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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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184.証拠がない




 自分で面会を希望したというのに、小太りの男――ハワード・ポズウェルは顔色が悪かった。


 騎士団本部の取調室。

 テーブルを挟んだ反対側の椅子には、軍務大臣パーシヴァル・オークスが座っている。

 明るい茶色の短髪を後ろへ流し、凛々しい眉の間に刻まれた皺は深い。切れ長の吊り目は灰色の瞳を威圧的にし、引き結んだ唇の上には清潔に整えられた髭があった。


 見るからに厳格そうで恐ろしい。

 しかし、自分には手札があるのだとポズウェルは己を激励し、咳払いした。要望通り部屋には二人きり。ここは尋問される場ではなく、交渉する場だ。


「お会いできて光栄です、閣下。」

「挨拶はいい。何用だ。」

「つれないですねぇ。良いのですか?私はそちらの秘密を握っているというのに。」

 たるんだ顎を引いて意味ありげに流し目をしてみるが、パーシヴァルの表情はひくりとも動かない。

「覚えがないな。」

 果たして動揺させる事ができたのか否か、ポズウェルにはまったく判断がつかなかった。

 それでも自分の未来のため、できる事をしなくてはならない。余裕ぶった笑みを見せようとして、ポズウェルは口元を引きつらせた。


「領地の事ですよ……良い品質の原料が採れるそうじゃありませんか。」

 声を潜め、今度は下から窺うようにして言う。

 パーシヴァルは小さく息を吐き、白手袋に包んだ手を顎にあてた。その視線を「続きを言ってみろ」と受け取って、ポズウェルがにたりと笑みを浮かべる。


「私は《スペード》でしたが、そちらは《ハート》……儲けておられるでしょう?」

「どこから知った?」

「《ハート》に詳しいと言ったら女ですよ、閣下。効果がアレですからねぇ。」

 気分の高揚と多幸感。

 魔力回復あるいは増強を目的として研究を進める中で、偶然生まれてしまったもの。相手に気付かれないよう上手く仕込めば、恋を錯覚させる事も依存させる事もできてしまう。《ハート》を買うだけの稼ぎがある高級娼館の娼婦などが、逃したくない客に使う手だ。

 パーシヴァルが黙っているせいか、ポズウェルは饒舌に語り出す。

「何せ塗り薬、色んな楽しみ方がありますしねぇ。たとえば…」



 そしてその会話は、同じ騎士団本部内の別室で全て聞かれていた。



 騎士団長ティム・クロムウェル。

 水色の髪を頭の右側で二つに結い、困ったような下がり眉で水色の瞳を横へ向けている。


 特務大臣エリオット・アーチャー。

 鋭い銀色の瞳でテーブルの向かいを見やったが、ティムが動かないので眉根を寄せた。


 アーチャー公爵家執事、ランドルフ・グレイアム。

 細身の老紳士はただ黙って《鏡》の発動を維持するだけである。この場においては何事も彼に決定権はない。


 第二王子、アベル・クラーク・レヴァイン。

 黙って盗聴内容を聞いていた彼は、突然自分に視線が集中した事を疑問に思った。

 しかしポズウェルが下世話な話を始めた事を考えれば、それを聞かせて良いか迷ったのだろうとすぐに察しもつく。賢明な彼らは一瞥くれただけで長く視線を留める事はしなかったので、アベルも特に反応を返さず放置した。


 テーブルの中央にはまるで皿を置いたように円形の闇が広がり、取り調べ室のテーブルの影と繋がっている。喋れば向こうにまで聞こえてしまうため、誰も声を出さないのは当然だった。



《…おっと、私とした事が。些か盛り上がり過ぎましたな。そちらも随分楽しまれたと聞きますよ。》


 上機嫌なポズウェルの声が、闇で形作られた《鏡》から響いている。


《閣下は端正なお顔立ちでいらっしゃる。女性が放っておきませんでしょう?派手に遊んでもバレないコツをご教示頂きたいものですな。》

《私と遊んだ女とやらに会ったのか?》

《まさか。閣下が気に入るような女性は、男爵位では手が届きませんよ。ただ、弟君はもっと()()()でしょう?》


 エリオットが目を閉じて額に手をあてた。

 《鏡》からパキリと細い何かが折れる音がする。


《……閣下?》

《私の領地で何が起きているか、お前は捕われてから誰にも言っていないな。》

《え、えぇ…もちろんです。おわかりになるでしょう、これからも言わずにいるかどうかは閣下次第なのですよ。》

《つまり?》

《釈放を。そして私の足を折ってくれたイングリスとかいう騎士と、それを指示したベインズ卿に罰を!》

《ほとんど治っているらしいな。》

《は?…確かに治療は受けましたが、完治ではなく…》


 ガタリ、片方が椅子から立ち上がった。

 コツコツと床を歩く音。


《さきほど折ったこのペンだが、残念ながら魔力を流したとて直るものではない。》

《え…?それは、そうです。》


 質問の意図がわからないのだろう、ポズウェルは困惑の声でそう返した。



《人間は、折っても治せる。》



 ランドルフが片眉を上げ、この場にいる面々をちらりと見回す。

 誰も動かなかった。ガタン、と《鏡》から音がする。


《かッ、閣下何を!こんな事をして良いとでも、》

《知っている事を全て吐け。》

《は、はははは!いいんですか!?私に手を出したら騎士に全部喋ってやる!あんたを庇う気がなさそうな奴も見つけてあるんだ!!大臣だろうが公爵家だろうが、隠しきれるもんじゃ――ぶげぇ!!》


