20.彼が強い理由
チェスターが去った後、私は魔法の練習を再開した。
ひとます、出せる水の量は重要視しない。アベルが言っていた「魔力を使用する感覚」…それを掴む事が目標ね。
「宣言。水よ、この手の上に現れて。」
庭のあちこちに水溜まりを作るわけにもいかないので、桶の上で手のひらを上に向けて言った。
空中にふくふくと少量の水が現れて浮かぶ。
…やっぱり、少し手が暖かいような気がする。
何度も試すうちにそこに気付いた。
血の巡る感覚、というか…これがアベルが言っていたものかしら?
試しに反対の手でも同じようにやってみる。やっぱり少し何かが、手のひらに向けて集まるような。
――ここまでにしましょう。
限界まで試す事はせず、水を桶の中へ落とした。
「ふぅ…魔法は終わりにするわ。剣を。」
「その前に一息入れましょう。お疲れ様でした、シャロン様。」
ずっと見守ってくれていたメリルが、タオルと飲み物を持ってきてくれる。素振りと違って全然汗はかいていなかったけれど、私はありがたくタオルに顔を押し付けた。
魔法は体力ではなく精神力。ふわふわの物に包まれて息を吐くだけでも、疲れが癒される気がした。
「お水もどうぞ」
「ありがとう。」
グラスの水を飲みながら、魔法で出した水も飲めるのよね、とぼんやり考える。今桶になみなみと入っている水の殆どはチェスターが出したものだ。
ふと、彼の言葉を思い出す。
『疑うわけじゃないけど、用心しちゃうよね。』
「ねぇメリル。チェスターが言っていた、ランドルフに用心するというのは何かしら。」
その時はあまり深く考えていなかったものの、疑うとは?用心とは、一体。
メリルは神妙な顔で頷いた。
「……恐らく、ご存知なんだと思います。ランドルフさんのスキルを。」
「えっ!」
ランドルフはスキル持ちなの!?
お父様が雇った使用人は皆魔力持ちだとは聞いていたけど、メリル以外にもスキルを持つ人がいたのね…。
「私の《色彩変化》と違って、珍しいスキルで……しかし、だからこそわざわざ言い広めてはおりません。恐らくチェスター様は、第二王子殿下からお教え頂いたのでしょう。」
国王陛下と王妃殿下はご存知の事ですから、とメリルは続ける。
それは同時に、アベルが相当にチェスターを信頼しているだろう事を意味していた。
「それは一体、どんなスキルなの?」
ごくりと唾を飲み込んで聞いた私を、
「言えません。」
メリルはすぱんと切り捨てた。ふにゃりと眉が下がってしまう。
「ど、どうして…」
「そ!そんな悲しい顔をしても駄目です!ご本人に聞いてください!」
確かに、隠しているなら勝手に言えるはずがないわよね…。
私はシュンとしながら水がまだ残るグラスをメリルに返した。
「…よし、今日も頑張るわよ!」
もうすっかり手になじんだ、刃の潰れた剣を握る。
アベルに言われた意味を考えながら、けれど剣を振る動作に集中しながら、素振りを始めた。
――あら…?
剣を振るうちに、私はふと疑問を覚える。
素振りを始めると、いつもすぐに体が火照って汗が滲みだす。運動しているのだからそれは当然だし、毎度の事なのだけれど。
じわりと上半身を覆うこの暖かさが、水を生み出した時の手のひらと近い気がした。
ザクリ、剣を地面に軽く突き刺す。
「シャロン様?」
まだまだ数が途中なのに中断した私を、メリルが戸惑いの混ざった声で呼ぶ。
私は自分の手のひらをじっと見つめていた。
「まさか……」
まさか、まさかと思いながら再び剣を握り、再開する。
やはり身体は自然と、じわりとした熱を持っていた。記憶にあった感覚と今の感覚をすり合わせる。
考えながら、剣筋は真っ直ぐにと気を付けながら反復して振り続け――
「四千三百!」
四千三百一、……四千、三百二…?
