196.もう一回
「狼狽えるな!!」
そう叫んだのは誰あろうランドルフだった。
ダンがびくりと反応し、顔を歪めながらも仮面の男を殴り飛ばす。シャロンもまた、唇を引き結んで少年に切りかかった。
少年は飛び退き、腕に刺さった二本のナイフを抜きながら横目で氷の道を確認する。チェスターが母親を抱えて馬車から出てきた。後ろでフラついている人影は軍務大臣だろう。死んでいなかったらしい。
「ちぇー…めんどくせ、じゃあここまでで撤退!」
「「「御意。」」」
「逃がすか!!」
リビーとガイスト、ダンの三人が仮面の男達に飛び掛かるも、彼らは素早く避けて空へと逃げた。うち二人は少年の身体を両脇から支えつつ、風の魔法で浮いている。
ズキズキと痛む頭を傾け、少年は最後までシャロンを見つめていた。
「怪我人死人の皆さんは、どうかお大事に。ププッ……生きてたらまた会おうぜ!じゃあなー!」
けらけら笑いながら大きく手を振り、少年と仮面の集団は姿を消した。
舞い落ちる雪はふわふわと、その勢いを弱めている。
「ぐッ、ごふ……」
「ジジイ!」
ランドルフが吐血し、がくりと膝をつく。ダンが慌ててその肩を支えた。
シャロンは滲む涙を拭い、ガイストに起こすよう指示された女性のもとへ駆け寄る。
フードを目深にかぶった小柄な騎士だ。顔立ちを見るに二十歳は超えていそうだったが、身長はシャロンより少し低いだろう。覗き込むと半分開いた目は虚ろで、辛うじて呼吸をしているが蒼白な顔をしている。
藍色の瞳がシャロンを見て、瞬いた。
「………。」
「は、はい!なんですか!?」
彼女の唇が僅かに震え、シャロンは急いで耳を近付ける。
「…み、ず……」
「水ですね、えっと…」
女性を抱き起こし、帯剣ベルトに巻き付けていた水筒の口を開け、ゆっくりと傾けた。
離れた場所ではガイストが隠密班の面々を揺すっている。
「大丈夫か!?おいベアード!メルヴィン!…メルちゃん!?」
「その呼び方は止めろ!!」
「んぶッ!!」
こほ、と咳をして、女性騎士は小さく頷いてシャロンの手を軽く押す。シャロンは水筒を閉じて後ろ手でベルトに戻した。状況を説明したいが、どうしても早口になる。
「あの、一人剣で刺されてしまって、皆さんも具合が、その、とにかく治癒をお願いしたくて…!」
氷の道からこちらへ戻ってきたチェスターの顔色を見るに、公爵夫妻は大丈夫のようだ。フラつきながらではあるが、パーシヴァル・オークス公爵は自分の足で歩いている。
しかし停止時間の短かった隠密班はまだしも、この女性含め馬車を護衛していた騎士達は倒れ伏したままだった。リビーが一人ずつ声をかけている。
女性騎士は自力で立ち上がったが、すぐにぐらついてシャロンに掴まった。眉間に皺を寄せて藍色の瞳を倒れた騎士達に向け、手をかざす。リビーがはっとして飛び退いた。
「宣言…水、てきとーに出てこい。そんであいつらにかませ。」
空中をぺし、と叩くように。
彼女が五本指を上から下へ流した途端、倒れた騎士達の顔面目掛けて水が叩きつけられた。
「ぶべぇ!」
「げほ!」
「がぼぼぼ!!」
「これでよし。」
シャロンは瞬いた。騎士達から文句が飛び交う。
「イーリイ、ってめぇ!」
「この鬼畜ー!ごほげほ!」
目つきの悪い女性騎士はイーリイというらしい。騎士達はひどく咳き込み、中には地面に吐き散らす者がいながらも、全員生きているようだった。
「あー、だる。怪我人はどこだい。案内しな、お嬢ちゃん。」
「えと…こっちです!!」
考える事を放棄し、シャロンは身体強化で抱え上げるようにしてイーリイをランドルフの元へ連れて行った。軽傷ならまだしも、剣で貫かれた傷などシャロンに治せる範疇を超えている。
刺さったままの剣を動かさないよう、ランドルフは横向きに寝かされていた。
傍らに膝をついたダンが、怒りに顔を歪めて地面を拳で叩く。
「ふざけんな!何が頼むだ、これから死ぬみてぇな事言うんじゃねぇ!!」
懸命にそちらへ走るシャロンの心が焦る。血溜まりが見える。
治癒の魔法には限界があるのだ。負った傷が致命傷の場合、たとえ治せたとしても魂が身体から離れてしまう。死の一線を越えた者の命を繋ぎ留める事はできない。
「俺を見つけたのはお嬢でも――俺を拾ったのはてめぇだろうが!!こんなとこでくたばってんじゃねぇ!!」
咆哮のようなダンの叫びに、ランドルフは力なく微笑みを返している。
ようやくたどり着いたシャロンはイーリイを下ろし、膝をついてランドルフの顔を覗き込んだ。
「ランドルフ…!ごめんなさい、私が弱いばかりに…!」
「ふふ……シャロン様、どうかお気になさらず。ゴホッ…」
赤い血がランドルフの口から漏れ、ポタポタと地面に落ちる。
厳しくも優しくシャロンを見守ってきてくれた老執事は、今はかつてないほど老け込んで見えた。
「これが、飛んできた時は…肝を冷やしましたぞ……。」
「あ…」
ランドルフが持っているのはローブの切れ端だ。少年が切り裂いて飛ばしてしまったもの。まだ一本だけ投げナイフが残っている。シャロンは震える手を伸ばし、切れ端を受け取ろうと
「じゃあ抜くぞ。そらよっと」
ズリュッ!
