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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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173.ひどい王子様、貴方は

 



 広々とした額が廊下の照明で輝いている。

 五十歳も過ぎた小太りの男――ハワード・ポズウェル男爵は、機嫌よく笑みを浮かべて歩いていた。

 どこに潜んでいたのか、ひょろりと背の高い、けれどひどい猫背の男が合流する。舞踏会の客ではないのだろう、正装ではなく灰色のローブを着て、腰の左右に剣を佩いていた。歩き方も粗雑で、見るからに貴族ではない。


「どうだったんだ。」

「王妃は取引に応じたよ。改良に要した条件も何も聞かずにね…やはり、今のままでは駄目だと実感した。おまけに、パレードで見るのと違ってにこりともせん。外面が良いだけなのだろう。殺して正解だ」

 憂うように深々とため息をついて、男爵は頭を横に振った。

 普段から贅沢三昧をして国庫を荒らしているに違いない。国王はあの美貌と外面にやられたのだろうが、賢明なるハワード・ポズウェルはそうはいかないのだ。


「次は陛下にも消えて頂こう。今の王家は良くない!レヴァイン家を廃し、一度玉座をまっさらにしなければね。」

 男爵は浸るように笑って頷いている。猫背の男が落ちくぼんだ目を男爵に向けた。

「その後はどうなるんだ。」

「新しい王の事か?皆できちんと協議していくとも。何ならカスパー、お前も立候補するか?」

 からからと笑う男爵の横を、猫背の男――カスパーは黙って歩いている。雇い主がどういう思想で動いていようとも、金払いさえよければそれで構わなかった。

 男爵はハンカチを取り出し、仮面を外して顔を拭く。


 二人は当然のように地下通路から建物を抜け出して外へ出た。

 月明かりもない曇り空の下、カンテラを下げた馬車が一台停まっている。変わりはないかと問いかければ、フードを目深にかぶった御者が聞き慣れた声で「へい」と答えた。馬車の横に立っていた使用人の若者が速やかに扉を開ける。

 男爵が中に入ると、使用人は御者の隣へ、カスパーは馬車の屋根に上がって座り込んだ。馬が歩き出す。


「やぁ、待たせたね。」


 左右一つずつ設置された壁掛け照明に照らされた馬車の中、四十代半ばほどに見える女性が座っていた。フードを下ろして露わになった長髪には白髪が幾本も混じり、整っていただろう顔立ちは眉間と額に寄った皺やこけた頬で崩れている。

 本当は見かけより少し若いのかもしれない。べったり塗った化粧の下にはうっすらと、大きなクマが透けて見えた。


「あの女、死んだの。」


 女性はボソボソと尋ねる。

 嫌悪感を剝き出しにしたような、暗く、力の籠った声だった。

「生きてはいないだろうね。」

「そう……」

 向かいに腰かける男爵に目もくれず、女は親指の爪を噛む。昔の事でも思い出しているのだろうか。

 男爵はかつて貴族だった彼女の父と交流があった。修道院へ入れられた一人娘のその後は知らなかったが、数年前たまたま寄った娼館で再会したのだ。


「満足したかい?ヴェラ。」

「いいえ。彼を…ギル様を手に入れてないもの。」

「それはもう少し時間がかかるな。」

「今更いいわ。……最後に私のもとにあれば、それで許してあげる事にした。」

「優しいね。君を弄んだんだろう?」

 学生時代を思い出し、女――ヴェラ・シートンはきつく眉を顰めた。



 ギルバート王子と結ばれてやがて王妃になるのだと、そう信じて疑わなかった頃。

 毎夜、あの美しい金の瞳は自分だけを見つめた。

 落ち着いた声がヴェラの名を呼び、愛を語ってくれた。

 温かい手が紳士的に触れ、優しく抱きしめられた。


『…何の話だ?』


 昼に会うと、彼はいつも忘れたフリをする。

 従者であるアーチャー公爵家の令息、エリオットが怪訝な顔でヴェラを睨みつけた。毎日繰り返す内にギルバートが眉根を寄せるようになり、エリオットは「また貴女か」と言うようになる。

