200.それが彼のストライク
「二人がいてあたしが呼ばれたって事は、久々にアレですか?」
水鏡の間。
騎士団長ティム、副団長レナルドと目を合わせて、個の力を重視する十番隊、その副隊長ロナガンが聞いた。眼鏡のつるに指先をあててカチャリと直し、薄紅を塗った唇は弧を描く。藤色の長髪は高い位置で団子を二つ作り、細いツインテールに流していた。
「もちろん。よろしく頼むよ、ロナガン先輩?」
「わぉ、今更くすぐったい呼び名ですね。やめましょ、団長。」
ティムが困り顔でわざとらしく小首を傾げ、ロナガンは大げさに肩をすくめる。彼女はティムとレナルドより幾つか年上であり、二人にとっては新兵時代の先輩なのだ。
「宣言。風よ、我が眼となり吹き渡れ、かの地を映せ。」
八番隊の二小隊が並ぶ前で、レナルドは宣言を唱える。ティムはレナルドがつけている物と同じ黒い眼帯を取り出すと、自分の右目を覆い隠した。ロナガンは二人の中間に立ち、それぞれの頭に手をかざして両目を閉じる。
「いきますよ――宣言。レナルド・ベインズ。その右目に映りしもの全て、ティム・クロムウェル。その右目へ映るものとする。あたしを通じて写し取り、移し与える――…スタート!」
ロナガンのスキルは《念写》。
誰かが今思い起こす記憶を、あるいは今見ている視界を自分の脳内で確認できる。彼女の場合はそれを一人に限って他人にも見せる事が可能だった。
レナルドが《遠見》のスキルで閉じた右目に映す景色を、ティムの右目に見せている。
正門の外を防壁の上から見下ろすような視界。
二番隊の騎士達が炎を吐くオオカミと戦っている。遠目に見えると報告を受けていたクマものしのしと近付いてきていた。ティムは右目で正門の外を、左目で水鏡の間を見ながら口を開く。
「宣言。闇よ、」
《ドカァアアアン!》
宣言を唱え始めた瞬間、正門に通じる水鏡から爆音が響いた。
《遠見》の視界では正門の街道がベコンと大きくへこみ――後で直さないと馬車が通れないだろう――そこにいた十数体の魔獣達が血肉と化している。へこみの中央から小柄な女性が拳を高く掲げて飛び出し、高笑いしながら何か喋っていた。
水鏡から、遠くで叫んでいるような声が微かに聞こえてくる。
《なーっはっはっはぁ!宣言!水よ降れ降れ雨あられのごとーく!二番隊のひよっこども、守りは任せたぁ!!》
「あ、副隊長の声だ。」
「ひよっことか言ってる…」
「エッカート隊長出てった後でよかったな。」
八番隊の騎士達が顔を見合わせて頷く。続けて焦ったような声が聞こえてきた。
《待ってくださいピュー副隊長!その辺の荷馬車に当たると弁償になっ――》
《さぁ鋼のように硬く、尖り、降り注げっ!!水・鋼・連・弾ッ!!》
《ドガガガガガガ!!》
《ほ、報告します!ピュー副隊長により街道および詰所の屋根がぁあっ!?》
《ボコン!ガラガラガラ!!》
《がーっはっはっはぁ!待たせたなピューよ!さぁ暴れるぞ、王都には一歩も踏み込ません!!》
「減給。レナルド、東門。」
「わかった。」
正門に増援は不要と判断し、ついでに壊した設備の修理費は自腹を切らせる事を決め、ティムは淡々と指示した。八番隊員達がしんみりと頷き合い、レナルドは風景が色の流れにしか見えないスピードで視界を動かす。
「宣言。闇よ、お前は全てに通じている――開け。」
東門が見えた瞬間にティムは宣言を唱え、スキルを発動させる。
水鏡の間と東門へ、同時に闇の《ゲート》が開かれた。騎士達が通りやすいよう、扉サイズの長方形の闇が床から一センチほど浮かんでいた。
「八番隊、第一小隊行きます!」
控えていた八番隊の騎士数十名が突撃し、全員通りきった時点でティムは《ゲート》を解除する。続けて西門も同様にし、第二小隊が飛び込んでいく。
ティムが解除するより早く、ロナガンが目を閉じたまま申し出た。
