211.いつも通りの笑顔
どういう事なの?
『昨日、王都が魔獣の群れに襲撃された。』
リビーさんはきっぱりとそう言った。
本来は魔獣の存在自体、ゲームのシナリオに登場するのは何年も後の話だ。狩猟の時に見た魔獣の外見は、ゲームに出てきたものとは違っていたし……。
本編は入学からなので、それ以前の事は殆ど情報がない…狩猟も、今回の王都襲撃も。
私が知らないだけでゲームでも起きていた出来事なのか、それともシナリオが変わって起きた事なのか。
バサム山の戦いにも魔獣が出たけれど、これは流石にシナリオには無い展開だったはず。チェスターのご両親が亡くなった時に魔獣が関わっていたなんて、ゲームでは語られていなかったし…あのオオカミ達が襲ったのなら、馬車は焼け焦げて痕跡が残ったはずだもの。
ゲームとの違い。
私の脳裏に、下町で主人公――カレンと出会った日の記憶が蘇る。彼女が魔力持ちだと発覚するイベント。
あの時も、シナリオでは襲ってくる馬は一頭のはずなのに、実際には三頭が彼女に迫った。カレンの傍にいるのはウィルだけのはずが、アベルもいて。ウィルが追い払うはずの子供達は、アベルを怖がって散っていった。
バサム山の件は明らかに私が干渉した。
前もってチェスターやアベルに事件の可能性を伝え、結果的に護衛が増えた。それが隠密で同行した二班だ。そして、私自身とチェスター、リビーさんも。
対する向こうはダスティン様と、顔と声を隠した少年。
ゲームであっさりと公爵夫妻が亡くなってしまった事、そして私の目の前で起きた事を考えれば、まず間違いなく元のシナリオでもあの少年が現場に居たはず。動きを止めた後にダスティン様が崖へ押し出すつもりだったようだから、その二人が揃っていたのは間違いないだろう。
仮面の男達の事までは、わからないけれど。
こちらの戦力が増すと、相手もそれに合わせて増えている…のかしら。
気になる事は他にもある。
『これ没収な。あぶねーから。』
ダスティン・オークスはチェスタールートの中ボスであり、卒業後の《未来編》でチェスターとカレンに倒された。
『ちなみにさー、オレのスキルって攻撃直前で解除するのも良いんだけど、意味わかる?』
その時にダスティンは一人、仲間を連れている。
強力な風の魔法を使う男。立ち絵ではダスティンより背が高く、フードをかぶっていて顔には影がかかり、ニヤニヤと笑う口元は見えるけど、目元などはわからない。つまりはモブ用の立ち絵だ。
『どこ行くんだよ、オレともーちょっとだけ遊ぼうぜ!』
それは、あの少年なのだろうか?
風の魔法を使っていたけれど、フードをかぶっていたけれど、立ち絵と違って口元もスカーフで覆っていた。ゲームでの登場が数年後なので、一概に外見や口調で断言できないとはいえ…
『せーんげん。風よ、命令だ。動くな』
恐らく、別人だと私は思う。
なぜならゲームの戦いにおいて、その男はスキルなんか使わなかったから。あの少年の未来の姿だったら、あれほどのスキルを持っているなら、たとえ油断して余裕ぶっていたとしても、負けそうになった時点で使うだろう。
ゲームに出てきた男は恐らく、他のルートではダスティンと共にチェスターに殺されている。
亡くなったジェニーの傍で、爛れた死体となって。
現状、チェスターは火の魔法が使えない。
背景であるジェニーの部屋に焦げた様子はなかったはずだし、今回チェスターが目覚めたスキルは《温度変化》。彼にできるのはそれによる冷却、氷の生成……いえ、もしかしてゲームでは――…
「お嬢、もう着くぞ。」
「えっ…あぁ、本当ね。」
