197.事件の前提
夜の山道を光の魔法で照らし出し、一行は旅人の街シローファへと向かっていた。
馬車の中には未だ目を覚まさないビビアナを寝かせ、パーシヴァルとチェスターが付き添っている。シャロンも中へと勧められたが、家族だけの方が良いだろうと辞退してダンと共に馬に乗っていた。
ランドルフは重傷者ではあるものの「大体治ったから馬くらいイケる」という医師、イーリイの太鼓判のもと騎士の後ろに乗せてもらっている。顔色は悪いが街まではもつだろう。
気絶したダスティンは魔法を使えないよう黒水晶の手枷を後ろ手に嵌められ、猿轡を噛ませた上で縛って荷物のように馬に括りつけられている。
「え…女の子だったの!?」
「はい、実は…。」
ダークブラウンの髪と瞳を持つ童顔の騎士、ガイストが手綱を握ったまま唖然としてシャロンを見つめた。シャロンは照れ笑いを返しつつ、すぐ後ろのダンにひそひそと言う。
「ダン、聞いた?私の男装もそれなりに極まったと言えるのでは――」
「失礼にも程があるだろ!一目見てわからなかったのかお前は。」
ベアードが呆れ顔で首を横に振った。深緑色の細いポニーテールが揺れる。フードを目深にかぶったまま、イーリイは鼻で笑った。
「ハン、どう見たって男の服着ただけのお嬢ちゃんじゃねぇか。テメー目ぇ腐ってんだな。」
「この程度を見破れないのか。憐れな」
リビーまでもが真顔でぼそりと呟く。
ガイストが「んな事言われても」と返す中、シャロンはしょんもりと肩を落とした。後ろのダンが笑いを堪えきれずに吹き出したので、メリルを見習って軽く肘で小突く。
「そしたら、お坊ちゃんなんて言って悪かったなぁ。俺は十番隊のエイブラム・ガイスト。よろしく!」
「おい、敬語!」
「シャロン・アーチャーと申します。こちらは当家の使用人で、護衛のダン。ふふ、よろしくお願い致します。」
きっと二人は仲が良いのだろうと思いながら、シャロンはガイストに小言を飛ばしたベアードへ視線を移す。
「ベアード様には、狩猟の時もお世話になりましたね。」
「覚えて頂けていましたか、光栄です。十三番隊、メルヴィン・ベアードと申します。」
狩猟の日。
オオカミが吐く炎が山の木々に引火し、その対処を任されたベアードと共にシャロンも消火を行った。子爵令嬢が一人駆け出してしまった際にも一緒に追いかけ、シャロンが崖から落ちながら投げたその令嬢を受け止めたのも彼である。
「あの日はガイスト様もいらっしゃって、確か第一王子殿下の護衛につかれていましたよね。」
「よく覚えてるなぁ…あーいや、よく覚えてますね!ははは!」
ベアードにギッと睨みつけられ、ガイストは誤魔化すように笑った。
前方に街明かりが見え、一行を乗せた馬達はなだらかな下り坂を駆けていく。
シローファに着くと、公爵一行の到着を待っていた騎士達に出迎えられた。
シャロンの父、エリオットの指示で彼らと共に捜査をしていたランドルフは、シャロンとダンが内密に同行するとエリオットから知らされていた。囮作戦の邪魔をしないために崖までは行かなかったが、心配で山道の途中まで迎えに出ていたらしい。
そこへシャロンのローブの切れ端が飛んできたものだから、大急ぎであの場所まで馬を駆ったのだ。ランドルフとビビアナはそれぞれ宿に担ぎ込まれ、一時呼吸停止になった騎士達やダンも含め、改めて医師の診察を受けた。真っ先に倒れたのはイーリイだったので、彼女も相当無理をしていたのだろう。
「何をふてくされてるんだ。」
貸し切った宿の二階廊下。
壁に寄りかかって見張りをしていたガイストに、階段を上がってきたベアードが声をかけた。ガイストは目をそらして「別に」と返したが、眉を顰め、唇も不満げに尖っている。
ベアードは窓を挟んで反対の壁に寄りかかり、外を見やった。月が天の頂点を過ぎた深夜、道を歩いている者はほとんどいない。
「………俺らだけじゃ、全滅してたのはわかるけどさ。」
「あぁ。」
「殿下も、ティムさん達も。俺らを信用できなかったって事だよな。」
元々護衛に選ばれていた十名に加え、隠密班としてガイスト達を含めた八名。
充分過ぎるほど十全な構えだと思われた。
もちろん結果を見ればそれでは足りなかったのだろうが、万一に備えて配置されたガイストにとって、更に内密に後をつけられたというのは納得がいかなかった。
