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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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182/524

181.名も無き歴史家 ◆

 



 アベル様がいなくなって、数年の月日が流れた。


 国中を旅して情報を集めてみれば、戦火に荒らされた土地は戦時中に聞いたより全然少ない。死んだ人間の数も、魔獣に襲われて消えた町や不作に陥った村も……人々が思うよりずっとマトモに、騎士団は動いてたみたいだ。

 悪人や敵国から金を受け取って横暴を働いた騎士もいたらしいけど、少なくとも表面化したものは全て裁かれている。


 俺は……数々の誤解を、アベル様が否定しない事が不思議だった。嘘だと言ってほしかった。何を考えているのか聞きたかった。一度止まって振り向いてほしかった。

 今になって考えると…俺達に事情を言わなかった事も含めて、彼はわざと自分を悪者にしたんじゃないかと、そう思う。だってあの人、姿を消しちゃったからさ。


『それにしても、新しい国王陛下の手腕は見事だったねぇ。長引いてた戦をす~ぐ終わらせちまった!』

『戦好きの魔帝陛下を倒してくれた、《名も無き騎士(ネームレスナイト)》に!乾杯!』

『乾杯!!』


 昼間から酒を酌み交わし合い、笑い合う人々を横目にして。

 俺はフードを深くかぶったまま、店の隅っこで食事をとっている。アベル様の手がかりは何も掴めていない。本気で隠れるのそろそろやめてくれませんかね……。俺が探してる事くらい、わかってそうなもんだけど。


 アクレイギア帝国の《暴虐皇帝》ジークハルトに並んで二強とされていたアベル様。

 皆ふつーに皇帝陛下って呼んでいたはずなのに、いつの間にか《魔帝》という呼び名をよく聞くようになった。本人がいなくなって表面化しただけで、本当は昔から呼ばれていたのかもしれない。

 あの人、魔法の天才だもんね。

 剣も力の強さもやばいけど、宣言ナシの即発動&全属性とも最上級まで使えるのは本当にあり得ない。女神様に愛され過ぎでしょ。


 今でも目に焼き付いている、すっかり大人になった俺の主の姿。



 そう…あんたは誰より強いんだから、たとえわざと俺の剣を受けたって、死ぬはずがないんだよ。



 実際にアベル様を倒したのが誰なのか、当たり前だけど発表はなかった。

 でも騎士団が侵入を許した事を考えれば、クーデターと言えるあの一件は騎士の仕業に違いないという噂が広まって。


 近衛すら惨殺した主君の横暴に我慢ならず、その騎士は立ち上がりとうとう魔帝アベルを討ち取って、新たな王へとその首を差し出した。

 国王は騎士に栄誉を授けようとしたが、騎士は《主君殺し》は大罪であるとその栄誉を辞し、困っている民を一人でも多く救うべく旅に出たのだ。


 そんな話が作られている。


 そんな、



『…そんな馬鹿な話が、あるかよ……』



 国に戻ってからの、俺とカレンの旅は何だったんだろう。


 ただ話がしたかった。

 どうして戦を続けているのか、なぜ貴方が他国を攻めるに至ったのか。


 城へ押し入った時、どうして騎士団は邪魔をしてこなかった?

 なぜこんなにも早く新しい王が決まったんだ?

 アベル様がいないのに帝国が攻めてこない理由は?


 あんた一体、どこまで計算して俺の剣を受けたんだ。



 ――……もう、疲れた。



 あんな顔をするくらいなら、そんな事を言うくらいならどうして、俺達を頼ってくれなかったんだ。聞きたくても貴方はいない。


 なぁ、今どこにいるんだ?

 どんな気持ちで…



『…でな、城の奥深くでは魔帝陛下の首が丁寧に葬られてよ、祟りが起きないように魔法師が交代で見張ってるってわけよ!』

『えぇ~さすがに話作りすぎじゃない?』

『馬鹿、あの化け物陛下じゃ首を切ったってくたばるもんか!』

『クスクス、あのって、アンタ王都で一回だけ遠目に見えただけでしょうに。』

『ヤバかったんだって!目が合ったら全員ぶっ殺されるかと思ったぜ。だからよ、首だけになった魔帝は、もう焼かれちまっただろうに身体を取り返そうって、国を乗っ取ってまた戦だらけにしてやろうって夜な夜な――』


