。反対にその方の名前も聞こえず――ただ、さきほどエルヴィス様のお名前は聞き取れました。なぜかは存じませんが。」
「……そういった…アレはあるのですか?」
エルヴィス様はぎゅっと眉を顰め、神妙な顔でジークハルト殿下のそっくりさんに聞いた。
白銀の髪をさらりと揺らして、彼は至極楽しそうな顔で小首を傾げる。
「さァな……何せあの阿呆のような使い手もいる。特定の言葉を縛る魔法もあるかもしれん。」
「……俺は敢えて伏せたのですが?」
「伏せんでいいさ。もう魔法を禁じる者などいないのだからな。」
「しかし…」
何も部外者の前で言わなくても、とエルヴィス様の青い瞳が言っていた。
彼らの会話は「特殊なスキルの影響かもしれない」というだけのはずだけれど……魔法を禁じる者?我ながら変な夢だ。
明晰夢として割り切ろうと、私は真剣な顔で二人に向き直った。
「あの……たぶんこれは私が見ている夢だと思って、お伺いするのですが。」
「は?」
「くはっ!」
エルヴィス様が思いきり顔を歪めて聞き返し、殿下のそっくりさんがまたしても笑い出す。
「夢!はは、夢ときたか!よかろう。何でも聞くがいい、娘。」
「ありがとうございます。では…エルヴィス様は私のお父様にそっくりですし、そちらの方は帝国の■■■■■■殿下によく似ております。これは、お二人がきっと仲良くやれるという啓示なのでしょうか。」
「…夢の住人を相手に、随分と現実めいた話を聞くのだな、お前の娘は。」
「……俺の娘ではありません。」
すん、と真顔になって言う彼に、エルヴィス様が苦々しく返した。お父様に言われたらショックだけれど、お姿も声も若い別人なので胸は痛まない。夢なので余計に。
ジークハルト殿下とウィル達は上手くやれていたようだから、お父様も彼と交流を深めてくださるなら、二国間はしばらく安泰だろう。
ただ、それならそのままのお姿と名前で出てきてくださればいいものを。
お父様似の方はよりによって《エルヴィス》様、なんて……その名はあまりに畏れ多くて、それそのまま子に名付ける親などいないのだ。
まだ名前のわからない殿下のそっくりさんは、考えるように視線を空へ投げた。
「貴様の事も知らんのに、親父の事など猶更知らん。しかし……帝国とはまた、何の話をしているのか。よほど遠い地から飛ばされてきたのかもしれんな。知らぬ土地から…ふむ……」
「レイ…ゴホン。面白がっておられますか?まさかとは思いますが、この娘を同行させるなどと」
「ん?あァ、自己紹介がまだだったな。余はレイモンド・アーチャーという。」
「レイモンド様っ!伏せたんですよ、俺は!!」
「母方の姓だ、問題なかろう。」
しれっと返すレイモンド様に、エルヴィス様は顔を赤くしてぷんぷん怒っている。
私は咄嗟に返事もできなかった。
レイモンド・アーチャー。
それは……我が家の初代様のお名前だ。
「どうだ、娘。聞こえたか?」
「は…はい。聞こえました。あの、失礼ながらエルヴィス様のご家名は…」
おずおずしながら尋ねると、エルヴィス様は深いため息を吐いてから私に向き直る。金色の髪に、青い瞳。ウィルと近しい色だった。
「レヴァイン。俺はエルヴィス・レヴァインだ。……君の事は、なんと呼べばいいだろうか。」
「そっ、そうですね。以前お会いした方は、私をアメと呼びました。宝石のアメジストから取って…」
ほとんど脊髄反射のようにつらつら話しながら、私はこれがどういう夢かを正確に理解した。
エルヴィス・レヴァインは建国の騎士様の名前だ。初代国王陛下。
私は今かの有名な、月の女神様と共に戦ったとされる方々を、勝手に知り合いの顔立ちをあてはめて夢見ているらしい。
とても面白いとは思いつつ――ものすごく、不敬なのでは。それになぜ国王になるはずのエルヴィス様が、私のご先祖様に仕えている設定なのだろう。
「アメジストか、なるほど。」
レイモンド様が私の目をじぃっと見て言う。
白い瞳を大人しく見つめ返すと、彼は楽しそうに目を細めた。本当にそっくり。
「アメよ。貴様のような幼子で、余の瞳を恐れぬ者は少ない。中々気に入ったぞ」
「以前、同じ色を持つ方にお会いしたので…」
言いかけて、口を閉じる。それは誰の事だったかしら。
「ほう?先程言っていた、帝国の何某か。」
「…はい。」
そうだった。帝国の……あれ?
帝国、とは?
――あぁ、そうか。
私今、思い出せなくなったのね。前もそうだった。前、が何だったのか、もうわからないけれど。
大丈夫だったはずだわ、確か。
忘れてしまったけど、問題なかったはず。
「ここは夢の中だから」
青空を見つめて呟いた私を、レイモンド様とエルヴィス様が不審そうに見る。
私はどこから来たのだったか、名前は何だったかしら。お二人の名を聞いて驚いたのはなぜ?
「どうかしたのか?」
「記憶が、どんどん無くなっている気がして…でも、夢だから大丈夫です。」
「何だと?…おい、しっかりしろ。ここは夢ではないぞ」
エルヴィス様が険しい表情で私の肩を掴む。
風邪を引いた私を心配してくれた時の、お父様みたい……お父様?って、どんな方だったかしら。
「平気です。目が覚めたらきっと、元通りになるから…」
左手が温かい。
そういえば何を握っていたのかと思った瞬間、エルヴィス様が飛び退って剣を抜いた。
「え?」
気付けばレイモンド様も私から距離を取り、笑みを薄めて剣の柄に手をあてている。
二人の視線は私の左。
手が離されて、そちらを見た。




