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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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183.瞼の裏に映るもの

 



「ホーキンズ伯爵令嬢。どうか私と婚約を――」

「いいえ。」


「く、クローディア嬢!俺とデートに」

「いいえ。」


「ああ麗しきクローディア様、貴女との時間を僕に…」

「いいえ。」



 人形のように美しい微笑みを浮かべて、クローディア・ホーキンズは今日も男達の誘いを蹴る。


 日焼けのひとつもない陶器のような白い肌、たっぷりとした睫毛に縁どられた目。その中にある黒い猫目は神秘的な輝きを湛え、背中までまっすぐ伸びた黒髪は艶やかに部屋の明かりを反射していた。

 微笑む唇は桜色で、すげなく断られた男達は誰一人として彼女に腹を立てない。それどころか、しばらくすればまた花に引き寄せられる虫のようにクローディアを求めてしまう。


 あの瞳に映りたいと、微笑みを向けられたいと、それだけの理由で。


 父母はそろそろ婚約相手を見つけてほしいと思っていたが、クローディアが「殿下が学園に行かれている間はそちらで暮らします」と言い出した時に諦めた。

 娘は既に家も仕事もなんとかする算段をつけていたのだ。幼い頃から第二王子に忠誠を誓っている事もあり、言っても聞かない性分は親が一番知っている。


 ――これほど美しい娘が尽くすのだから、いずれ第二王子殿下の婚約者に選ばれるかもしれない。


 ホーキンズ伯爵夫妻は当初、ごく自然な流れでそう考えていたのだが、娘自身の口から否定された。

 いわく、「殿下は誰のものにもなりはしないのです」と。その時のクローディアが残念そうであれば、憂いの表情であれば励ます事ができた。

 しかし彼女は、うっそりと笑っていたのである。



「こんにちは、殿下。今日は随分といきなりですね?」


 形式的な礼を美しい所作で終え、クローディアは楽しそうに微笑んだ。

 応接室のソファには、先程来たばかりのアベル第二王子殿下が座っている。コートを預けず背もたれに引っ掛けているところを見るに、さほど長居するつもりはないらしい。


「あぁ。いてくれて助かった。」

「何を致しましょう。」

「いくつか《先読み》を頼みたい。少し無理をさせるかもしれないが」

「まぁ…それは、それは。」

 侍女達が限りなく気配を消し、物音を立てずにローテーブルへティーセットを用意する。

 使用する茶葉も添える菓子も全て、アベルが来た時のためにクローディアが指示しておいた物だ。見事な手際で並べられたそれらの横に、アベルは透明な液体の入った小瓶を置いた。


 正規品の魔力回復薬、《ジャック》。魔力のないアベルが常備しているわけはないので、クローディアのためにわざわざ用意したのだろう。


「人払いを。」

 アベルに言われ、クローディアは侍女達を一瞥する。

 全員が黙って頭を下げて退室した。応接室の扉は閉めきらずに隙間を開け、ストッパーをかけられている。これから吹く風で閉じてしまわないように。


 クローディアへ差し出された書類には、明るい茶髪をツーブロックにした男性の肖像画が載っている。名前はダスティン・オークス。クローディアが僅かに目を細める。公爵の弟について《先読み》させるとなれば、何かしら事件が関わっているのだろう。


「まずはこの男の、来月……そうだな、半ば頃。雪の降る日だ。」

「なんだか具体的ですね。」

「これは《検証》だ。信用度の低い《先読み》の情報を元にしている」

「…左様でしたか。わかりました。」

 検証する立場にあり、公爵家が絡むような事件を明かされるということ。

 信頼を得ている証。

 役に立てる。

 こちらを見据える神々しい金の瞳に微笑みを返して、クローディアは目を閉じた。


「宣言――風よ。我が眼に未来を。」


 彼女を中心として、静かに風が吹き始める。

 テーブルに置かれたティーセットを荒らす事なく、長い黒髪をさらりと撫でていく。


「来月半ば、雪の降る日。ダスティン・オークスは何を?」


 クローディアが問いかけると、瞼の裏に景色が映る。甘い紅茶を一口飲み、アベルは彼女が未来を告げる時を待った。


「……雪の積もった…山、でしょうか。横転した馬車のような物の前で、彼は蹲っています。横にカンテラが。周りは暗いので恐らく夜……それと、靴?人が倒れているかもしれません。」

