167.兄弟ダンス!
アベルは冷静に声の聞こえた位置、微かに聞こえる足音、直前まで見ていた景色から、その男が二階廊下から降り、正面階段を上った先にある踊り場へ到達すると予測する。
自分がそこへ行くまで一秒すらかからないだろう。しかしまだ動くべきではない。侵入者の登場にしては、公爵に動きが――
「光よ、俺を照らしてくれ!!」
高い天井に照明でも仕込んでいたかのごとく、光の魔法が踊り場を広く照らし出す。
そこには明るい茶髪をツーブロックにした男性が、旅行鞄に乗せた片足の膝に肘をつき、眉間に指先を向け、反対の腕をピシリと後方斜め上へと伸ばしていた。見事なポージングである。
前を開けたチェック柄のジャケットと揃いのスラックス、蛇皮の靴。一輪の赤い薔薇をくわえた唇の下から顎にかけて生えた髭はきちりと整えられ、キッと玄関ホールを見下ろした瞳はパーシヴァルやジェニーと同じ灰色をしていた。
シャロンがぽかんと口を開き、そっと手で隠す。
「ジェニーちゃん!兄上、義姉上、チェスター!この度は誠に……ッ!」
ぐぐぐ、と旅行鞄を力の限り踏みしめ、男は満面の笑みで足をどかして両腕を振り上げた。
「おめでッとお~~!!!!」
鞄が勢いよく開き、中から白い鳩や色とりどりの紙吹雪、光沢のあるリボンが飛び出てくる。どこからかリズミカルな音楽まで流れ始め、男は鞄から取り出した三角帽をかぶって踊り始めた。
「イェーーーイ!」
「ひゃっふぅ。」
いつの間に側へ寄っていたのか、パーシヴァルが真顔のまま同じように三角帽をかぶって息ピッタリに踊っている。
腕をぐるぐる回し、小粋なステップで行ったり来たりし、音楽に合わせてターンし、最後は二人で左右に腕を広げてポーズを決めた。照明が元に戻る。
「………………。」
アベル、サディアス、シャロンは口もきけずに踊り場を見上げていた。
ウィルフレッドはにこやかに拍手を送り、ジェニーは嬉しそうに手を叩き、ビビアナは楽しげに微笑んでいる。ダンは白けた目でチェスターを見やった。
「ん゛んッ…くっ、ふふ、父上、叔父上……その、皆驚いて…くくっ!」
チェスターが笑いを堪えながら言う中で、突然現れた男とパーシヴァルは大歓声でも浴びているかのようにスン…と目を閉じて三方向に丁寧なお辞儀をしている。
シャロンがはっとして辺りを見回すと、二階の廊下へ撤退していく音楽隊の後ろ姿が見えた。オークス家の使用人達は口元に笑みを浮かべ、しずしずと散らばったテープや紙吹雪を掃いている。
玄関扉の左右に控えた護衛騎士二人が微動だにしなかったのは、事前にパーシヴァルからこの騒ぎを聞いていたからだろう。
アベルにじっと見られて気まずそうなヴィクターの頭に、一羽の鳩がバサバサと舞い降りた。セシリアが涎を垂らしそうな笑顔でそれを見つめている。
「素晴らしかったですわ、叔父様!お父様!」
向日葵のような笑顔を咲かせ、ジェニーは階段を降りてくる二人を迎えた。
チェック柄のジャケットを着た男はトトンとリズミカルに最後の数段を降り、くわえていた薔薇を胸ポケットに挿す。ジェニーへウインクしてみせてから、ウィルフレッドとアベルに目を移した。
片手を胸にあて、深く礼をする。
「第一王子殿下、第二王子殿下とお見受け致します。私はダスティン・オークス。公爵家の生まれではございますが、古美術商などしているはぐれ者です。どうかお見知り置きを。」
ウィルフレッド達が挨拶する間、シャロンは表向き笑顔を保ちながらも困惑してダスティンを見つめていた。前世で見た姿や言動と今の彼はいまいち合致しないのだ。
――もっと、目が血走って頬がこけて…あぁでも、私が知っているのは《未来編》の姿だわ。この時期の彼について知っているわけではない。……本当にこの方が、あと一年ちょっとであんな…ジェニーに暴力を振るって、命を奪って…チェスターを……
斜め後ろに控えたダンに腕を突かれ、シャロンははっとして居住まいを正した。ダスティンが人好きのする笑顔を浮かべてこちらへやってくる。
「初めまして、お嬢さん。ジェニーのお友達かな?そんなに熱い視線を送ってどうしたんだい。」
「…初めまして。アーチャー公爵家長女、シャロンと申しますわ。」
軽く腰を落とし、けれど頭は下げずにシャロンは挨拶をした。整髪料か香水かわからないが、大人の男性が好んで使いそうな、渋みのある甘い香りが少しする。
ダスティンは大げさに目を見開いてから破顔した。目元に年齢を感じさせる皺が寄る。
以前ランドルフから聞いた情報では、ダスティンはパーシヴァルの四つ下、三十八歳だったはずだ。
「アーチャー公爵家の!それは失礼致しました、私はダスティン・オークスと申します。」
「こちらこそ、じっと見てしまって失礼しました。素敵でしたので、つい。」
「えぇ~っ、本当!?」
シャロンは社交辞令とわかるさっぱりとした声色で言ったが、ダスティンは嬉しそうに眦を下げ、でれでれと口元を緩めた。「今の聞いた?」とチェスターを肘でつつく。
「俺もまだまだ捨てたもんじゃないなぁ~!兄上、どう?俺かっこいい?」
「モチのロンだ。」
「軍務大臣のお墨付き頂きましたッ!」
パーシヴァルがグッと親指を立ててみせ、ダスティンはパチン!と指を鳴らして髭の生えた顎に手を添える。
「だけどお嬢様…惚れちゃあいけませんよ。俺はしがない古美術商。貴女とは身分も歳も」
「旦那様、ダスティン様!いつまでお客様を立たせているのですか!早くご案内を!」
「お~、エイダ!久し振り!」
公爵とその弟をぴしゃりと叱った年配の侍女に、ダスティンがにこにこと歩み寄っていく。
その背を見送り、シャロンは両親と話すジェニーを不安げに見やった。
◇
叔父上も来た事だし、二階に上がりましょう…ってなったのはいいんだけど。
ウィルフレッド様~?
