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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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164.俺も無理

 



 星空の下。


 アーチャー公爵邸に着くと、アベルは目当ての窓を()()()()()()()。風の魔法で内側から押しただけの事だ。

 サイドテーブルに置かれたランタンの火はとうに消え、部屋は暗い。光の魔法を使ってある程度明るくした。


「着いたよ。」


 腕の中で眠るシャロンに声をかけながら、窓の額縁に膝をつく。靴の裏は山の土で汚れていた。彼女の靴も同様であろうから、脚は窓の外に出すようにして額縁へ座らせる。


 首へ回されていた腕を外すと、さすがに意識が浮上したのか、シャロンは目を閉じたままゆらゆらと自分でバランスを取ろうとした。しかしゆっくりと傾き、ぽすん、とアベルの胸元へ戻ってくる。柔らかな香りが鼻先をかすめた。

 アベルは一つ瞬いてから彼女の身体を離し、肩に腕を回して背中を支える。


「…能天気にも程があるぞ。」


 苦々しく言ったものの、眠る彼女を驚かさないよう、声は小さかった。

 隣に腰を下ろして見やると、シャロンの透明感のある白い肌は滑らかで、傷のひとつもない。花びらのような唇はうっすらと微笑みを浮かべ、長い睫毛は伏せられたまま、瞼の奥にある宝石を隠している。

 艶やかな薄紫の髪が少し顔にかかっているのを、アベルは指先でそっと横へ流した。


「……シャロン、起きろ。」


 その声と眼差しは、人を起こすには些か、穏やか過ぎた。

 すぅすぅと眠る彼女を見つめていた視線が下がり、細い首へ移る。



 たとえ今アベルがこの首を折っても、切り裂いても。

 誰も気付く事はないだろう。



 ――本当に、信用し過ぎだ。


 苦い気持ちで眉根を寄せ、アベルはシャロンの手を取る。

 外気に晒された肌はそれでもほのかに温かく、柔らかい。軽く握ってみると、細い指がアベルの手をそっと握り返した。


「ん……」

「起きた?」

 呆れと安堵が混ざった声で聞くと、シャロンはぼんやりと瞬きしてアベルを見上げた。薄紫色の瞳が丸くなる。

「――…、アベル?」

「そうだけど。」

「私……そうだわ、山に行って。ごめんなさい、すっかり寝てしまったのね。」

 声をかけられたらすぐ起きると思ったのに、と眉尻を下げ、彼女は起きた証拠のように背筋を伸ばした。アベルも肩に回していた手を離し、腰を上げる。


「僕はもう行く。君も早く寝なよ。」

「えぇ。…我儘を聞いてくれてありがとう、アベル。」

 花弁を閉じて眠りについていた花が、朝日を浴びてゆったりと開くように。まだどこか夢を映した瞳で、シャロンは微笑んだ。

 重ねたままでいる彼女の手に少し力がこもったのは、感謝を口にしたからだろう。引き留める意図はないはずだ。

 アベルもまた、同じ言葉を返しながら彼女の指先を軽く握った。

「協力ありがとう。じゃあね」

 そのまま手を離すと、シャロンの瞳が僅かに揺らぐ。支えを失った手の指先が不安げにひくりと震え、膝の上にそっと落ちた。


「…また、ね?」


 眉を下げて弱々しく微笑む彼女は、悲しいのか、寂しいのか、不安なのか。それとも困っているのか、怖いのか、アベルには判断がつかない。

 今自分がどんな顔をしているか、シャロンには自覚があるのだろうか。


「…そんな顔をするな。」


 心苦しさに眉を顰め、アベルは無意識に手を伸ばしていた。

 大人しく受け入れようとする彼女の頬に触れそうだったその手を、ぴたりと止める。軽く拳を作るようにして手を下ろし、屈めていた背を伸ばした。


「次は、オークス公爵邸で会う事になる。今日言った事を忘れないようにね。」

「……はい。」


 膝の上で両手を重ね、公爵令嬢は慎ましく返事をする。

 アベルはそんな彼女をちらりと見やって、「では。」とだけ言い残し――姿を消した。





 ◇ ◇ ◇





 窓には陽光が降り注いでいる。

 広い会議室に設えた円卓の席は今、五つだけ埋まっていた。


 一つには厳格そうな男が座っている。

 短く切られた明るい茶髪は後ろへ流し、凛々しい眉の下には灰色の瞳を抱いた切れ長の吊り目。唇の上には清潔に整えられた髭があり、背筋はピシリと伸びていた。筋肉質な身体は服の上からでもわかるほどに鍛え上げられている。

