192.俺達にとって
「……どういうつもりだ、アベル。」
長い金色の髪を後ろで一つに結い、第一王子ウィルフレッドが眉を顰めて問う。
先程までティータイムを楽しんでいた自分の部屋で、彼は椅子に座った状態で上半身を背もたれごと縛られていた。青い瞳に恐怖はなく、ただ訝しげに周囲を見回す。
ティーテーブルを挟んだ向かいには双子の弟、第二王子アベル。
肩につかない長さの少し癖のある黒髪に、切れ長の目。金色の瞳は冷静にこちらを見ている。
ウィルフレッドを縛ったのは彼の護衛騎士であるロイ・ダルトンだ。今もウィルフレッドの横に立っており、閉じているようにしか見えない目に、考えを読ませない微笑み。薄緑色の髪は後ろへ流してハーフアップにしている。
「うん。ちょっと話があって。」
「何をどうしたら俺を縛るという判断に至るんだ…!」
「飛び出すと危ないからやむなく。最後まで話を聞いてもらおうと思ってね。」
「お前ときたら…もう…!」
後ろ手でぎりぎりと拳を握り、ウィルフレッドは不満を込めて部屋の入口を見た。
扉の両脇にはウィルフレッドの護衛騎士が突っ立っている。
濃い緑色の髪を縛り、身体の前へ流した瞳の黒い男、ヴィクター・ヘイウッド。
茶髪をポニーテールに結い、赤紫の無邪気な瞳をした女騎士、セシリア・パーセル。
アベル達がいきなり来た時は二人とも驚いていたが、「彼女の話をするからちょっと縛る」と言われると、「あ~」という顔で扉を守り始めたのである。
ウィルフレッドとしては大変に納得がいかない。
加えてロイの風の魔法によって部屋には防音が施され、どんな大声を出そうが部屋の外には漏れないようにされていた。深くため息を吐いて、ウィルフレッドは弟を見やる。
「いいか、アベル。お前はちょっと勘違いしてる。彼女って、どうせシャロンの事だろう?」
「うん。」
「こんな事しなくても俺は反対しないよ。彼女の気持ちが最優先だし、実は元から賛成なんだ。」
「………本当に?」
アベルは瞬いて怪訝な顔をした。
「ウィルらしくない」とでも言いたげな目をする弟に、ウィルフレッドは苦笑する。
――シャロンの事で俺が動揺しそうな話なんて聞いたら、すぐに予想もつくさ。お前なら彼女を守ってくれるだろうし、反対に彼女はお前を支えてくれるだろう。「ウィルのでしょ」なんて突拍子もない事を言ったりしていたけど、いつの間にか話は進んでいたんだな……。その辺りを聞くのは野暮というものだろうから、まずは婚約発表の日取りかな?
「それで、いつなんだ?」
「明日出発する。」
「明日!?……待て、出発?どこへ行くんだ。」
さすがに突然過ぎると焦った直後、意味がわからずに首を傾げる。
アベルはそんな兄を見て、状況を理解した。シャロンがウィルフレッドにだけは伝えたのかとも思ったが、そうではないらしい。
「………、ロイ。」
「はい。少々失礼致しますね。」
「むぐ」
ロイがタオルを持った片手を構え、ウィルフレッドの口を押さえた。
何をするんだと、青い瞳がアベルとロイを交互に見やる。
「ポズウェル男爵を捕えた結果は既に報告した通りだけど、実はそれに関連して明日、オークス公爵夫妻が自分の領地へ出立する。道中で命を狙われる可能性がある……それを承知の上でね。」
「…っ、……!?」
「で、そこにシャロンも行く。」
「~~~!?ーーー!……~~~~~っ!!?」
ウィルフレッドが目を見開き、問い質すように前のめりになろうとした。
しかし椅子に縛り付けられた上、その椅子をロイが片手でがっちりと押さえているために叶わない。立ち上がろうとしても同様だった。タオルの中で何か叫んでいるらしいが、まったく言葉になっていない。
「チェスター、リビー、ダンが一緒だ。オークス公爵夫妻と、護衛につく騎士の殆ど……それからサディアスも、四人が後から追う事は知らない。ウィルも黙っていてほしい。」
「~~……ッ、~~~~!~~~~~!?」
「僕とチェスターは止めた。アーチャー公爵も止めた。でも彼女は頑として聞かなくてね。ダンと共にベインズの試験を受け、一定の実力を示した。この件は陛下とアーチャー公爵夫妻、クロムウェルも知ってる。決定事項なんだ、ウィル。」
