166.最近のお気に入り
もう年の瀬も迫った快晴の日に、ジェニー・オークスの快気祝いは行われた。
「おね…シャロン様!来て頂けて嬉しいですわ。」
橙色の生地に薄い黄色のレースを合わせたプリンセスドレスを着て、ジェニーは兄そっくりの明るい笑顔を浮かべてシャロンを出迎える。ウェーブがかった赤茶色の髪は、左右に作った編み込みを後ろへ流してハーフアップのお団子にし、白い花を模った髪飾りを挿していた。
女神祭の前に会った時よりも足取りがしっかりとして、背筋をぴしりと伸ばして保たれた姿勢も美しい。彼女の努力を思って、シャロンは顔をほころばせた。
「お招きありがとう、ジェニー。とても綺麗だわ。」
「シャロン様も、あぁ、なんて麗しい。まるで姫君のようです。」
「ふふっ、ありがとう。」
シャロンの薄紫色の髪はサイドはそのまま垂らし、後ろ髪は編んでくるりと巻き上げ、うなじを見せている。上は白、裾は髪色よりも濃い紫へとグラデーションになったドレスは、デコルテを晒しながらも肩から肘まではふわりとしたレースで隠していた。
ジェニーが主役という事もあって華美な装飾は避け、シンプルなアメジストのネックレスに、それよりもチェーンの長いネックレスを重ね付けしている。
ジェニーの父母であるパーシヴァル、ビビアナにも挨拶を済ませ、シャロンは玄関ホールをちらりと見回した。王子一行を迎えに出ていたらしいチェスターが、ウィルフレッドやアベル、サディアスと共に入ってくる。
公爵夫妻に挨拶を終えた後、朗らかに笑ってこちらへ歩いてくるウィルフレッドを見て、隣にいたジェニーがぽっと頬を赤らめ、シャロンとほぼ同時に淑女の礼の姿勢を取った。
「二人共、顔を上げて。」
「「はい。」」
第一王子の許しを得て、二人は姿勢を正す。
ウィルフレッドは白地に金刺繍、アベルは黒地に銀刺繍が施されたジャケットを着ていた。内側のグレーのベストは揃いで、きちりとネクタイを締めている。ジェニーの頬が赤く染まっているのを見て、ウィルフレッドは優しく目を細めた。
「ジェニー嬢、君に心からの祝福を。すっかり良くなったようで安心したよ。薔薇色の頬とはこの事だね。」
「これはその、ぅう、ありがとうございます……。」
両手で頬を押さえ、ジェニーは恥じらうように目をそらした。
どきどきと鳴る胸を押さえてちらりと見やれば、ウィルフレッドの艶々とした金色の髪は照明の光を受けて煌めき、慈しみに満ちた青い瞳は穏やかにジェニーを見つめている。
日焼けのない美しい肌、すっと通った鼻筋。薄い唇に浮かんだ笑みは紳士的で、佇まいは王家としての気品に満ち、仕草一つ一つが洗練されている。
――な、治ったって、私はまだまだ到底、この方の隣になんて立てないわ…!
「で…殿下の微笑みは、どんな貴石にも勝る輝きで……わたくし、ようやく曇りの晴れたこの目でもって、お会いできた事を…その、何より幸福に思いますわ。」
「そんな風に言ってくれるなんて、嬉しいな。俺の顔などでよければ、いくらでも見て構わないよ。」
「はひ……」
ウィルフレッドは少しだけ照れくさそうに小首を傾げ、真っ直ぐに見つめられたジェニーは耳まで赤く染まった。頭から湯気が出てきそうだ。そんな様子に気付いていないのか、ウィルフレッドは小さい子を見守るような目でにこにこしている。
――ウィル、ちょっとは手加減してあげて…!
