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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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176.野次馬隊長

 



 屋根の上には無表情の女が浮いている。

 虚ろな目はぼんやりと遠くを見つめたまま。彼女を包み込むように発生した球体状の強風からは、外界へ向けて風の刃が放たれていた。

 ティムはロイが戦う方向から飛んできた高圧水流をひょいと避けて口を開く。


「宣言。闇よ、お前は全てに通じている。」


 炎を纏った男と戦うリビーへ風の刃が飛んだ。ティムは指先でさらさらと円を描く。


「開け」


 リビーと屋根の間に楕円形の闇が広がり、風の刃は最初の一つ以外は全てその闇の中へ飲み込まれていった。同時に女の真上へ展開された闇から、消えたはずの風の刃が降り注ぐ。しかし彼女を守る球体状の強風が全て掻き消してしまった。


 ――ま、他に流すよりはね。


 無駄に地面を抉れば足場を悪くするだけ、あちこちに倒れているならず者の中から死者が増えるかもしれない。空に放ってしまうと、騎士達が維持している気流の壁を乱すだろう。

 風の魔法はかなり視認しづらい分、視界が明瞭なのが特徴だ。

 そのため、ティムなら気流の壁の外へ《ゲート》を開く事もできたのだが、どうせなら女を狙うべきという判断だ。想定通り、ダメージはなかったけれど。


 風の刃が今度はロイが戦う方へ降り注いだが、ティムは放置した。あの男なら自分で何とでもできるだろう。


 ――皆それぞれ相手してくれてるし、俺がやるか。


 困ったような下がり眉で、ティムは片足を引いて軽く身を反らせる。

 すぐ横を炎を纏ったナイフが幾本か飛んでいった。投げたのはアベルと戦っている青年だろう。冷めきった水色の瞳で屋根上の女を見上げ、ティムは一つ息を吐く。狙う範囲が狭いとそれなりに集中力を要するのだ。


「開け、開け。その守りの中へ。」


 虚空を見つめる女を囲う風の球体、その内部にずるりと闇が現れた。

 ティムの隣にも展開した楕円形の闇から、風が吹き荒れる。ティムは女を見上げたまま、躊躇いなく闇の中へ剣を突き込んだ。

 女が目を見開き、それまで動かなかった瞳が下を向く。自身の脇腹に剣が刺さっているのを見て苦痛に顔を歪めると、風の勢いが格段に弱まった。


 ティムはずるりと剣を引き抜く代わり、白手袋に包んだ手を闇の中へ伸ばす。

 その先にあった女の首を掴んで素早くこちら側へ引きずり落とした。地面に投げ出された女が身を起こし、瞳がぎょろりとティムを睨んだ瞬間。彼女の頭を容赦なく蹴飛ばし、意識を失わせた。


「団長。」


 声をかけられ、ティムは剣についた血を振り飛ばしながら視線を上げる。

 リビーが気絶した男を引きずって歩いてきていた。ポイと手を離された男の衣服を見るに胴体を刺し貫いたらしいが、傷口を焼いて止血されている。治癒の魔法ではないあたりが彼女らしい対処だ。ティムは微笑んで剣を鞘に納めた。


「お疲れ様、リビー。今の見られちゃったかな?」

「?はい。無駄のない動きでした。」

 リビーは僅かに首を傾げてそう答えた。

 考えてみれば、「女性の頭を蹴るなんて」とぶつくさ言いそうなタイプではない。気にならなかったならいいかと、ティムは形式的な「ありがとう」を返して屈む。女の腹部に手をかざし、応急処置程度の治癒の魔法を施した。

