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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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172.当然だろう?




 色とりどりのドレスで着飾った女達も、燕尾服に身を包んだ男達も。その全員が煌びやかな仮面で素顔を隠した仮面舞踏会。

 華やかな会場で誰もが正体を明かさずに言葉を交わし、手を取り合ってダンスを楽しみ、夜空の星々を見上げ、過ぎ去る年を惜しみ、やがて来るだろう新たな年を祝う。


 艶やかな長い黒髪を揺らし、一人の貴婦人が会場から廊下へと出た。

 側仕えだろう女性も同じように、しかし貴婦人よりは質素な仮面とドレスを纏っている。貴婦人の瞳は爽やかな青色をしていて、仮面に覆われていない口元からは白い肌と麗しい唇が見えていた。

 佇まいからもかなり高位の貴族だろう事が窺える彼女は、招待状に書かれていた個室へと向かっている。


 側仕えの女性がノックをし、中から男の声で返事があった。

 女性は扉を大きく開き、ちらりと部屋を見回してから貴婦人を通す。


「貴方がわたくしを呼んだのですね?」


 その声の、なんと冷たいこと。

 ソファから立ち上がったばかりの小太りの男は、一瞬固まったがすぐに笑顔を取り繕った。水差しとグラスを運んできたところらしいボーイも身体を堅くし、そそくさと部屋を出ようとする。


「えぇ、いかにも。お初にお目にかかります。王妃殿下」


 勿体ぶった口調で男が丁寧に礼をした。

 ボーイが目を見開いて貴婦人に視線を移し、目が合うと慌てて礼をして脱兎の如く退室する。


「まぁ…これは、また。仮面の意味がないこと。」


 王妃――セリーナ・レヴァインは氷のような目を細め、勧められる前に男の向かいへ腰かけた。扇子を開いてゆったりと口元を隠す。側仕えの女性――否、近衛騎士はソファの後ろへと控えた。

 セリーナの突き殺すが如き瞳に男はゴクリと喉を鳴らし、咳払いをしながら座る。


「こほん、失礼……気が急いてしまいました。今のボーイの身元は確認済みですので、ご安心を。」

「早く名乗らないか。」

 騎士にぎろりと睨まれ、男がびくりと肩を揺らした。

 仮面の上から覗くつやつやとした額に脂汗が滲んでいる。ハンカチを取り出して汗を拭い、男はにっこりと微笑んで頭を下げた。


「ハワード・ポズウェルと申します。男爵位を頂いている者です。殿下」

「そう。」

「……あ、それでは…早速本題に。」

 セリーナの言葉がそれ以上続かないと察して、ポズウェル男爵は揉み手をして座り直した。


 テーブルには初めから、これ見よがしに二枚の皿が置かれている。

 片方はくすんだ青紫色の葉が乗っていた。セリーナの目がそこへ向いたと気付き、男爵は「言わずともわかります」とばかり、手のひらで空中を押さえるような仕草をする。


「ご存知の通り、こちらは違法増強剤と言われる《スペード》。しかしご安心を。決して、決してこちらを王子殿下になどと申し上げるつもりはありません。」


 男爵はもう一方の皿を手で示した。

 色が淡くなったスペードに白い結晶がついたような見た目の葉が何枚か乗っている。


「こちらは改良品…ずっと研究していたのです。正規品《ジャック》のように安全で、かつ《スペード》のように効果の高いものができないかと!これは副作用の発現確率が《ジャック》と同程度、つまり極めて低い!その上、魔力を持たない者ですら、これを用いれば一定の魔力を得るのです。」

「…それは、一時的に?」

「仰る通りです、殿下。しかし一時的であれ、魔力さえあれば《鑑定》をひっくり返す事ができる。もう一度第二王子殿下に《魔力鑑定》を。いかがでしょう、値は張りますが……。」

 両手をすり合わせ、男爵は窺うように首を傾げる。

 セリーナは仮面の下で柳眉を顰め、貫くように男爵を見やった。


「安全だという言葉を信じろと、そう言うのですか。」

「えぇ、えぇ、お疑いも尤もです。どれかお選びください、一つ私めが口にして見せましょう。そうして信じて頂けたなら、残った物をお買い上げくだされば。」

「……では、一番端の葉を。」

「仰せのままに。」

 男爵は大きく頷いてみせ、他の葉には触れないように一枚だけ摘まみ上げた。

 わかりやすいよう噛みちぎって咀嚼し、残りも口に放り込む。

 《スペード》は直接噛んで摂取する方が副作用が強く出やすい薬草だ。安全性の披露なら男爵がやってみせた通り、目の前で咀嚼して飲み込むのが正しい方法だろう。


「飲み込みました。確認なさいますか?」

 王妃たるセリーナが男爵の口内を覗くなどという真似はできない。

 騎士が自ら進み出て、セリーナの目を汚さぬよう男爵の横まで歩いてから確認した。舌もどけさせ、歯茎まで露わにさせて確かめる。


「確かに、飲み込んだようです。」


 騎士の報告を、セリーナは瞬きで受け取った。

 男爵はにこにこと頷き、「お値段ですが」と口にする。《スペード》の相場よりゼロがいくつか多く、安くはないが貴族なら余裕で出せる金額だった。王家ともなればもっと吹っ掛ける事もできただろう、とすら思える額だ。


