198.友人は応えない ◆
『ちょー呆気ないな』
崖下を覗き込んで、少年が呟く。
振り返って後ろの二人に近くへ来るよう促すと、片方――ダスティン・オークスが、光の魔法で遠い崖下を照らした。
一台の馬車を囲むように隊列を組んだ騎士の一行が、互いの間隔を保ったまま、横倒しになって空中に静止している。少年は軽く手を振り、スキル《空間固定》を解除した。
ガシャンと音を立て、空中に留め置かれていた馬車が、十人の騎士達が落ちる。
固定した空間へ強い衝撃を与えると内側にも響くため、酸素欠乏に加えて転落のダメージを受け、彼らは全員――とうに死んでいた。
『…宣言。風よ、私を浮かせろ』
先程まで歓喜し、興奮した様子だったダスティンは、なぜか不機嫌に顔を顰めてそう唱えた。崖下へと降りていく彼を追い、少年ともう一人、フードを目深にかぶった青年が続く。
ざく、ざく。
木の枝に着地した少年達とは違い、ダスティンは雪の上に降りて馬車に近付いた。持っていたカンテラを掲げ、ほんの数秒待つ。
中からは何の音も聞こえない。
『……死んだのか。兄貴』
ダスティンは抑揚のない声で聞いた。
その目が細められ、まるで深い眠りから目覚めたようにゆったりと瞬く。
『…は、ぁ……?』
徐々に目を見開き、横倒しになった馬車を凝視して、ダスティンは「信じられない」という顔で首を横に振った。呼吸が乱れていく。
『なん…え、……そうだ、俺は……俺が兄上を、ビビアナを――…』
カンテラが手から離れて雪の上に転がった。
綺麗に整えた髪をぐしゃりと掻き混ぜ、ダスティンは膝をつく。
『あ………アァアアアァァアア!!!』
うずくまり、叫び、涙を流して自分の頭を殴りつけた。
少年はそれを眺めながら大きな欠伸をする。青年は動揺した様子で少年とダスティンを見比べていた。
『俺は、俺が全部壊し……あぁどうして、何で忘れて…俺なんか、俺なんか俺なんか俺なんか!!』
『あ、もしかしてお前、初めて見たのか?あいつ、アレが元の性格なんだってさ。』
『何言ってやがる…』
『たぶんこれでもう見納めだろーけどな。ホラ、壊れたっぽいし。』
『………。』
青年は顔を顰め、黒い瞳を下へ戻した。
自傷を繰り返すダスティンは確かに、もう狂ってしまったのかもしれない。
誰かの名を、謝罪をひたすらに呟きながら顔を引っ掻き、殴り、ぶつけ、血を垂らしながら雪の中を歩いて、近場で死んでいた騎士に近付いた。
『あ。流石にやべーかも』
少年が言う。ダスティンは死体の腰にあった剣を鞘から引き抜いた。
『ハァ…ハァ…俺は……ウァアアアアアッ!!』
刃を自分の首に押し当て、絶叫する。
しかし首に痛みがはしった途端に剣の向きを変え、目の前の死体へ突き刺した。
『ふざけるな!!』
唾を撒き散らして怒鳴り、首に手をあてて治癒の魔法で止血する。激痛に顔を顰めながらもひとまずあちこちの傷を塞ぎ、ダスティンは少年達を睨みつけた。
『さっさと止めろ、私を見殺しにする気か!!』
『すげー変わりようだよな!ぷぷ。ウケる』
『ああクソ、なぜ私が死なねばならん!アイツめ、最後まで腹立たしい…!』
ダスティンは剣を引き抜き、苛立ちのままに騎士の小柄な身体を切りつける。血が飛び散っていく。ローブが裂け、まだらに赤く染まった藍色の髪が見えた。ダスティンの手は止まらない。
『なぜ…なぜだ!兄貴はあんな小僧に殺される男ではない、私に殺される程度の男ではない!部下が微塵になるぞ、何をしている、妻を殺されたんだぞ、早く出てこいパーシヴァル・オークス!!私を見ろ、私が突き落としてやったんだ!認めろ、私がッ、私、を…!!』
