203.一生無理だね
「君影の戦士を捕まえてくるとは流石、予想外の事をなさいますね。殿下」
騎士団本部、水鏡の間。
困ったように眉尻を下げて、ティム・クロムウェル騎士団長は微笑んだ。
無闇に会話を垂れ流さないよう、水鏡が拾えない距離と声量を保っている。部屋の奥までは入らずに立ち止まったアベルもまた、それは同じだった。
「ただ《客人》として来られると、我々が事情聴取できないのですが。貴方を襲った事とか?」
「その辺りは僕が聞いておく。」
「…君影は良く言えば神秘、悪く言えば得体の知れない国です。だからと言って王都の門をくぐらせない事はありませんが、貴方を襲った以上は聴取させて下さい。誤解があった事もお怪我もない事も聞きましたから、決して手荒には扱いません。」
「……明日の昼過ぎにでも、僕が話をする。その後ならいいよ。」
「ありがとうございます。」
にこりと微笑みを浮かべて返しながら、ティムは「アベル様らしくないな」と心の中で考える。
ツイーディア王国の北に位置する君影国は、かなり鎖国的で情報がなかった。
周りを囲む山々と年中発生している深い霧が来る者を拒み、国土が周辺各国の中で最も少ない事もあってか、あのアクレイギア帝国ですら君影国の事は狙わない。奪っても旨みが無いからだ。
嘘か真か死者に通じると言われ、怪しげなまじないをして見慣れない衣服を身に纏う。興味本位に立ち入った者は二度と帰ってこないとか、戻ってきた者は「化け物がいた」としか言わなくなったなんて昔話も聞いた事がある。
国境付近ではまったく交流がないわけではないそうだが、未知の部分は多い。
――騎士団に伝わる《血の契約》も、元は君影のまじないだって聞くし。もっと交流を持って深く知る事ができれば、有益な何かがあるとは思うんだけど。
そして、それがわからないアベルではないはずだ。
今回の件を脅しに使って強引に関係を切り開くほどではないが、ついでに話を聞かせてもらうくらいならこちらに損はない。
「空を見たけど、魔獣は父上の力を使うほど多かったのかな。」
「例のクマがいたんです。各門数頭から十頭ほど。」
「なるほど。あの威力は確かに厄介だね」
アベルの視線が三門の水鏡へ移った隙に、ティムは珍しく同行している護衛騎士、ロイへと視線を向けた。
彼は持っていた布包みを音もなくめくって見せ、その中からどこか見覚えのある剣先がきらりと覗く。ティムは引きつりそうになった頬を咄嗟に片手で押さえた。
――それは、機嫌が悪いわけだ。
アベルが七歳の時からずっと愛用している、第一王子ウィルフレッドと揃いの剣。
それが真っ二つ。
命を狙われ大事な剣を折られてなお、よく相手を殺さなかったものだ。未だ目覚めないという君影の戦士は、よほど言動が善性であったのかもしれない。人相は悪いそうだが。
『大刀か、珍しいね。荷物は一旦没収…いや、預かってるよね?見たいから後で持ってきてよ。』
『でも刀身粉々らしいですよ。』
『…なんて勿体ない事を……』
報告を届けに来た騎士との会話を思い出し、ティムはアベルが来たら言ってやろうと思っていた、「刀を見てみたかったんですが、壊さずに捕まえられませんでしたか?」というセリフを飲み込む事にした。
恐らく折れた剣の柄で砕いたのだろうが、第二王子殿下は相変わらず規格外だ。真似しろと言われて誰もができる事ではない。
「そうだ、殿下。ブラックリーが戻っていますよ。」
こういう時に丸投げすべき人物の名を挙げると、アベルの瞳が素早くティムへ戻った。長期任務だったので会うのは久々だろう。
「東門にいます。手合わせしてきては?」
「……馬鹿を言うな。状況ぐらい弁える。」
三門に押し寄せた魔獣は全て倒されたが、第二波が来た際に備えて各戦力は待機状態。東門にいるという事はブラックリーとて待機組なのだ。アベルと手合わせなどして体力を削るわけにはいかない。
さすがにその程度の冷静さは残っていると見て、ティムは満足げに微笑んだ。
「わかりました。君影の二人との面談、応接室を予約しておきましょうか?泊まる部屋と分けて丁寧な対応を見せた方が、娘の方も怯えないでしょう。」
「…頼む。時間は昼食後とでも。」
「はい。名目はどのように?」
「何でもいい。では、失礼する。」
アベルはロイを連れ、少し早足に水鏡の間を出て行った。
部屋の隅で暗がりに寝転がっていた物体――否、十三番隊の隊長バターフィールドが、のそりと顔を上げる。
「……。」
「何かな?」