「団長、あたしも行ってきていいですか?『キャメロン・ペッパー』の新ネタ、まだなんですよ。」
「いいよ。そのつもりでこっちを後にしたからね。暴れておいで」
「へ?…まぁいっか、《念写》解除!行ってきます!」
二人に手をかざすのをやめ、ロナガンは両目を開く。腰に佩いた剣を抜き、にたりと笑って《ゲート》へ飛び込んでいった。
戦いの中で冒険小説のネタを閃く、彼女はそういう小説家だ。
「久し振りにやると、くるね…。」
「多用するものじゃない。大丈夫か?」
「なんとか。」
《ゲート》を解除し、ティムは眼帯を外して指先で眉間を揉んだ。
片目ずつ別々の場所を認識し、かつ魔法を使う事は精神に強い負担がかかる。ティムは王都であれば距離を自分の記憶から計算してやってのけるが、誰にでもできる事ではない。《遠見》を行うレナルド自身ですら、見えた先に魔法を発動させる事はできないのだ。
だからこそレナルドは普段から隻眼で行動し、しょっちゅう別の場所を右目で見ながら左目で周囲を判断している。あらかじめ脳と身体を慣らしておき、緊急時に《遠見》で状況を確認しつつ、その場へ駆けつけられるように鍛えていた。
「陛下が張った壁も見えた。東門はあいつが着くまでもてば大丈夫だろう。」
「うん。…バター、首尾はどうかな。」
ティムが水色の瞳を部屋の外へ向けると、もさもさとした青紫の髪の男、十三番隊の隊長バターフィールドがやや顔を上げた。
彼は廊下で開け放った窓の横に座り込んでいる。のっそりと立ち上がった背丈は百八十五センチほどあり、顔の下半分を襟巻で隠していた。前髪からギリギリ見え隠れする紫色の瞳がティムを見る。
「…………。」
何か喋ったのかもしれないが、ティム達には聞き取れなかった。レナルドが眉根を寄せ、促すように黒手袋に包んだ左手を彼に向ける。
「バターフィールド、きちんと喋ってくれ。ニコルはいないぞ。」
「……《使い魔》は…」
ぼそり、声量を上げて彼は呟いた。
多種多様な《使い魔》を同時に百以上も発動させられるバターフィールドは、《使い魔》持ちとして史上最高の使い手だと言われている。
「……全滅。」
目をそらして、バターフィールドは消え入るような声で囁いた。
ティムの指示は、魔獣を送り込んでくる敵方の《ゲート》に使い魔を飛び込ませ、その送り元の位置を持ち帰ること。通常《使い魔》にそこまで高度な事はできないが、バターフィールドがそれ専用として作り出せば、地図を見せて位置を示させる事も、案内させる事もできる。
「やっぱりそう簡単にいかないか…。」
《ゲート》は人がくぐる途中で解除すると凄惨な事になるため、騎士に入らせるわけにはいかなかった。
ティムが難しい顔で唸ると、バターフィールドは何か言い淀むようにちらりと視線を彷徨わせ、ぼそぼそと呟く。
「二十羽くらいは……ピューにやられた……。」
レナルドは静かにこめかみを押さえ、ティムは困り顔で微笑んだ。
敵の魔法も自主的に避けるバターフィールドの《使い魔》を撃ち抜くとはさすが、と言うべきか、狙ったのではなく巻き込んだのだろうから、とんでもない奴だと言うべきか。
「大臣に送ったのも消された?」
ティムの問いにバターフィールドが頷く。
シローファの街へと発った軍務大臣、パーシヴァル・オークス公爵一行のことだ。引き返してもらう必要はないが、襲撃があった事実だけ報告しておこうと考えたものの、届かず。
「襲撃が今日なの、わざとって感じがプンプンするよね……」
白手袋に包んだ手を顎にあて、ティムは目を細めた。
第二王子アベルが懸念した通りに、やはり何か起きるのだろう。これから第二波、第三波と魔獣の襲撃が繰り返される可能性だってある。下手に増援を出すわけにはいかない。
――もしものためにガイスト達をつけたわけだから、大丈夫とは思うけど。
《こちら西門、八番隊に続きロナガン副隊長、エッカート隊長が合流し――》
