159.うちのお嬢は割と阿呆
「とりあえずアベル様に相談かな。もうこの話知ってるんでしょ?」
さも当然といった様子で聞かれて、私はぱちぱちと瞬きした。数秒の沈黙が流れる。
「……言ってないの?」
「…そうね、言っていないわ。」
「仲良いからとっくに話してるかと……あぁでも、話してたら俺にも回ってきてるか。」
テーブルに置かれた紅茶からは、まだほのかに湯気が立ち昇っている。情けなく眉が下がっている事を自覚しながら、誤魔化すようにカップへ指をかけた。
私は今、不安そうな顔をしているのだろうか。
温かさが喉を通って身体に染み込んでも、どうしてかあまり安心できない。
「もしかして、アベル様には言いたくない?」
「そんな事は…」
「信じてくれると思うよ。俺だって信じられるし。」
えぇ、わかっているわ。
きっとアベルは信じてくれる。私が本気で言っているという事を、わかってくれる。絶対に私達の力になってくれる。
だけどもし、「お前が知る未来で、俺はどうなっている」と聞かれたら。
どう答えればいいのだろう。
黙っていたらアベルは自分で考えて、そして気付いてしまうだろうか。
初めて会ったあの日、私が「皇帝陛下」と呼んだ本当の理由に。
――そうしたら、皇帝になんてなりたくなかった貴方は……どうするのだろう。
答えなんてわからないのに、考えただけで心臓がびりびりと震えた。
胸元を押さえて、怯えに蓋をする。何も、全て打ち明ける必要はないはずだ。きっと…
「…チェスター。アベルには、あくまでご両親の件だけを。もう絶対に起こりえない可能性の話なんて、伝えなくていいもの。……そうよね。」
茶色の瞳をじっと見つめて、私は確かめるように言う。
貴方がウィルを殺してしまう事も、アベルに殺される事も、ない。
何があったって。
チェスターはほんの一瞬、驚いたように目を見開いて。
そして、苦しげに顔を歪めて、頷いた。先程想像させてしまった未来は、自分はそうするだろうという自覚は、彼が罪悪感を抱くには充分なのだろう。
「ただ、私が《可能性》を知っているとなれば…アベルは、何をどこまで知っているか確認するでしょう。言わない方がいい事もあると私は思うけれど、本気で問い質されたら、隠し通せるかわからない。だから…」
「君が情報元だということ自体、隠しておきたい?」
「えぇ、できれば。貴方達に話しているのは、聞かずにいてくれると思うからこそだもの。」
チェスターが困り顔で眉根を寄せる。どうするか考えあぐねている様子だ。
コーヒーをぐいと喉に流し込んで、ダンはカップをカチャリと置いた。飲み終えてしまったらしい。
「匿名の通報とでも言っときゃいいんじゃねーの?」
「そう、だね……匿名希望で、俺の知り合いの《先読み》持ち、ってとこかな。」
「貴方のお父様にもある程度話す必要があると思うのだけれど、引き受けてくださるかしら?」
「囮役は喜んでやると思うよ。他に悟られないよう騎士を動かすのも、任せておけばいい。俺達がついていくのは反対するだろうから、こっそりになるけど。」
「申請とやらでバレねぇのか?」
ダンが聞くと、チェスターは「それね」と眉を下げた。
私は家庭教師の授業を思い返す。王子・王女とその従者の制度についての項目で、聞き覚えがあったはずだ。
「貴方の申請に対して、アベルの事前許可が必要で……目を通すのは宰相閣下、よね?」
「さすがシャロンちゃん、よく知ってるね☆…実は俺、何か月か前に一回王都を出てるんだけど…その時の申請は宰相閣下だけじゃなく、法務大臣からも見咎められちゃって。」
「サディアスのお父様に?」