恐らく自分を呼んだのだろうと考え、ティムは耳の横に手をあててみせる。
バターフィールドは少し声量を上げた。
「ミオメル方面は…駄目だった。でも、それより東の……バドロス湖の上空を通るなら、行けそう。」
オークス公爵達がいる方面に放つ《使い魔》はほとんど潰されるため、小型で殆ど能のない《使い魔》を多数放ち、まずは通れる所をずっと探っていたのだ。
ティムは「ありがとう」と返し、本命の《使い魔》に託す伝言を考える。
まずは王都を魔獣が襲った事、対処は問題なく済み、斥候を放ちつつ待機に入った事。
そして…
「追伸で、アベル様が見合いするって書いておくかな。」
今から遠回りをして届ける事を考えれば、伝言が届く頃には一行は既にシローファの街に着いているだろう。
見合いと書けばリビーは間違いなくすっとんで帰ってくる。アベルの命令を無視する事はないため、必ずシャロン・アーチャーとチェスター・オークスを連れて戻るはずだ。
そうすれば剣が折れて荒れているアベルも、娘が心配で青ざめている特務大臣も、少しは元の調子に戻るだろう。
――応接室の予約もそれにしておくか。あの令嬢との噂が出た事で、焦った貴族連中から「是非うちの娘にも会って云々」の手紙が来てるらしいし。書面に見合い一件と載るだけでも少しは言い訳になる。
「それじゃ、よろしく頼むよ。」
「……。」
こくりと頷いて、バターフィールドは遠距離用の水の大鳥を作り出した。
◇
街へ出かけるための衣服から王子としての装いへ着替え、アベルは君影国の旅人を客として迎えたこと、その際誤解があって互いに武器が折れた事を報告して玉座の間を辞した。
必要以上に怯えられた事も、あの二人には何か見えていたのだろう事も、話さなくていい。告げたのは当たり障りのないものだけだ。
与えた剣が折れた事について、国王ギルバートがそれを叱るような事はなかった。
歴代の王子が少年期に携えた剣は城で保管されているが、折れた物は非常に珍しい。身を守る為の剣を王子が実際にその手で振るい、折れる程の戦いに至る事がまずないからだ。
しかしアベルの使用頻度と六年近い年数を思えば、折れた事に何も不思議はない。元々、来月には慣例通り新たな剣を与える予定だった。
『お前が手入れを怠らなかった事も、その剣で多くの敵を切り、守ってきた事も確かなのだろう。誰に謝る必要も無い。』
『……は。』
『礼を言って眠らせてやれ。それはお前と共によく戦った』
折れた剣をその場で預ける事もできたが、アベルはそれを断った。
もう一人、報告するべき相手がいたからだ。
そうして兄の部屋の前に立って三十分。
未だノックできていない。
「………。」
蒼白な顔で指の背を扉へ向けたまま微動だにしない第二王子を、廊下の端から使用人や騎士達がちらちらと見やっている。
一番気まずいのは扉の横に立っているウィルフレッドの護衛騎士、ヴィクター・ヘイウッドだったが、アベルのそんな様子を初めて見た彼はとても声をかける事ができなかった。
室内にいるもう一人の護衛騎士、セシリア・パーセルがヴィクターの位置にいたのなら、きっと勝手に扉を開けていただろう。真面目なヴィクターは、アベルの心の準備ができないまま対面させるという暴挙に出られない。
どうしたものか。
ヴィクターが何度目かの冷や汗を流す頃、アベルがびくりとして一歩後ずさった。室内から足音が聞こえる。
扉を開けたのは、茶髪をポニーテールに結った赤紫色の瞳の女性騎士。セシリアだ。彼女はアベルを見るとにこりと笑い、一歩譲って部屋に入るよう促しながら室内を振り返った。
「アベル様だったぞ、ウィル様!」
「え?何だ、そうだったのか。」
勉強机の椅子から扉の外を見やったウィルフレッドは、薄い布包みを持って佇む弟を不思議に思いながら立ち上がる。なぜかウィルフレッドの後ろから机を覗き込むようにしていた数人の侍女が、静かに離れて礼の姿勢を取った。
「……?早く入りなさい。俺に用があって来たのだろう。」
「…………そうだね。」
苦虫でも噛み潰したような顔をする弟に「早く」と手振りし、ウィルフレッドは机に広げていた本や紙もそのままにティーテーブルへ移動する。
退室していくセシリアと侍女達に礼を言って、ウィルフレッドは向かいに座ったアベルへと目を向けた。
「そういえば、さっきから誰かいるみたいだぞ…なんてセシリアが言うから、驚いたよ。いつからいたんだ、お前は。」
「わからない。」
「……何があったんだ?まさか、シャロン達に何か…」
