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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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195.バサム山の戦い




「宣言!水よ押し戻してくれ!!」


 チェスターは咄嗟にダスティンへの攻撃を止め、馬車を地面に戻す事に全力を注ぐ。

 ある程度使いこなせるとはいえ、相手の属性が風だとはいえ、彼にとって何より強力に発動できるのはやはり水の魔法において他になかった。


「ハハハハハ!!私の風に水で対抗する気か!?とんだバカじゃないか!」

「ッ、るせぇ…んだよ…!!」

 余裕ぶっているのか、ダスティンは元々馬車があった地点に降り立つ。崖から飛び出した空中でガタガタと揺れる馬車に向けて手をかざし、押し上げようとする水の抵抗も構わずさらに風を強めた。


 ダスティンは武器がない。

 飛び掛かれば剣を持ったチェスターが勝てるとしても、一瞬でも気を緩めれば馬車は崖の下。チェスターは少しずつ高度を下げる馬車に手のひらを向け、懸命に支えた。

 崖が低ければこのまま底まで高度を下げていく事もできたかもしれないが、この崖は高い上に、実行するには崖下を覗き込まなければならない。ダスティンが放ってはおかないだろう。


「俺は…俺達は、あんたが好きだったのに……っ!」

「フン、私の知った事ではない。アイツは情けなく泣いていたがな。」

 馬鹿にしたように笑うダスティンの言葉の意味を考える余裕はない。

 水流と風圧に晒された馬車がギシギシと音を立て始めた。繋がれたままぐったりと意識を失った二頭の馬が宙吊りになっている。


 馬車が砕けたら更に不利になる。

 何もかも落としてしまえばいいダスティンは力任せにできるが、チェスターは中にいる父親と母親をそれぞれ目視して水の魔法のかけ方を変え、支えなければならない。

 シャロン達がどうなったか振り返って確認する事もできなかった。それでも剣戟の音が聞こえるので、向こうも手一杯に決まっている。ダンの魔法が途切れた事からも状況が悪い事だけはわかった。


 ――シャロンちゃんが言った通りだった。父上達は今日殺される予定で、それを止めるために俺達はここまで来たんだ!なのに俺は、俺は!!


 ぎりぎりと歯を食いしばり、チェスターは顔を歪める。

 サディアスほどの魔力量も威力も無い。アベルのような敵を圧倒する剣術も持っていない。


「いいのか、チェスター。このままじゃ兄貴達が死ぬぞ?お前のせいでな!ッハハハハ!!」

「く……ッ!」


 無力だった。


 巻き起こる強風でフードはとうに脱げ、後ろで一つにまとめた赤茶の長髪がなびく。茶色の瞳は睨むように馬車を見据え、かざした手は力を込め過ぎて痛んだ。



『そろそろ寝な、チェスター。まだ子供だろ?』



 叔父の笑顔が、家族で笑い合った日々が、喜ぶ妹の顔が浮かぶ。

 失われるかもしれないもの。今この瞬間に手から滑り落ちていくもの。


「…んなの、嫌だ……」


 身体が、胸の奥が熱かった。

 馬車を支える水の量が増していく。それでも風の勢いが強く、地面へ戻す事ができない。

 本当にこれ以上、自分にできる事はないのか。取れる手段はないのか。チェスターは思考する。



「ッ何とかならないのかよ、ヴィクターさんみたいにさぁ!!」



 それは、《固形化》のスキル持ち。

 押し上げる事ができないのなら、引き戻す事ができないのなら、せめてそれ以上落ちるなと。水が固まって支えになれないのかと、チェスターは想像する。


 水が固まる事を、想像する。

 彼の魔力は応えた。



 今なら《できる》と。




「宣言、水よ!――そのまま凍りつけ!!」




 下から押し上げていた水が崖へと延び、瞬時に氷と化す。

 風に砕かれる事のないよう馬車の外装すら檻のように覆って、崖を土台とする氷の道が作り上げられた。


「な……」


 突然現れた氷に気を取られ、ダスティンが呆然と呟く。

 その横っ面をチェスターの拳が殴り飛ばした。







 ――ッ強い!