 軍務大臣、パーシヴァル・オークス公爵だ。


「ヴェラ・シートンを覚えていらっしゃいますか。」


 彼の問いに、一番上座に座っていた男が柳眉を顰めた。

 少し癖のある金の長髪は左側だけ耳にかけて背中へ流し、同じ色の瞳はいつも堂々として見える。彫刻のように整った顔立ちをしたその男こそ、ギルバート・イーノック・レヴァイン――ツイーディア王国の現国王である。


「だいぶ昔に聞いた名だ。…学生の頃か?」

 確信を持った問いを投げ、ギルバートは隣席の男を見やった。

 銀色の髪と瞳を持つ特務大臣、エリオット・アーチャー公爵。ギルバートより幾分がっしりとした体格の彼は、軽く頷いて肯定した。

「運命だと陛下に付きまとっていた、男爵家の令嬢です。元、ですが。」

「……あぁ、あれか。」

 エリオットの説明で、ギルバートもようやくはっきりと思い出す。


 当時流行っていた少女小説が、爵位の低い貴族令嬢である主人公と王子の恋愛話だった。その愛読者であり見目麗しい令嬢だったヴェラは、自分も小説のようにギルバートと結ばれると信じたのだ。


『離して、公爵家の息子ごときが不敬だわ!私は王妃になるのよ!?誰にも邪魔はさせないんだから…ねぇギル様、助けて!昨夜も私に愛を囁いてくださったじゃありませんか!』


「………妄想逞しい娘だった事は、覚えている。あれがどうかしたのか。」

 回想しただけで疲労感を覚えながら、ギルバートはパーシヴァルに視線を戻した。

 問題行動ばかり起こすため、ヴェラ・シートン男爵令嬢は謹慎処分を繰り返した後に退学となり、家からも追い出され修道院へ送られたはずだ。


「此度、王妃殿下に招待状を届けるよう侍女に命じた娼婦……それが、ヴェラ・シートンだったようです。かなり人相が変わっており、突き止めるのに少々時間を要しましたが。」

「《スペード》の仲介人という話でしたね。」

 エリオットの言葉にパーシヴァルが首肯する。

 スペードは、高い魔力増強効果と即効性が特徴の違法薬だ。魔力の暴走を起こしやすく、時折幻覚と錯乱をもたらす。摂取方法によって魔力の暴走だけは確率を下げられるので、魔力持ちの多い犯罪組織などによく出回っている代物だ。


「そこまで堕ちていたか…。」

 エリオットが呟く。

 最後まで反省の色が見られない令嬢だったため、はたして修道院であの性格が直るだろうかと、当時ギルバートと共に苦い顔をしたものだった。やはりまともには生きられなかったらしい。

 ギルバートは眉一つ動かさないまま、金色の瞳をパーシヴァルへ向けた。


「お前は今回の件、セリーナが狙いだと言いたいのか?」


 魔力を持たない第二王子に、魔力を与えられる。

 そんな触れ込みで、違法薬物の売人が王妃セリーナに近付こうとしている。そう考えられていたが、間に入った娼婦がヴェラ・シートンとわかった以上、セリーナ本人への逆恨みの可能性も出てきた。