 夜の逢瀬でどれだけ「ひどい」と訴えても、抱きしめられて愛を囁かれると口は勝手に「仕方ないわね」と呟いていた。何か事情があるのだろうと信じて、昼に会いに行くのは我慢し、遠くから見つめるようになった。


『でも、未来は変わらない。私が王妃になるの。小説でもそうだったでしょう?』

『……それと、わたくしを閉じ込める事に、何の関わりが?』

 陶器のような白い頬に手をあて、黒髪の令嬢が薄く息を吐き出す。

 怯えの一つも見せない彼女が憎らしかった。


『ギル様に近付かないで。目障りなの』

『…殿下は、名を呼ぶ事を貴女に許していないでしょう。』

『アハハハ!馬鹿ね、私達は愛し合っているわ。なのに…気絶したフリで、優しい彼の気を引こうなんて。』

『フリだなどと……今ならまだ、何もなかった事にできるのですよ。』

 冷ややかな目は明らかにヴェラを馬鹿にしていて、彼には自分が相応しいとでも言いたげだった。少し位の高い貴族の令嬢だからといって、偉そうに見下している。


 頬を思いきり叩いてやった。



 ――あの女の事だから、どうせ今回も怖がらなかったんでしょうね。


 第二王子が魔力を持たない事はヴェラも知っていた。男爵に言われ城の侍女に招待状と赤い花を預けた時、既に計画の流れも聞いていた。しかし。


「…薬を欲しがったこと、少し意外だったわ。……子がいると、変わる事もあるんでしょうけど。」


 自分がなぜそんな事を言うのかもわからないまま、ヴェラは呟いた。

 男爵が首を傾げ、適当な頷きを返してくる。天井から合図のように物音がして、馬車が止まった。



 修道院へ入れられてからも、ヴェラは毎夜ギルバートとの逢瀬を続けていた。

 それがおかしい事に気付いたのは数か月経ってからだ。

 ふと考えてみれば、逢瀬をしている場所がどこかわからない。学園にいた頃に会っていた場所と同じだ。しかし、学園にあんな場所があっただろうか。そこへ行き来する道中の事も記憶にない。

 逢瀬の前に自分はベッドへ入っていなかったか、逢瀬を終えた後、気付けば朝がやってきていた。


 会えれば、途中の事なんてどうでもよかった。抱きしめられた後つい安心して眠ってしまう自分を、ギルバートが部屋へ送ってくれていると思っていた。

 理想の恋しか見えていなかった。それが現実だと信じていた。

 妄想癖のある女だと陰口を叩かれ、ヒソヒソ笑っていた令嬢に手を上げた事もある。到底受け入れられるものではない。そんなことは。


 ――ひどい王子様。夜は愛を囁いて、昼は他人のように振舞って、私の心をさんざん掻き乱して。ずるい人だと思っていた。でも貴方は、……貴方は、もしかして。


 思い出が全て、壊れていくようだった。

 心の支えにしていた愛が、信じていた王子様が、大好きなあの人が、



 ――私の、夢?



 錯乱したヴェラは着の身着のまま修道院から逃げ出し、彷徨った。

 金を持たない美しい娘が生きていくには…



「おい、何があった?」

 男爵が馬車の扉を開けた使用人に聞く。空気が張り詰めていた。

「騎士です。騎士団が前方を塞いでいます。」

「何だって…」

 ヴェラは驚きも怯えもなくその会話を聞いていた。

 羨望は嫉妬に塗り潰され、いつか泣き喚けばいいと願っていた女の死を聞けば心安らぐと思ったのに、なにひとつ、変わらなかった。ただ空虚なだけだ。取引に応じたらしい彼女に、一種の失望すら抱いていた。


