158.可能性が高過ぎる
「まず前提として、私がこれから話す事はあくまで《可能性》なの。」
チェスターの瞳を見つめ、私は真剣な表情で告げる。
オークションハウスの貴賓室で、それがどんな内容だろうと、信じられないような事だとしても――嫌な未来の可能性があるなら、一緒に備えると。チェスターはそう言ってくれた。
お城で、アベルが辿る可能性について話した時。私に協力するべきだと思った自分は間違っていないと、言ってくれた。
「それも、全てわかっているわけじゃない。そうなる可能性がある未来の、一部…というところよ。」
「……言いたくなければいいんだけど、《先読み》かな?」
「私はスキルを持ってないわ。でも、そうね。《先読み》とそう変わらないかもしれない。」
時間のある日に図書館で本を読んでおいて良かったと思いながら、私は頷いた。
わからない顔をしているダンに、軽く説明する。
未来の可能性を知るスキルであって、確定しているわけではない…と。
「確定してない、つまり良い方に変えられるかもしれないし、情報を鵜呑みにもできないわけだね。」
「えぇ。」
「めんどくせぇな。それで、お嬢は何がわかってんだ?」
腕組みをして背もたれに身を預け、ダンは私を見る。面倒と言いつつ、きちんと話を聞いてくれているみたい。私は頷き、チェスターに視線を移した。
「貴方のご両親は…雪の降る日、乗っていた馬車ごと崖から落ちて、亡くなってしまうかもしれない。」
チェスターが目を見開く。
身構えてはいたけれど、それでも予想外だったのだろう。
「それも…どうやら、事故ではなくて、襲撃を受けての事なの。」
「誰の?」
鋭い声。
私は言い淀んだ。馬車の襲撃をしたのは?
「本人がやったのか、誰かにやらせたかはわからないのだけれど……」
「企んだ人は知ってるんだね?」
当たり前だけれど、チェスターは笑っていない。見えない敵を睨むように、その目には力がこもっている。
『とても良い人だから、君にも紹介するよ。』
……貴方は、そう言っていたけれど。
急かすような視線と目を合わせて、私は口を開いた。
「ダスティン・オークス…貴方の、叔父様よ。」
「――…、叔父上?」
唖然として、チェスターは聞き返した。
私は小さく頷いて肯定する。ダンは黙って、観察するようにチェスターを見ていた。茶色の瞳は動揺した様子でテーブルに視線を移す。
「…なんで?」
「元から、貴方のお父様に対して劣等感をお持ちで…それから、ビビアナ様の事かはわからないけれど、好きになった女性もお父様を選ばれたと。全て、奪われた…と。」
「……それは、自白の声を聞いた感じ?」
「顔の傍に文字で見えるような状態、かしら。」
実際には立ち絵の下に出ているウィンドウにセリフが表示されるわけだけれど、私はそう答えた。チェスターは苦々しく目を閉じて俯き、紺色の髪を手でぐしゃりと流した。
「この前…言ってたよね。ウィルフレッド様がいなくなったらどうなるか…アベル様の事も。たとえ脅されても、一人で背負うなって。」
「言ったわ。」
「俺は妹思いで、君は味方だって。」
「えぇ。」
「全部…その可能性に繋がってるの?」
顔を上げたチェスターの目には、少しだけ怯えがあるように見える。
それでも知ろうと思うからこそ彼は、私に聞いてくれている。私は黙って頷いた。彼は膝に肘をついて、両手で顔を覆う。
「………うん。」
呻くように呟いて、チェスターはゆっくりと身を起こした。考え込むように眉間に皺が寄っていて、顔色は悪い。
カタカタカタ、と音が聞こえてきた。
きっとテオさんが飲み物を用意してくれたのだろう。視線を戸棚に向けると、ダンが立ち上がって戸を開けた。中は空っぽだけれど、そのまま待っているとトレイの乗った台がせり上がってくる。
音が止み、ダンはそれをローテーブルの真ん中にどんと置いた。後は勝手に取れという声が聞こえてきそう。
「やっぱり、君の話は――ありえないって笑い飛ばすには、可能性が高過ぎる。」
チェスターは、自嘲気味に笑った。
「叔父上と父上は仲が良い。恨んでるかもなんて想像した事ないから、そこはまだわからないけど……自分の事はわかるよ。両親がいない状態で、ジェニーを人質に取られたとして……俺は学園で、すぐには戻れない。そこで脅されたら?誰にも相談できなかったら?」
彼は淡々と言って、短く息を吐いた。
「……きっと、何でもするよ。俺は。」
「誰を裏切ってもか?」
ダンが静かに聞いた。チェスターの目がダンへ向けられる。
「あのお坊ちゃんの従者なんだろ。」
「そうだよ。」
チェスターは真剣な顔で即答した。
そして視線を斜め下へ落として、「だから」と呟く。
「アベル様を裏切ったら……あの人はきっと、俺を殺してくれる。」
「やめて」
思わず声が出ていた。
落ち着いて話をしようと心がけていたのに、涙が滲んでしまう。チェスターが驚いた顔で私を見る。
「ご、ごめんシャロンちゃ…」
「そうだとして」
心臓がぎゅっと握り締められているみたいに苦しかった。
胸元のネクタイを軽く握る。
シャツの下にある小さな石の感触が、少し困ったように微笑んだ彼のことを思い出させた。
「貴方は、罰を受けたとして……アベルは、どうなるの。全部、背負えとでも言うの……」
「……それは」
パン!
