204.隠しエンド ◆
私はワクワクしていた。
誰だって、物語の「その先」が気になるものでしょう?
コツコツと足音が響く。
前を見据えるようにして、シャロンが城の廊下を歩いている。片手を胸元で軽く握り、堅い表情をして目線は正面から逸れていた。流石の彼女も、今この状況においては微笑みを浮かべられないのだろう。
『おや…シャロン様。お約束ですか?』
顔に影のかかった騎士が現れ、彼女を呼び止めた。シャロンは薄紫の瞳をきちんと前に向けて答える。
『いいえ。陛下は執務室にいらっしゃいますか?』
『……はい。できれば、少し休まれるようお伝えください。』
『…わかりました。』
騎士の姿は消えて、再びシャロンだけになる。足音がする。
そうだろうとは思っていたけど、やっぱりアベルに会いに来たらしい。どきどきする。今の彼に、シャロンは何を話すのだろう?
どこまで知っている時なのかしら。
彼女は立ち止まり、前を見る。ノックの音が響いた。
『陛下。シャロンです』
『……入れ。』
『失礼致します。』
ドアが開く音。
アベル皇帝陛下は、視線を斜め下に落としている。執務室という事は、何か書類でも眺めていたのかもしれない。
シャロンと二人で並ぶ姿を見るのも久し振りだ。
『カレン達が亡くなったわ。』
その言葉に、金色の瞳が前へ向く。あぁ、シャロン。貴女はそれを知っているのね。
アベルは「だからどうした」とでも言いそうな表情に見える。微塵も動揺がない。
『――…本当、なのね。』
シャロンの眉が泣きそうに歪み、薄紫色の瞳が潤んだ。
『本当に、貴方が殺してしまったの。』
アベルは薄く笑う。
それは嘲笑にしては苦みを含んだものだった。
『散々疑っておいて、今回は信じるのか。』
『そんなの、貴方の目を見ればわかる事だわ……あぁ、どうして…何で、そんな事をしてしまったの。』
私はもうアベルがそうした理由を知っているから、シャロンの台詞をただ哀しい気持ちで読んでいた。
だって彼は、自分のルートですらカレンを殺す。
『あいつらが弱いからだ。』
『理由になってないわ……』
『いずれ殺されるなら、俺が殺しても変わらないだろう。…いっそ、楽に死ねる』
淡白な表情でアベルが告げる。
でも、視線は逸れていた。シャロンの目を見て言う事ができていないのだとわかる。彼は自覚しているだろうか?
『……!』
シャロンは目を見開き、胸元で両手を握る。学園編でも驚いた時なんかによくやっていたよねと、二人からしてみればとんだ場違いだろうけれど、私は懐かしくなった。
『…何、それ……』
『………。』
『そんなの、間違ってるわ。』
『何とでも言え。あいつらがもう少し強ければ、好きにさせてやっても構わなかったが。』
ようやくシャロンを見たのか、視線を正面に向けてアベルが言う。
選択肢によってはカレン達は上手く抵抗するから、それで見逃してくれるものね。今回は私、バッドエンドを見返すつもりだったから、わざと負けたけど。
『………。』
シャロンは悲しげに目をそらした。
追加シーンで出てきてくれたのは凄く嬉しいけど、二人のこんなやり取りを見ていると私まで心が苦しい。ワンチャンここから何とかしていい雰囲気にならないかな、なんて邪な事を思いながらボタンを押す。
何かを覚悟したように、シャロンはアベルを見据えた。
『ではなぜ、私を殺さないの。』
彼女の言葉に、今度はアベルが目を瞠る番だった。私もそうだ。
待って……やめて、シャロン。何を言い出すの。
貴女まだ、このエンドでは生きているのに。
『……俺が、お前を殺す?』
アベルは眉を顰めて聞き返した。
よかった、そうだよね。私も馬鹿だなぁ、アベルがシャロンを殺すわけないじゃん!
とは思いながらも、心臓がどきどきと鳴っている。
待ってよ。
そんなわけないって。ありえないでしょ?
