208.チェスター・オークスの誓い
俺を振り返ったアベル様に、作り笑いを浮かべて聞く。
「見ました?ベアードさんの報告書。」
バサム山で何が起きたのか。
取り逃した敵のこと、シャロンちゃんや俺のこと、死者は出なかったこと。
「大体聞いた。」
深夜に目を覚ました叔父上の事は、騎士立会のもとで父上が取り調べた。
叔父上は……《二重人格》である可能性が非常に高いらしい。少しだけ面会が許されて会ったあの人は、いつもの、優しい叔父上だった。頭を床につけて、涙を流して、謝っていた。
やりきれない気持ちが大きい。
裏切られたと思ってたのに。
「お前の叔父の事…気付けなくてすまなかった。」
「……何で貴方が謝るんです。」
身内なのに、家族なのに、わからなかった。気付けなかったと言うなら、俺達なのに。
アベル様は黙って視線を落とした。この人ときたら、少しでも自分にミスがあったと思うと、もう譲らない。
ベアードさん達が行く事になったのも、俺達が行ける事になったのも、貴方がちゃんと話を聞いてくれたからなのに。
違法魔力増強剤の製造、販売、暗殺未遂。
じきに、叔父上の事はオークス公爵家の醜聞として広まるだろう。多重人格者による犯罪は例が少ないだろうし判決が難しい。裁判は長引くだろうし、その間にも人々の口は止まらない。
そんな家の子息が王子の従者で良いのか?
必ず誰かが言ってくる。
コトが知れ渡れば、今日明日にでも。それくらいわかってるでしょ、アベル様。
だから、
「俺を、従者から外す気はありますか。」
「ない。」
アベル様は即答して目を閉じ、下らない質問だと言うようにため息を吐いた。俺は苦笑い。
「はは……ですよね~。ま、聞いてみただけなんですけど。」
貴方は、よそから言われて手のひら返すような人じゃないから。
長い睫毛をゆったりと開いて、アベル様はティーテーブルの方へ歩く。
椅子に座って俺にも座るよう手振りで示してくれたけど、俺は数歩そちらへ近づいただけで、座らなかった。今は、対等に話したくなかったから。
「陛下にもその気はないだろう。仮に今回の件で公爵が責を負うとしても。何が不満だ?」
「不満は無いです。ただやっぱ…俺、貴方の従者に相応しくないよねって話で。」
「随分とつまらない話題を持ち帰ったな。」
テーブルに頬杖をついて、アベル様は脚を組む。
不満アピールなのはわかってるんだけど、めちゃくちゃ様になってる。もう見るからに「人の上に立つために生まれてきました」って感じ。おにーさんは数年後が恐ろしいよ。
言いたい事があるなら言えと、促す視線に思わず唾を飲んだ。
貴方に跪かない奴は、よほどの勇者か…ただの馬鹿だ。
「アベル様」
「何だ。」
それでもジェニーが、父上や母上が、家族の命が天秤にかけられたら?
俺はね、見殺しにできない。
もちろんどっちも守りたいけど、それが叶わない状況だったら?アベル様と話せなかったら。シャロンちゃんは一人で背負っては駄目だと言ってくれたし、俺はもう可能性の未来で、言いなりになった自分がジェニーを救えなかった事を知ってる。
だけど最後の最後まで追い込まれたら…
やっぱり、危ないよ。
貴方がこのまま、従者を変えないでいてくれると言うのなら。
俺を傍に置いてくれると言うのなら。
『…チェスター。アベルには、あくまでご両親の件だけを。もう絶対に起こりえない可能性の話なんて、伝えなくていいもの。……そうよね。』
シャロンちゃん…君はそうやって、わざわざ言うことないって言ってくれたけど。
でもわかっていて言わないのは、まるでさ。嘘ついてるみたいじゃない?