 ヴェラは当時から、王子の婚約者候補達を邪魔者扱いしていたからだ。


「それが本命かは定かではありませんが、ヴェラ・シートンの私怨は存在するでしょう。売人がそれを利用しただけという事も。…クロムウェル。」


 上司からの指名を受け、それまで黙っていたティム・クロムウェル騎士団長が座ったまま軽く礼をした。

 瞳と同じ水色の髪を頭の右側で二つ括り、細い眉は困ったように下がっている。口元には笑みを浮かべて、白手袋に包まれた手をテーブルの上で組んだ。


「彼女の《客》の中に、反王家の一派がいるようです。此度の件と関わりがあるかは不明ですが、念のため動向を探らせております。」

 調査に第二王子とその仲間まで加わっている事は伏せ、ティムは淡々と報告を並べ立てる。

 疑わしい人物が依頼した荷運びの中には、帳面に書かれた荷物の量と、実際に動かされた馬車の数が合わないものがあった。それが違法薬物(スペード)かはまだわからないが、やましい取引には違いないだろう。


「王妃殿下が狙いの場合、成り代わる者に危険もあると思うが…問題ないか、バークス隊長。」

「はっ。無論にございます、閣下。」


 エリオットの問いに、この場にいた最後の一人――クレメンタイン・バークス三番隊長が、控えめな胸に恭しく片手をあてて礼をした。

 灰褐色の髪を眉の上できっちりと切り揃え、耳の前側は鎖骨に触れる長さに垂らし、後ろ髪は襟足を刈り上げている。右にだけモノクルをかけた細い目の中、黒い瞳が光った。


「王妃殿下ご本人を望んでいる以上、敵方が近しい者である可能性も充分ありえます。殿下の近衛騎士に成り代わった我が隊の者も同行し、会場そのものは…」

「えぇ、騎士団で囲います。」

 クレメンタインの目配せを受け、言葉を引き継いでティムが言う。

 通常の囮捜査と違い、今回は騎士が王族に成り代わるのだ。何が起きたとしてもカバーできるよう、対策は万全に整えなければならない。既に会場の見取り図どころか建築当初の設計図、主催側の警備なども確認済みだ。

 ギルバートは重々しく頷き、騎士達を見やった。


「では頼む。妻の姿を貸す以上、失敗は許さない。」

「御意に。」

「心得ております。」

 ティムとクレメンタインはそれぞれに立ち上がり、深く頭を下げる。そして特務大臣、軍務大臣にも礼をし、会議室を後にした。




 広い部屋にはギルバート、エリオット、パーシヴァルの三人が残る。

 閉じた扉の向こうから足音も消え、パーシヴァルは腕組みをして顎に手をあてた。


「……陛下がヴェラ・シートンを寝屋に呼んでやったら、喜んで喋らないか?」


「戯言は止めろ、パーシヴァル。」

 ダンディな声でとんでもない事を言い出した軍務大臣を、エリオットがぎろりと睨みつけた。パーシヴァルは「冗談だ」と両手を挙げてみせる。ギルバートが軽く鼻で笑った。

「ふっ、あれを寝屋に呼ぶのは相当な覚悟がいるな。二十五年前の様子しか知らないが。」

「ま、陛下の好みじゃないねぇ。俺も無理☆」

 ごく僅かに口角を上げてぱちりとウインクするパーシヴァルに、エリオットは深くため息を吐いた。


 素を出していると本当に息子そっくりだ。いや、息子が彼の血を継いでいるのだろうが、表情筋は息子の方が発達している。

 唇の上に生やした髭を指で撫で、パーシヴァルは灰色の瞳で窓の外を見やった。


「まさか、これだけ経ってまた名前が出るとはね。懲りないお嬢さんだ…いや、懲りない女か。」

「泳がせておくのは良いが、最後は取り逃がすなよ。」

「安心しな、エリオット。その辺、クロムウェルは俺より上手だ。……あぁ、お前を餌にしても面白かったと思――」

「断固拒否する。」

 エリオットが思いきり眉を顰める横で、ギルバートがくつくつと笑う。


 年齢はパーシヴァルの方が二つ上だが、同じ学園にいた二年の間に三人は気心の知れた仲になっていた。学生時代はよくエリオットが事件に遭い、ギルバートが巻き添えを食らい、パーシヴァルが面白がって参戦していたものだ。


「機嫌が良さそうだな、パーシヴァル。」

 ギルバートがゆったりと背もたれに身を預けて言うと、彼は頷いた。


「久々に弟が来るものでね。」





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