「…馬鹿だな、お前は。」
「なんだよ。」
「チェスター様やシャロン様が増援に選ばれるわけないだろう。」
「でも、来たじゃん。わざわざリビーのスキル使ってたのだって、騎士にバレないため。内通者がいたらって考えたんじゃねぇの?閣下の命かかってんだし、それが悪いとは言わねぇけどさ。」
「来ると知っていたら、俺達はそちらの護衛にも気を取られていた。こちらが全員戦闘不能になるまで下手に出てはこなかったし、何事もなければ彼女達は、ただの見送りになっていただろう。」
シャロン・アーチャーがいる時点で、内密の増援ではない、とベアードは断じていた。
筆頭公爵家の令嬢である彼女は王子殿下のどちらとも仲が良く、次期王妃候補と目されている人物だ。真綿に包んで保護されるべき娘であり、決して戦場に送り出すべきではない。
「団長も殿下も反対したんじゃないか?それを彼女が押し切ったんだろうと俺は考えてる。……何せ、逃げ出した子爵令嬢のために、崖へ飛び込むような方だからな。」
「……そういや、そうだったな。」
第二王子が身体を張って令嬢を助けたと、そちらばかりが話題になったため、その令嬢がなぜ崖から落ちたのかは記憶が薄かった。
馬上でくすりと上品に笑った顔からは想像しにくいが、剣を構える彼女の気迫と覚悟をガイストはもう知っている。もし友人の両親が危ないと聞いたら、確かにじっとしていなさそうだった。
「あーあ。俺達マジでかっこ悪いよな、あんな子供達に助けられてさ。」
「不甲斐ない上に情けないが、事実だ。これから精進するしかないだろう。」
「あのゴーグル小僧さ、最初から見えてたのかな。姿は隠してたはずなのに、何でお前らまで止められたんだ?」
がりがりと頭を掻いて、ガイストは首を捻る。
ベアードは当時の状況を思い出して思考を巡らせた。雪が降っていたとはいえ、視界を遮るほどではない。高い場所から見下ろした山道はさぞ見やすかったはずだ。特に、隠密班は足跡を誤魔化すために馬車が通った箇所、道のほぼ中央を歩いていた。
「恐らく、お前が走り出る瞬間を見ていたんだ。この辺りにいる、という予測でスキルを使った。俺達を囲った範囲は広かったしな。」
「…じゃあ俺のせいじゃん。」
「違う。お前が出た後、移動しなかった俺達のミスだ。」
ベアードはきっぱりと断言し、ガイストを見る。
色々と言っていたが、結局は自分の無力さに苛立ち、落ち込んでいるのだろう。視線に気付き、いつもより暗く見えるダークブラウンの瞳がこちらを向いた。ベアードは意識して笑みを作る。
「元気を出せ、エイブ。お前がそんなでは調子が狂う。」
「…まー、そうだな。俺らしくないよなぁ。」
ガイストは視線を前へ戻すとため息を吐き、大きく息を吸った。一つ頷いて壁に寄りかかるのを止め、思いきり伸びをする。
「っし、切り替えてくか。ありがとな、メル。」
「交代まで寝るなよ?」
「わかってるって。」
軽く笑って手を振り合い、ベアードは階下へ戻っていった。二階の誰かに用事かとも思ったが、ガイストの様子を見に来ただけだったのだろう。
首を回してこきりと鳴らし、ガイストは人知れず呟いた。
「敵わねーなぁ…」
◇
「あぁ…おはよう、シャロンちゃん。」
翌朝。
シャロンが一階に降りていくと、廊下で騎士と話していたらしいチェスターが会話を切り上げてこちらへやってきた。
昨夜は自分も寝ずに父を手伝うと言い張って「子供は寝ろ」とリビーに昏倒させられていたが、お陰でゆっくり休めたらしい。両親が殺されるかもしれないという緊張からも解放され、だいぶ顔色が良くなっていた。
編み込みを作らず無造作に一つまとめにされた赤茶の髪を珍しく思いながら、シャロンは挨拶を返す。
「おはよう、チェスター。ランドルフを知らないかしら?部屋にいなくて…」
「今朝早くに仕事へ戻られたよ。二人が起きたら、俺と一緒に早く王都へ戻るよう伝えてほしいってさ。」
「まぁ…怪我は大丈夫そうだった?」
「うん。後は失った血が戻れば平気みたいだよ。」
「よかった……ビビアナ様の様子はどう?」
ほっと胸を撫でおろしつつも、続けて聞いたシャロンの眉尻は下がっていた。昨夜は目を覚まさなかったのだ。チェスターが緩く口角を上げる。