『さっきからうるせぇよ!!』


 怒りのままに拳を叩きつけると、店内は静まり返った。

 皿に乗っていた付け合わせの野菜はテーブルにこぼれ、グラスが倒れて床へ転がる。


 ひどい吐き気がした。


 かつてこの町は領主の横暴に苦しんでいた。嘆願書だの直訴状だのは全て握り潰され、見せしめも行われていた。密偵を出して内情を暴いたのはアベル様だったはずだ。

 まだ叔父を探していた頃の俺に、偶然会ったシャロンちゃんが嬉しそうに教えてくれた。新しい領主を得て、道も整備されて、町の人々は感謝状まで書いてくれたんだと。



 ――彼を怖いと言う人も多いけれど、この町の方達はきっと、アベルの事を少しわかってくださったと思うの。



 あの時の彼女の笑顔を思い出すと、くだらない噂でアベル様を侮辱するこいつらが気持ち悪くて仕方ない。アベル様を説得しようと、彼ならわかってくれると俺と一緒に戦ってくれた、カレンの気持ちまで全部、何もかもが踏みにじられたような気がして。

 やるせなくなって、俺は席を立つ。


『助けてもらった恩まで忘れたのか?どんな思いで上に立ってたかなんて、知らないくせに……あんた達に、あの人を侮辱する資格なんかないだろ。』


 食事代をテーブルに押し付け、店を出た。

 誰も、一言も喋らなかった。



 ……知らないのは、俺だってそうだ。



 ウィルフレッド様を殺したくせに、ジェニーの仇を取りたいからって見逃してもらったくせに、俺はあの人を、


『違う』


 殺してなんかない。


 俺に殺せるような人じゃない。

 絶対に生きてる。俺は殺してないんだから。アベル様は生きてる。



 貴方が死ぬわけない。






『……ひっさしぶり~☆』


 あ、俺今、目が笑ってないかもしれない。

 口は笑ってるはずなんだけどな。


『ごめん、笑顔下手になっちゃった。それと、全然来れてなくてごめんね。』


 誰かに建て直されたんだろう、綺麗な墓場だった。

 白く平らな墓石に、一つずつ刻まれた名前。


『何せアベル様探すのに忙しくってさぁ!カレンの事見守ってほしいってお願いしといてなんだけど、もしアベル様の居場所知ってたらさ、それも教えてほしいな~なんて。』


 真ん中の、一番大きい墓石の前で俺は座った。

 誰か、定期的に片付けしてるんだろうな。落ち葉が積もった様子がない。皆に好かれる子だったもんね。


『言ってやってよ、チェスターが困り果てて探してるって。』


 カレンは今頃、何をしてるだろう。

 もう新しい恋人ができてたりして…自分で飛び出しておいて馬鹿みたいだけど、もしそうだったらちょっと傷つくなぁ。幸せになってくれるならそれでいいんだけど、ね…。

 風がざわざわと木の葉を揺らしている。俺は自分で置いた花束をじっと見つめた。


『……早く殺してあげなよって、さん゛ッ!』


 一際強く吹いた風に飛ばされた枝が、俺の後頭部を直撃する。

 頭を押さえて情けなくも地面を転がった。めっちゃ痛い。危うく舌を噛むところだったし!


『~~~っ、ちょっとシャロンちゃん!今のは俺が悪かったけどさぁ!』


 そんなわけないのに、俺はつい叫んでいた。

 痛くて涙が滲んでくるのに、どうしてか笑えてくる。墓石に刻まれた《シャロン・アーチャー》の文字は、たぶんだけど、彼女の筆跡を再現して彫られたものだ。だからかな、こんなに懐かしい気持ちになるのは。

 立ち上がって、服についた土を掃った。


『……今の俺の笑顔、きっとジェニーは好きじゃないだろうな……。』


 病気になった時、ジェニーはまだ六歳だった。

 本当は、もう少し大きくなったらアーチャー家のシャロン様とお会いしましょう、なんて話もあったんだ。会えてたら、君は妹と友達になってくれたかな。俺が女の子といるとすぐ追い払おうとするから、もしかしたら君の事も最初は警戒するかも。