返り血を浴びて汚れようと、死体が肉塊に変わろうと。ダスティンはその場で喚き散らすばかりで、横倒しの馬車の中を確認しようとはしなかった。上へ乗って扉を開ければきっと、望んだ光景が、オークス公爵夫妻の死体があるだろうに。
少年は首を捻ってパキパキと鳴らし、不満そうな声をあげる。
『……なあ、それいつまでやってんだ?オレもう腹減ったんだけど。』
少年は口の横に手をあて大声で言ったが、ダスティンには聞こえていないらしい。
『はぁ。とりあえず上で仕掛け動かして帰るか。それでいいよな?依頼はこなしたし。』
『…いいんじゃねーの。』
『おっけ、そんじゃまったなー!』
彼の仕事は一行の動きを止めること。殺しの実行はダスティンが。依頼通りに事は済んでいる。
大きく手を振って、少年は崖の上へ飛んで行ってしまった。
『これは……』
乗ってきた馬から降り、一人の騎士が呟いた。深緑色の髪を細いポニーテールにした彼の後ろで、もう三人の騎士も同じように馬から降りて周囲を見回す。
年末にあった違法増強剤《スペード》を扱う商会の摘発においては、取引相手の男爵は失踪したものの倉庫は制圧し、どこぞの公爵領で《ハート》が作られているらしいとの情報も得られた。
自分の領地で万一があるならと、オークス公爵はいくつかの街に目星をつけ、騎士が先行調査した結果、残念ながら確証を得てしまう。
直接確認へ向かう公爵に夫人も同行し、警護の騎士もついた。
しかし当日になって急遽、騎士団長ティム・クロムウェルの指示で後を追ったのがこの四人だった。《先読み》でも特に気になる事象は見られなかったものの、念の為に。
その場にいた第二王子から護衛騎士ロイ・ダルトンを連れて行くかと提案があったが、失踪した男爵の捜索にも手がほしいこと、オークス公爵一行は本人含め強者揃いのため、さほど心配がない事から四人だけの出発となった。
かくして公爵の馬車を追ってきた彼らだが、目の前の道は大きな何かを横へ引きずったように雪が削られている。降り続ける雪も、その痕跡を覆い隠すには至っていない。
轍は途切れ、引きずった跡は崖へと続いている。結果を想像して全員が顔を曇らせた。
ダークブラウンの髪を後ろでちょこんと結った騎士が身を乗り出し、崖下を覗き込む。明かりの一つもなく真っ暗だった。
『…ベアード、やばいぞ。全員死んでっかも。』
『とにかく降りて生存者を探そう。…何だ、この音は?』
ゴゴゴゴ、と響いてくる音に四人は辺りを見回す。
直後、後方にあった高い壁から大量の雪が飛び出した。
『宣言!風よ阻め、盾となれ!!』
ベアードが咄嗟に発動させた魔法で、四人を囲うように突風のドームが現れる。周囲はあっという間に白一色となり、僅かに聞こえた嘶きが即座に途切れた。
ドームの天井にかかる負荷がどんどん増していく。雪が積み重なっているのだ。魔法が途切れた瞬間に潰されるだろう。雪崩が落ち着くまで耐えきれるかどうかも、その後埋もれずに抜け出せるかもわからない。考える間にも雪の重さは増し、外との距離が開いていく。
『く…全員離れないように掴まれ!ガイスト、お前の魔法で空に飛ばせ!』
『俺!?加減できねぇぞ!』
『全滅よりマシだ!早くしろ、もうもたない!』
『っ宣言!俺らを飛ばせ、風よ吹き上がれ!!』
ガイストの発動に合わせてベアードが魔法を解除し――次の瞬間、人体には負荷の強い速さで四人の身体が雪崩を突っ切り、空へと吹き飛んだ。
なぎ倒した木々をも巻き込んで、眼下を雪の大波が通っていく。
ガイストは激痛に顔を歪めて歯を食いしばった。一瞬雪崩に飲まれかけた右脚が、強引な突破によって折れたのだ。ベアードならそうならないよう風の防壁も張るのだろうが、ガイストは同時に複数の魔法を使う事ができない。