「変化を見受けませんが。」

「私は元より魔力持ちですので、えぇ。」

「依存性があるかどうかは、今飲んだだけでは証明になりませんね。」

「であれば、この数倍ご用意致します。お手元でご検証頂き、問題があれば返金を。」

 セリーナはほんの爪の先ほども笑っていないのに、男爵はよく笑顔を保っていた。

 背中にはじっとりと汗をかいていたとしても、怯えては仕掛けた意味がない。


「――よいでしょう。」


 やがてセリーナはそう呟き、「しかし」と不安げに言った騎士すら、白く細い指で止めた。

「決めるのはわたくしです。」

「…承知致しました。」

「ありがとうございます!あぁ、喜ばしい!殿下に認めて頂けるなんて!!」

「大声は好みませんね。」

「これは、失礼…」

 ぺこぺこと頭を下げながら、男爵は耳を澄ませた。

 部屋の扉は閉じているが、実は小さな穴が空いているのだ。先程のボーイはまだ、扉の外から盗み聞きしているだろう。


 王妃セリーナ・レヴァインが違法薬物取引に手を出した、その瞬間を。


「……確かに、お支払い頂きました。」

 騎士から受け取った金を数え終わり、男爵は鞄に収入を押し込んで立ち上がった。今後ともご贔屓にと握手を求めてみたが、当然手を取られる事はない。笑顔を保ったまま手を下ろした。

 わざと大きな声で「それでは失礼します」と言い、のしのしと部屋を歩く。ドアノブを押し下げ、扉を開いた。ボーイの後ろ姿が曲がり角に消えるのを目撃し、口角を上げる。


「ありがとうございました。失礼致します。」


 男爵は部屋の中に改めて一礼すると、扉を閉じた。

 ポケットから取り出した鍵でガチリと施錠する。この扉は見た目こそ木製だが中身は鉄でできており、そう簡単に破れない。


「貴様、何を!」


 近衛騎士が扉へ駆け寄り、ドアノブを回し、開かないとみるや強く蹴りつけるがびくともしない。足音は遠ざかり消えていく。男爵は去ったようだ。


「閉じ込められたのですね。」

 涼やかな声を響かせ、セリーナが立ち上がる。

 騎士は振り返り、謝罪を口にしようとして目を瞠った。セリーナと二人だけだったはずの部屋に、十数人ものならず者が現れたのだ。全員既に武器を構え、勝利の笑みを浮かべている。

「何奴!」

「なにやつぅ?これから死ぬんだから、知る必要なくね?ッハハ!!」

 剣を抜いたものの部屋の入口から動かない近衛騎士に、ならず者達の笑い声が浴びせられた。


「そんな事言ってないで、王妃サマを守りに飛び込んでこなきゃ駄目じゃ~ん。」

「所詮女って事だろ。つか一人しか護衛いないの?」

「騎士団の服なんか脱げよ!そしたら生かしてやろうかな。」

「王妃脱がすのが先だろ!」

「殺してからでもいいよ、俺は。」

「うげっ、趣味悪。」


「ふふ」


 下卑た会話の中に、ひとつ。

 セリーナが小さく漏らした笑い声だけで、場が静まった。全員の視線が集まるのも構わず、王妃は品のある仕草で仮面を外し――軽く放られたそれが床に落ちて、カツンと音を立てる。



 王国騎士団三番隊長、クレメンタイン・バークスがそこにいた。



 騎士服に身を包み、襟足を刈り上げた灰褐色の髪は耳の前側だけ鎖骨まで垂れている。細い目は右にだけモノクルをつけ、黒い瞳でならず者達を見回した。


「何だこのアマ…王妃はどこいった!!」

「最初から来ていないとも。当然だろう?」

 セリーナには似ても似つかない声で笑い、クレメンタインは腰に提げた鞘からレイピアを抜き放つ。いつの間にか、ドレスを着た女だった近衛も騎士服の男に変わっていた。彼が扉の前から動かなかったのは、恐怖で足が竦んだのではない。ならず者達をここから逃がさないためだ。


「ふざけんじゃねぇ!!」

「おっと。」

 クレメンタインが襲い掛かる大剣をひらりと避けると、その瞬間男の皮膚がバクリと裂けて血が噴き出した。野太い叫び声が響き、戦闘が始まる。

「宣言!火よ、この女を焼き尽くしちまえ!」

「まったく、恐ろしい事を言う。」

 魔法を発動する者と自分の間に別のならず者を引っ張り込み、クレメンタインは反対の手でレイピアを振るう。火は盾にされた男を包みこんだ。


「君達はどうも、金で雇われただけで何も情報がなさそうだが…まぁ、捕えようか。」


 風の魔法で浮かび上がったソファが降ってくる。

 受け流すようにさらりと横を通り、クレメンタインは宣言を唱えていた男の身体を幾度も貫く。決して致命傷にはならない、けれど動けぬように。返り血が頬に飛んでも彼女は笑っていた。


「あまり手間をかけさせないでおくれ。さほど体力がないのでね」


 たった二人の騎士を相手に、十数人いたはずの敵が全員床に伏せる。

 空中を切るようにして血を振り飛ばし、クレメンタインは倒れていた中から一人の襟首を掴み上げた。頬に傷のあるその男が屈辱に顔を歪める。


「さて、君がこの中のリーダーかな。」

「ってめ…なにもんだ…!」

「私の事はいいだろう。ただ、殺さない尋問は下手だと言っておこうか。専門ではないもので…名前は?嘘はすぐわかるよ。」

「………ドム。」

「よろしい。」

 細い目をさらに細くして、クレメンタインは手を離した。男の身体が床に落ちる。

 レイピアを鞘に戻しながら、軽い足取りで部屋の扉へ向かった。


「宣言。彼は彼、私は彼。しばし仮初の姿を得よう――ドムの身を映せ。」


 頬に傷のある男がドアノブに手をかけ、扉を開けて出ていく。鍵はもう一人の騎士によって既に壊されていた。閂は扉の枠に沿って綺麗に切断されている。


「そんじゃ、見に行くとすっか。」


 野太い声で笑い、ドムは大股で歩き出した。





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