シャロンは微笑みを保とうとはしたものの、私の幼馴染みもなかなかに鈍いものだと、僅かに眉尻の下がった苦笑になってしまった。
アベルがウィルフレッドの肩に手の甲をあて、シャロンの前へ行くよう軽く押しやる。ジェニーがはっとして居住まいを正した。
「アベル殿下…!ご機嫌麗しく。日頃より兄がお世話になっております。」
「うん。再来年の入学に向け、君はよく努力していると聞いてる。無理はせず、そのまま精進するといい。」
「はい…!」
緊張しつつもしっかりと頷いたジェニーの後ろで、「アベル様ナイス!」と拝むようなポーズを取るチェスターをサディアスが呆れ顔で見ている。
チェスターは珍しくジェニーと髪型がお揃いではないらしく、緩やかに波打つ赤茶の髪を右側だけ耳にかけ、左の後ろ髪は編みこみにして右に寄せ、頭の低い位置で縛っていた。薄くストライプ柄の入った灰色のジャケットの内側には、深みのある紅色のベストを着ている。
垂れ目の中にある茶色の瞳と目が合うと、サディアスはふいと顔をそむけて黒縁眼鏡を指で押し上げた。
唇を引き結んだ彼はダークグレーのジャケットに濃紺のベストで、肩につかない長さの髪も紺色、靴やネクタイも暗色にまとめている。透き通るような水色の瞳に長い睫毛が影を作っていた。
彼の主であるウィルフレッドは、アベルに促されたままシャロンと挨拶を交わしている。
穏やかに話す内にふと彼女の胸元を飾る紫に目を留め、ウィルフレッドはぱちりと瞬いた。少し離れた位置から子供達を見守るパーシヴァルとビビアナまで届かないよう、少し声を潜める。
「初めて見るネックレスだね。」
「えぇ、最近のお気に入りなの。どうかしら?」
「うん……一見君の髪や瞳と近しいけれど、角度によってまったく違う色も見える。可憐ながら芯のある君の強さを映すようで、とてもよく似合っているよ。」
「まぁ…ありがとう、ウィル。」
思った以上に褒められて少し照れ笑いし、シャロンは胸元に手をあてた。
ついアベルの方へ視線をやると、ちょうどジェニーと話し終えたらしい彼はシャロンに目を移し、金色の瞳が僅かに下へ動き――ほんの一瞬、目を瞠った。
「アベル、交代だ。」
ウィルフレッドはよかれと思ってアベルの肩に手を乗せ、位置を入れ替わる。チェスターに何を言われたのかサディアスが眉根を寄せたので、それとなく様子を見たい意図もあった。
アベルが兄に促されるまま正面に来ると、シャロンは花がほころぶように微笑んで軽く腰を落とし、改めて礼をした。
「こんにちは、アベル殿下。」
「……あぁ。」
正面からアベルを見たシャロンは、彼がネクタイの結び目の奥でシャツの一番上だけは開けている事に気付く。やはり首元がきついのは嫌なのねと思いつつ視線を上げれば、何か言いたげな瞳と目が合った。眉間に少し皺が寄っている事を考えると、何かしら不服らしい。
――ウィルがいるのにつけてくる奴があるか…!
――えぇと…?この前会った時、快気祝いにもつけて行くわねと言っておけばよかったかしら?
薄紫色の瞳はきょとりとして見つめてくるばかりで、アベルはぐっと唇を引き結んでから息を吐き、微かに頭を振った。身に付ける物を少しは考えろと言いたいが、ここでそんな侮辱めいた事を言えば、事情を知らない周りから顰蹙を買う。特に兄から。
シャロンが堂々としているのは、それだけアベルを身内と思っているからこそだろう。実弟であるクリスに贈られた物をつけるが如く、その目には何のやましさも感じられない。
――俺が渡した物だと、誰も知らないとはいえ…。
いつも使っているという言葉を思い出し、アベルは目をそらす。シャロンがそれほどネックレスを気に入るとは思わなかったのだ。露店で見つけた時も、落ち着いた反応だったというのに。
「殿下…?」
私、何か悪いことをしたかしら。
そう続きそうな、しゅんとした声でぽそりと呼ばれた。アベルが視線を戻すと、シャロンは眉尻を下げ、窺うようにじっと彼を見つめている。
悪気がない事は百も承知だ。アベルは意識して眉間の力を抜き、「なんでもないよ」と返した。ほっと息を吐いたシャロンはにこやかに話を振る。
「今日は、チェスター様の叔父様もいらっしゃるそうですね。殿下はお会いになった事がございますか?」
「ない。公爵の弟とはいえ一介の商人だし、普段王都にいないようだしね。」
なぜ そんな事を聞く?
