1.私は親友キャラ
「うぅ……」
目が覚めると、私は自室のベッドで横になっていた。
広い部屋に大きなベッド、見るからに高級な調度品……ここは都会のアパートの一室ではなく、王都にある貴族屋敷…それも公爵邸の一室なのだ。
疲労感の残る身体をゆっくりと起こして、サイドテーブルの水差しを取る。
「私…私は、シャロン・アーチャー……」
むしろ、私「が」と言うべきなのかしら。
唸るように呟いてグラスに水を移し、令嬢にあるまじき豪快さでグイと飲み干した。知恵熱でも起こしそうなこの頭も少しは冷えるでしょう。
窓の外を見ると、日はすっかり傾いてしまっていた。
ベッドの上で膝立ちになり、窓の額縁に手をつく。庭には誰もおらず、テーブルも何もかも片付けられていた。
「やってしまったわ……」
誕生日パーティーで主役が、それもわざわざ来てくださった王子殿下の目の前で叫んで気絶。やらかしたとしか言いようがない。
あの後お父様とお母様はさぞ大変だったろうと、再び血の気が引いて頭を軽く横に振った。
落ち着いて、まずは状況を整理しましょう。
冷静にならなくては。私はもう一杯少なめに水を飲んでベッドに座り直し、軽く腕組みをしてから顎に手をあててみる。
【ツイーディア王国物語~凶星の双子~】
私が前世でプレイした乙女ゲームのタイトルだ。
攻略対象は双子の王子とその従者二人、条件を満たすともう一人が追加され、計五人。
シナリオ進行は大きく二つに分かれており、王立学園に通う初年度《学園編》と、卒業から数年後の《未来編》がある。
学園編の終盤では重大事件が起き、それによって崩れたボロボロの未来で戦う攻略対象を主人公が支えていく。それが主な流れだ。
重大事件、それは――…第一王子ウィルフレッドの暗殺。
それを機に、元から冷酷と噂のあった第二王子アベルはますます心を閉ざしてしまう。
武に秀でていた彼は玉座を継いですぐ王国を帝国と改め、周辺各国を戦争で飲み込んでいく恐るべき皇帝――ゲームの役割で言えば《ラスボス》として君臨する。
ウィルフレッドルート以外の全てでそうなる上に、バッドエンドの多くは主人公もしくは攻略対象がアベルに殺されて終わる。
プレイヤーはどうしても、アベルの姿が一番目に焼き付くのだ。
前世の私は攻略サイトを見なかったから、正規エンドにたどり着くまで何回も何回も、アベルに主人公を殺されている。
最終的に彼が鍵となって記憶を思い出したのも頷けるわね。
ちなみに、ウィルフレッドルートを選ぶとアベルが死んでしまう。
サブタイトルの通りこの二人は双子なのだけれど、どうあっても二人とも生き残る未来は無い。
そしてハッピーエンドも無い。
恋が成就しつつ生き残ったルートは正規エンドである。
「…泣いたなぁ……。」
ぼそりと呟いた。
今思い出しても涙ぐんでしまう。なぜそんなにも死ななければならないのか。
何なら、メインヒーローのはずのウィルフレッドルートでは主人公が生死不明だ。
ウィルフレッドを庇って怪我を負い、勝利を収めた彼が主人公を抱えて「終わったよ」と声をかけ、しかし返事がない。不思議そうに名前を呼んで……終わり。
流石に生きてたと信じたいけれど、不安は残る。
そして生き残ったとしても、やたら重荷を背負って生きる事になる。
だって、友達や兄弟は死んでいるのだから。心に傷を負った主人公と攻略対象が寄り添い、俯きながらも歩き出して……終わり。
五つの正規エンド全てをクリアした後、息も絶え絶えに見た感想掲示板も荒れていた。
「和解してほしかった」「ラスボスとの決着(物理)はついたから…トゥルーエンドってやつ」「どうして幸せになれないのか」「大団円ルートなんてなかった。いやまだ隠しであるかも」「大団円はない」「少なくともヒロインとくっついたから良し」「救いはないのか」「このキャラ殺す必要あった?」「こんな気持ちになるならプレイしなければよかった」「どうして死んでしまうのか」「救いのあるファンディスクを頼む」「周回中。逆にハッピーになってきた。死こそ救い」「ハッピーエンドの定義って何?」「《幸せ》とは 検索」
「………。」
私は頭を抱えてしまった。つらい。死んでほしくなんてなかった。
でも――…でも、私はまだ十二歳で。
《学園編》の舞台……ドレーク王立学園への入学は来年のことだ。
私は殿下達と同い歳なので、事件が起きるのはまだこれから。正直なんとかしたい。
なんとか…
――するには、力がなさすぎではないかしら?
自分の小さな両手を見つめる。
私、シャロン・アーチャーは公爵令嬢だ。座学やダンスはできても、戦いに強いわけではない。
ゲームでは礼儀正しく優しい親友キャラとして登場する。平民である主人公にも分け隔てなく接し、良き友人として学園で同じ時を過ごすのだ。
しかもシャロンは筆頭公爵家の令嬢として、ウィルフレッド達と入学前から知り合っている。
会話イベントで「気になるあの人について」聞けば、好感度や趣味などの情報を教えてくれた。
学園編で得た好感度によって誰のルートに入るか確定するため、特に初プレイ時はシャロンからの情報が欠かせないのだ。
そんな私も死ぬ。しかも全ルートで。
卒業後の未来編でも主人公と攻略対象を影ながら応援し、支え、「もうじき最後の戦い!」という時までいるのだけれど、国内の情勢に危機感を覚えたお父様の計らいで隣国へ嫁ぐのだ。
涙ぐむ主人公の手を握り、喝を入れて別れる。
学生時代からずっと側にいてくれた、最後まで心強く優しかったシャロン。
《隣国への道中、何者かに襲われて死亡。》
そんな報せだけが届く。
最後の戦いを前にして主人公を、数多のプレイヤーを絶望の底に叩き落とした。前世の私は違うルートをやる度に「シャロンまた死ぬの!?」と思ったものだ。
本当になぜ殺される必要があったのかしら。単に隣国へ行って退場では駄目だった?
主人公じゃない、力も弱い、全ての未来で殺される私。
気持ちが暗くなる。
小さな手は、ぎゅっと握りしめたって弱いままだ。
……けれど。
ひとつ深呼吸して、顔を上げる。
シャロンとして生まれたなら、あの物語の主人公にはなれない。抗う力も無いのかもしれない。殺されてしまう可能性も高い。
「――なら、強くなればいいわ。」
はっきりと声に出して言った。
知らなかったならしょうがない。でも、知っているなら。悲しい未来にしたくないのなら、変えられる事から変えなくては。まずは自分自身を。
強いはずなのにどこか脆い彼らが、死なないように。襲われたって殺されないように。
前世の私と共に戦ってくれた主人公が、悲しまないように。
何も知らなかったシャロンは、お淑やかな公爵令嬢として生きた。
護衛が守ってくれる上に、少しは魔法も使えた。だから、そこまで。
知っている私は、未来に備えて鍛えていこう。
誰かが守ってくれると気を抜かず、たとえ自分だけでも乗り越えられるように。
自分だけでなく、誰かをも守るために。
強さを手に入れなくては。
そして叶うなら、誰も――
「殺させない。」
前を見据えて呟いた。
く~…。
「………。」
自分以外誰も見ていない、聞いていないのに顔が赤くなる。
何も…何も今、鳴らなくたって。
強くなるためにも、まず私には夕食が必要なようだ。