 悠々と歩いて来たロイが、リビーの後ろに倒れている男を見てくすりと笑う。


「おや、リビー。こちらまで運んであげたのですか。優しいですね。」

「アベル様の邪魔になるといけない。」

「なるほど。」

 ティムは立ち上がり、二人と共に屋敷へ目をやった。

 扉の壊れた玄関からアベルが駆けてくる。本気の走りではないものの、多少急いでいるらしい様子にティムは僅かに片眉を上げた。珍しい。何かあったのだろうか。

 リビーが片手を胸にあてて軽く頭を下げた。


「我が君。ご無事で」

「あぁ。」

「彼はどうなりました?」

 結果はわかりきっているものの、場所を確認するつもりでティムが聞いた。万一、アベルが急ぐ理由が取り逃したせいだとまずいとも考えての事だ。

 上空を覆っていた気流の壁は解かれ、騎士達がちらほらと姿を見せる。三人のもとへ着いたアベルはフードをかぶり、やや早口に答えた。


「三階の廊下で伸びてる。回収を頼む」

「承知致しました。…随分上がりましたね?」

 アベルはともかく、あの青年が駆け上がれるほどの時間があっただろうか。顎に手をあて、ティムは小首を傾げる。

「蹴った。」

「あー……」

 本心から困り顔で笑い、やや遠目からこちらを窺う騎士達に手で合図を送った。


 ――殺しちゃったかな、それは。いいけど。


「かろうじて生きてるはずだよ。」

「あれ、読心術でも会得されました?」

「ベインズの首尾はどうかな。」

 どうやら茶番にも付き合ってもらえないらしい。それ以上長引かせる事なく、ティムは素直に頷いた。


「《遠見》させますのでお待ちを。」

 応答する暇があるなら、既に任務は終えている事だろう。

 契約のもとにレナルドの魔力をほんの僅かだけ引き出し、ティムはその辺に転がっていた折れた枝で地面を掻いて「終わった?」と綴る。


 数秒後、ティムの魔力が同じだけ奪われた。

 レナルドがスキルを発動し、今この場を見ている合図だ。一拍の間を置き、再び魔力がごく僅かに削られる。それが意味する問いへの答えは「肯定」。ティムはレナルドに向けて指でマルを作り、すぐに解きながら立ち上がった。


「無事に終わってますね。問題なし」

「ならいい。」

「お急ぎで?」

「あぁ。」

 アベルは僅かに眉根を寄せて懐中時計を取り出し、時間を確認してすぐにしまい直す。


「戻って湯浴みも済ませなければ、抜け出した事がウィルにバレる。」


「…それは、また……」

 ぱちぱちと瞬きし、ティムは困ったように微笑んだ。





 ◇





 地下通路に足音が響いている。


 頬に傷のある屈強な男――ドムは目当ての扉が近付いてくると、立ち止まった。

 濃い紫色の前髪を後ろへ流してヘアクリップで留めた、いやに目つきの悪い男が壁に寄りかかっている。こちらを見た目の下はクマのように黒く塗られていた。

 ハワード・ポズウェル男爵と取引している闇商会が雇った、用心棒の一人だ。彼は口元まで隠れるほど襟の高い黒衣を纏っており、ゆらりと身を起こしてドムに向き直る。


「あんた、会場潜入組じゃなかったか。」


 機嫌が悪い時の猫のような目をしているくせに、意外にもその声色は落ち着いていた。ドムは軽く肩をすくめて両手を外側へ開く身振りをする。

「男爵の指示だ。」

「ターゲットはどうなった?」

「騎士の邪魔が入ってな。だからここに来たんだよ。荷物(ブツ)を移せとさ」

 そう言って扉へ向かおうとしたドムを遮るように、男が一歩前に出る。

 ドムは太い眉を不満げにぴくりと上げた。


「おい、何の真似だ?」

「ちょっと取り込み中でね。…本当に男爵の指示かい?あんた一人で持ち逃げしようってんじゃないだろうな。」

「冗談きついぜ。いや待てよ、取り込み中ってのはまさか、商会で持ち逃げする気か?」

 二人の間に数秒の沈黙が流れる。

 互いを探る視線が絡み合い、緊迫した空気が流れた。男の後ろで扉が開く。


「終わりまし――…、た……」


 コツリと靴音を響かせて出てきたのは、百八十五センチはあるだろう長身の女だった。

 男と同じく闇商会の用心棒だ。緋色の長髪を太い三つ編みにして豊かな胸元へ流し、動きやすそうなゆとりのある黒衣を身に纏っている。腰のベルトの背中側にはポーチがついていた。

