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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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190.刃の向かう先




 ダスティン・オークス失踪。


 その報告が王都へ届いたのは二月に入ってすぐの事だった。

 尾行していた騎士によれば、それまでダスティンの行動には何も問題がなかったという。しかしオークス公爵領にある旅人の街シローファで宿を取り、翌朝には荷物ごと忽然と姿を消していた。

 三階建ての三階、街の通りに面した窓は開いていたが、騎士が隣の部屋を借りて夜通し廊下の行き来を見張っていた。表の通りから窓を見張ってもいた。


 考えられる可能性は、闇の魔法によって姿を隠して逃げたか、《ゲート》のスキル持ちがいたか。

 少なくともパーシヴァルが知る限りダスティンは闇の魔法が使えないため、協力者によって逃がされたか、あるいは何者かに拉致されたか。どちらかの可能性が高かった。



 二月の二週目に入ると、違法薬物である《ハート》の元となる植物の栽培場所も報告された。パーシヴァルが挙げた候補地は五つ。中でもダスティンが仕事で飛び回る際に経由する場所に絞ると、三つ。

 調査に向かった騎士はその内の二か所で栽培を確認し、そこから運ばれた荷物が残る一か所に集約され、加工を行っているらしい工場がある事も報告に書き記した。栽培も加工も、施設は上手い事カモフラージュされていたようだ。

 オークス公爵領で大規模な犯罪が行われていたことは事実。



「ダスティンは…攫われたの、ですよね。」



 淡々と言葉を並べたパーシヴァルの背に、妻であるビビアナが声をかける。

 波打つ赤茶の長髪を揺らして、一歩、二歩。

 あと一歩進めば夫の背に手が届くというのにどうしてか、その一歩が詰められなかった。茶色の瞳が揺れるのは涙が滲んだから。信じられないと思ったから。

 普段はおっとりとして見える彼女の垂れ目は、その顔に浮かんだ悲しみを強調しているかのようだった。


「違法薬物の売買など……するはず、ありませんよね?」


 信じていないのだ、彼女は。

 義理の弟であり大切な友人であるダスティンが、犯罪を犯すような男ではないと知っているから。信じられなかった。


 しかしそれ以上に、夫がどう感じたかはわかってしまう。


 ほんの僅かな姿勢の差で、発する声で、背中から感じ取れる雰囲気で、感情が、考えている事が、わかってしまった。

 パーシヴァルは、「ダスティンは協力者によって逃がされた可能性が高い」と思っているのだと。


「は…《ハート》というのは、確か、禁断症状に人格の破綻……という項が、ありましたね?もしかして彼は、無理矢理服用させられて…」

「だとしたら、パーティーでいつも通りだった説明がつかないんだ。人格の破綻というのは、円滑な会話ができないほど激昂しやすかったり、他者をひどく侮蔑したり、些細な事で傷害事件を起こす……そういった、見るに耐えない変化だ。」

「そんな……」

 ビビアナは力なく頭を左右に振る。

 ほんの一ヶ月と少し前、久々に会ったダスティンはあんなにも明るく笑っていたのに。


「あなた…どうかこちらを向いてください。」

「……参ったねぇ。」


 ビビアナの声が涙ぐんでいる。

 蝋燭の明かりが照らす部屋の中で、パーシヴァルは振り返った。きちりと後ろへ流された明るい茶髪も、凛々しい眉も、唇の上に整えられた髭も、いつもと変わらない。

 ダスティンと同じ灰色の瞳と目が合うと、ビビアナは涙を零してその胸に飛び込む。パーシヴァルは妻の背中に優しく手を添えた。


「ビビアナ……俺、騙されちゃったのかな。」

「“ そんなはずない! ”…っ、ダスティンは、嘘なんか吐いたら、わかるじゃありませんか……!」

 咄嗟に生まれ故郷の言葉で叫び、ビビアナは小さく首を左右に振った。

 震える妻の背中に腕を回し、パーシヴァルはため息の代わりに眉を顰める。やりきれない気持ちが胸を占めていた。

「そうだね…あいつ、身内への嘘は下手だから……」

「調べてください、きっと何かの間違いです。そんな顔しないで……」

「うん……きっと間違いだと――信じたいけど、俺がそうするわけにはいかないんだ。」

 ゆっくりと身体を離して、パーシヴァルはビビアナの涙を拭う。


「公平であろうとする者の目にしか、真実は映らないからね。」


 傍目には真顔にしか見えない表情でも、ビビアナにはひどく寂しい笑顔に見えた。

 これから騎士団本部へ戻るのだろう、パーシヴァルは椅子にかけていた上着を取って歩き出す。きっとしばらく家に帰ってこない――そう察して、ビビアナはスカートの裾を握った。


「領地へ向かう際には、私も行きますわ。」


 パーシヴァルは部屋の扉に手をかけたところで止まり、振り返る。涙に濡れた茶色の瞳は決意に満ちていた。止めても無駄である事を悟り、パーシヴァルは了承の言葉を返して廊下に出る。


 上着に袖を通しながら歩き、目的の部屋の前で立ち止まった。ノックをすれば、不意を衝かれたような返事が聞こえてくる。


「チェスター、私だ。」

「父上?どうぞ。」

 扉を開けて部屋に入ると、チェスターが椅子から立ち上がるところだった。

 母譲りの髪を洒落っ気なく一括りにし、机には本やノートが開いたまま置かれている。勉強する姿はあまり見られたくなかったのか、チェスターは視線を誘導するようにティーテーブルの方へ促しながら、後ろ手で本を閉じた。


「…何かありましたか。」


 パーシヴァルの表情で察したのか、それとも何か勘付いていたのか。

 着席した途端、チェスターは笑顔もなくそう聞いた。「長話なら食堂で茶でも飲みながら」、という日がこの父子にはあったけれど、今日は内密の話だ。食堂に移動するわけにはいかない。