「ぐぁあぁあああッ!!!」
「ランドルフー!!」
「ジジイー!!」
イーリイはランドルフの腰に片足を乗せ、畑からイモでも抜くような動作で剣を抜いた。激しく噴き出した血がダンとイーリイにかかる。シャロンは蒼白な顔でランドルフの手を握った。取り落とされたローブの切れ端が、血溜まりで赤く染まっていく。
イーリイは傷口に手をかざしながら舌打ちした。
「血ぃくらいでガタガタ騒ぐんじゃねぇ、ガキども!」
「うるせぇ!殺す気かこのアマ!!」
「ゴフッ…」
「うぅ、ランドルフー!ぐすっ、死なないでぇ…!」
大騒ぎになっているアーチャー公爵家の三人を遠目に、チェスターは騎士が敷いてくれた布の上に母であるビビアナを寝かせる。顔色は悪いが、ちゃんと呼吸をしてくれていた。
それというのも、氷に閉ざされた馬車の中で先に意識を取り戻した父、パーシヴァルが人工呼吸を施したからだ。自身もひどい頭痛や麻痺に侵され判断力が鈍った中でも、妻を助ける事が最優先だと、それだけは認識していた。
騎士達は日頃の鍛錬で多少肺も鍛えられているが、ビビアナはそうではない。呼吸を止められて長くもつはずがなく、後遺症が残らない保証もなかった。
それでも、生きている。
「……助けられたな、チェスター。」
汗で湿った明るい茶髪を掻き上げ、まだ顔色の悪いパーシヴァルが呟くように言う。
ダスティンは気絶したまま騎士によって縛り上げられていた。今回の旅に襲撃の可能性がある事は誰もが承知していた。油断したつもりはなかった。
ただ、あれだけの制圧能力を持つスキルが存在するとは、使われるとは、想定できなかったのだ。
「…っご無事で、何よりでした…父上……。」
堪えるように俯いた息子の方を見ないようにして、パーシヴァルは黙ってチェスターの頭に手を置いた。いつの間にか随分背も高くなったものだ。
「殿下の提案か?」
「いえ…俺と彼女が言い出したんです。」
鼻をすすり、チェスターが答える。
ダスティンとの攻防で軽傷を負っていたが、放っておいても治る程度だ。乱れた髪や汚れた衣服を気にする余裕は、今はない。パーシヴァルはゆっくりと頷いた。
「だろうなぁ……あの子が来るのは、殿下も良しとしなかっただろう。」
必死にランドルフへ声をかけるシャロンを眺めながら、目を細める。
リビー・エッカートと共に来たという事は、最終的に彼女が来る事をアベルが黙認ないしは許可したという事だ。そしてそれは、結果を見れば正しかった。
「リビーさんと俺だけじゃ、父上達を助けられなかったと思います。魔獣も出ましたし、敵は叔父上だけじゃなかった。」
「そうか……氷はお前が?」
「はい。恐らく《温度変化》のスキルを得ました。」
「ふむ…」
パーシヴァルが目を向けた先には、一台の立派な馬車と二頭の馬。それだけの重量が乗ってもビクともしない氷の道が、崖から突き出している。
《温度変化》による操作範囲は「冷たい、温かい」程度の事が多いため、チェスターは《温度変化》持ちの中でもかなり上級に位置するだろう。
チェスターのスキル解除に合わせて騎士達が風の魔法を使い、馬車を地面へと戻した。
目を覚ました馬達はガクガク震えていたため、騎士が宥め、焚火で温めながら擦ってやっている。ビビアナも介抱を受けているが、まだ目を覚まさない。
「父上、すぐ王都に戻りますか?」
「この時間だ、シローファまで行って一晩泊ま…」
どこか遠くで、ズン、と響くような音がした。
騎士達が慌てて周囲を警戒する。
ズズズ、と小さく地鳴りのような音が聞こえていた。チェスターが訝しげに視線をはしらせる。