『宣言…ッ風よ我らを浮かし、運べ!』
一人が唱え、風に支えられた四人は雪崩の範囲外まで移動し、着地した。
さっきまで立っていた山道が、公爵達がいるはずの崖下が真っ白に覆い隠されている。たとえ交代で魔法の壁を張っても、重量に耐えながらでは外に出るまでに魔力が尽き、全員埋まっていただろう。
呆然とその光景を見つめるガイストの横で、ベアードが崩れ落ちるように膝をついた。
『王都に…連絡、を…』
『おい、大丈夫か?』
『……悪い、エイブ……』
『は?…ベアード?』
珍しく名前で呼んできた友人は、雪の上に倒れた。
頭から流れる血が雪にじわじわと染みていく。思わず手を伸ばしかけたガイストを止め、騎士達は黙って首を横に振った。
彼らも怪我を負ったのだろう、一人は片足立ちで、一人は肋骨を押さえている。
『ベアードの判断は正しかった。ガイスト、お前のお陰で助かったよ。』
『雪崩の前から馬車は転落していたと…必ず団長に伝えよう。一度ミオメルに戻って…』
労いも今後の話も、聞こえているが頭に入らない。
ガイストは視線を戻した。
『メル……おい、メルヴィン。』
友人は応えない。虚ろに開かれた目はどこも見ていない。
どこか冷静に、「あぁ、死んだのか」と理解した。
――ガイスト、少しは魔法の練習もしろ。
――どうせこれ以上見込みねぇよ。いいんだって、俺は魔法無しでも強いし!お前みたいに魔法が得意な奴もいっぱいいるんだしさ。
――お前ほど高威力は出せないんだ、いざって時に頼れないようでは困るだろ。
――わかったわかった、また今度な。
ガイストは瞬き、膝をつく。
折れた脚の痛みなど麻痺していた。ベアードは死んだ。さっきまで無傷だったにも関わらず、頭部に重傷を負って。おそらく雪崩を突っ切る時、流されていた木か石があたったのだろう。つまり
『……俺が殺したのか?』
それは違うと二人は言ったが、ガイストの耳には届かなかった。
『……もっとだ』
傷や汚れの残る顔で、ダスティンが呟く。
崖があった場所は真っ白に塗り潰されていた。
『もっと、兄貴が嫌がること……そうだ、あの方が言っていた通り、チェスターを使って…ジェニーも私のモノに……そうしたら兄貴は私を捕えに来る。私の力を認める……公爵になれば…アイツじゃない。私が…私こそがダスティン・オークスなんだ……』
雪崩から逃れた数人の騎士が引き返していくが、ダスティンの目には映っていないらしい。馬を失った彼らは風の魔法の後押しで駆けていく。
一人が仲間の死体を背負っているのを見て、「邪魔なんだから置いてきゃいいのに」と思いながら、青年はダスティンに目を戻した。
『で、どーすんだよ。』
ダスティンはブツブツ呟いていたが、やがて淀んだ瞳で青年を見た。
『学園では色々とやってもらう。』
『……金がもらえんならな。』
『チェスターと…周りの連中の顔を覚えておけ。第二王子の視界にはできるだけ入らずにな。』
『んだそりゃ…』
『あの方が惚れ込むほどだ、騎士団とも繋がり深い。なら、避けた方がいい…』
『わかったよ。んで、何しろって?』
青年はフードを下ろし、短い灰色の髪をがしがしと掻いて聞く。
王子の話が出た以上、今日より更にヤバイ事に首を突っ込む事になるだろうと思いながら。
『学園には特殊な植物がある。少々人の認識を操れる代物でな…暗示というやつだよ。』
『…へぇ?』
『考えた事もないものは無理だが、不安や妄想を事実と思い込ませる事は可能だ。たとえば』
追い込む手段を、追い込まれた者の顔を想像して、ダスティンはニタリと笑った。
『誰かに話せば、妹は確実に殺される…とか、な。』