可能性を考えた事もなかったなら話は別だけど、俺はもう自分がそういう奴だってわかってるから。
聞かなくてもわかる事を、あえて聞かなかった仮定の話を、貴方に聞こう。
「俺が…貴方を裏切ることは有り得ないと、思いますか?」
「――まず無いとは思ってるが……もし有り得るなら、そうだな」
アベル様は、俺が本気で聞いたって事がわかってる。
ちゃんと考えてくれた。
「お前は誰かの命を盾に脅されて…俺は、それを救えなかったんだろう。」
正し過ぎる答えだった。でもね、「救えなかった」なんて言ってくれなくても、よかったのに。
他の理由で裏切る事はない、貴方はわかってくれている。
全て差し出したくなるような澄んだ瞳で、突き刺すように俺を見た。
「その時は俺が、お前を殺してやる。」
きっと、お前は耐えられないだろうから。
そう言われた気がして、俯いた。
アベル様の声には怒りも憎しみもなくて、淡々として、そこに込められたものは――どうしようもなく、優しかった。
俺はきっと、貴方に殺して欲しいと願ってしまう。
ごめん、アベル様。「絶対に貴方を裏切らない」って、言う事すらできない。俺は本当に、弱い。
「…リビーさんなら、何があっても貴方を裏切らないんだろうな。」
彼女は、裏切るくらいなら死ぬだろう。
誰を人質にされようとも、アベル様が天秤にかけられたなら迷わない。
俺にはそれができないんだよ。だって自分が死んだら、人質になった家族も終わりだろうから。
重たい頭を上げると、アベル様は熱のない目でこちらを眺めている。俺は力なく笑った。
あら殿下、本日も見事なお顔立ちで……なんて、ね。
ちっとも動揺してくれないよね、ほんと。いつか裏切るかもって言ってるんですけど、俺。
「俺を裏切るな、とか…言わないんですか?」
言ってくれなさそう。
アベル様は俺と違ってにこりともしない。その目、五年以上の付き合いの相手に向けるものにしては辛辣すぎない?
「言ってほしいのか?」
「……いーえ。」
言われるほど価値ある身ではないから、望まれるほど実力のある男じゃないから、俺は嘘を吐く。
アベル様との距離は詰めずにテーブルに片手をついて、軽く首を傾げた。
「従者になって、最初に会った日にさ。アベル様、俺に何て言ったか覚えてます?」
「……此処か、廊下か、演習場か。どこの話だ」
俺は目を見開いた。
だって、そんなすぐに思い出してもらえると思わないじゃん?びっくりだよ。この前、あの日みたいに稽古つけてもらったけどさ。何なら「やっぱ覚えてないですよね~」って笑う準備してたのに、せっかくの準備が無駄になったんですけど。
視線で促されて、俺はようやく「演習場で」と返した。
アベル様は考えるように目を窓の外へ流して、薄い唇を開く。
「…冗談で従者をする気なら、やらなくていい。」
俺はがっくりと肩を落として片手で顔を覆った。
そう。俺に訓練用の剣を渡して、自分は木剣を持って。「冗談ですよね」って聞いた俺に、貴方が言ったこと。
あ、涙出そうだからこっち見ないでほしい。
「えぇー……何で覚えてんの、ちょっと…」
「お前が聞くから思い出しただけだ。それで?」
容赦ないな!できればちょっと待ってよ、見てわかんないの俺の状況!
…とも言えないから、手を離してちょっと背筋を伸ばす。今、王子殿下の貴重なお時間を頂いてるわけだからね。
「俺、それを聞いた時思ったんですよね。あぁ、この人は従者なんていらないんだろうなって。」
言いながら、アベル様の傍へと歩いて片膝をついた。
七歳の時点で「一人の方が動きやすい」なんて言うだけあって、身の回りの事は自分でやれちゃうし、護衛なんて当然いらないし。
部下がほしいなら、貴方に従う騎士なんていくらでもいる。
サディアス君だっているし、クローディアちゃん達みたいな協力者も。俺は何年もジェニーの病を治す事に必死で、アベル様が許してくれたからって、傍にいなかったし殆ど役に立たなかった。
どこからどう見ても、貴方に俺は必要ない。
なのに。
自然と眉が下がっちゃうな。元々垂れ目だし、結構情けない顔に見えてそうで不安だ。無理やり口角を上げてアベル様を見上げた。
「いつか裏切るかもしれないのに、傍に置いていいんですか。」
「俺が許可してもなお、居たくないなら勝手にしろ。」
「…はは」
居たくないって、そんなわけはないでしょ。
俺は背筋を伸ばすと、指先まで気を配って真剣にアベル様へ手を差し出した。それが何を意味するのか察して、彼は考えるように僅かに目を伏せる。それでも、応えてくれた。
