213.愛かもしれない
ツイーディア王国内某所。
アンティーク調の高級家具が揃った広い部屋で、座っているのは中央に置かれたテーブルを挟んで向かい合う二人だけだった。ぴしりと背筋を伸ばした三十代後半の男性と、だらりと背もたれに寄りかかって脚を組んでいる少年。それぞれの護衛だろう男達はソファの背後に控えている。
「随分と勝手な真似をしてくださいましたね。」
冷静な、しかし怒りの滲む声で男性が言った。
腰まで真っ直ぐに伸びた紺色の髪は左側だけ耳にかけており、凍てつくような水色の瞳が正面に座る少年を睨みつける。
ツイーディア王国五公爵の一人、法務大臣ジョシュア・ニクソン公爵その人だ。
「何の話だ?オレ、仕事はちゃ~んとやったけど。」
張り詰めた空気にも物怖じする事なく、少年は楽しそうな笑みすら浮かべてそう返す。
日に焼けた浅黒い肌と、跳ね広がった黄色のポニーテール。垂れ目の中にある瞳は左が緑、右が黒のオッドアイだ。
織物と情熱的な舞踊の国、ソレイユ王国が第三王子、リュド・メルヒオール・サンデルス。自国内や公務の時に身に付けている伝統衣装は今は着ておらず、質素なコートの上にローブを羽織っている。フードをかぶって明るい髪色や特異な瞳を隠してしまえば、人の多い街では目立たないだろう。
「実際に手を下すのはそっち。オレはスキルの効果が発動するまでがお仕事。だろ?」
「えぇ、契約通りに。」
「殺せなかったのはさ、あんたの手下が弱かったってハナシ。あぁそれと、情報不足?」
からかうように言って、リュドは意地悪くニヤリと笑みを作った。
聞いていた騎士の数は馬車の守りが十人、そこに隠密二班を加えて合計十八人。
魔獣を使って隠密班をあぶり出したリュド達は、それでもう邪魔される事なく落ち着いて公爵一行を崖下へ落とせるはずだった。
「女騎士がシャロンとかチェスター連れて来るの、知らなかったんだろ?信用されてないんだな、公爵様。」
「私が言っているのは、なぜ貴方が魔獣を使えるかという話です。」
「あぁそっちか!ツテがあるの言ってなかったもんな、そういえば。」
「魔獣に王都を襲わせるという話も聞いた覚えがありません。」
「はは、何だそれ。俺も聞いた覚えないな!そんな事になってたのか?」
けらけらと笑うリュドに、ジョシュアは眉根を寄せた。
この王子は魔獣を所有する別の組織に伝手があり、王都襲撃はその組織が勝手にやった事だと、そう言いたいらしい。
「夜教ですね?」
「さぁ?オレは一人としか喋ってないから、そっちの事情はよく知らねぇんだ。」
「計画の実行日時を勝手に漏らした事は認めますか。」
「だって魔獣貰う方が手間省けていいじゃんか、必要経費ってやつ?あいつはあんたの事知らないから、たぶん大丈夫だと思うぜ。」
「たぶんでは困ります。王都襲撃に際してこちらは幾人か捕えておりますので、その中にいるなら処分しなければ、貴方の立場も怪しいのではありませんか。」
ジョシュアは淡々と意見を述べる。
あいつとやらが拷問でリュドの事を喋れば、ソレイユ王国を巻き込んでの大問題になるだろう。当然ジョシュアの身も危ない。リュドが騎士団や王の前で喋る前に口を塞ぐ必要すら出てきてしまう。
この王子がそう易々と捕まったり殺されたりするとも思えないが。
「あいつは絶対捕まってないからへーき。絶対にな。…ぷくく。」
理由を言う気がない顔でリュドは笑う。
ジョシュアは訝しげにほんの僅か目を細めたが、リュドの顔に確信が浮かんでいるのを見て短く息を吐いた。
ツイーディア王国を守る者として聞きたい事は多いが、彼を捕えて騎士団に突き出すわけにはいかない。伝手に関する情報提供も契約外だ。
「…わかりました。魔獣を使う輩は別の手で追うとしましょう。」
「なー、あんたって法務大臣なんだろ?何でそういうのもやってんの?」
「国を守るため、より強い国にするため。与えられた職務が何だろうと、王に仕える者がすべき事です。王子ならそれくらいわかりませんか、殿下。」
即答したジョシュアがあえてそう呼ぶと、リュドは口角を吊り上げて白い歯を見せる。
明るく無邪気で、残酷で不気味な笑顔。
「わかんないね。オレ、愛国心ってやつはまるで無いからさ。」
ソレイユ王国の暗部、そもそもは国内の政敵を排除するために作られた暗殺部隊は、やがて高額な依頼料で仕事を遂行する組織になった。三番目とはいえ王子が汚れ仕事につくなど本来ありえないが、生まれ持った能力とその性格ゆえにリュドは若くして入隊した。
放っておくと、使用人を遊び半分に嬲り殺してしまうからだ。
隠蔽工作も数が重なれば限界がくる。そちらに苦労するより定期的に玩具を与えようと、でなければいずれ自分達も殺されるのではないかと、ソレイユの上層部は考えたのである。
リュドは太腿にベルトで巻きつけていた短剣を抜き、テーブルに突き刺した。
「‘ 愛あれば死あり! ’――…国のためなら死ねるタイプの人?」
「最も貴い星のためならば、喜んで。貴方には理解しがたい事でしょう。」
「さみしーなー、オレと同じで愛とかわかんないんじゃなかった?」
下から覗き込むように首を傾げ、リュドはにやにやと笑っている。ジョシュアは無感情に左右で色の違う瞳を見返した。自分が抱えているものに愛という言葉は当てはまらない。
答えてくれないのかよとぼやいて、リュドは切っ先だけ埋まった短剣をテーブルから抜いた。くるりと回してから鞘に納める。