「…………。」
シャロンの両親だけでなく国王まで許容したとなれば、ウィルフレッドにはもうどうする事もできない。目を見開き、唖然として――ため息を吐くように肩を落とした。
アベルと目を合わせて軽く頷いてみせると、ロイはタオルを押さえつけていた手を外す。ようやく解放され、ウィルフレッドは深く息を吸った。
「はぁあ……まったく……いや、しかし、そうだな。何もなしに聞いていたら、確かに俺は飛び出していたかもしれない。」
「彼女、譲らない時があるでしょ。」
「わかるよ。公爵やお前が止めても駄目だったなら、俺も………縄も解いてくれないか?」
ロイが縄を解くと、ウィルフレッドは軽く肩を回して座り直す。テーブルに肘をついて顎に手をあて、その頬を冷や汗が流れた。
「……心配だ。大丈夫なのかな、シャロンは。」
「まぁ、そうだよね。僕も不安だよ。」
「お前に不安と言われると、余計に心配になってくるな…。」
「一応彼女には、自分の身を優先するよう伝えた。何かあればウィルが悲しむからね。」
「……シャロンにも、そのまま言ったのか?俺が悲しむからと。」
「?うん。」
なぜそんな事を聞くのかと、アベルは僅かに首を傾げながら肯定した。
ウィルフレッドはどこか呆れたように視線を外し、頬を掻く。
「お前ね…俺の名を出す必要なんてないだろう。」
「ウィルが言いそうな事実を伝えたつもりだけど……言わない方が良かったかな。」
「う~ん……。」
目を閉じて唸り、ウィルフレッドは狩猟の日を思い出した。
その日もどこか似たやり取りをしていたのだ。
『アベル、シャロンを助けてくれてありがとう。』
『…当たり前でしょ。ウィルの大事な人だからね。』
『……もちろんそうだけど、お前…』
当時は母が来た事で話が中断されてしまったが、頭の片隅に違和感が残ったままだった。
目を開き、いまいちわかっていない様子のアベルを見る。
「確かに俺がその場にいたら、似たような事を言っただろう。でも俺はいなかったのだから、伝えるのはお前自身の言葉であるべきだったんじゃないか。」
「僕の?……言ったけど。自分の身を守る事を…」
「そうじゃなくて。」
淡々と繰り返そうとしたアベルの言葉を遮り、ウィルフレッドは苦い顔をした。それがじわじわと笑い顔になってしまい、アベルが訝し気に眉を顰める。
「……何なの。」
「ふっ、ごめん……お前にも鈍いところがあるんだと思ったら、ちょっと微笑ましくて。」
「は?」
「シャロンは俺達にとって大事な人。そうだろう?」
「……?そうだね…。」
未だ眉を顰めたまま、アベルは肯定した。
ウィルフレッドが笑ってそんな事を言う意味が、わからないけれど。次期王妃であるシャロンが重要な人物である事は、疑いようもない事実だったから。
「コホン!…それで?何で前日になるまで俺に言ってくれなかったんだ。」
「ギリギリまで出立がいつになるかわからなかったとか、色々事情があってね。」
「そうか。……言わないつもりだったけど、後でバレたら面倒だと思い直したとか、そういう事ではないんだよな?」
…。
「もちろん。それじゃ、僕はこれで」
「待ちなさい!お前今絶対に図星だっただろう!!」
ぷんぷん怒るウィルフレッドを、セシリアはにこにこして、ヴィクターは困り笑いで見守っている。諦めた様子で大人しく説教を食らうアベルを眺め、ロイはくすりと笑った。
◇ ◇ ◇
出立の朝。
「あれ?リビーさんじゃないですか。」
王都西門の番をしていた騎士の一人が、そう言って意外そうに眉を上げる。
目が小さく、耳の下までの長さに切られたモスグリーンの髪は、鼻回りのそばかすを隠すかのように前髪が少し長い。まだ二十代半ばほどだろう若い男で、良く言えば人の良さそうな、悪く言うと気弱そうな顔立ちをしていた。
「その苔色頭は…トゥックか。」
「苔色て!もうちょっと言い方あるでしょ。」
ぴくりとも眉を動かさずに言ったリビーに、後ろを歩くチェスターがツッコミを入れる。二人はそれぞれ馬を連れ、旅人のように長いローブを着ていた。