 少年の剣がローブを引き裂く音を聞きながら、シャロンは顔を歪める。直前に後ろへ跳んだお陰で、剣先が皮膚に届くのは回避できた。

 続けて胸倉を掴むように引っ張ったローブの裏、細身の投げナイフが三本収納されているのを見て少年は笑う。布地がどんどん引きちぎれていく。


「これ没収な。あぶねーから。」

「このッ…」

 シャロンは強化した腕で素早く剣を横薙ぎに振るったが、間に合わない。

「宣言!風よ、どっか飛ばしとけ!」

 飛び退った少年を追うシャロンの攻撃を受け流し、ポイと放られたナイフは光の魔法の範囲外に飛んでいってしまった。

 今はそれを取り戻すより、目の前の少年を気絶でもさせてスキルを解除しなくてはならない。光の魔法を維持しながら、シャロンは必死で剣を振った。身体強化も使うため、彼女にはこれ以上追加で魔法を発動させる事ができない。


「ちなみにさー、オレのスキルって攻撃直前で解除するのも良いんだけど、意味わかる?」

「何を…」

「こういう事!!」

 少年は動きにフェイントをかけ、身体の向きとは全く違う方向へ跳んだ。剣を上段に振りかざし、硬直したままのリビーへ振り下ろそうとする。


 直前で解除。


 その意味を察してシャロンが青ざめた。フェイントのせいで体運びを誤り、バランスを崩しかけたシャロンでは一瞬でそちらへ向かう事ができない。ローブに納めていた自分のナイフも無い。

 目の前で殺せば彼女はどんな顔になるだろうかと、少年は恍惚の笑みを浮かべる。


「解除、ッ!?」


 瞬間、少年は目を見開いた。

 先程腹部に受けたより強い痛みが背中を襲う。シャロンが使っていた物より幅のあるナイフが柄まで深く突き刺さっていた。

 自分の体勢より投げる事を優先したシャロンが、少年の後方でべしゃりと転ぶ。


『じゃあ、お守りにしようかしら。』


 かつてそう言った彼女は、自分のナイフを得た今でもそれを持ち続けていた。



『この国で一番の騎士になる人が使っていたナイフよ。ご利益がありそうじゃない?』



 予想外の攻撃で剣の勢いが失われた少年の前で、顔を顰めたリビーが大きく息を吸う。

 ギッと前を見据え、身体が動くならこうしてやったのに、と考えていたまま剣を振った。少年が顔を引き攣らせる。

「げっ…タンマ、」

 防ごうとした剣を弾き、もう一振りで肩を刺し貫いた。絶叫が響き渡る。


「あ゛ァぁぁああッ!!い゛ッて…ふざけんな!」


 剣を握っていた方の肩だ。きちんと治さなければもうまともに振れないだろう。

 少年は地面に縫い止められる前に強引に剣を引き抜く。雪の積もった道に赤色が飛び散った。ゲホゲホと声が聞こえてそちらを見ると、今のでスキルが解除されたのだろう、ダンが咳き込みながらも少年を睨みつけた。


「だぁーもう、止め止め!お前らも来い!!」


 喚いた少年にリビーが切りかかり、しかしその刃は上から降ってきた男によって防がれた。

 少年を囲うように、五人。

 一様にフード付きのローブを着ており、何の飾りもないフルフェイスの白い仮面をつけている。不気味な集団だった。

 ちらりとダスティンの様子を見やった少年は、彼が甥に殴り飛ばされるのを見て肩をすくめた。あの男はヤワなので一撃で伸びてしまっただろう。チェスターは氷漬けの馬車へ走っていく。