(わだち)はあるか?」

「…いいえ。彼の足跡なら。……これは、馬車の事故でしょうか?」

 ゆっくりと目を開けて、クローディアが問う。

 アベルは考え込むように顎に軽く手をあてていた。


「馬車に雪は積もっていたか?」

 クローディアは瞬き、今しがた見えたものの記憶を辿る。

「僅かには……えぇ。」

「轍が消えるほどではないな?」

「…はい。それは確かです。」

 どういう意図の質問かを理解し、クローディアは頷いた。

 あの馬車は恐らく、その場で横転したものではない。


「では次に…オークス公爵夫妻の顔はわかるな。」

「はい。」

「ダスティン・オークスの結果と同日の様子が知りたい。…馬車の中かもしれないが」

「……承知致しました。」

 動揺を押し隠して、クローディアは目を閉じる。

 集中しなければ条件付けに失敗してしまう。深呼吸を一つして、宣言を唱えた。


「……見えました。お二人の背中…殿下が仰った通り、馬車の中ですね。横に並んで座っておられます。」

「外の景色はわかるか?」

「窓は……申し訳ありません、カーテンが。…ん……」

 睫毛を重ねたまま、クローディアはぴくりと眉を動かした。

 突然、カーテンの揺れが不自然に止まったのだ。見えていた景色はそのまま消え去った。


「…どうした。」

 目を開け、アベルの問いかけに答える前に自分のカップを手に取る。

 泳いでしまった視線を見れば、クローディアが今しばし考える時間を欲している事など彼にはお見通しだろう。黙って待ってくれる優しさに甘え、クローディアは紅茶を含んで喉へと流した。カップをソーサーへ戻す頃には、伝えるべき言葉も整理できている。


「最後、窓に掛けられたカーテンの揺れが止まりました。慣性なく、ぴたりと。」

「…単に馬車が止まったわけではなさそうだな。」

「……わたくしに、そう見えただけかもしれません。」

「構わない。公爵達はどうしていた?」

「動きませんでした。」

 もしかすると、薬でも盛られていたのだろうか。

 クローディアに見えたのはあくまで二人の背中。眠っていたかもしれないし、気絶していたのかもしれない。


「では、チェスター・オークスとリビー・エッカートを。」

「わかりました。」

 珍しい組み合わせだとは思ったが、クローディアは理由を問う事はせずに従った。

 瞼の裏には暗い、雪の降る山道が映し出される。


「……姿が見えません。夜の雪山だけ…いえ、前方は明るいので、何かあるようです。」

「轍は?」

「!……あります。」

 馬車を追っているのだろうか。

 クローディアは視界の中を探したが、二人がどこにいるかはわからなかった。


 アベルに勧められ、クローディアは礼を言って《ジャック》を手に取る。

 小瓶を開け、唇を薄く開いて中身をあおった。少しすれば魔力も多少戻るだろう。


「最後に、アーチャー公爵令嬢を。」

「シャロン様?……同じ件ですか?」

 予想外の名前にクローディアがつい聞き返すと、アベルは頷いた。

 今回は「検証」という事だったが、その《先読み》持ちはどこの誰で、一体何を知ったのだろう。困惑する心を意識して落ち着かせ、クローディアは目を閉じてシャロンの姿を思い浮かべた。


 ツイーディア王国の筆頭公爵家の長女。

 特務大臣の父と元騎士隊長の母との間に生まれた、見目麗しき令嬢。公爵家の娘として王妃教育もあるだろうに、去年から体術や剣術まで習い始めた変わり者。

 子爵令嬢を助ける代わりに自分が崖から転落し、駆け付けたアベルに救われた。


『万一、彼女に好意を向けられたらどうなさるのです?』

『それはありえない。』


 第一王子の妃候補として、昔からアベルが気にかけている娘。

 次期王妃に最も近いとされる存在。


「宣言。風よ、我が眼に未来を。」



 そして――将来、アベルがその手で殺すかもしれない相手。



「来月半ば、雪の降る日。シャロン・アーチャーは何を?」


 瞼の裏に映った景色を見て、クローディアは僅かに眉を顰めた。

 シャロンは人目を避けるように少年の格好をして、人相の悪い男と共に馬に乗っていたのだ。雪がひらひらと降る中、山道へ入っていく。オークス公爵達がいた山と同じ場所だろうか。

 怯えた様子もないシャロンと男は協力関係に見える。あるいは、「アーチャー公爵家には目つきの悪い若手の使用人がいる」という噂を聞いた事があるので、それかもしれない。


「…何と申し上げたものでしょう。」

「見えたままでいい。」

「少年の格好をなさって、どなたか男性と共に馬で山道へ。」

「……そうか。」

 クローディアが目を開くと、アベルは眉根を寄せて黒髪を掻き上げていた。

 ついじっとその仕草に見入り、手が離れて髪が元へ戻る様子を眺める。金色の瞳がこちらへ向けられると、すぐに目を合わせた。


「男というのは?」

「はい。容姿は…」

 特徴を答えていくと、アベルはその男をアーチャー家の使用人と断定した。

 シャロンの護衛役として街に出る際などにもついているそうで、アベルとも知り合いらしい。クローディアは納得して頷いた。


 恐らくアベルが知りたかったのは、公爵夫妻、ダスティン、チェスターとリビー、シャロンと使用人が合流する場面――があるのかどうかも不明だが――だったのだろう。

 完璧な答えを差し出せなかった事を口惜しく思いながら、クローディアは紅茶をまた一口、優雅な手つきで喉へ流した。


「彼女の周りにリビー達はいなかったんだな?」

「見えた範囲にはいらっしゃいませんでした。」

「…わかった。」

 アベルは立ち上がり、ソファに引っ掛けていたコートを手に取る。

 クローディアも見送りの為に立ち上がった。


「今日の事は他言無用だ。」

「えぇ、承知しております。殿下」


 スキルの連続使用は精神の消耗が激しいというのに、疲れを見せない笑顔でクローディアはスカートの裾を摘まむ。完璧な淑女の礼をもって、生涯の主に言葉を捧げた。



「すべて、貴方様のお望みのままに。」




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