『…あのさ、シャロンちゃん。俺……』


 俺は、いつか本当に、アベル様に――



『あァ?』


 咄嗟に振り向いて身構えた。

 黒地に銀刺繍の軍服、襟足を伸ばした朱色の長髪。そして何よりも特徴的な白い瞳。


『誰がいるかと思えば、久しい顔だな。チェスター・オークス。』

『どうして、貴方がここに…』

『見てわかるだろう、墓参りだ。』

 アクレイギア帝国の皇帝、ジークハルト陛下。

 護衛を一人も連れず、立派な剣を携えた彼は確かに花束を持っていた。


 ツイーディアの花より濃い青色をした五つの花弁へ、黄色の中心から白いトゲを出すかのような模様。小さな花をいくつもつけたそれは、あまり花束に向いているとは思えなかった。


 ていうか、暴虐皇帝たるこの人が花を持ってる姿も、意外過ぎる。

 彼はシャロンちゃんの墓石の前へ、無造作に花束を放り捨てた。もうちょっと丁寧にできないのかな。


『たまに思い出して来てやるが、他の者がいたのは初めてだな。』

『俺も…滅多に来れないので。』

 これはチャンスだ。

 いつか帝国に行ってこの人に聞かなくてはならないと思っていた。アベル様が国を離れていたら、ジークハルト陛下に会いに行っていてもおかしくないから。

 ただその前に、一つ気になって。


『何で、その花を?』


 理由はないかもしれないと思いつつ聞いた。

 彼は墓石の方を向いたまま、俺を振り返りはしない。


『知らんのか。シャロンはこの花が好きだ』

『そう、だったんですか……。』

 俺の記憶では、彼がシャロンちゃんと会ったのは入学より前の女神祭だけだ。

 でもその後もきっと交流はあったんだろう。彼がアベル様を気に入っている事は俺もわかっていた。もてなす時に誰か女性がつくとしたら……二人が揃っても平気な子なんて、シャロンちゃんぐらいだろうし。


『……あの、皇帝陛下。』

『何だ。』

『俺はアベル様を探しているんです。何かご存知ではありませんか?』

 ぴくりと、彼の指先が動く。

 次の瞬間には剣先が迫っていて、飛び退くのも間に合わず地面に押し倒された。

 喉元にビタリと突きつけられた剣が僅かに皮膚を裂く。俺を睨む白い瞳は怒りに満ちていた。


『お前が、お前がそれを言うのか!!ハッ!アベルを殺したお前が!?』

『殺してない!あの人が俺なんかに殺されるわけないだろ!!』

『なんて無様だ、くだらん戯曲だ、つまらん物語(ハナシ)だ!!アベルとの約束がなければその首掻き切っていたぞ、この愚か者が!!』


 約束?


『待ってくれ、何の…』

『死体が出なかったらしいな、だから何だ!アベルはお前に殺されると決めたのだ、あいつがそう決めたなら梃子でも動かん!とうに死んでいるに決まっているだろうが!!』

『俺に……』


 やっぱり、俺に殺されるって、決めてたのか?


『それを、探しているだと!!この俺の義弟(おとうと)の覚悟を!汚すような真似を……ッ!!』

『ぐ、ぅ……!』

 動かしようもなく拘束された身体が軋む。息が詰まる。

 俺の目からは涙が溢れていた。

 嘘だ。


 アベル様が、貴方が、もう…いないなんて。


 嘘だと言いたいのに、叫びたいのに、頭の片隅で真実だと理解してしまう。

 諦めてしまう。



 だって、あの人はそういう人だ。



『何、でだよ……アベル様…』


 強く風が吹くと、ジークハルト陛下は舌打ちして俺を離した。

 剣を鞘に納める音がする。俺はのろのろと起き上がり、目元を腕で拭った。



 アベル様がいないなら、もうあの人に謝れないなら、聞けないなら、殺してもらえないなら、俺は一体……何のために生きてるんだ?



『お前を殺さないこと、新たな王がよほど馬鹿をしない限り、国を狙わないこと……あいつが俺に取り付けた約束だ。』


 振り返ると、彼はこちらに背を向けて立っている。

 シャロンちゃんの墓石の前で、片手を拳にして胸にあて、背は曲げずに俯くようにして。


『――あァ、胸糞悪い。もう二度とお前の顔を見ずに済めばいいがな。』


 それだけ言うと、彼は俺を見向きもせずに立ち去った。

 やがて遠くに馬の蹄の音が聞こえ、消えていく。


『俺を、殺さないこと……』



 ――ウィルはお前の死を望まない。



 あの日、アベル様が言った言葉を思い出した。

 貴方は俺に、生きろと?



 ――チェスターを頼む。


 ――っ…わかった!