 とうとう明らかに殴られた音がしたが、それでも誰も席を立たなかった。

 四人共沈黙を守っている。

 痛そうな音とポズウェルの怒号、やがてそれは悲鳴に変わり、情報元の女とは誰か、領地のどこの話をしているのか、パーシヴァルが関わっているとは誰が言っていたのか。


《も、じぇんぶ…言いまひら……ゲホッ、ごほ…》

《本当に私の弟が関わっていると?》

《しつこ…ヒィ!そ、そう聞ぎまじた!……偉ぞうで、性格も悪いとが。》

《あ?》

《私が言っだんじゃない!!》


 二人のやり取りを聞きながら、パーシヴァルが関与しているという最悪の可能性は潰れたとティム達は判断した。

 面会が終わって二人が退室すると、ランドルフはスキルを解除する。

 エリオットがため息を吐いて立ち上がった。

「…行きましょう。」

 ランドルフは一礼してこの部屋に留まる。

 ティム、そしてアベルはエリオットと共に部屋を出て、事前に打ち合わせた応接室に向かった。



 三人が部屋に入ると、傷一つないポズウェルがギョッと目を剥く。


 後ろ手に縛られた彼の頭を隣に立った騎士が無理矢理下げさせ、パーシヴァル・オークスはアベルに向かって丁寧に礼をした。


「第二王子殿下、ご足労頂きありがとうございます。」

「顔を上げていい。結果を聞こう――皆、座れ。」

「でッ、殿下!どうかお助けを!!」

 エリオットやパーシヴァル、ティムが席へ向かう中、ポズウェルが叫ぶ。

 騎士は部屋から連れ出そうと彼の肩を掴んだが、ポズウェルは構わず唾をまき散らす勢いでまくし立てた。


「そこの軍務大臣に、私は先程拷問を受けました!鼻も折れ血が出て!それというのも《ハート》のッ!《ハート》に手を出しているんです、その男は!口止めのためにひどい拷問を受け、それでも私は訴える!!オークス公爵家は腐っていると!お助けください、騎士団に身柄があってはどうなるかわからない!全てお話ししますから、私の保護を――」


 ソファに深く腰かけて優雅に脚を組み、アベルは金色の瞳をポズウェルへ向ける。

 《ハート》の話が出ても、パーシヴァルは遮らなかった。それがわかればもう、この男はお役御免だ。


「僕には、君が受けたという拷問の痕が見えないね。」

「は…?殿下それは、治癒ですよ…証拠が残らないように治されて……」

「証拠がないなら、僕には罪人を信じる理由がない。連れて行け」

 ポズウェルから視線を外し、アベルは軽く手を振った。

 騎士が短く頭を下げ、強引にポズウェルを部屋の外へ引きずっていく。


「待ってください殿下、おい!こっちを見ろ小僧!下手に出ていればいい気になりおって!!」

「口を閉じろ、無礼だぞ!」

「あぁやっぱり王家はクソだ!死ね!滅びろ!消えてしまえ!!」

 扉が閉まり、応接室に静寂が戻る。

 エリオットがパーシヴァルを見やると、彼は真顔のまま肩をすくめた。


「やっちまった☆……と言っても、拷問って程じゃあなかったが。」

「ふざけないでください、殿下の御前です。」

「そうだな。」

 パーシヴァルは少しだけ疲労の色を滲ませて息を吐くと、真剣な表情で三人を見回す。

 そこから語られた内容は、盗聴していたものと同じだった。

 オークス公爵領で《ハート》の原料が産出されているかもしれないこと、そうなれば《ハート》への加工すらやっているかもしれない。パーシヴァルの弟である古美術商、ダスティン・オークスが関与している可能性が高いこと…。


「クロムウェル、すぐ調査チームを作って私の領地へ向かわせろ。候補はいくつか見当がつく」

「承知致しました。しばらく私の選んだ騎士を貴方につかせますが、構いませんね。」

「もちろんだ。」

「では、ダスティン・オークスの所在について…」


 話は進んでいく。


 パーシヴァルは弟が本当に絡んでいるとは思っていないようだったが、調査に手を抜くつもりはないらしい。自分だけでなくオークス公爵邸に監視をつける事も当然のように了承した。

 アベルは基本的に黙って会話の流れを聞いている。

 この場において重要なのは、パーシヴァル・オークスに調査を乱すような意思がないこと。彼と長年の付き合いのエリオット・アーチャーが、妙な庇い立てをしていないこと。二人より低い立場にあるティムが不当に意見を潰されていないこと。

 その証人となるだけの立場と信用がアベルにはあった。


 ――俺が直接動く必要はない。


 三人が話す騎士の人選、配置、計画、どれも順当だ。

 パーシヴァルから聞く限り、ダスティンは強力な風の魔法を使いはするがスタミナはなく、剣術も学園の授業が最後。騎士の尾行に気付くような勘の良さもない。

 しかし。



『横転した馬車のような物の前で、彼は蹲っています。』


 ――ダスティン・オークスにつけただろう騎士はどうした?



『最後、窓に掛けられたカーテンの揺れが止まりました。慣性なく、ぴたりと。』


 ――何が起きて、公爵は死んだ?



『少年の格好をなさって、どなたか男性と共に馬で山道へ。』


 ――俺は、勝手は許さないと言った。お前は…



 会議が終わると、アベルはパーシヴァル以外の二人に残るよう言いつけた。

 パーシヴァルは何の文句も惑いもなく、ただ今の事態を謝罪してから退室する。エリオットとティムが改めてアベルの方へ向き直った。


 《先読み》は良い事ばかりではない。

 数多の分岐の中で可能性が大きい内の、さらに一つだけを知る物なのだ。ゆえに信じ過ぎれば、別の未来に繋がった場合の対処が疎かになったりもする。知らない方がシンプルでよかったと、後から見ればそんな結果になる事もあるのだ。

 アベルは重々しくため息を吐き、二人を見据えた。



「《先読み》の結果を伝えておく。」




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