「そ。王都の出入りをチェックしててたまたま、らしいけどね?元から父上の事嫌ってるって噂だから……ま、本当のとこはわかんないかな。」
後半は私から目をそらして部屋の扉の方を見やりながら、チェスターはそう言った。
よくない言い方をすれば、粗探しをされていた可能性があるという所かしら。
「けど出れたんだろ?」
「まぁね。すごかったよ。俺がたったの三日出るだけなのに、公爵家四つ集まって会議になってさ。おまけに許可を出した責任者って事で、俺じゃなくてアベル様が呼び出し食らって。」
「めんどくせ…お貴族サマは大変だな。」
「一応《第二王子の従者》だからね、俺。」
あまり大事にしてしまうとダスティンや、その手下の耳に入るかもしれない。
それに…
『…私の父には、気を付けてください。』
舞踏会で、サディアスはそう言った。
何を思っての事かはわからないけれど、ニクソン公爵は後ろ暗い事をしているのではという噂が絶えない人だ。そちらも避けた方がいい、のだろう。
「結局、アベル様が何とかしてくれたんだよね。それからシャロンちゃん、これすごい問題なんだけど…」
「何かしら。」
「軍務大臣が乗った馬車をさ、俺達、どうやってバレずに尾行できると思う?」
「………。」
私は腕組みをしてみた。
チェスターが光の魔法で姿を隠せる事は知っているけれど、長くはもたないと聞いている。ダンは風しか使えないし、私の魔法はそこまで強力じゃない。
頷いて、顎に手をあてる。
「無理ね?」
「悪いな、うちのお嬢割と阿呆なんだわ。」
「ダン、少し黙りましょう。」
「やなこった。」
「まあまあ、二人共。」
チェスターが笑いながら「どうどう」と両手で空中を押さえる仕草をする。
私は少し肩を落とし、紅茶の残りをちびちび飲んだ。考えてみれば確かに、すぐに見つかって強制送還されてしまいそうだわ。
「この問題もね、アベル様の協力さえあればそう難しくはないんだ。」
「そうなの?」
「うん。リビーさんが俺達と来てくれたら、解決する。」
「…誰だ、そりゃ。」
「アベルの護衛騎士の方よ。貴方と初めて会った日、お城に黒髪の女性騎士がいたでしょう。」
後ろで髪を結っていて、顔の下半分は布で覆っていて…と手ぶりを加えて説明してみる。ダンはしかめっ面で首を傾げた。全然覚えてないみたい。
「シャロンちゃんを連れて行く事は、アベル様も許可しづらいだろうから。リビーさんを同行させてほしいって言えば多少納得すると思う。俺の申請をどうするかは、それこそアベル様次第だし。」
「結局王子頼りか?」
「少なくとも黙って行くのはナシ。問題は俺達がついていく理由付け。特に君ね。」
チェスターは、自分のご両親の事だものね。
ダンは、私が行くなら必然的に。では、その私は?情報元を隠すなら、どうすれば。頬に手をあてて考える。強くなると言って努力してはいるものの、まだまだ認めてもらえるレベルには遠いだろう。
「下手な手助けほど無駄なものはないとか、中途半端な足手まといはいらないとか、だいぶ前、既に釘を刺されているのよね……。」
「…アベル様、女の子相手になんて辛辣な…。まぁ、言いそうな事としては、リビーさんをつけて俺は行かせるけど、シャロンちゃんは大人しく待ってなさいって感じかな。正直俺もそうしてほしいけど、どう?」
「叔父様は強力な風の魔法を使うでしょう?」
チェスターが軽く目を見開いた。どうして知っているのか、という顔だ。
私もそうだけれど、チェスターの最適である《水》とは相性が悪い。
「それも《可能性》で知ったわけだね。ますます信憑性上がるなぁ…。」
「本人が来るとは限らないけれど…もう一人、風を最適とする魔力持ちが向こうの仲間にいたわ。フードをかぶっていて、他の情報は全くないのだけれど。」