「再来月だっけ、みーんな学園に入るんだろ?あの王子達も、あんたの息子もさ。」
「それが何か。」
「オレも行けないかなって。どう?ウィルフレッド殺してやってもいいけど。もちろんバレないように。」
「…貴方に依頼はしません。今回の件で私にも探りが入ると思いますので。」
ジョシュアはにべもなく断った。
バサム山での暗殺が失敗に終わった事は本当に痛手だったのだ。
今まで対象が逃れた事は無いというリュドのスキル。
それをもってして殺せなかったのは、ジョシュアが依頼する際、後に利用する事を考えてチェスター・オークスは生かすようにと言ってしまった事にも原因がある。そしてダスティンとリュド両名の油断、情報不足、リュドのスキルを突破したシャロン・アーチャーの存在。
事前に対策を練るのは不可能だっただろう。
「えー!じゃあどうやって行けって言うんだよ。」
「自国できちんと手続きを取って留学なさればいいでしょう。もう二ヶ月もありませんから今年度は無理でしょうが。」
「だっりぃー……」
ずるずるとソファの上で滑り、リュドは目を閉じて大きくため息を吐いた。
暗殺組織を利用するような公爵の後押しがあれば、時間のない入学でも何とかなると思っていたのだ。当てが外れてしまった。
――自国の暗部そのものである貴方に、ソレイユ王が留学を許すとも思えませんが……この態度、恐らく上層部も手綱を握れていないのでしょうね。
ジョシュアは黙ってリュドを見ている。
気分屋の子供の相手は疲れるが、自分の能力に思い上がっている内は敵ではない。小娘にご自慢のスキルを突破されたというのに、リュドには気にした様子がないのだ。以前本人が言っていた通り、「楽しく遊べてればいい」のだろう。
魔法に精通したジョシュアは、彼のスキルを食らっても解除できる自信がある。
複合スキル――複数の属性が組み合わさって発動していると考えられるもの――と違い、リュドの《空間固定》は風の属性だけで構成されている。ならば、宣言を唱えずに強力な火の魔法を発動できればいいのだ。
ジョシュアは、火に限ってはそれができる。もちろん、コントロールはある程度失われるけれど。
宣言を唱えずに狙って魔法を発動させる事ができる人間は、非常に珍しいのだ。
リュドはシャロンが火の魔法を使って突破したと報告したが、それは死の迫った状況が小規模の魔力暴走を引き起こした為だろうと、ジョシュアは考えていた。つまりマグレだ。
もう一度スキルをかければ彼女に同じ真似はできなかっただろう。そもそも最適は水だと聞いているし、今後は学園に入ればますます宣言を唱える行程が染みつく。学べば学ぶほど、よほど感情が揺れない限り暴走もしにくくなるのだ。
「…我が国の学園にご興味がおありなのですか?」
「学園はどうでもいーんだけどさ、シャロンが欲しいんだよなぁ。」
人の良さそうな垂れ目で快活な笑みを浮かべ、リュドは願望を口にする。
初めて話した時の穏やかな微笑みを、殺そうとした時に見たあの目を思い浮かべた。
怯えを押し隠して強く在ろうとする目。
見ていると腹立たしい程に綺麗で、潰したい程に憎らしくて――この手に納めたくなる。
「彼女を?」
「夜会で聞いたな~、なんか。アベルどころか、帝国の皇子にまで気に入られて?次代の王妃候補で?踊ってるとこ見たけど、ウィルフレッドともチェスターとも、サディアスとも仲良いよな?」
ジョシュアは黙って続きを待った。
息子はアーチャー家にも、オークス家にすら上手く取り入っている。ジョシュアの手が届かない場所を探れる可能性をきちんと植えてきた、良き後継者だ。
「でもそれってオレには関係ないし。今は誰の物でもないんだから、オレが欲しいって言ってシャロンが頷けば問題ないだろ。」
――それで、またオレの物。
気分が高揚してきたのか、リュドは少し頬を赤らめて微笑んでいる。
ジョシュアは言い知れぬ寒気を感じて眉を顰めた。今回の事件に出しゃばってきた事は問題だが、基本的にシャロン・アーチャーは次期王妃として申し分ない能力を持っている。いずれ第二王子が王位を継いだ時、ジェニー・オークスとどちらが有用かなどわかりきっていた。オークス家にこれ以上権威を持たせるのもまずい。
「愛などわからない、とおっしゃっていた方とは思えませんね。」
「そうか?わかんねーけど、これが愛かもしれないだろ?今のオレが手に入れてみたら、結局どうなのかってトコがわかる気がするんだよなぁ。」
「父である特務大臣の許可も関わると思いますよ。……貴方の裏の顔をご存知でないと良いですね。」
「もしかしてオレの事話すつもりか?できないよな?オレは逆にあんたの裏の顔知ってんだもん。」
ニタリと笑うリュドを、ジョシュアは黙って見返している。
暗殺部隊の存在はまだしも、第三王子がそこに加わっていると知るまでにはかなりの時間を要した。高い依頼成功率が、彼の持つスキルによるものだと知る事も。黒く染まった道を深く辿らなければ知るはずもない情報。
いくら特務大臣とはいえ、エリオット・アーチャーとその部下はここまで闇深い道を歩けはしないだろう。
「……一つ忠告しておきますが。たとえ王子殿下だろうと、下手な真似をすれば彼は黙っていないでしょう。」
「別にいーよ。オレはさぁ」
どんな未来を思い浮かべているのか、リュドの目はひどく楽しそうに弧を描いた。
「試合に負けても、勝負に勝ってればそれでいいから。」




