187.少しだけ、期待して
試合の始めと同じように剣を構えて礼をし、シャロンは大きく息を吐いた。
「二人共、よく頑張りました。」
レナルドはシャロンとダンに歩み寄りながら、緩く笑みを浮かべる。
本当に予想以上の動きだった。
レオを相手にする時と違い、シャロンには「自分の攻撃で相手が怪我をするかもしれない」という恐れが微塵もなかった。自分ごときの剣でレナルドが負傷すると思えなかったためだ。だからこそ全力が出せた。
「先生が、すごく手加減してくださっているのがわかって……はぁ、はぁ。力の差を感じました。」
シャロンが苦笑して言う。
あちこち土がついて汚れてしまっているが、彼女がそれを気にする様子はない。この程度は屋敷の庭での鍛錬で慣れっこだった。
「最後の魔法は見事でした、シャロン様。発動遅延は誰もができる事ではありません。」
「いえ、そんな……足下を狙うなんて、ちょっと狡いかとも思ったのですが、必死で。」
「実戦にズルイも何もねぇだろ。良い手だったぜ」
ダンは機嫌良さそうにニヤついて言い、ガントレットの固定をカチカチと外し始める。
「えぇ。それに知らせてから今日までさほど日がなかったにも関わらず、二人の連携も良かった。」
鍛錬に出ていない事もあり、これまでシャロンとダンが共闘の訓練をした事はない。
連携はほぼ突貫工事だったが、ピッキングの師弟として内密に過ごした時間もあり、二人は互いの性格をよく知っていた。信頼が連携に繋がったのだ。
「特に、序盤で私がシャロン様の突きをかわした時……反撃から守りに来ると思いましたが、攻めましたね。」
「お嬢が大人しくやられるとは思わなかったからな。」
それ自体は護衛失格と言われても仕方ない行動だった。護衛は主を守る者であって、共に戦う者ではない。
しかし普通の少女なら大人しくやられていただろう所を、シャロンは魔力による身体強化で強引にレナルドの腕を叩き払った。
結果としてダンが彼女を庇う必要はなく、代わりに放った攻撃もレナルドの髪を掠める勢いだった。やるだろうというダンの信頼に、シャロンは見事に応えたのだ。
――メリルなんかは怒るだろうけどな。
後で降りかかるだろうお小言を面倒に思いながら、ダンはガントレットを外した手をぷらぷらと揺らした。
シャロンの力が「火事場の馬鹿力」などという言葉で片付けられないものである事は、レナルドもとうの昔に気付いている。何かしらの《スキル》だろう、と。
レオに怪力と言われ、シャロンが渋い顔をしていた事は記憶に新しい。スキルがそのまま名付けられたら可哀想とも思い、深くは突っ込まない事にしている。
「シャロン様。確実に結果を出せる時しかあの力を使わなかったのは、良い判断です。しかし頼りきりにならないよう、地力を上げる事はこれまで通り怠らずにいてください。」
「はい。」
「それから二人とも、私の剣が折れた時に足を止めましたね。」
シャロンとダンが揃ってびくりとする。
あくまで試合。これで終わりだろうと思ってしまったが故だ。
「実戦では、その程度で油断しないように。」
「は、はいっ!」
「わーってるよ…。」
「ダン、きちんとしましょう。先生なのよ。」
「……承知致しました、ベインズ卿。」
わざとらしく片眉を吊り上げ、ダンがふてぶてしい顔で片手を胸にあて頭を下げる。レナルドはさして無礼を気にした様子もなく、「あぁ」とだけ返して視線を移した。
エリオットがこちらへ歩いてきている。
「シャロン」
父の声に、シャロンはすぐさま振り返った。
エリオットは不機嫌なのか心配なのか何なのか、深く眉間に皺を刻んでいる。
「お父様!ご覧になりましたか。」
「もちろん見ていた。怪我は?」
「はい、何も問題ありませんわ。」
無事を示すように姿勢を正し、シャロンは淑女の礼をした。スカートはないので、指先は摘まむフリだけだ。
貴族令嬢とは思えぬ戦いぶりをしてみせた娘を、エリオットはじっと見下ろす。思い出すのは半年ほど前、マクラーレン伯爵邸で泣きじゃくる姿だった。
『ごめんなさい、ごめ、なさ……ぅうう。』
自分が動けなかったせいでウィルフレッドにもサディアスにも迷惑をかけたと、自分のせいで怪我をさせたと、役立たずで、ただ守られるだけだったと…泣いていた。
今目の前に立つシャロンは、強い目をしている。
努力してきた結果が今日出たのだ。自信を持ちながらも決して慢心していない。手加減された事を自覚し、足りない事をわかっている。
エリオットは複雑に思いながらも手を伸ばし、娘の頭を撫でた。
「…よくやった。中々のものだった。」
「っありがとうございます、お父様……」
じわりと浮かんだ涙をごまかすように瞬き、シャロンはへにゃりと力の抜けた笑みを返す。エリオットは手を離すとダンと目を合わせ、頷いた。ダンもまた黙って軽く頭を下げる。
「シャロンちゃん、ダンも、お疲れ様。かっこよかったわよ~。」
「お母様」
ひらひらと手を振って、ディアドラが花咲くような笑顔で歩いてきた。後ろにはメリルも追従している。シャロンが顔を綻ばせ、レナルドはすぐさま礼の姿勢をとった。
「レナちゃんも、付き合ってくれてありがとう。」
「は。第二王子殿下、公爵閣下、ディアドラ様のご依頼とあらば。」
聞けないわけがない。