『弱い事が理由なら、先に私でしょう。』
『…お前を、殺す意味がない。』
『そう思ってくれるのなら、あの子達だってそう。殺してしまう事はなかった…!』
シャロンの目から涙が溢れる。
『貴方、間違ったのよ。アベル』
アベルの姿が消え、シャロンだけが見えていた。心臓がうるさい。
はらはらと泣いている彼女は、それでも強く美しい目をしている。この立ち絵、他で見たっけ?
ドッ、という音と共に、目を見開いたシャロンが揺れた。
血飛沫のエフェクトが舞う。
震える手で先へ進めると、彼女は血だらけの姿に変わった。
口からも血を流し、苦しげに顔を歪めている。シャロンが大怪我を負った立ち絵なんて今まで無かった。絶対に。これはわざわざ新規で描かれたものだ。
『――…、して…。』
《どうして》?
言葉をはっきり紡ぐ事もできず、シャロンは倒れた。
代わりに、大量の返り血を浴びたアベルの立ち絵が表示される。笑いも悲しみもせず彼は、ただ彼女が倒れているだろう場所を見下ろしていた。
どうして、どうして。何で?
アベル、そんな事今までしてなかったのに……違う。本当は今までのバッドエンドもこうなっていた?追加シーンでようやく公開されただけで?
知りたくなかった。知りたかったけど、こんな事になっていたなら知りたくなかった!!
『…シャロン』
血飛沫が、衝撃を表す揺れが、アベルの身に起こる。
あぁ死ぬのだと思って、私の頬を涙が伝った。立ち絵は重傷を受けた時のものに変わっている。
『……すまない…』
苦しげな顔で呟いて、彼は倒れた。何で?どうなってるの、スチルないの?あるわけないか、ギャラリーのページ埋まってるし、でも待ってよ。
心中ってこと?あのアベルが、シャロンを巻き込んで?あり得ない。
画面が暗転していく。
何で?
呆然とスタート画面を見つめた。
カレンが死んだ後、アベルとシャロンがどう生きたのか想像した事はある。カレン達を殺してしまったアベルを、シャロンが何も言わずに抱きしめるような事はないとわかっていた。
だからじっと見守っていた。
私が想像していた通りシャロンはアベルを叱って、でも傍にいてくれるだろうと思って。罪の意識を抱えたアベルをシャロンが支えて、それでも生きていくんだろうって…
だってカレンはそうじゃない。
親友のシャロンは殺されて、攻略対象も心に傷を負って、喪ったものは戻らないけど、それでも未来を歩んでいけるじゃない。
何でこの子は駄目なの?どうして死ぬの?
それもよりによってアベルの手で殺されるシーンを、何でわざわざ、作ってあるの。
『……さすがは、ハッピーエンドのない乙女ゲー、って?』
人に見せたらドン引きされそうな不機嫌顔で、私は鼻をすすった。
これは誰かに愚痴らないと気がすまない。このシーンを見たユーザーってどれくらいいるだろうと、恐らく解放条件になっているだろう事を想像する。
まずは全エンドのコンプリート。常識ね。
私はキャラクターごとに異なる細かいバッドエンドもクリア済み。スチルが無いやつも全部。けどその後にチェスターのバッドエンドを見直した時は無かったはず。あの時と今回の違いは…
「最初から」?
普通は一番最初の選択肢でセーブを取っておいて、二週目以降はそこから始める。でも私は今回、久々に各キャラの登場シーンも見返そうと思って最初からにした。だからなの?
