185.第二王子と従者 ◆
昔から、剣も勉強もそれなりにできた。
特別努力したわけじゃないし、かといって怠けたわけでもない。
父上は騎士団長だったけど「お前も騎士になれ」とは言わなかったし、俺がそれを「期待されてない」と思う事もなかった。大人になったら、何かしらの城勤めにはなるんだろうなって。それくらい。
『殿下がたはお前の三つ年下だ。従者に選ばれる可能性もあるかもしれないな。』
王子の従者。
国王陛下が王子だった頃は、二つ年上の父上じゃなくて、同い年の公爵令息が選ばれた。それが今の特務大臣、エリオット・アーチャー公爵だ。
ツイーディア王国の筆頭公爵家。
特務大臣という役職ができてから、それをアーチャー家以外が担った事はないらしい。その子息が王子と同い年だったら、従者に選ばれるのは当然の流れだったんだろう。
ただ、今のアーチャー公爵の第一子は、女の子だ。
護衛役でもある従者を務めさせるわけにはいかない。
王子殿下と歳の近い公爵家の男子は、三つ上の俺と、二つ上のサディアス・ニクソン君。他の候補もいるはずだけど、俺達の可能性が高いっていうのはまぁ、当然の流れ。
『チェスター!お前がアベル第二王子殿下の従者に選ばれたぞ!!』
父上が真顔で全力ピースしながら帰ってきたあの日。
屋敷中が笑顔でパーティーの準備を始めた。王子殿下の従者に選ばれるなんてすごいと、母上とジェニーがはしゃいでたのを覚えてる。
俺は全然、実感なかったけどね。
しかも第二王子殿下の方でしょ?ニクソン家がそっち狙ってたんじゃなかった?って。
『父上、そういえば属性はどうだったんです?』
従者が決まるのは殿下がたの《魔力鑑定》の日。
俺の最適は《水》だから、かぶってないと良いなと思いながら聞いた。父上は事もなげに返す。
『ああ…無しだ。』
『へぇ?珍しいですね。』
つい首を傾げた。
魔力を持たない人は珍しくないけど、貴族、それも王家でってなると……。まぁ、なんでもいいけど。俺が第二王子殿下の従者に決まった事は変わらないしね。
第二王子、アベル・クラーク・レヴァイン殿下。
まだ七歳にも関わらず、相当に剣の腕が立つらしい。普通その年齢で城下までそんな噂が広がったりしないから、本物なんだろう。神童ってやつ?
茶会だのパーティーだのに顔出してにこにこしてると、皆色んな話をしてくれる。
第一王子殿下は穏やかで優しくて、おまけに真面目で優秀な人だとか。俺もちらっとだけ話した事あるけど、噂通り良い子なんだろうなと思った。
第二王子殿下は、剣の腕が立つって事以外、褒める話を聞かない。パーティーで一回挨拶はしたけど、それまで。すぐいなくなっちゃったからろくに話してない。まぁ…父上が喜んでるんなら、悪い子ではないでしょ。
『噂は色々あるけど、実際どんな人かまだわかんないからね。』
ジェニーと話しながら、俺はそんな風に言った。
そうして実感がないまま城に向かって、案の定不機嫌なサディアス君と同じ待機部屋に行って、それぞれ殿下の私室へ向かう。
緊張はしてた。
城を歩く機会なんて滅多にないし。殿下に従者として仕えるのは俺の意思とは関係なく決まったもので、変えられない事実。忠誠心も求められるんだろうけど……いきなり言われてもね。
今日は正装で挨拶だけして、今後形式的な付き合いができれば大丈夫かなって思ってた。
父上だって、国王陛下には忠誠というより…友情的な親しみを持ってるように、俺は見えた。ただそれは親の話で、俺と殿下が同じ関係性を築けると決まったわけじゃない。
高望みは危険だ。機嫌を損ねる事なく、それなりの働きをして、そこそこ気に入られて、問題なく。
入室を許されて部屋に足を踏み入れると、彼はこちらを見ていた。
いつか挨拶した時と同じ、熱の無い冷めた瞳で。あら殿下、本日も見事なお顔立ちで。なんてね。俺は愛想よく笑ってみせる。
『お久し振りです、第二王子殿下。』
指先まで気を配って、深く頭を下げた。
『本日より従者を務めさせて頂きます。オークス公爵家長男、チェスターです。』
殿下が指示したんだろう、部屋にいた侍女が黙って退室する。
『顔を上げなよ。』
『はい。』
背筋を伸ばして、俺は改めて正面から彼を見た。
少し癖のついた柔らかな黒髪、不機嫌なのか僅かに眉根を寄せて、金色の瞳は冷えた眼差し。俺が観察するのと同じく、向こうも俺を見ているはず。だからこれはお互い様だ。
十歳の俺から見て、七歳の殿下は落ち着き過ぎていた。
はしゃぐでも緊張するでもなく、その人は俺を見つめ。
座っていた椅子から立ち上がって、扉へ向かった。
『君は僕の従者であり、護衛だ。でも日常的についてくる必要はない。』
『…勉強期間の話ですか?』
俺と殿下は三歳差。
同時期に王立学園へ通うためには、俺が入学を三年待つ必要がある。その分勉強を先取りしたいなら、王子の許可を得て自由時間を貰う事ができるはずだ。
殿下は首を左右に振る。
『一人の方が動きやすい。』
……左様ですか。
とは言わずに俺は苦笑いした。邪魔だと言うなら仰せのままに。殿下は立ち止まって不快そうに右の首筋を擦る。ため息を吐くのを我慢したような、音のない呼吸。
廊下に出たいようなので、俺は何も気付かないフリをしてしれっと前に回り、扉を開けた。
『どちらへ?』
『…騎士団の演習場だ。君にも来てほしい』
『……はい。』
来い、ではなくて、来てほしい、と。
睨むでもなく、まっすぐに俺を見上げてそう言う。なんだか拍子抜けした気分で、俺は瞬いて。何なんだこの子はと思いながら、自分より背の低い彼について歩いた。
『きゃあ!』
『えっ?』
廊下を進んでいて、脇道から聞こえた声の方を見たら、五十センチはあるかってくらいの花瓶が俺の頭目掛けて飛んでいる。思わず呆けた。だってそんな事起きると思わないじゃん?