 灰色の瞳はドムを見て驚いたように丸くなる。白い頬には赤い返り血が飛んでいた。


「…穏やかじゃねぇなぁ。中を見せてもらおうか。」

「ぁ、あら、どうしましょう。どうしたらいいですか!?」

 女が慌てた様子で男をチラチラ見やり、お世辞にも細いとは言えない指を腰のポーチへ回した。男は前を向いたまま後ろへ跳び、女の横まで下がる。

「やろう。殺さないようにね」

「わかりましたっ!」

 どうするかと考えながら、ドムは腰に挿していた剣を抜いた。

 女は多節棍を取り出し、振り払うようにしながら走り出す。ガシャンと硬質な音が響き、多節棍がひとりでに連なり、組み上がった。先端には鋭く光る刃――


「薙刀か!」

「はぁああッ!!」

 物珍しさに感心している場合ではない。

 女の方が自分より力があるとみて、咄嗟に避けたドムは第二撃を剣で受け流した。まともにぶつかれば押し負けていただろう。殺さないようにという指示のためか、女は刃の背や柄で殴りつけるつもりのようだ。


 濃い紫色の髪の男はじっと二人の戦いを観察していたが、十数秒経った頃、ぴくりと眉を上げて手を横へ払う。


「ちょっと待った。そこまでだ」

「んわっ!?…とっと。」

 ドム目掛けて床を蹴ったばかりだった女が、驚いてたたらを踏む。彼女はすぐに立て直して男の横まで跳び退った。

 男は子供が見たら泣いて逃げ出しそうな恐ろしい目で、不釣り合いに眉を下げてドムを見やる。


「任務中に遊ばないでください、バークス隊長。」

「ふふ」

 ドムは――いや、王国騎士団三番隊長、クレメンタイン・バークスは笑った。


 頬に傷のある屈強な男の姿が、細身の女性騎士へと瞬時に変わる。

 灰褐色の髪は眉の上できっちりと切り揃え、耳の前は鎖骨まで垂らしながらも襟足は刈り上げられている。細い目は右にだけモノクルをかけ、手にした剣はレイピアに変化していた。


「やぁ、バレてしまったか。久し振りだね?テオフィル、ワンダ。」

「うわぁー!お久し振りです、バークス隊長!」

 緋色の髪の女、ワンダ・ノーサムが顔を輝かせ、薙刀を持ったまま両手をブンブン振る。

 紫色の髪の男、テオフィル・ノーサムは一歩後ろに下がってそれを避けた。

 昼間は喫茶《都忘れ》で働いている二人だ。


「君達を動かしたのは閣下かな?それとも第二王子殿下の依頼で?」

「独断行動ではないとだけ。貴女はなぜここへいらしたのです?この《保管庫》は手出し無用のはずでしょう」

「クロムウェルが手出し無用と言うからには、既に手を出す者が決まっているのだと考えてね。早い話が野次馬さ。」

「まぁ、そうでしたか。」

 ワンダが持っていた薙刀がガシャンと音を立てて多節棍に戻り、畳んでポーチへと押し込められる。瞬時に変形できるのは、柄部分はテオが作ってやった絡繰りだからだ。


「野次馬ですか…クロムウェル団長に嫌がられますよ。」

「そうだね。まぁ内緒にしておくれ。」

「無茶を仰らずに。俺達は見たままを報告するまでです。」

「それは残念…中はもう片付いているのかな?」

「はいっ!皆さん気絶して頂いた上で、テオさん特製の眠り薬をちょっぴり。」

「第三倉庫への通路も見つけました。《スペード》が大量にありましたから、処分には苦労しそうですね…あぁ、応援は後ほど四番隊に合流頂ける予定です。」

 暗に「それまでに出ていった方がいい」と示しながら、テオはクレメンタインを見やる。彼女はまったく気にした風もなく、モノクルの奥にある黒い瞳を煌めかせた。


「商会に潜り込んでいたんだ、栽培場所も突き止めているだろう?」

「えぇ。ポズウェル男爵が関わった《スペード》については、問題なく片がつくかと。」

 テオは考え込むように指先を軽く擦り、地下通路の壁へと目を移す。


 ――厄介なのは商会上層部に聞いた《ハート》の噂だ。デマならいいけどね……





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