トゥックはまったく気にしていない様子で笑う。
「色が似てますからねぇ。しかしチェスター様連れて旅装なんて、隊長が見たらひっくり返りそうですね。」
「父上がか?なぜだ。」
「男親ってのは、そういうものです。」
「そうか。では服装の事は内密で頼む」
「はは」
首を傾げたリビーは乗馬服の上からコートを着込み、普段鼻から下を覆っている黒布もつけていない。黒髪に滑らかな色白の肌が際立ち、まるで騎士家系の令嬢のようだった。
彼女の養父であるダライアス・エッカートは、城と王都の防衛を担う二番隊の隊長を務めている。
「リビーさんが出るって事は第二王子殿下の指示ですね。チェスター様、申請済んでます?」
「もちろん!今回は茶々入んなかったから、スムーズだったよ☆」
「あ~、前は大変だったらしいですね。」
小脇に持っていた紙束に二人の名前などを書きつけながら、トゥックは同情するように眉尻を下げた。二番隊員は持ち回りで城の警備も行うため、上層部の面々の人柄も大体把握している。
「お気を付けて」と声をかけ、トゥックは軽く手を振って二人を送り出した。
朝市に関連した商人の出入りを見張りつつ、それから半刻ほど。
一頭の馬に乗ってやってきた二人を見て、トゥックはぽかんと口を開けた。
「あれ……?お、おはようございます。」
「まぁ!おはようございます。」
お忍びだったらどう声をかけたものか迷ったが、目が合った少女は明るく声を上げて微笑んだ。後ろで手綱を握っていた目つきの悪い男に一声かけて馬を止めさせ、誰の手も借りずにひらりと飛び降りる。
ローブのフードを下ろしたのは思った通り、薄紫色の髪と瞳をした少女だった。ただしローブの下には少年のような格好で剣まで下げ、髪は後ろの低い位置で一つに結っている。
「狩猟の際にお会いしましたね。トゥック様…でしたでしょうか。」
「えっ、俺を覚えていらっしゃるんですか。」
驚いて唖然とするトゥックに、公爵令嬢――シャロン・アーチャーは「もちろんです」と笑う。
あの日は護衛する騎士の紹介などなかったが、魔獣が出た際にアベルがそれぞれを呼んでいた。トゥックは先に離脱した令嬢と騎士の安全確認にと、コテージへ向かうよう指示されていた騎士だ。
馬から降りた目つきの悪い男がシャロンの横に並び、意外にも丁寧な礼をする。
「アーチャー公爵家使用人、ダン・ラドフォードと申します。お嬢様の護衛です。」
「あ、あぁ……そうでしたか。」
誘拐や駆け落ちの類だったらどうしようかと思っていたトゥックは、内心ほっと胸を撫でおろした。よく見るとダンはまだ若く、本当に公爵家の護衛だろうかと少しだけ疑うが、シャロンには微塵も怯えた様子がない。
記録帳に名前を書きつけながら、それとなく聞く。
「長旅ですか?ご両親も寂しいでしょうね。」
「そう長くはかからない予定ですわ。ダン、書状を」
「こちらに。」
何かと思えば、差し出された書状にはアーチャー公爵夫妻のサインが入っていた。
簡潔に読み解くと、娘シャロンと使用人ダン・ラドフォードがミザの街へ行くのでよろしく…というような文面だ。
今のように疑われた時のために持たせたのだろう。トゥックは気まずそうに苦笑した。
「確認しました。いえ、失礼。仕事なもので…」
「よいのです、わかっておりますから。それではご機嫌よう、トゥック様。」
ふわりと微笑んで、シャロンは一礼したダンと共に馬上へ戻る。
トゥックは「お気を付けて~」と手を振った。
やがて、話に聞いていたオークス公爵夫妻の馬車が通る。
軍務大臣とその護衛をする騎士達にむけ、西門を守るトゥック達は一時、整列して彼らを送り出した。
その一行が西門から出発して王都から離れていくのを、フード付きのローブに身を包んだ少女がじっと見つめている。
正門と西門の中間、王都へ通じる街道からも外れた林の中。
同じローブを纏った人々が少女に――否。その横、何も無い空中に向けて、拝むように両手のひらを擦りながら平伏していた。
「……はい、女神様。仰せのままに。」
無機質にも思える声で、少女は白く細い手を前へと伸ばす。
「王都襲撃――…開始します。」