 俺はアベル様に殺されるために生きてきたのに、貴方は俺を殺してはくれないのか。

 俺はずっと死にたくて生きてきたのに、貴方は俺を生かそうというのか。


『……でも、生きて…何の意味が』



 ――戦好きの魔帝陛下を倒してくれた、《名も無き騎士(ネームレスナイト)》に!乾杯!



 違う。



 ――城の奥深くでは魔帝陛下の首が丁寧に葬られてよ、祟りが起きないように…



『違う!!アベル様は――…!』


 短い髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、頭を抱えた。

 何が《名も無き騎士》だ。何が魔帝だ、誰が誰の首を差し出したって!?ふざけるな!!


 俺は血が出るほど強く拳を握り締め、誰ともない空中を睨みつける。



『……このままなんて、許さない。』






 その日から俺は、戦った。


 次々と出てくる馬鹿みたいな歴史書を塗り替えるべく、ただひたすら真実を書き綴って。

 アベル様は国のために自ら討たれたんだと、それまでの功績や、悪い噂の真相を懸命に探し出して、嘘に塗れた彼の醜聞を払拭しようと尽力した。


 噂を利用して興味を引くために使った《名も無き歴史家》のペンネームは、よく効いてくれた。

 本が少しでも売れればまた情報収集に金を使う。

 騎士団がひっそりと手伝ってくれた事は本当に助かった。俺一人では限界があっただろうから。


 騎士との繋がりを持ててから、どうして戦争に至ったのか、あの国を潰す事になったのか……何であの子が死んだのか。

 ようやく紐解けた時には、みっともなく声を上げて泣いた。自分の無力さが憎らしくて仕方なかった。でもせめて、真相を知る事ができてよかった。

 ただ、こればかりは他国の機密も関わるため、歴史書出版の許可が下りない。


 それでも……あの人が悪い皇帝だったなんて話が、後の世に残らないように。






 ― ― ― ― ―






 ベッドの上で身を起こし、老婆は膝の上に一冊の本を開いていた。


 少し黄ばんでしまったページは年季を感じさせるものの、大切に扱われてきたのだろう、汚れや破損は見当たらない。部屋にやってきた孫娘はその様子を見ると、ベッド脇の椅子に座って微笑んだ。


『おばあちゃん、また「青き花園」を読んでるの?』

『えぇ。……とっても、素敵なお話だから。』

『私も好きよ。途中までは、すごく悲しいけど。』


 祖国を守るために戦い続けた黒の皇帝。

 たとえ国民から誤解されようと彼は振り返らない。神に愛されたとまで言われる己の強さでもって、血塗られた覇者の道を歩んだ。

 そんな彼を影ながら支えてきた紫の姫は、他国の謀略によって殺されてしまう。皇帝は彼女の仇を取ったものの――傷も癒えないまま国に帰還した彼を、白の騎士が討ち取った。数多の誤解は膨れ上がり、皇帝の廃位を望む声が大きくなっていたのだ。


『これ、この国で実際にあったお話なんじゃないかって皆言ってるわ。五十年くらい前は帝国だったんでしょう?王政に戻る時に皇帝陛下は討たれたって、学園で習ったもの。』

『そうね……本当かもしれないわね。』

『もう、しっかりして。おばあちゃんが若い頃の事でしょ?』


 終章は、大怪我を負った皇帝が馬を駆っている場面から始まる。

 彼は白の騎士に国を守るだけの力があると認め、終戦の目途が立っていた事もあってわざと討たれたのだ。自分の死をもって、祖国を平和な国に生まれ変わらせるために。

 死ぬつもりだった皇帝はしかし、紫の姫が実は生きていて囚われの身だと知った。最後の力を振り絞って辿り着き、見事に彼女を助け出す。

 瀕死の皇帝を姫が魔法で癒すと、目を覚ました彼は野に咲いていた青い花を摘み取り、彼女へと差し出した。


『青い花――挿絵の花びらは五枚。間違いなくツイーディア!そうでしょう?告白やプロポーズの定番だわ』

『どうかしらねぇ…花びらの形が丸すぎるように見えるから。でも…そうね。』


 長い戦いの末に、皇帝は姫との穏やかな暮らしを手に入れた。

 二人の住まいは思い出の花が咲き誇る、青き花園にある。


『お話通りの結末なら、いいわね……。』


 宝石のように赤い瞳を潤ませて、老婆はしわくちゃの顔で微笑んだ。

 大切そうに撫でられた本の最後のページには、花園で寄り添う二人の後ろ姿が描かれている。




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