むかむかした気持ちが湧き上がってきて、私は棚にきちんと並べている雑誌の中から一冊を引っ張り出した。このゲームのディレクターのロングインタビューが載っている特別号だ。
ベッドにどすーんとダイブしながらそのページを開く。何度も読んでいるからすっかり折り目がついていた。途中を飛ばし飛ばし、いくつかの質問を読み返していく。
《シナリオでは登場人物が大体死んでしまいますが、これはやはりこだわりがあるのでしょうか?》
――そうですね。誰が死んでも不思議じゃない状況なので、活発に動いて敵を作っている主人公とその仲間が死なないというのは、現実的ではないと思うんです。多くを喪いながらも、攻略対象と支え合って未来を見つめるという姿勢が前提です。加えて殆どのルートで言えば、アベルの事情ですね。彼の周りでは、強くないと生き残れないので。
《次に、アベルについてお聞かせください。》
――彼は何でもできてしまう分、とにかく自分一人で抱え込みます。信頼する相手でもなかなか本心を全て明かそうとはしない。国同士の機微など政治面は特に主人公にも話しませんから、戦争関連で誤解を生むし、後半に体調を崩すイベントがありますけど、そこでも彼は心配する主人公を一度遠ざけるんですよね。多くの事情を抱えている背景と、主人公との関係の調整が難しいキャラクターでした。
《ちなみに、彼だけエンディングに関わる好感度のパラメータ量が異なるのはなぜでしょうか。》
――他のルートでラスボスとして登場する彼ですから、攻略難易度を上げています。好感度アップ時にエフェクトが出るようにできますし、クイックセーブ&ロードもあるので、そんなに変わらないところではありますが。後は本人の性格ですね。恋愛面で鈍いのもそうですが、学園編でティータイムに誘うと「結婚願望がない」という話を聞けます。
《親友キャラ、シャロンについてはいかがでしょう。》
――最期について「なぜ」という感想を多く頂いたキャラクターです。庶民育ちの主人公から見ると立派なお嬢様なのですが、ただ淑やかにしてるだけでは主人公とその周りに対応できないので、結果的に表情豊かでコミカルな面もある女の子になりました。喪った仲間の殆どがそれまでなのに対して、彼女だけは死んだ後も主人公達のお助けキャラとして活きています。例の薬ですね。シャロンの助けがなかったら、アベルを倒せないんです。
《エンディングが暗めという事もあり、糖度高めのファンディスクや、ジークハルト、レオ、シャロンといったサブキャラのルート追加を望む声も多いそうですが、今後の展望はありますか?》
――ファンディスクの可能性は低いと思います。新ハードへの移植などのリメイクでは、ルート追加も視野に入れて検討中です。ただ、シャロンルートは無理です。
『断言!!』
雑誌を閉じて叫んだ。
友情エンドくらい作ってくれてもいいのに!なぜ!製作費?製作費なの!?
『ていうか、やっぱり隠しエンドの事なんか一ミリも匂わせがない……気付かないプレイヤーの方が多いよ、あんなの。それでいいの…?』
ブツブツ言いながら親指の爪を噛む。
推しカプのあんなバッドエンドを見てしまっては心が荒むというもの。幸せな二次創作でも見て心を癒したい。何ならめちゃくちゃにハッピーエンドな話でも自作してしまおうか。
私は雑誌をベッドに置いて立ち上がり、推しの祭壇の横に並べているささやかな推しカプゾーンに手を合わせる。
汝ら、とく、幸せになりたまえ。なむさん。
横の大きな祭壇にぎっしりと置いてあるグッズから最推しの視線を感じる。そんな哀れな者を見る目で見ないでほしい。気のせいだけど。チラッと横目で見ると、まぁなんて美しいこと。思わず平伏してしまいそう。
『ちょっと一人で抱えきれない……電話しようかな…』
推しのぬいぐるみの頭を撫でながらひとりごと。
でもあの子バッドエンド苦手だからコンプしてないだろうし、絶対にこのエンド知らないよね。ネタバレになるけど大丈夫かな…。
携帯を開くと、大学の先輩からメールが来ていた。
何の事はないただの連絡事項だったけど、私は返信ではなく電話をかける事にする。三次元の推しも大事にしなくては。
『もしもし、保科先輩?すみません急に電話して。』
『大丈夫だよ。どうしたの、御園さん。』
『メールもらった件なんですけど――…』
話しながら不思議に思う。
先輩の声の後ろから聞こえてくる、駅のアナウンス。聞き覚えがある。
あの子の最寄り駅だ。
あれ?何で?
『…先輩、今日はお出かけですか?』
『まぁね』
『恋人だったりしてー、はは…』
『うん。』
え?
『これからデートなんだ。申し訳ないけど、もう切るね。』
『あ、はい……』
引きつった笑みを浮かべて、私は携帯を持った下ろした。
ツー、ツー。
音が聞こえて、終わる。
無意識に上着を手に取っていた。