俺達が歩いてた廊下に警備の騎士もいたけど、突然だし距離もあるしで何も間に合わない。
ガシャアン!
花瓶は廊下の、窓側の壁にあたって砕けた。
俺?殿下に足払いかけられて天井を眺めてるところ。お城って天井の模様まで綺麗だね。殿下の方が前にいたはずなんだけど、よく俺の足引っ掛けられたな。
『起きてくれる。』
『あっ、はい。』
軽く手振りされて慌てて起き上がった。
騎士が一人、二人駆けてくる。俺に花瓶を投げちゃった侍女さんは、こけたまま唖然としてこっちを見ていた。俺はへらっと笑みを浮かべる。こういう時は、「お姉さん大丈夫?」って手を差し出さないと――
『捕えろ』
『はっ。』
俺はギョッとして殿下を見た。
王子が相手だからか、騎士はすぐさま従って彼女を拘束する。俺別に怪我したわけじゃないし、あ~でもあの花瓶はそこそこの値段かも。うちで払えない額では全くないけど。
通りすがりの他の使用人がびくびくして見守っている。気まずい。侍女はほとんど泣き叫ぶように謝罪して。
止めた方がいいのか悩んでいる内に、殿下は腰に提げた剣の柄に手をかけた。
『あまり騒がないでくれるかな。五月蝿いよ』
『ヒッ…』
すらりと剣を抜く音。
ちょっとちょっとちょっと!?さすがにヤバイんじゃないのか。無意識に唾を飲みこんで喉が鳴る。廊下に座り込み、後ろ手に拘束された侍女。騎士二人は互いに視線を交わしてるけど、いったん様子見のつもりらしい。
こつ、こつと殿下の靴音が響く。
『花瓶やらの弁償は当然として』
静かだった。
殿下は足先で侍女の膝を踏むようにして、刃の先で彼女の顎をすくう。
侍女と騎士達は殿下を見上げ、その顔は恐怖に染まる。なのに、誰も目をそらさなかった。
『誰に頼まれたのかな。』
殿下は促すようにほんの少し、剣に力を込める。
横からこっそり覗いたら、侍女を見下ろす彼は僅かに目を細めて…笑っていた。
逆らっても意味がないと本能的に知らしめる、自分が上だと理解している者の眼差しだ。端正な顔立ちに浮かぶ笑みは冷たく、ぞっとするほど――…
なんて考えた自分に混乱し、俺はほとんど無理矢理に目をそらす。
侍女は限界まで目を見開いてはくはくと口を動かしたけど、やがてか細い声でとある貴族の名を呟いた。途端に刃を引いて鞘に納め、殿下は踵を返す。
『後は任せるよ。』
『承知致しました。』
騎士達が侍女を引っ立てていく。
俺はその光景と元通り廊下を歩いていく殿下を見比べて、ハッとして後を追った。
『あ…ありがとうございました。危うく頭を割られてたとこですね~。』
花瓶が割れたみたいにって?いやいやつまんないよ。
今しがた起きた色々に頭が追いつかなくて、適当な言葉が口をついて出た。殿下は振り返らない。さっきまでの冷えた空気ももう無い。
『君も素人ぐらいは気付けるようになった方がいい。』
『…気付くって、事前にですか?』
『僕達が来るのを角から確認してた。実際通りがかったら、足音が近い場所から不自然に始まったでしょ。転んだのはわざとだ』
そうなの?