 ――……勝手なものね。


「ヴェラ、君はここにいなさい。お前も残れ、彼女を頼む。」

 男爵が使用人に何か渡して馬車を降り、扉が閉まる。


 街道は等間隔に浮かぶ小さな火の魔法で明るく照らされていた。

 年の瀬という事もあってか通行人の姿はなく、二十メートルほど先に騎士が整列している。待ち伏せされていたのだろう。

 そのうちの三人がこちらへ歩いてきた。


「これはどうも、遅くまでご苦労様ですね。」

 男爵は真ん中の男に向けて軽く礼をする。短い赤髪に右目の黒い眼帯、それだけで相手が誰なのか察しがつくというものだ。


「ハワード・ポズウェル男爵だな。」

「えぇ、いかにも。そちらはベインズ卿とお見受けします。このような場所で、どうされましたか。」

 問いかけながら、男爵は笑顔が引きつっている事を自覚していた。

 王妃セリーナは元から相対する覚悟が決まっていたが、セリーナを始末した直後に騎士団の副団長、レナルド・ベインズと出くわすのは想定外だった。馬車を止められ、名前を確認された時点で喉に刃を突きつけられたも同然だ。

 カスパーが静かに着地し、猫背を正さずに男爵の傍らへ立つ。


「貴殿にはいくつか容疑がかかっている。心当たりがあるだろう。」

「さぁ、何の事か――」

 ガタンと馬車が揺れ、中からヴェラの悲鳴が聞こえた。

 レナルドの左目がそちらを見た瞬間、男爵は「やれ!」と叫ぶ。カスパーが目にも止まらぬ速さで剣を抜き、レナルドの死角である右側から襲い掛かった。


 剣と剣がぶつかり合う。

 レナルドも既に剣を抜き、攻撃を受け止めていた。カスパーが腰に提げていたもう一本の剣に手をかける。


 控えていた二人の騎士はそれぞれ馬車と男爵に向かって駆け、男爵が悲鳴のように声を上げた。

「金ならやる、時間を稼げ!」

「宣言!水ようねり追いかけろ、あの男を押し潰せ!」

 御者が発動させた魔法によって大量の水が生み出され、男爵を追おうとした騎士へ襲い掛かった。巻き込まれれば骨折では済まされない。

 飛びのいた騎士を更に追撃しようと水が首をもたげ、しかし飛んできたナイフが立て続けに御者の身体へ突き刺さった。


「ぎゃぁああああ!!」

 御者は馬車を引いていた二頭の上に落ち、驚いた馬達は嘶き駆け出していく。

 ちょうど馬車にたどり着いた騎士が扉を開けようとしたが、鍵がかかっていた。舌打ちして走り出した馬車にしがみつき、扉の窓を割る。


 振り落とされた御者を轢いた馬車は大きく揺れ、騎士がしがみついている方へと傾いた。整列場所から駆けてくる騎士の一人が、ナイフを手で弄びながら目を見開く。


「あれっそうなる?やっべー!!」

「宣言、風よ押し留めよ!」

 後方を走っていた深緑色の髪の騎士が叫び、傾いた馬車を風が押し戻した。

「さっすがベアード、ナイスサポート!」

「真面目にやれ、ガイスト!」

「大真面目!馬は任しとけ!」

 ガイストと呼ばれた騎士がダークブラウンの前髪を掻き上げ、勢いよく地面を蹴る。空中で回転しながら馬車を引いていた二頭の手綱を取って、御者台に着地した。


 ベアードの魔法によって傾きが直されてすぐ、馬車にしがみついていた騎士は割った窓から手を入れて閂を外し、扉を開け放った。ヴェラが床に倒れている。壁にぶつかったらしい使用人が頭を押さえて振り返り、騎士とみて目を見開いた。


「うぉおおお!!」

 突進してきた使用人を、騎士は外側へ開いた扉に掴まってひらりと避ける。使用人は勢い余って自ら外へ飛び出し、地面に激突した。


 ガイストによって馬が宥められ、馬車のスピードが落ちる。騎士はヴェラを助け起こし、人相を改めた。

「ヴェラ・シートンだな?」

「…そうよ。」

 毒薬を飲むよう詰め寄られて揉めたのだと言い、ヴェラは座席へ着く。

 暗い窓の外をちらりと見やって、険しい表情で壁にもたれた。


「何をしたかくらいわかってるわ…抵抗しないわよ。」




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