「そうじゃない……ちょっと、報告があって。」
「うん。」
普段は相手の目を見て話すアベルが、今はじっとテーブルに視線を落としている。
ウィルフレッドは不安に眉を顰めながら頷いた。優秀な弟がこれほど言い淀むのであれば、相当に重い話なのだろうと察して。
ごくり、アベルが喉を鳴らす。緊張しているのだろう吐息が漏れた。
ウィルフレッドの青い瞳がじっと見つめる前で、テーブルに布包みが置かれる。アベルは剣の柄に手をかけ、すら、と抜く音は途中で消えた。
布が解かれ、折れた剣がテーブルに乗せられる。
「…これは……」
信じられない気持ちで、ウィルフレッドは呟いた。無意識に眉根を寄せ、テーブルの上で拳を握る。アベルが剣を折られた。それは弟の強さを知っているウィルフレッドにとってあまりに衝撃的だった。
「……ごめん、ウィル。」
「何を謝るんだ。お前が無事でいてくれてよかった、アベル。」
ひどく自分を責めるような声で呟いたアベルに、ウィルフレッドは微笑みを浮かべて言う。アベルはようやくちらりと兄の瞳を見て、少しだけ緊張を緩めた。
「魔獣の襲撃は三門で食い止めたと聞いたけど、まさかそこへ?」
「いや…街で君影国の娘を助けたら、その護衛に勘違いされて戦闘になったんだ。」
「君影国の出身?珍しいな…」
武力面でどういった国かはあまり資料を見かけなかったが、刀という片刃の武器がある事くらいはウィルフレッドも知っていた。アベルが対処できないような戦闘技術を持っているとするなら、注意が必要だろう。万一にも戦争にならないよう、探し出して誤解を解く必要がある。
「怪我は?治してもらったのか?」
「僕は怪我してない。向こうには…それなりの一撃を入れたけど…」
「うん?」
きゅっと眉を顰めて聞き返すと、アベルがサッと視線を泳がせた。
「気絶させただけで、殺しかけたりはしてない。断じて。」
――……、ちょっと待った。
「相手は何人かいたのか?」
「大男一人。娘の方は座り込んでたし、戦えないと思う。」
「剣を折ったのは、お前が気絶させた男?」
「うん。今日は娘共々客間に泊まらせるという事で、陛下にも報告してきた。」
ウィルフレッドは瞬いた。
話す事を迷うようにしばらく部屋の前で佇み、重く視線を落とし、緊張した様子で何かと思えば。
――アベルはもしかして、自分が剣を折られるほど強い敵がいた、逃げられたから今後注意しなきゃならない……って話をしにきたわけじゃないのか?それなら、最初の「ごめん」というのは……
「そうか」
すとんと納得して、ウィルフレッドは立ち上がった。
座っていた椅子の背に手をかけて、アベルの真横へ置き直す。驚いた顔で見上げる弟の横に座り直すと、柔らかい黒髪をくしゃくしゃと撫でた。
「な、何…」
「お前はね、何も謝ることないよ。」
ウィルフレッドは腰に提げていた剣を抜き、折れた剣の横に並べる。
この世に二本しかない、同じ意匠の剣。
どちらもよく手入れされているが、明らかにアベルの剣の方が使い込まれていた。実戦に使用された回数がまったく桁違いなのだから、当たり前だ。
「俺がどれほど、何もしていないか…」
「ウィルが手を汚す必要なんてない。」
早口に言い切った弟を見ると、あからさまに眉を顰めている。アベルときたら、自分が血をかぶったり人殺しと言われる事には何の躊躇いもないのだ。
テーブルに頬杖をついてアベルを覗き込むようにしながら、ウィルフレッドは苦笑した。
「お前は俺に過保護過ぎやしないか?」
「……。」
「ふふっ、自覚があったのか。頼りない兄ですまない」
「そういうわけじゃない。」
「なぁ、どれくらい強くなったらお前に心配されないだろう?」
騎士団の隊長クラスか、レナルドやティムくらいか、あるいはもっと上なのか。どう答えるかなと考えるウィルフレッドを見下ろして、アベルがすっぱりと答える。
「一生無理だね。」
「ひどいな。」
「ウィルだって僕を心配してくれてるでしょ。……関係ないんだよ、そこは。」
――誰かを守りたいという気持ちは、守ろうとする事は、その相手より強いか弱いかなんて関係ない。
かつて自分がたどり着いた答え。
今となってはもう当たり前になっていた事を、まったく逆の立場から言われて、ウィルフレッドはくしゃりと笑った。
「そうとも。だから揃いの剣が折れたって、お前が怪我をするよりよっぽどマシなんだ。」
最初と同じ事を言ったのに、アベルは今理解したような顔をする。
そして少し照れくさそうにして、ようやく笑った。