「…俺じゃ力不足って事かな?」
「ダンがいた方が安心という事よ。でもうちの使用人ですから、私が行かない限り貸し出さないわ!」
「おいこら。物みてーに言うな。」
ダンの袖をぎゅっと握って言い放つ。横からぶつくさ言う声が聞こえるけれど、ここは譲れない。
ジェニーの病は長い間色んな人が見ていたのに、「本人のスキル」という発想が抜けていた。自分の力を過信するのはよくないけれど、ご両親に何が起きるのか…どんな事が起きるかわからないからこそ、この目で確かめたい。
チェスターが諦めたように苦笑する。
「それじゃ、そこについての説得は任せていいかな。アベル様を説得できなかったら、君はお留守番。」
「…わかったわ。ならこうしましょう。匿名希望の《先読み》持ちは、私の知り合いでもある。私はその人と、見届ける約束をしたの。」
「なるほどね。俺もそれは口裏を合わせるよ。」
「ありがとう、チェスター。」
アベルが渋い顔をするのは目に見えているけれど、なんとか認めてもらわなくては。彼の意にそぐわない限り、リビーさんが協力してくれる事はないでしょうから。
「何か話まとまったっぽいけどよ、結局その《雪の日》ってのはいつなんだ?」
「恐らく二月頃。一か月ちょっとで入学、という時期のはずだから。ただ勿論、ずれる可能性も考えないといけないわ。」
「父上だけならまだしも、母上も一緒で王都を離れるってなると滅多にないからね。俺に連絡なしで二人共が家を空ける事はないし、二月を想定しつつ、もしもがあれば連絡するよ。」
「えぇ。後は、ご両親やアベルにいつ伝えるか、なのだけれど。」
そのタイミングは悩ましい。
襲撃の事を事前に知ったら公爵の予定の立て方が変わってしまうかもしれない。
アベルには前もって相談したいと思うものの、チェスターも同席している場が良いでしょうから、明後日に話すのはよくないわね。
「どの道、先にアベル様だから…そうだな。ジェニーの快気祝いの翌週、とか?」
「そうね…できれば、貴方の叔父様に会ってからにしたいもの。アベルも来るのよね?」
「うん。ウィルフレッド様も来てくれるし、サディアス君も引っ張り込む予定だよ。」
勢揃いのパーティーになりそうだ。
ダスティンに会うのは少し不安があるけれど、それだけ揃っている中で下手な事はできないはず。その場では何も起きないだろう。
チェスターが紅茶をくいと飲み干して、カップを置く。
「それじゃ、まずは再来週の快気祝い。叔父上の様子を見ようか。それで翌週にはアベル様と話をして諸々の対策を練る。シャロンちゃんはそこで同行許可をもぎ取る。……って事でいいかな?」
「えぇ。」
ダンと顔を見合わせ、力強く頷いた。
私達を見回したチェスターは、ふと肩の力を抜く。
「だいぶ、予想外でびっくりしたけど。話してくれてありがとう。」
「…こちらこそ、信じてくれてありがとう。」
「君の《心配事》に、一緒に備えるって約束したからね。」
からりと笑って、チェスターが自分のカップをソーサーごとトレイに戻した。私も、と思ったらダンが横からさっさとトレイに乗せてくれる。ミルクポットも、シュガーポットも。
全部乗せたトレイを持って、ダンは立ち上がる。
「ちなみに、さ。知ってたらでいいんだけど。」
チェスターは笑みを消して、私を見た。
ダンが絡繰りの戸を開け、中へトレイを戻す音が聞こえる。
「俺が言う事を聞いて、ジェニーは助かったの?」
私は、言葉に詰まってしまった。
僅かに目を見開いて、視線が勝手に下へ落ちる。こくりと唾を飲む。言わなければと唇を少し開いた時にはもう、チェスターは「そっか」と呟いていた。
「馬鹿だよねぇ…俺……」