「意識が戻ったよ。ちゃんと話せるし、食事も摂れてる。」
よかったと顔を輝かせそうになったシャロンはしかし、チェスターの表情を見て戸惑うように口を閉じた。微笑んでいるけれど、茶色の瞳には少し影がある。
「…左腕に麻痺が残ったみたい。」
肩より上には上げられず、何も入っていないカップを支えられないほど、握力も弱まってしまったそうだ。
そんな、と呟いて、シャロンは胸元で両手を握り締める。
――間に合わなかった。もっと早く前に出るべきだった?私があの少年より強ければ…
「でも、生きてる。」
チェスターはそう言って、俯きかけたシャロンの両肩に手を置いた。薄紫色の瞳がチェスターを見上げる。涙が溢れそうになるのを堪えて、チェスターは笑った。
「皆生きてるんだよ、シャロンちゃん。」
十数人の騎士がいて、騎士団長も軍務大臣も務めた父もいて何一つ、ろくに抵抗させてもらえず。
ただ無慈悲に殺されるだけの予定だったと思い知った。
自分を責めようとしただろうシャロンの目を見つめ、震える声で告げる。
「君のお陰だ」
打ち明けてくれた事が、懸命に努力してくれた事が、最後まで見届けようとしてくれた事が、十数人もの人々の命を救ったのだ。
チェスターは目を細め、シャロンを抱きしめた。
恋人にするような身体を寄り添わせるものではなく、ただ感謝を伝えるために。
「ありがとう。ジェニーを救ってくれた事も、昨日の事も全部――俺は絶対に忘れない。」
シャロンは何も言えずに唇を震わせ、一筋の涙を流した。
ダスティンはやっぱり捕えるしかなく、ビビアナは麻痺が残り、謎の少年と仮面の集団は逃げてしまった。
それでもチェスターの言葉が「救えた」という実感となって胸を打つ。
ジェニーの病は治り、ダスティンは捕まって、パーシヴァルとビビアナは生き延びた。チェスターの未来を閉ざした事件の前提は全て、塗り替えられたのだ。
「よかっ、た……」
掠れた声でシャロンが零すと、チェスターはゆっくりと身体を離した。
涙を堪えるように瞬き、いつものように笑う。
「失礼。これからも、俺にできる事があったら何でも言ってね。協力するから」
「えぇ……こちらこそ、本当にありがとう。」
信じてくれた事を、共に悩み、備えてくれた事を、最後まで諦めずにいてくれた事を。心から感謝して、シャロンは微笑んだ。
「これからもよろしくね、チェスター。」
「うん。おにーさんに任して☆」
軽い調子で小首を傾げ、チェスターはぱちんとウインクを飛ばす。
ふふ、と笑うシャロンの後方でわざとらしい咳払いが聞こえた。振り返ると、食堂に通じる曲がり角にダンが寄りかかっている。
「ダン!おはよう。」
「おう。あんまあちこちたらし込むんじゃねーぞ、お嬢。メシ出させたから早く食え。」
「……?朝食ね、わかったわ。ありがとう」
素直に頷いて歩き出すシャロンの横で、チェスターがくく、と笑った。
「大丈夫だよ、ダン君。俺そういうつもりないからさ。」
「じゃ、さっきのをお前んとこの坊ちゃんに報告しても良いわけだな?」
「あー……ちょっ…と悩ましいとこだね。でも言った方が色々進む可能性もあるね?」
「あぁ?」
シャロンの後ろを歩きながら、男二人はひそひそと話し合う。
三人がテーブル席につくと、他の騎士と打ち合わせを終えたらしいリビーがツカツカと食堂へ入ってきた。ちらりと三人を見回し、シャロンが食事中なのを確認して目礼する。
「それを終えられましたら支度を。我々四人はすぐ王都へ発ちます。」
「随分急ぐね?」
チェスターが軽く目を見開いて聞くと、リビーは真顔のまま僅かに首を傾げた。
「そうか、お前は眠りこけていたから知らないんだな。」
「俺を絞め落としたの、リビーさんなんだけど…。」
「昨日、王都が魔獣の群れに襲撃された。」
「えっ」
チェスターが声を漏らし、ダンは目を瞠り、シャロンは硬直した。
リビーは眉一つ動かさずに続ける。
「そして今日の昼過ぎ、我が君は見合いの席につくそうだ。まかり間違って妙なのが来ては困る。急ぐぞ、チェスター。」
「ちょっと待ってぜんぜん意味わかんない!!何でそうなったの!?」
チェスターの全力突っ込みが響く中、シャロンが落としたスプーンがからりと音を立てた。