《団長!呼ばれてませんが来ましたニコルです!ハァハァ、どうかもっとお近くへ!!》
《ニコル副隊長、鼻押さえてください!掃除大変なんですから!》
西門に繋がる水鏡が騒がしくなった。
輝く金髪をティムとお揃いに右で二つに結っている美少年――と言っても実年齢は二十一である――が、だらだらと鼻血を流しながら恍惚の表情で水鏡を覗き込んでいる。
《遠吠》のスキルを持つニコルは、音量調節まで可能という彼自身の実力でもって、集団に対してはロナガンやエッカートを遥かに凌ぐ制圧能力を有していた。
ただしそれは、味方全員を守る風の防壁を張れる場合である。そうでなければ眩暈や失神を起こす程の爆音に巻き込んでしまう。乱戦には向かず、剣術の腕は他隊の小隊長と同程度。
それでもサポート部隊の十三番隊で副隊長をしているのは、彼が基本的な所で非常に優秀だからだ。
誰と組んでも持ち前の明るさですぐに打ち解け、戦術においては主張し過ぎず、味方の実力とペースに合わせる事ができる。
書類の絡む雑務も隊の予算管理もさらさらとこなし、あまつさえバターフィールドの言葉が完全には聞きとれずとも、意図を汲み取る事までできた。そのせいで隊長の声がさらに小さくなったという十三番隊員の嘆きもあるにはあったが、ニコルは優秀な騎士なのだ。基本的には。
「ニコル。上層部の判断を待つけど、少なくとも今日一日は閉門になると思う。決まったらまた《遠吠》を頼むよ。」
《わかりまひた…はぁあ、う、美しい~~……》
鼻血と涙を流すニコルに、二番隊員だろう誰かが無理矢理タオルを持たせている。自身も整った顔立ちをしている彼は、老若男女問わず美人を見るのが大好きだった。
特に、困り顔。
困った顔、困りながら笑う顔、困って悲しげに目を伏せた顔。美人のそういった表情が彼のストライクであり、常に困り眉のティム・クロムウェル騎士団長に出会った時には思わず平伏した。
ティムだけでなく国にとって幸いだったのは、ニコルが「自分が困らせたい」と思うタイプではなかった事だろう。彼はただ美しい者達を見られたら幸せなのであり、美人に迷惑をかけたいわけではないのだ。
ちなみに入団理由は、美形揃いの王家や五公爵家を見る機会を増やしたいというものである。
《ほ……報告します。》
妙な沈黙が漂った水鏡の間に、東門へ繋がる水鏡からの声が響いた。水面に映る騎士は詰所の窓を見ているのか、視線をどこぞへ投げたまま唖然としている。
《東門、魔獣殲滅されました。》
「そう?早いね、お疲れ様。」
《いえっ、自分は何も……八番隊の皆と、それから》
騎士は瞬き、目に映る光景が現実だと再認識し、こちらを向いた。困惑と怯えが混じった表情をしている。
《それから…ブラックリー隊長が来まして、ほとんどお一人で…》
――あぁ、やっぱりね。
「わかった。これで終わりとも限らない、彼にはそのまま残るよう言っておいて。」
《は、はい!すぐに。》
ブラックリーがどこぞへ歩き出そうとでもしたのだろう、騎士は慌てて駆け出した。
十番隊長、ブラックリー。
ティムが騎士団長に任命されて十番隊長ではなくなる時、後任に選んだ男だ。今日、恐らく今ぐらいの時間に彼が任務先から戻るだろう事を、ティム達は最初から知っていた。だからロナガンを西門へ向かわせたのだ。彼女は、上司が戻る日を失念しているようだったが。
オオカミが吐く火で草原のあちこちが焼け、クマが放つ突風は商人が置き去りにした荷馬車を粉々に吹き飛ばした。壁に穴を空ける事でも刷り込まれていたのか、突風は幾度か王都の防壁を襲ったが、国王ギルバートのスキルによって張られた壁はびくともしない。
久し振りの敵襲に王都全体が騒がしくなったその日。
確実に大人しくしてはいないだろう人物の名を聞かないと気付き、ティムは瞬いた。
「アベル様はどこだ?」