――うっ。
小さな疑念を伝えてくる金の瞳に見据えられ、シャロンは完璧な笑顔を保ったまま背中にひやりと汗をかいた。今、動揺を見せるわけにはいかない。
――顔にも声色にも出していないつもりだったし、不自然な会話ではなかったはずだけれど……。流石アベル、私くらいでは隠しきるのは無理ね。
でもそれでいい、とシャロンは微笑みを浮かべ続ける。
大事なのはアベルにもほんの僅か、ダスティンを気にかけて見てもらうことだ。最初から怪しむのではなく、けれど風景には溶け込ませず、焦点を合わせておいてほしい。
「お嬢様を睨みつけるのは止めて頂けますか、第二王子殿下?」
丁寧に、しかし嫌味ったらしい声が降りかかった。
これまでただシャロンの後ろでじっと佇んでいたアーチャー公爵家使用人、ダンである。灰色の短髪も三白眼の目つきの悪さもいつも通りだが、今日はきっちりとボタンを一番上まで留め、ネクタイもしっかりと結んでいる。
公爵家のパーティーへ同行するにあたり、ランドルフから普段より数段上等な黒のジャケット一式を与えられていた。アベルがちらりと彼を見上げる。
「別に、睨んではないでしょ。」
「それは失礼を。…見惚れるの間違いだったかぁ?」
後半はぼそりと小声で呟いて、ダンはにやりと口角を上げた。シャロンは呆れ顔でダンの袖を軽く引く。敵う相手ではないとわかっていてなぜ揶揄おうとするのだろうか。
アベルはシャロンへ視線を戻した。
「ここへ来るにしては、珍しい連れだね。」
「シカトかよ…つまんね、痛ッ。」
手首の皮をちみりと抓られ、ダンは唇をへの字に曲げて黙る。
シャロンは蚊すらも殺せませんといった柔らかな笑顔で小首を傾げた。
「実は、ダンも来年一緒に学園へ行ける事が確定したのです。今の内にサディアスやジェニーにも顔を見せておこうと思いまして。」
「そう。……半年ほどで随分変わったものだ。」
「本当に、おっしゃる通りですわ。」
ダンの態度は出会った頃からさほど変わりないが、シャロンはしみじみと頷く。変わったのは関係性だ。盗人は筆頭公爵家の使用人となり、今や公爵令嬢の従者見習いにまでなろうとしている。本来ありえない事だ。
――うちに来たばかりの頃は、まだ私の事も「クソガキ」なんて呼んでいたわね。
それがすっかり和らいで「お嬢」になり、畏まるべき場では「お嬢様」と言えるようになった。面倒がっていた使用人の仕事だって、先日クリスに引き止められた時には「仕事にならないだろ」とさえ言った。
下町へ行った日、開錠の技を学んだ夜、メリルやクリスと一緒に行った女神祭、チェスターと喫茶店で話し込んだ時。まだ一年も経っていないのに、シャロンはダンと多くの時間を過ごしてきた。振り返ってじっと見上げると、ダンはちらちらと目を泳がせて「なんだよ」とぶっきらぼうに呟く。
「何でもないわ。これからもよろしくね、ダン。」
優しく目を細めて、シャロンは花開くように笑う。
ダンが照れくささを隠すように苦い顔をし、その時――
突然、明かりが一斉に消えた。
カーテンの隙間さえ闇で覆ったかのように真っ暗だ。
アベルが剣の柄に手をかけ、ウィルフレッドとサディアスがジェニーを背に庇う。シャロンは大人しくダンに庇われながらも、静かにドレスへ仕込んだ投げナイフに指をかけた。心臓がどくどくと嫌な音を立てている。
――まさか、ジェニーが治った事でシナリオが変わった?今、ここで何か起きるのでは…
「宣言。」
この場で初めて聞く男の声が、魔法の発動を高らかに告げた。
拙作をお読み頂きありがとうございます。
ワクチンをやってきたので、今週の更新はここまでになります。