あれ、と気付く。
昨日は四千四百までいけていたのに。なぜこれほど腕が重く感じるのだろう。
『もしかして魔法を試すの、鍛錬の後にやってるんじゃない?疲れきる前にやってみるといいよ。』
アベルの声が脳内で再生される。
『鍛錬より前に魔法を使って、魔力を使用する感覚を覚えておくといい。そしたら気付けるはずだよ。』
感覚の近さに、私は気付いた。
そして、鍛錬の後に試したらまったく魔法が使えなかったこと。
鍛錬の前に試したら平然と使えたこと。
代わりに、素振りを続けられる回数が減ってしまったこと。
導き出される答えは一つだ。
私は、素振りの補助で魔力を消費している。
「……ッ四千、三百、はち、じゅ……」
がくりと、膝をついた。
「シャロン様!」
「はぁっ、はぁっ、…はあ、」
肩を揺らして呼吸し、メリル達にタオルで汗を拭かれながら、私は思い出す。
下町の噴水で、アベルは私の素振り回数が四千を越えたと聞いて訝しげにしていた。そして私の腕を掴み――きっと筋肉の状態を確認していたのね――私に聞いた。
『君、僕が強い理由はわかった?』
あれがアベルにとってどれほど重要な問いだったのか、私は今になって気が付いた。
昨日の彼が私にヒントをくれた、その「事の重大さ」も。
だって、私が気付いてしまえば、アベルの事も気付きかねないのに。
それは彼がずっと国中から隠している事なのに、リスクを負っても教えてくれた。
魔力を使う感覚を把握する重要性を、私が強くなれる可能性を。
そうして私は理解する。
――アベルが強いのは、意識的に魔力で身体を強化できるからだ。
「なんてこと……はぁ、はぁ…」
「大丈夫ですか、シャロン様?シャロン様!」
「だい…大丈夫よ、メリル…」
未だに整わない呼吸を落ち着けようとしながら、私は眉間に皺を寄せた。
合っているとは思うけれど、本人に聞いてみない事には確定しない。どこまで…アベルが魔力持ちだという事は、気付いていないフリをすべきなのかしら?
魔力が無いのによく私の状態を見抜いたわね、みたいな…いいえ、でも…
「ぅうん、私…」
「はい、どうされました?」
「今、すぐにでも……アベルに会いたいわ…」
「……シャロン様…」
やはり、ちゃんと話すべきね。
アベルが魔力持ちだと知っている前提でなければ、意識的に身体を強化する方法なんて聞けないもの…きっと、気付いても構わないと、そう思ったから私に助言をくれたはず。
なら私も応えなくては。
強くなれると、言ってもらえたのだから。
「…ウィルフレッド殿下の手を握られていたし、サディアス様のことで頭がいっぱいで、アベル殿下に攫われたがって、チェスター様の家に行きたがって……いったい本命は…」
メリルが何やらぼそぼそ言っていたけれど、屋敷の門が開く音が聞こえてきて、私はそちらに意識を向けた。
ひとまずの回復を見せた身体に鞭打って、よいしょと立ち上がる。
玄関へ駆けていくと、馬車から降りたお父様とお母様が私を見て微笑んだ。
「お父様、お母様、お帰りなさいませ!」
「シャロン、ただいま。」
「ただいま~シャロンちゃん。お転婆に過ごしてたみたいね~」
あら、どうしてもうバレてるのかしら…。
屋敷の中に入りながら、お父様が懐から手紙を取り出す。
「ランドルフが早馬で文をくれた。大まかには聞いている。」
なんて仕事の速さ!