何で当然のようにジェニーをエスコートして階段を上がっているのかな…?わかるよ、わかりますよ一番主役に近かったんですよねわかります。ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!!
サディアス君が俺を冷たい目で見てから上がっていく。君にも妹がいたらわかったかもしれないよ、この気持ち…弟だもんね、うん、知ってる。会った事ないけどサディアス君に似てるのかなぁ。
「…チェスター。」
苦い声で呼ばれて、俺は振り返った。
お互い中途半端に手を伸ばしかけたような状態から手を引っ込めて、アベル様とシャロンちゃんが揃って俺を見る。何してるの?軽く首を傾げながら歩み寄った。
「どうかしました?アベル様。」
「…お前が、彼女を連れてこい。」
「はい?」
「い、いいのよアベル。一人で上がれるわ」
シャロンちゃんが慌てて手を横に振っている。
俺は説明を求めてシャロンちゃんの後ろのダン君を見やったけど、駄目だ。父上達がいないせいか大欠伸してる。好きだけどね、そういう素直な態度。
アベル様が俺の横を通って階段へ歩いていく。
「え、どういう事です?俺てっきりアベル様が………まぁ、いいんですけど。」
全然立ち止まる気配のない主を見送って、俺は聞くのを諦めた。ちょーっとだけ機嫌悪そうだね。
喧嘩したって雰囲気じゃなさそうだったけど、まぁ考えても仕方ない。女の子を待たせるのは良くないから、俺は笑顔でシャロンちゃんに手を差し出した。
「お手をどうぞ。」
「ありがとう、チェスター。」
「いーえ。」
俺達がいるのにダン君がエスコートってわけにもいかないもんねぇ。
小さい手を引いて階段を上がりながら、俺は小声で聞いた。
「アベル様と何かあった?」
「…私達、舞踏会のセレモニーで踊ったでしょう?なんだか少し、噂になっているみたいで…」
「あー…うん。」
たぶんだけど、セレモニーのパートナーじゃなくても噂になったと思う。
だってアベル様がダンスの間あれだけ喋ってくれるなんて、まずないだろうし。お喋りなクローディアちゃんならありえるかもだけど、目を合わせたままでいるかはわかんないな。
それに、ダンスの後も一緒にいるとこ見られたらしいし?帝国の第一皇子殿下の所にいたんじゃ、心配で迎えに行くのはわかるけどね。
ウィルフレッド様はショーがあったし、俺やサディアス君だと皇子殿下に強く言えない。騎士や公爵閣下じゃ角が立つもんねぇ…。
「それでね、接触を控えようという話になったのよ。」
「うん?」
俺は聞き返した。なるべく会わないようにしようって事かな?
シャロンちゃんは申し訳なさそうに眉を下げ、階段の先を見つめている。
「私よく彼の手を取ってしまうから、気を付けないと…」
「…接触って、まさかそのままの意味?それでアベル様も君をエスコートしなかったの?」
思わず足を止めて聞いてしまった俺に、シャロンちゃんが「えぇ」と返す。
うんうんなるほどね~と何度か頷きながら、俺は反対の手を目元にあててしばし天井を仰いだ。
――何してるの?この人達。
「チェスター?」
「うん…」
ゆっくりと手を下ろして、視線を前へ戻す。深呼吸しとこう。
どういう事なのかな?
さっきのは「気を付けようって話をしてたのに二人共つい手を出しかけました」って事なの?注意しないといけないくらい自分達の距離が近い事に疑問は?まずそこ気にしようよ!
アベル様……妙なとこで鈍いとは思ってたけど、これはすごいな……。自分が令嬢にベタベタ触るタイプじゃないって、自覚がないわけじゃないでしょうに。
「ごめん、ちょっと驚いて。行こうか」
「えぇ。」
手を引いてまた階段を上がり始めつつ、俺はシャロンちゃんを振り返った。難しい顔でじっと考えている様子だ。殆ど唇を動かさずに、彼女は小声で囁いた。
「……驚いたわ。私が知っている彼とは様子が違って。」
叔父上の事だろう。
階段を上がりきった俺は、シャロンちゃんの手を離さずにそのまま歩く。廊下にいる使用人は会場である大広間の扉の前に一人だけだ。
「どう違った?」
「あの方、普段は《俺》と言うのね?閣下の事は《兄上》と。」
「うん。君が知ってるのは?」
「《私》と言っていたし、《兄貴》……だったはずよ。」
シャロンちゃんの口から俗っぽい言葉が出ると変な感じだな、なんて呑気な事を思いながら、俺は「そっか」と呟いた。
叔父上が「私」と言うのは畏まった時だけだ。
「面白い人でしょ?」
声の大きさを普通にして聞くと、シャロンちゃんは見事な笑顔を作った。俺を見上げる目からは真剣な光が消えていない。
「驚いたわ。あんな登場をされる方は初めて。…閣下も、楽しそうにされていらして。」
「そうなんだよ、父上はあれが素なの。ケンケン言われるからって、城とかじゃあんまりやらないけどね。」
「やる時もあるのね…?」
薄紫色の瞳が丸くなる。俺はくすりと笑って彼女を大広間へ導いた。