ダンの声にはっとして顔を上げると、アーチャー公爵邸が見えてきていた。
一日ちょっとしか経っていないのに懐かしく思えるのは、その間に随分と冒険したせいかしら。
先に門兵が報せたのだろう、私達が着く頃には玄関の扉が開き、お母様が出迎えてくれた。後ろにはメリルも控えている。
ダンが馬を止めると、私は地面へ降りてお母様の前まで進み出た。
「ただいま戻りました、お母様。」
「お帰りなさい、シャロンちゃん。大冒険だったみたいね~。」
「はい。至らない点もありましたが、皆様のお陰でどうにか…」
私を見つめるお母様は、いつもと同じ穏やかな笑顔を浮かべている。優しくて温かい、薄紫色の瞳。小さい頃のようにぎゅっと飛びついてしまいたいけれど、それは我慢。
お母様と一緒に玄関へ歩きながらメリルを見たら、私に傷がないか心配そうに見ながらも、「お帰りなさいませ」と口を動かして笑ってくれた。
――私、帰ってきたんだわ。
じわりと胸が温かくなって、私も自然と頬が緩んだ。
◇
もう、半年以上前のこと。
私が王立図書館へ置き去りにされている間に、シャロン様は第一王子殿下やニクソン家のサディアス様と共にマクラーレン伯爵邸へ向かい、そこで人質に取られてしまった。ご自分を責めて泣き疲れ、瞼を腫らして戻られたシャロン様は、夜に目を覚ますともう、前を向いていた。
『私が怖くて動けないせいで、誰かが傷つく方がもっともっと怖くて……だから、大丈夫よ。もうそんな事にならないために、まだまだ鍛錬を頑張るの。』
シャロン様らしい、真っ直ぐな言葉。
鍛錬を続ける事で自信を持てるなら、より安全になるのなら、それでいいと思った。
『今日は…とても情けなかったけど。次は少しでも動けるように、頑張るわ』
『…はい。応援しておりますよ、シャロン様。』
本格的に剣術を学び始め、相手役として屋敷へ来るようになったのはレオ・モーリス様。彼は偶然にも、以前街へ出かけた際に出会っていた。彼が追っていた泥棒を捕まえるのに、シャロン様とダンが手助けをしたのだ。
レナルド・ベインズ卿の教え子で庶民とはいえ、その出会いは本当に偶然だったのか?アーチャー公爵家としても少し調べさせてもらったけれど、彼の身の上は潔白だった。
シャロン様はそれから、オークス公爵家のジェニー様にお会いになり、ダンやレオ様と何やら打ち合わせて下町へお出かけになって。その先には妙な事に、珍しい白髪の少女がいた。
絡まれる彼女を助けに入る王子殿下、襲い掛かった暴れ馬に、少女の魔法。なぜか第二王子殿下と一緒に馬で駆け出して行ったシャロン様。ダンがいたから追いつけたものの…。
剣術だけでなく、魔法のコントロールも徐々に上達されて。
どうしてか屋敷へ現れた王子殿下達とサディアス様、チェスター様の四人が、シャロン様にいいところを見せたかったのか知りませんが、攻撃としての魔法を見せた。
『使えずとも構わないと私は思います。守られるべき方であって、戦うべき方ではないのです。』
『ごめんなさい、メリル。私は、いざ誰かを守りたいと思った時に、戦う術を持つ人でありたい。』
シャロン様の言う事は変わらない。
私は自分の主張が間違っていると思わないけれど、シャロン様のお気持ちも理解はしている。ただ、成長の先でいつか越えてしまうかもしれない境界線の存在を思うと。
『……過ぎた事を申しました。』
『いいの、ありがとう。私を心配してくれて』
恐ろしいのです、その日が。
あるかもしれない、未来の可能性が。
『シャロン様。守るために、人を――…』
殺してしまったら、貴女はそれでも、前を向けますか?
