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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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221/525

220.上手く使いなよ




 火が



「あぁあ゛ああ゛あ゛あ!!!」



 火が、滲んだ視界を埋め尽くしている。

 揺らめいている色が、鼻につく焦げた匂いが、肌を焼く熱さが、この身を喰らい尽くすようで。


「これは熱いなぁ。けほっ。」


 どうして、全部消せばいいのに消せないのか


「ねぇ、君は優しい子だね。」


 どうして、殺せばいいのに殺せないのか


「ボクが嫌な事を言ったんだろうに、ボクを避けようとしてる。」


 どうしてこの目は彼を見ようとせず

 どうしてこの手は彼を撃とうとせず

 どうしてこの足は彼を潰そうとせず


「あちち。お菓子を火であっためるの、ゲホッゴホッ、上手くいかないなぁ。」


 なぜ彼は逃げない?


「最後に教えてよ。名前は?」

「――っはぁ、はぁ゛ッ、う゛ぁあああ゛あ!!」


 怖い、怖い!

 あの人は怖い!喋らないで、何も言わないで!黙っていて、永遠に!!


「う゛~ん、ゴホッ……外が騒がしいね。」


 駄目だ、死んで、燃えちゃえ全部、嫌だ、誰かたすけて


「扉、歪んだか…ゲホゲホ、溶けだのかな?」


 嫌なんだ、助けて

 違う、私がやった事、この人、だけでも


 燃えて死んでしまえ!!


「ッ…ぐ、う゛ぅ……」


 痛みを

 視界が明滅するような痛みを、与えなければ。

 そう、しなければ。私は、私を保てなくなりそうだ。


 だって同じだよ。


「大丈夫かい?って言うボクも…わ゛ぉ!髪って焦げるとゴホゴホ、ひどい匂いだ!」


 あの時もひどい匂いだった。

 涙が出て息が苦しくて痛くて怖くてそれは真っ黒になって動かなくなって死んでいたんだ。


 おかしいよね、私はそれのために居たのに。


 でも彼は助けてくれた。

 きれいな女神様は来てくれないけど、血まみれの彼は来てくれた。

 笑顔の女神様なんていなくて、ただ私を見る彼がいた。


 そして、私に手を差し伸べて。



『話すのは初めてだね。僕はアベル。君は?』



「――……。」


 報いなければ。

 倒れていたらしい自分の身体を震える腕で支え起こし、ソファに座っている男を睨む。

 逃がさなくては。炎と煙が充満したこの部屋から。


「ゲホッ…姿勢を、低く。逃げ、っ逃げで、くださ……」

「どうして?」


 は?


「何でボクが逃げるんだい?ゴホッ。」


 ――ッこの、狂人め!!