俺には見えなかった。というより、廊下の先の角なんて近付かないとまともに見ない。……見ておけって事か。
『君が死ねば従者の役回りが他にいく。さっきのは単に嫌がらせだろうけど。』
『はは…怖いこと言いますね。』
『僕を殺せばウィルが王だ。君も巻き添えを食らうかもね。』
『…殺されないでしょう、貴方は。』
反応に困って、そう返した。
殿下はもう何度も暗殺されかけてるんだっけ?
どうしてか、ふっと笑う小さな声が聞こえた。
『そうだね。僕はなかなか殺せないだろうな…』
『えぇ。最強の王子様って既に名高いですよ。』
『演習場の一つを貸し切ってある。』
あれ、そこで次の話に移るの?
俺一応貴方を褒めたんですけど。よくわかんない人だな……っていうか、演習場貸し切って何するの?
『冗談ですよね?』
俺の声が空っぽの演習場に響く。
両手で持っているのは、今しがた渡された剣。おそるおそる柄を引くと、潰れた刃が見える。いわく、騎士団が訓練で使うものらしい。
殿下は俺と距離を取って木製の剣を手にしている。腰には第一王子殿下と揃いの剣を佩いたまま。重しじゃん。超ハンデ。これ、短気な貴族子息だったら「なめてんのか!」って怒るとこだよ、殿下。俺はそうは思わないけどさぁ。
苦笑いでため息を吐きそうになって、でも
『君が冗談で僕の従者をする気なら、やらなくてもいいよ。』
その言葉を聞いて、俺は笑みを消していた。
元から、怠けるつもりなんてない。ただ、王子ってだけで心からの忠誠を誓う気もないだけで。従者としてやる気に満ち溢れてるわけじゃないけど、手を抜く気もなかったのに。
何より、そんな言葉を吐いて俺を見る殿下は――本当に、どうでもよさそうで。
なんでかカチンときた。
俺、あんまり怒るタイプじゃないはずなんだけど。
ここで「殿下に敵うわけないじゃないですか」ってヘラヘラするのは簡単だ。でもそうしたらきっとこの人は、二度と俺をまともに見ないんじゃないかと思った。勝手な想像だ。
一人の方が動きやすいと言った彼は、本当に「従者」なんて必要としてないんじゃないか。「従者になるのは俺の意思じゃない」と思ってたけど、それを言ったら殿下だって、「従者がほしいとは言ってない」んじゃないか。
剣を抜いて、鞘を後ろへ放った。
王子を怪我させたらヤバイという考えを無視して構える。俺の方が三つも年上で、身長もあって、持ってる剣の質まで違う。
だから何だ。彼は剣の天才で、俺は言われた事を言われた分しかしなかった半端者。それでも、対峙した相手に隙がないのはわかる。
『――よろしくお願いします。殿下。』
『うん』
殿下は瞬きと共に頷き、僅かに微笑んだ。
『よろしく。チェスター』
◇ ◇ ◇
夜。
「…いや、懐かしいですよ?懐かしいですけど……っとと。」
放り投げられた剣を慌てて受け止めて、鞘から抜き放つ。
いつかのように演習場に二人きり。アベル様は、今回は俺と同じ剣を使ってくれるらしい。
「例の件、同行を許すと言った以上はね。」
「しごいておこうって?はは…嬉しいな~。」
冗談めかしてるけど割と本音。
アベル様直々に見てもらえるなんてかなり貴重な機会だ。俺は騎士団の秘密訓練に参加してないからね。緊張で目が笑えてない自覚がある。
「実戦形式でやろうか。魔法も使っていい」
「…そこまでします?」
剣はともかく魔法までありきとなると、流石に躊躇した。
なのに我が主ときたら、涼しい顔して片手で剣を一閃、素振りのようにしてみせる。
「お前は動体への攻撃魔法の命中精度が低い。」
「うっ」
「矢として形成する速さはあるが複数本はまだ時間がかかる上、不安定で持続も短い。」
「何でバレてるのかなぁ!恥ずかしいんですけど!!」
もしかしなくても絶対にロイさんがバラしてるでしょ!
頭を抱えたくなったけど我慢した。アベル様はそんな俺を見て、ふっと笑う。
「組み合わせ次第でいくらでもやりようはある。上手く使え」
「…はい。」
力み過ぎていた肩の力が抜けた。
その存在を星に例えられる、この国の王家の一人。演習場を照らす松明の炎を反射して、金色の瞳が輝いて見える。
『アベル様を裏切ったら……あの人はきっと、俺を殺してくれる。』
俺は、真偽を聞かなかった。
そうなるだろうと思ったし今でもそう思う。何より、彼女の反応はわかりやすかった。
『貴方は、罰を受けたとして……アベルは、どうなるの。全部、背負えとでも言うの……』
ね、アベル様。絶対にそうでしょ。
シャロンちゃんが知ってる未来で、貴方はきっと
俺を殺してくれたんだ。