私の心配をよそに、シャロン様の鍛錬は護身の域を大きく越えた。
第二王子殿下がスローイングナイフを渡してしまった事も大きかっただろう、シャロン様は奥様からナイフの扱いも教わり、レオ様との試合は激しさを増した。
そして、エクトル・オークションズでの事件。
王子殿下の狩猟へ同行した際には魔獣が出現し、男爵令嬢を庇って崖へ転落される始末。
女神祭ではその令嬢が恩を仇で返す最低の所業を目論み、ダンは刺されシャロン様とクリス様が襲われた。
年が明け、シャロン様は実力を示す事で旦那様を説得した。
何をおっしゃっているのかわからなかった。だって、オークス公爵夫妻の警備には当然騎士団がついていて、そこへシャロン様が行く必要など無いのだから。
居て、どうなるというのだろう。
万が一を恐れるなら、それこそ――殺し合いになってしまうかもしれないのに。けれど、私はただの侍女で。旦那様も奥様も認めている以上……止める術を持たなかった。
「ンなとこで何してんだ。」
後ろから粗雑に毛布をかぶせられ、髪がくしゃりとする。
床に落とさないよう反射的に毛布を握って、けれど私は振り返らなかった。相手が誰かは声でわかるし、今はこの子の顔を見たくなかった。
「寝付けなかっただけです。貴方こそ何をうろついているのですか。」
「喉乾いただけだ。」
なるほど、その途中で廊下の先にいる私を見かけてしまったと。……こんな隅っこで窓越しに夜空を見ているのだから、放っておいてよかったのに。
「…さっさと寝ろよ。あんたが体調崩したら、お嬢までヘコんで面倒くせぇだろ。」
「貴方は、私が過保護だと言いましたね。」
立ち去ろうとした足音が、僅か一歩で止まる。
シャロン様がいてはハッキリと問えない事を今、聞いておくべきかもしれないと。そう思った。
「誰かを守るために武器を取るという事、決して間違いではないと思います。自衛のために、戦う術を学んでおく事も……けれど、シャロン様は騎士ではありません。」
「大人しく守られてろって?相変わらず――」
「私の妹は、自ら命を絶ちました。」
ローブのように毛布を纏い、窓の外を見つめたまま呟く。冬の空は寒々しく、まるでドレスの生地を飾るように、綺麗なものだけを散りばめてあった。
「私を助けるために父を殺め、その時手に残った感触に……耐えられなかった。」
奥様は、「あの子は貴女の妹ではない」とおっしゃった。
妹と同じ道を選ぶとは限らない。
その通りです。
けれど。
「人を殺めてしまったら……それがたとえ誰かを助けるためだったとしても、シャロン様は辛い思いをされるでしょう。…どうして、妹と同じ道を選ばないとわかりますか。可能性ごと無くした方が良いと思ったのです。」
「お嬢が望んでなくてもか?」
「…それがシャロン様のためと思って……でも私は結局、自分の恐怖から逃げたかっただけなのかもしれませんね。また支えられなかったら、また喪ったら、と。」
遠い空に光る輝きから目をそらし、ため息を吐いた。
夜には月の女神様が、歴代王家の星々と共に見守ってくださる。父はそう言って微笑んだ口でお酒を飲み、酔いが回ると私に暴力を振るいながら罵詈雑言を浴びせかけた。
朝昼も、お酒を飲まない夜も、本当に優しい父だった。
どうすればよかったのか未だにわからない。夜空を見上げても星々は答えをくれないし、月は助けてくれない。憎らしいほどに神聖な輝きで、ほんのひとときの癒しを与えるばかりで。心に秘めた願いを、祈りを、叫びを、黙って聞いているだけ。
「私は、シャロン様の邪魔でしかなかったのかも…」
「好きにさせてやってたじゃねーか。何だかんだ文句言ったって、最後は見送っただろ。」
「それは単に、私に止める力がないからです。」
「邪魔できる力が無いなら、邪魔じゃないんじゃねぇの。」
私は口を閉じた。
屁理屈を言われているような、正しい事を言われているような。つい眉を顰めてしまう。
「お嬢が人を殺したら、だったか?」
互いの顔も見えないまま、彼はため息混じりにそう聞いた。
がりがりと頭を掻く音が聞こえる。
「何とかなるだろ。傍にいんのはあんただけじゃねぇんだし。」
「…そうでしょうか。」
「俺はあんたと違って、今のお嬢しか知らないからな。弱い奴だとは思わねー。」
今の、シャロン様。
小さな小さな手で私の人差し指を握った、初めて会った時の、貴女ではなく。
午後にお戻りになられた時の、凛々しいお顔を思い出した。
「それに、未来の可能性なんていくらでも変えりゃいいだろ。…今からウジウジしてんじゃねぇ、メリル。」
「……そう、ですね。貴方の言う通…わっ!?」
毛布越しに頭をぐしゃりとされ、思わず声が出る。
静電気でひどい有様になってしまった。
「何をするんですか!」
反射的に振り返った時にはもう、ダンはこちらに背を向けて歩き出している。ひらりと片手を振られた。
「さっさと寝ろ、馬鹿。」
「ば、馬鹿……!?」
唖然として聞き返したけれど、彼はそのまま去って行く。私の足が動く事もない。
角を曲がって姿が消えてからようやく、肩に入っていた力を抜いた。
「いくらでも変えればいい、なんて。簡単に言ってくれますね……。」
苦い顔で少しだけ笑って、頭からかぶっていた毛布を肩へ下げた。
オレンジ色の髪を手櫛で整えながら足を踏み出す。
部屋へ戻って早く寝なければ。
明日はまた、いつも通りの笑顔をお見せできるように。