……結構な時間ダンを叱っていたはずだけれど、ランドルフったらいつ書いたのかしら。
「それで…シャロン、ちょっと、落ち着いて聞かせてくれないか。」
お父様は床に片膝をついて私と目線を合わせると、私の両肩を優しく掴んだ。どうしたのかしら。
「第二王子殿下に、攫われたというのは……?」
「あっ!違うのです、お父様。それは語弊があります!」
私は慌てて否定した。
神妙な顔つきだったお父様が、銀色の瞳をぱああと輝かせる。
「そう!そうだよな!王子殿下に連れ去られるなんて、駆け落ちじゃあるま」
「私が攫ってくださいと頼んだのです。」
どしゃっ。
お父様が床に崩れ落ちた。
「お父様!?」
「あらあら、大丈夫?」
白目を剥いて倒れているお父様の肩を、お母様がのんびりと揺すっている。
「シャロンちゃん、下町は楽しかった?」
「はい、お母様。皆さんご親切で…酔って酒瓶を投げていた方も見ましたが…えぇと、ランドルフからの報せにもあったかもしれませんが、毒草と知らずにそれを売る商人を、第二王子殿下と一緒に見つけたのです。」
「ふふ、大活躍だったみたいね~。馬車泥棒さんも見つけたんですって?」
「はい!といっても、それは後から知ったのですけれど…」
倒れているお父様を挟んで、お母様と笑い合った。
ランドルフは夕方くらいには戻ると言っていたから、その頃にはダンについての相談もあるのだろう。
「…ハッ!!」
びくりと身体を動かして、お父様が復活した。
「お父様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、それよりシャロン?人に攫われるのはやめなさい。心配するだろう。」
「ごめんなさい…」
確かにあの時は、明らかに心配しているメリルに何も説明せずに飛び出してしまったし……もう少し強くなったら、説明さえすれば外に出してもらえるかしら…?
「まぁまぁ、いいじゃありませんか。貴方だって攫われた事があるでしょうに。」
お母様がのほほんとした声で言った言葉に、私は目を丸くする。
「お父様、誘拐された事が…?」
「誘拐というか、外出中に毒を盛られて監禁されたな。」
毒!?監禁!?
とんでもない事態に思わず目を見開いた。
「だ、大丈夫だったのですか!?」
今しっかりしているから大丈夫だったに決まっているのに、ついお父様に縋りつく。
お父様はなぜか照れた様子で頬を掻いた。…なぜ?
「懐かしいわねぇ。私が攫い返したのよ~。」
「さ、攫い返した?のですか?」
「そう。この人は返して貰うわよ、って言って。」
お母様、かっこいいわね……。お父様がしみじみと頷いている。
「私はその時に、嫁をもらうならこの人しかいないと思ってな…」
「婚前の話なのですか!?」
「何なら初めましてだったわよね?」
「そうだな。それまで君とは話した事もなかったから。」
自分の両親ながら、一体何をしているのかしら…。
ぽかんと開いた口の前に手をかざして聞いていると、お母様がやんわりと笑った。
「だから、お母様は応援するわよ~。攫ってもらうなんてロマンティックじゃない。」
「それとこれとは別だーッ!!」
お母様のよくわからない言葉を、お父様が大きい声で否定した。
「シャロン、せめてウィル君にしなさい。アベル様はちょっと型破りがすぎ…いや待て!たとえウィル君でも可愛い娘をそう簡単にはやれない……ッまだ!まだ十二歳なのに!!」
「お父様…何の話をしているのですか…?」
目をぱちくりさせて首を傾げると、お父様が私の手をがしっと握った。
「結婚相手を決めるのは、もっと大人になってからにしなさい。」
「……?それは、はい。もちろん。」
「よし!それでいい、うん。…今のところの候補は?オークス公爵やニクソン公爵の息子も、うちに遊びに来たと聞いているが……気になる…子は…」
「おりませんけれど…」
「そうか!よしよし!!」
お父様は満面の笑みで私を抱きしめた。
候補も何も、彼らのヒロインは今まだ下町のどこかにいるだろうあの子であって、私ではないのよね……。
その後、初めて魔法を使えた報告をしたら、お父様もお母様もとても喜んでくださった。
お祝いにホールケーキが三、四個出てきてしまって、食べきれなかった分は使用人の皆でわけてもらった。
その中には、我が家で下働きする事になったダンの姿もあって。
馬車が盗まれて使えなかった間、持ち主の方が受けた損害額をアーチャー家が支払ったので、せめてその返済を終えるまでは、という事になっているのだけれど…
「ダン、ケーキはどう?おいしい?」
「あァ?うっせーなクソガキ!あっち行…」
「お嬢様に何という口の利き方ですか!!そこに直りなさい!!!」
……ランドルフに怒られなくなるまでは、まだまだかかりそう。