立場から見ても私情をとっても、「はい」以外選択肢のない依頼だ。レナルドは喜んで受けたが、ティムあたりが同じように何か頼まれたとしたら、内心顔を引きつらせてから承諾しただろう。その面子からの依頼を断れる者など、この国にはほんの指先ほどしかいない。
「あれくらい動けるなら、入学祝いもばっちり使いこなせると思うわ。ねぇあなた?」
「…そうだな。」
細い指を頬にあてて微笑むディアドラと、渋い顔ながら頷くエリオット。
入学祝い?とシャロンが首を傾げると、ダンは自分のガントレットを指した。数か月早いが、入学祝いとして購入された物だったらしい。まさか自分にもこれだろうかと不思議そうな顔をするシャロンに、エリオットが首を横に振った。
「お前には剣を用意した。」
「ほ、本当ですかお父様…!」
思わず口元を手で押さえ、シャロンは期待に瞳を煌めかせた。
愛娘の喜ぶ姿につい緩んでしまいそうな口元をぎゅっと引き結び、エリオットは仰々しく頷く。ディアドラがくすりと笑った。
「学園で剣術の授業を取るでしょう?あれは自分の剣を持ち込んで良いのよ。」
「入学までに慣らす時間も必要かと思い、この週末には届くよう手配してある。」
「私の、剣……」
こくりと喉を鳴らし、シャロンはまだ見ぬ愛剣に思いを馳せる。楽しみでならなかった。週末に届くなら来月の戦いにも持って行けるだろう。そこまで考えて、はっとする。
「あの…レナルド先生。」
「はい。」
今日の試合によって、オークス公爵夫妻の事件現場に行かせてもらえるかどうか、決まるはずだった。アベルは「レナルドの合格をもらえ」と言ったのだから。
ダンは「駄目でも勝手に行きゃ良いじゃねぇか」と言うが、「勝手は許さない」と言った時のアベルは本気に見えた。
それを無視する事はきっと、彼に対する裏切りだろう。
「先生から見て、私達はどうだったのでしょう。もちろんまだ未熟とはわかっているのですが、その…」
シャロンの方を向いたまま、レナルドは緑の瞳を横へ動かした。ダンは視線を追ったが、その先は誰もいない客席だ。シャロンもつられるようにそちらを見る。
瞬きした瞬間、空っぽの客席から二つの人影が飛び降りた。
シャロンとダンが目を見開き、エリオットとディアドラは黙って彼らを眺める。
第二王子アベル、護衛騎士リビー・エッカート。二人が前に来ると、シャロンは完璧な礼で挨拶を行ってから苦笑した。
「貴方、いつからあそこにいたの?」
「来るつもりはなかったんだけどね。」
「私からの報告だけでは不十分と思いまして。ただ殿下のお姿が見えると、二人とも余計な力が入るでしょうから…内密にご観覧頂きました。」
レナルドが淡々と言う。
つまりは最初からいたのだ。シャロンは顔に笑顔を貼りつけたまま記憶を振り返る。
――大丈夫だったかしら。いえ、何が?わからないけれど、私、大丈夫だったかしら!?
無様な真似はしていなかったかと焦り、途中悲鳴もあげてしまったとシャロンは落ち込んで眉を下げた。
緑の隻眼が確認するようにシャロンとダンを舐め、アベルと目を合わせる。
「身分抜きなら、問題ないかと。」
シャロンの心は喜びかけ――止まった。
身分。公爵家に生まれた事実は変えようがない。変装すれば良いという話なのか、それとも「公爵令嬢でさえなければ」という意味か。
そもそも、レナルドはシャロンの望み――オークス公爵夫妻が襲撃に遭う可能性があれば、同行したいという事――を知って試験に臨んだのだろうか?それとも、知らずに?
考えをまとめる暇もなく、シャロンの肩にディアドラが手を置く。
「私は応援しますわ。やんちゃは若いうちにするものですから……行きたい場所へ、やりたい事を掲げて。そういうものだと思っております。」
「公爵。君は?」
アベルの短い問いに、エリオットは顔を歪めた。
「…王都を歩くぐらいは、良いかと思いますが。しかしやはり、安全に越した事はないのでは……」
「でも、事件に遭いやすいあなたの血をよく継いでいるようじゃない?囲い過ぎると、学園でやっていけないかもしれないわ。」
「ぐ…だが、何かあったら…」
「私達の出会いなんて、敵地の牢屋だったでしょう。ならシャロンちゃんも、ピンチの中で運命の殿方を見つけるかもしれないし…」
「やはりやめよう。シャロンには色々とまだ早い。」
アーチャー公爵家の夫婦漫才が繰り広げられる脇で、ダンはレナルドに試合の改善点を聞いている。その脇からメリルに「なぜシャロン様を守る事に徹しなかったか」と詰問され、鬱陶しそうに手を振っていた。
結局どうなったのかしらと首を捻るシャロンは、アベルが横に立っている事に気付く。窺うように覗き見ると、金色の瞳がシャロンの方を向いた。
「……正直、見くびってた。」
「え?」
「君の努力を疑ったわけじゃないけど、僕が思うより力をつけていた。だから」
薄紫色の瞳を見つめて、アベルは小さく微笑む。
「これからは少し――期待して待ってるよ。」
シャロンは息を呑んだ。以前言われたことを覚えていたからだ。
『君が強くなるの、期待せずに待ってるよ。』
喜びで心が明るくなる。胸元で軽く手を握り、シャロンは花がほころぶように微笑んだ。
そんな彼女を見て、アベルは僅かに目を細める。
「少しだけね。」
悪戯っぽく繰り返され、くすりと笑ったシャロンは「ありがとう」と彼の手を握ろうとし――父親に見られている事に気付いて、危うく触れそうだった手を引っ込めた。