「ありがとう。アベル様」
許された事を誇りとして、俺は眼差しを和らげてその手に触れる。
一瞬、呼吸を止めた。
仕えるべき主を一番にできないような、馬鹿な従者だとしても。
それでも俺を傍に置いてくれると言うのなら。
「――俺の生涯を懸けて、貴方に仕えさせて頂きます。」
顔を上げて誓いを口にすると、アベル様は少し困ったように微笑んだ。
するりと手を引いて、腕を組む。
「片方死ぬまでで良い。」
「いやいや、俺の生涯で合ってますよ。貴方が先に死ぬはずないでしょ?…何かあったって、守ります。そのための従者なんだし。」
「くくっ……お前、俺が勝てない相手に勝てるのか?」
「えぇ?いや、まーね?そう言われちゃうとアレだけどさ。」
よいしょと立ち上がって、俺は騎士がするように片手を胸にあてた。俺らしく、ぱちりと片目を閉じて笑う。
「その時は一緒に戦わせてください。冗談で貴方と居るわけじゃないんだから。」
「……そうか」
「て言ってもまだ全然、ロイさん達に比べたら頼りないでしょうけどね?」
せっかくスキル持ちになったんだから、まずはできる事の検証と、コントロールだよね。いつでも安定して使えないと意味がない。
家の事もあるし父上の手伝いも、ジェニーにどう説明するかも……俺達がいない間に、この王都だって襲撃を受けた。問題は山積みだけど、頑張らないと。
「ありがとう。チェスター」
そう言ってくれたアベル様はやっぱり、少しだけ困り顔に見えた。
ちょっと俺に呆れてるのかもしれない。
「お見合いはどうだったんです?聞いた時、シャロンちゃん固まってましたよ。」
「あぁ……まぁ、驚くだろうね。」
「相手は?」
「君影国の姫だった。」
「はい!?」
お姫様相手、それも君影国?本気のお見合いじゃん!……待てよ。だったって何?
混乱する俺にアベル様が語ったところによると、そもそもお見合いではなかったらしい。
勘違いからお姫様の護衛と戦う事になって、お互い武器をへし折ってひっ捕らえて……それ何とか口頭で和解できなかったのかな。できなかったんだろうけど、アベル様ってちょいちょい言葉足らずなとこあるしなぁ……。
それで、面談用の応接室を騎士団長が見合いの名目で予約した、と。
「噂回りそうですね、それ。」
「……くだらない事にね。」
当然婚約の発表なんて無いわけだから…もしかして、アベル様がフラれた的な話になるわけ?
それ結構ヤだな。放っておいたら貴方はまた何もしないだろうし…
「ちょっと手を回していいですか?」
「好きにするといい。」
「ありがとうございます。」
噂好きなご令嬢の顔を数人思い浮かべた。クローディアちゃんにも伝えておけば、俺の手が回らないところを潰してくれるだろう。
「ついでに、アロイスという名の人物に覚えがあるか聞いてくれるかな。」
「誰です?」
「君影の姫が探してる相手だ。歳は今年で二十九、黒髪の男。長兄らしいけどそこは広めない方がいいだろう。」
王子じゃん。
探してるって事は行方不明?この国で?
「他に情報ないんですか?目の色とか顔立ち、性格とか。」
「瞳が普通ではないらしいけど、魔法は中々使えるようだから……」
「…目くらいなら、普通っぽく見せてるかも、ですね。」
あるいは盲目のフリ、もしくはバサム山に出てきたあいつみたいに、色つきのゴーグルやサングラス…だと横から見えちゃうか。
普通ではないらしい……どういう事なんだろ。
「うーん、難しい人探しですね。名前なんて偽名使ってたらお終いだし。」
「君影の姫からの伝言でも、詰所に置かせようと思ってる。」
国内全ての町村にあるって程じゃないけど、騎士団の詰所は各領地にもあるもんね。そこまでしてあげるとは、君影国との将来的な付き合いを見越してかな。
他の国と違って、君影国出身の人ってまず会わないからね。姫ともなれば余計に。
「なるほど…じゃあ見合…面談では、そのお願いを聞いてあげたくらいですか。」
「そうだね。」
「ちなみにお幾つくらいだったんです、お姫様は。」
聞くと、アベル様はどうしてか難しい質問を受けたかのように眉根を寄せた。
アベル様との見合いの名目が通るくらいなら、十代だと思うけど…。
「歳は、十六らしい。」
「へぇ!俺より上ですか。お姉さんだなぁ」
「……まぁ、それはどうでもいい。休む気がないなら報告を聞こうか」
「はい。少し長くなりますけど…」
勧められた椅子に座って、俺は詳細を話し始めた。
バサム山で起きた出来事について。