 人がせっかく、……落ち着け、放っておいて水を、水の魔法、を使えば


「ごほっごほ、せん、宣、言……」


 熱い。

 遠くでずっと聞こえていた、扉を叩く音が。いつの間にか途切れている。

 額から流れる血が目に入り込み、視界が濁っていく。


「み、ず…この、火を」


 暴走による魔力の枯渇、精神的苦痛、貧血、あるいは煙の吸い過ぎか。

 失われていく判断力とは別に、頭が勝手に並べ立てていく内の、どれが正しい理由だろうか。

 目の前が霞む。

 腕から力が抜け、視界が揺らぐ。


 痛みも苦しみもあるのに意識は薄れていく。

 気絶しては駄目だ、私は……まだ……




 急に、身体が冷たくなった。




「ぷへっ、ぺっ、何だい急に!お菓子までびちょ濡れだ!」


 痛い…寒い。

 複数の足音が響いてくる。


「宣言。風よ窓の外へ!」

「画商は気絶しているだけのようです、そちらは――」

「入るな!!上級医師を連れてきて。早く」

「ですがまだ状況が」

「殿下の指示通りに!それとも…俺達に逆らう気?」

「っすぐに!」


 助かったの、だろうか。

 起き上がるどころか、目を開ける気力もない。

 誰かが駆け寄って来て、額に布が押し当てられた。


「しっかりしろ、サディアス!一体何が…」

「ウィル様、止血は私がやろう。」

「頼む、セシリア。」

「チェスター、ヘイウッド。誰も入れるな」

「了解!」

「承知致しました。」

「パーセル、終わったなら君も出て。こっちの男は問題ない」


 聞き覚えのある声が、名前が、飛び交っている。

 私はまだ重たい瞼を開けられずにいた。泥沼に半身が浸かっているようだった。

 目を開ければ現実を見なければならないから、弱い私は自ら深く沈んでいく。


「一体何があったんだ?」


 ウィルフレッド様の声を最後に、私の意識は途切れた。




 ◇




 ギャビーが火を恐れない事を確かめてから、ウィルフレッドは魔法で火を灯す。以前、馬車の中でアベルとサディアスを乾かしてやったように。

 何があったのか聞かれたギャビーは、水の滴る片手を軽く広げるようにして答えた。


「ボクは彼が誰なのか聞いただけだよ。フラヴィオはサディアス・ニクソンと間違えていたけど。」

「……?どういう…」

「でも聞かれたくなかったのかな、いきなり火がバンッと部屋のあちこちで…は…ふひ…へぶしゅっ!」

 盛大なくしゃみを吐いて、ギャビーはソファに座ったままモゾモゾと身じろぎする。そして近くに浮いている火の玉に目を留め、しけったクッキーをかざして乾かそうと試みた。

 膝下まであった太い三つ編みは腰くらいまで焦げてしまったというのに、本人にはまったく気にした様子がない。


 アベルは気絶したサディアスをギャビーとは反対のソファに寝かせた。空中に浮かせた熱源を意識してそちらへも寄せながら、ウィルフレッドは眉を顰める。


 ――状況的には魔力の暴走に見えるけど…でも、あのサディアスに限ってそんな事があるのか?名を聞かれただけで?……ウェイバリーの言葉にアベルは反応してないな。…俺が知らない話か。


「見たところ、君に直撃はしなかったんだよね。」

 ギャビーが腰かけているソファのひじ掛けがよく焼けており、焦げた三つ編みの先はそこにあったようだ。燃え移ったと見る方が自然だろう。

 アベルの問いに、ギャビーはあっさりと頷いた。


「うん。それよりどうしてか自分で頭を床にぶつけてて、痛そうだったなぁ。起きたら、止めた方がいいと思うって伝えてくれるかい。ボク、あんまり血は見たくないんだ。」

「…貴方は随分と落ち着いているようだけど、逃げようとは思わなかったのか?これだけ部屋が燃えていたのに、座ったままで……。」

「彼にも言われたなぁ、逃げて下さいって。ボクは、どうしてって返したけど。」

「えっ。ど、どうしてって。」

 命の危機にどうもこうもないだろうと、ウィルフレッドは青色の瞳を丸くする。つい助けを求めて弟を見ると、彼は小さく頭を横に振った。


「この男は、ナイフを持った相手に押さえつけられても抵抗しない。」

「…それはまた、とんでもない事だな…。」

 もちろん恐怖で抵抗できないという話ではなく、今のようにあっけらかんとしているのだろう。肖像画のために王家揃った部屋で会った時にも変わり者だと思ったが、予想以上だ。

 ウィルフレッドはコホンと一つ咳をして、真剣な表情でギャビーに問いかけた。


「ウェイバリー、貴方は彼に対して罰を望んでいるか。」

「忘れてしまったのかい、第一王子くん。ボクの事はギャビーと呼んでくれ、ギャビーと。」

「わかった、ギャビー。それで答えは?」

「罰ね。どうしてそんな事を?きっとボクの言葉が原因だし、生きてるし、部屋は燃えてるし、ヘッグシュ!……あ゛ぁ、寒いけど、それだけの事だよ。」

 アベルとウィルフレッドはちらりと視線を交わした。

 ギャビーにはサディアスを糾弾するつもりがなく、嘘を吐いているようにも見えない。しかし診察と治療をもって終わりとするわけにはいかないだろう。

 燃えた部屋がある以上「何もありませんでした」は通じないし、廊下を警備していた二名の騎士がサディアスの入室を確認している。彼らはアベルが部屋に踏み込ませなかったため、サディアスが気絶した事はまだ知らないけれど。


「…ウィル。()()()()()()()()()()()だけど、部屋はこの有様だし、窓から出た煙は街の者にも見えたはずだ。」

「あぁ、確かに何か唱えてたね、彼。みず、って。」

 ギャビーが同意する。

 アベルは表情を一切変えないまま、好都合だと考えた。 


 突入直後、菓子が濡れた事に対しギャビーが文句を言った時点で、「水の魔法を発動したのはサディアスだ」と全員が認識したはずだ。

 廊下側にいた者は誰一人として、室内を消火させるような宣言を唱えていなかったのだから。扉を破壊した瞬間、すなわち発動の瞬間に「発動すべき範囲を視認」できたのは、魔法が使えないアベルだけ。