「別料金っても、もう充分サービスしましたって感じだよな。な?」

「…御意。」

 仮面の一人が呟く。

 別の男の手でナイフを抜かれ、そのまま肩と背に応急処置を受けながら、少年はスカーフの下で快活に笑った。



「じゃ、テキトーに痛めつけて帰ろうぜ!例のやつも用意できてるだろ?」

「「「御意。」」」



 リビーに二人、シャロンにも二人、仮面の男が襲い掛かる。

 酸素不足による耳鳴りと頭痛に顔を顰めながら、リビーは舌打ちして応戦した。


「おらぁあ!!」

 シャロンに剣を向けたうちの一人はダンが横から飛び掛かり、もう一人を迎え討つべくシャロンは剣を握り直し――目の前に、騎士の背中が現れる。


 ガキン、と剣がぶつかった。ダークブラウンの髪が揺れる。


「う゛ぉえ……き、気持ち悪ッ…」

 真っ青な顔で口の端からボタボタ吐きながら、ガイストは一瞬で片脚を振り上げた。仮面の男の側頭部を蹴り飛ばし、追い撃ちのナイフを放ちつつ言う。


「そこのお坊ちゃん、あっちで倒れてる女起こせる?医療班。」

「っわかりました!」

「悪いね…あ゛ーっ、オェ……あいつ死んでたらやべーかも。」

 呼吸停止の時間が短かった隠密班は、辛うじて意識を保っている者もいるようだった。

 しかし筋力は低下し麻痺や酩酊状態を引き起こし、立ち上がる事すらできていない。胃からこみ上げた物をベッ、と地面に吐き捨てて、ガイストはダンを追おうとした男に切りかかった。


「どこ行くんだよ、オレともーちょっとだけ遊ぼうぜ!」


 駆け出したシャロンを追って、少年は走る。肩を負傷していない方の手に剣を持ち、並走する仮面の男が治癒の魔法を続けていた。彼らを止めるべくダンが叫ぶ。


「宣言!風よ、あいつらをぶっ飛ばせ!」

「宣言、風よ止まれ!」

 少年にとって、人体という障害物を考慮せずに空間を止める事は容易かった。

 ダンが発動させる風の方向を考え、自分の両脇を広く固定する事で防いでみせる。自分の速度を上げるべきだったとダンは舌打ちした。


 二人から一斉に切りかかられ、シャロンは防御ではなく距離を取る事を選ぶ。その間にダンが加速し、後ろから少年に襲い掛かった。


「らぁあああ!!」

「くっ、」

 割り込んだ仮面の男がガントレットを剣で防ぎ、眉を顰める。

 少年はその攻防に気を取られる事もなくシャロンに向かって走っていた。スカーフの下に笑みを浮かべて。



 ――倒れてる連中の誰かを殺す?キレーな肌を切り裂く?どれがいいんだ?シャロン。



 剣を構えた彼女の目は、恐怖に染まってなどいない。

 真っ直ぐに少年を見据え、怯えを隠して強く在ろうとしている。腹立たしい目つきだった。


 ズキ、と頭が痛む。


「なんかムカつくなぁ、その目!」


 ザラついた声で吐き捨て、少年は瞳の動きだけで周囲を確認する。

 仮面の男と戦いながらこちらへ近付こうとするダンの姿を捕捉し、笑みを深め――後ろ手で剣を振り飛ばした。


「ダン!!」


 シャロンが悲鳴のように声を上げる。仮面の男がダンをその場に押し留め、自分の剣でも彼を刺し貫こうとしていた。目の前に迫る少年は隠し持っていたのだろう短剣を手に襲い掛かってくる。

 リビーとガイストは二人を助けようと咄嗟にナイフを放ったが、固定されたままだった空気が壁となってそれを阻んだ。


 鮮血が飛び散る。


 ()()()()()()()()が腕に突き刺さり、少年は短剣を取り落とした。


「は……?」


 ダンが呆然と呟く。



 仕込み杖で男の剣を止めたランドルフの身体は、少年が投げた剣に貫かれていた。




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