「何だ?この音…」
「あー…アレかな?」
パーシヴァルが呟いた。
アレとは何なのか、騎士達とチェスターが揃って首を傾げる。ランドルフの血を浴びて殺人鬼のようになったイーリイが一仕事終えた顔で歩いてきた。わかりきった事だとでも言いたげに片手を広げる。
「雪山でアレっつったら、アレだろ。」
「うむ。つまり…」
会話が進む間にも地鳴りは続き、とうとうゴゴゴゴ、という音が迫ってくる。
パーシヴァルが人差し指をぴんと立てると、最初にダスティンと少年がいた高い壁の上から、ごばっと大量の雪が飛び出した。
「雪崩だ☆」
「「「もっと早く言ってください!!」」」
騎士達とチェスターの総ツッコミが入る。
ランドルフに肩を貸して歩くダンの横でシャロンは唖然としてそれを見上げ、金のヘアピンを前髪につけ直していたリビーはぱちりと瞬いた。
目にも止まらぬ速さで剣を抜き、パーシヴァルは唱える。
「水よ、《螺旋》となれ」
◇
室温を快適に温められた馬車の中。
「‘ 死者一名もなし?マジで言ってんの、それ。逃げられない規模だったはずだろ? ’」
わけわかんねーと笑って、少年はゴーグルとスカーフを外した。
一見して人の良さそうな垂れ目をしており、左が緑、右が黒のオッドアイ。フードを下ろして帽子を脱げば、跳ね広がった黄色のポニーテールが顔を出した。
「‘ まぁいいや、別にどっちでもよかったし。 ’」
少年――リュドが上半身の服を脱ぎ捨てると、此度の戦闘でついた傷に従者達が手をかざし、治癒の魔法をかけていく。
「‘ …にしても、いってーな…… ’」
未だ残る頭痛に顔をしかめ、リュドは呟いた。
従者達がごくりと唾を飲みこみ、懸命に集中する。可能な限り治癒の副作用――熱感や痛みが出ないように。
両目を閉じ、リュドは眉を顰めた。
浮かぶのは自分を見据えるシャロン・アーチャー公爵令嬢の顔だった。目だった。瞳だった。
――オレ、どっかであの目を……
「‘ い゛ッ、…ァアア!? ’」
突如として割れるように頭が痛み、リュドは従者達を振り払って頭を抱え込んだ。
脳を突き刺す映像の数々。感情の奔流。早回しのような音声。自分ではない誰かの人生。
楽しかったこと、嬉しかったこと、許せなかったこと、許されたこと、怒ったこと、どうでもよかったこと、失いたくなかったもの、捨ててよかったもの、これだけはと望んだもの、近くて遠かったもの、最後にようやく手に入れたもの。
知らない景色を知っていて
知らない相手を知っていて
知らない女が自分に笑いかけている。
『こんにちは、保科先輩。』
「‘ ――……あー…、そっか……。 ’」
掻き毟るようだった指の動きを止め、リュドは納得した。
手が膝の上に落ちる。
従者達は動揺を押し隠して互いに顔を見合わせていたが、リュドの視界には入らない。
「‘ そっか、そっかぁ。 ’」
朗らかに微笑んで、理解する。
「‘ なーんだ。オレ達運命じゃん。シャロン ’」
どう転んでも良いと思っていたものを、脳内で修正していく。
再会を早めようと計画する。
すぐには叶わなくとも、少し時間をかければ彼女の傍にも行けるだろう。
「‘ 愛あれば死あり……今ならわかる気がするぜ。 ’」
治癒を再開して良いのか迷う従者達を放置して、リュドは口角を吊り上げた。
「‘ 前世で恋人だったなら、もう一回……オレの物になってくれるよな? ’」
ブクマやご評価ありがとうございます、とても励みになります。
週末は更新が少ない予定です。