 魔力の暴走中であれば宣言無しで発動する事もあるため、元より問題はなかったが、ギャビーはサディアスの宣言を聞いたと言った。状況的に他の者は不可能である事に加え、被害者側からの証言。ここはもう揺らがないだろう。


「この部屋でなぜ、何が起きたのか。扉を開くまでに決めないといけない。」


 言いながらアベルが見やった先には、歪な氷の壁。

 壊した扉の代わりにチェスターが張った物だ。ヴィクター、セシリアと共に、駆け付けた騎士達を廊下で止めてくれている。

 ウィルフレッドは考え込むように顎に手をあてた。時間はあまりない。


「…ギャビー、貴方は口を噤めるだろうか。」

「何についてだい?」

「今日ここで何があったのか聞かれても、《大した事はなかった》としか返さない……と誓う事はできるかな。下手をすると、貴方の命にも関わるんだ。」

「へぇ、そうなんだ。」

 ギャビーはちょっぴり乾いた様子のクッキーをぱくんと口に入れ、咀嚼した。

 そのどうでもよさそうな反応に、本当に己の命を気にしないのだと、ウィルフレッドは内心困惑する。死を恐れない者ほど厄介な事はない。王家揃い踏みの中で一切緊張した様子の無かった彼には、権力も意味がない。


 サディアスが魔力の暴走を起こした。

 その事実だけでニクソン公爵家の名に傷がつく。それに対して公爵がどう動くか、被害者であり証言ができてしまうギャビーが無事でいられるかは不明だ。

 ギャビーのこの性格では、頷いたところで本当に黙っていられるか怪しい。手段を選ばない場合、殺した方が確実だと思われるだろう人間だった。


「――女神像は、場所によって一般人は立入禁止になっている事がある。」


 アベルが呟くように言う。

 一瞬、何を急にとウィルフレッドは思ったが、ギャビーの青緑の瞳が一気に輝く瞬間を見た。この画家は、国のあちこちを旅して女神像を描いてきたのだ。

 それは画集を出せる程の量でこそあれ、「全て」ではない。ウィルフレッドはなるほどと察してギャビーに頷いてみせた。


「俺達で口を利ける範囲であれば、協力してもいい。」

「本当かい!?それはものすごく助かるなぁ!」

「ただし先程言ったように、今日の事に一生口を噤めるならだ。見張りもつけさせてもらうよ。」

「…それと、彼の名はサディアス・ニクソンで合ってる。第二王子である僕が保証しよう。」

「何だっていいとも、まだ見ぬ女神像を描けるなら!」

 ギャビーは喜色満面の笑みを浮かべ、上機嫌に水浸しのクッキーを数個掴んだ。ポイと口の中に放り込み、咀嚼し始める。

 立入禁止区域の女神像というだけで既に候補があるらしく、彼は地名をつらつらと並べて「どれにしようかな」と言い始めた。


 ギャビーの意識が逸れた事を確認し、アベルはウィルフレッドと共に彼から距離を取る。気付かれぬよう無言のまま風の魔法で防音を張った。


「隠すのは《暴走》の事実でいいよね、ウィル。」

「あぁ。サディアスが燃やした事を隠すのは難しいだろう」

「ほとぼりが冷め、サディアスが次期公爵として落ち着くまでは騎士を。……公爵に暴走がバレたら、見張りどころか護衛の意味が強くなる。」

「…賛成だけど、そこまでの手段を取るだろうか。」

「あるいは、公爵に後ろ盾になってもらっている貴族の《気遣い》だね。」

 アベルの言葉に、ウィルフレッドは僅かに眉を顰めつつ頷いた。

 後はサディアス自身が公爵へ報告してしまう可能性もあるので、それも先に口止めしなくてはならない。


「しかし理由付けはどうするかな……暴走でもなしに、サディアスが火の魔法を失敗するとは考えられないだろう?」

「僕が命令した事にすればいい。理由は絵のために集まった時の不敬で充分だ。」

「な…お前がかぶるくらいなら俺だろう!」

 サディアスは自分の従者なのだからとウィルフレッドは言ったが、アベルは悪い笑みを浮かべ、久し振りに兄を鼻で笑った。


「ふっ、ウィルが不敬を理由に画家を脅させたって?不自然が過ぎるでしょ。庇ってますと叫ぶようなものだ。」

「うぐ…」

「僕ならあり得る。――上手く使いなよ。ウィル」




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