 動揺も疲労も押し隠して、パーシヴァルはダスティンにかかった容疑と捜査状況、直接領地へ赴いて栽培・加工の現場を確認する事を話した。どの道途中でダスティンが姿を消した街、シローファを通る事になるので、捜索を続けている騎士とも合流するという。


「父上が直接行かれると…それはいつ頃ですか。」

「明日は無理だから、急いでも明後日が妥当だろう。ビビアナも来るようだ。留守を頼む」

「…はい。」

 気丈に振舞おうとしているのか、チェスターは静かだった。パーシヴァルは息子に無理をさせていると感じる傍ら、頼もしくなったとも思う。


 もしダスティンが《ハート》に関わっておらず濡れ衣だったとしても、軍務大臣の膝元たる領地で犯罪が行われていた事実は大きい。オークス家は無傷では済まないだろう。

 ダスティンが関わっていた場合は、余計に。


「お前やジェニーにも、苦労をかけるかもしれないな。」

「俺は苦労かけて良い相手ですよ、父上。後継ぎでしょう?ジェニーだって、家族だから当たり前と言います。」

「…あぁ。」

 わざと明るく笑って返したチェスターに、パーシヴァルも口角をほんの僅かに上げた。息子の肩を軽く叩き、立ち上がる。


「現場を見るついでに、サクッとあいつを見つけてくる。」

「はい。……どうか、お気を付けて。」

「おう」


 部屋を出て行く父の背中に声を掛け、チェスターは唇を閉じた。

 扉が閉まりきる寸前、廊下で出くわしたのか侍女のエイダと話す声が聞こえてくる。まだダスティンの事を明かさないまでも、領地へ発つ事は使用人達にも伝わり、準備が始まるだろう。


「……父上と母上が、共に……」


 テーブルの上で握った拳が汗ばんだ。

 心臓が鼓動を早め、無意識に視線が彷徨う。



『貴方のご両親は…雪の降る日、乗っていた馬車ごと崖から落ちて、亡くなってしまうかもしれない。それも…どうやら、事故ではなくて、襲撃を受けての事なの。』



 ――シャロンちゃんが言っていた日が、とうとう来るわけだ。


 パーシヴァル達が領地へ向かう事を騎士団に伝えれば、アベル達はそこでようやく《先読み》の件を話すだろう。囮となってほしい事も、護衛にあたる騎士の選抜が済んでいる事も含めて。戦えない母が一緒だろうと、父がそれを断らない事はチェスターには予想がついていた。

 オークス公爵邸は騎士団が見張っているため、ジェニーの安全は問題ない。


 チェスターはリビーと合流し、両親の馬車を内密に追う。


 シャロンはアーチャー公爵夫妻を説得し、アベルからも許可とまでいかないものの、見逃してもらえる事にはなったと報告の手紙を寄こしていた。

 パーシヴァル達が出立する日がわかったら、シャロンへの連絡はリビーが行う事になっている。チェスターがシャロン達と会うのは当日だ。


 ――明後日、か…。


 アベルが一緒に来てくれたらと考えてしまい、チェスターは首を横に振った。

 普段から自由に行動しているとはいえ、さすがに第二王子が何日も王都を出るとなれば真っ当な理由が必要だ。いつもは協力的な騎士団長も首を縦には振らないだろう。

 それに、信頼と甘えは似て非なるもの。


『アベル様は強いからね。殺したって死なないような、最強の王子様なんだから。』

『死んじゃうわ』


 盲目的ではいけない。


『アベルだって、死んでしまうのよ。チェスター』


 自分がいかに深く考えないで生きていたかを思い知った。

 だから恐ろしい未来を変えるために、チェスターはシャロンの手を取ったのだ。


『一人で頑張るより、俺も仲間に入れてくれないかな。』


 その結果が出る時がくる。


 また、本来チェスターが王都を出るには申請書を出すべきだが、今回は出さない事に決まっていた。ルールを破る事にはなるが、申請によって複数の人間に知られるリスクの方が高いからだ。

 バレた時にはアベルもろとも上層部からお小言を頂戴するだろうが、少なくとも特務大臣エリオット・アーチャー、騎士団長ティム・クロムウェルは知っている話だ。アベルは「一応陛下の耳にも入れておく」とまで言っていたので、法務大臣や宰相が怒ったところでさほど痛くはないだろう。


 ゆっくりと呼吸を整え、滅多に使わない剣を鞘から抜く。手入れは充分。

 クローディア・ホーキンズ伯爵令嬢の《先読み》によれば、ダスティン本人も雪山に来るらしい。そしてシャロンが言うには、ダスティンには風の魔法を使う仲間がいる。パーシヴァル達は襲撃され、馬車ごと崖から落ちてしまう。



『俺は兄上と義姉上と、三人で過ごす時間が好きだった。楽しかった。幸せだったんだ』



「…叔父上……」


 どうしてなんだと顔を歪め、チェスターは苦々しく呟いた。

 ダスティンが自分達を、パーシヴァルを裏切ったという事が未だに信じがたかった。騎士からの報告で可能性がどれほど高まろうとも。


『誰だって綺麗なものを「素敵だ」と思い憧れる。好きの一種ではあるんだろうが、俺が抱いたのはそういうもので、二人が幸せになって、可愛い甥や姪ができて、それでよかったんだ。』



 家族を切る事になるかもしれない。

 大事な人の血がつくかもしれない剣身を眺め、チェスターは細く息を吐く。



 ――その時はきっと、怒り任せにしちゃ駄目だ。何があったのか、知るために…



 重く感じられる剣で一度だけ、空気を裂いた。




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