唐突にダンが手を叩いて、部屋に響いた音に私とチェスターはびくりと肩を揺らす。目を丸くしてそちらを見れば、ダンは不機嫌に顔を顰めて私とチェスターを見比べ、手を下ろした。
「お前ら、ぐじぐじうるせぇ。」
「ぐ…!ぐじぐじって、言ってくれるなぁ。」
「先読みだか可能性だか知らねぇけど、そうならねーために集まってんだろ。どうやって止めるかの話した方がいいんじゃねぇの。」
「……そうね。」
驚いたせいか、涙はもう引っ込んでいる。
私は意識して力を抜き、笑った。
「貴方の言う通りだわ、ダン。チェスターも、ごめんなさい。起きてもない事で責めてしまって。」
「いや…俺こそごめんね、変な事言って。」
「とりあえず飲め。酒だと思って飲んどけ。」
自分のコーヒーカップを取ってミルクを注ぎながらダンが言う。私は呆れ笑いしてしまった。
「貴方だって、お酒が飲める歳じゃないでしょうに…」
「あぁ?」
「え?……いえ、聞かなかった事にするわ。止めてくれたお礼に、今だけは。」
ダンからミルクポットを受け取って、私は自分のカップにそっと流し入れる。
チェスターも自分の紅茶を取り、シュガーポットを私達の中間に置いてくれた。
「お酒は十六歳になってから☆…帝国は、十五歳だけどね。」
「そうなのか?」
「えぇ。先日お会いした第一皇子殿下も、ワインを嗜まれていたわ。」
「ほーん。」
全然興味無さそうに言って、ダンは適当にかき混ぜたコーヒーを口に運ぶ。そして熱そうに顔を顰めた。チェスターはストレートのまま紅茶を一口飲み、ソーサーに戻す。
「それで……どうしようか。」
「再来週の快気祝いにはいらっしゃるのよね?」
「…そうだね、叔父上も来るよ。」
「実は…私が知っている可能性の中では、ジェニーの病気は治っていなかったの。だから何かしら変化はあるかもしれなくて…」
チェスターの中ではやっぱりダスティンは良い人のようだし、自信がなくなってきてしまう。ジェニーの回復によって改心してくれていたりしないだろうか。
緩く首を横に振って、チェスターは私を見つめる。
「いいよ。可能性が高くても低くても、備えて悪い事はないんだから。」
「…ありがとう。快気祝いの席では予定通り、私にも紹介してね。気を付けて見てみるわ。」
「わかった。」
「それ、俺も行って良いやつか?」
ダンが聞くと、チェスターは快く了承してくれた。
親族であるチェスターにも、ゲームシナリオを知っている私にも先入観がある。ダンがどんな印象を受けるかも聞いてみたい。
「あとちょっと気になるんだけど、うちの両親、襲撃に遭って殺されるんじゃなくて、襲撃の結果、崖から馬車が落ちるんだよね?」
「細かい状況はわからないわ。でも、襲撃を受けたらしい事と、馬車ごと崖から落ちたのは確かなはずよ。」
「…う~ん。」
チェスターは首を傾げて唸った。
気持ちはわかる。正直、ありえない事だ。
なぜなら彼の父親――パーシヴァル・オークス公爵は、現在の軍務大臣。その前は騎士団長を務めていた猛者なのだから。たとえ襲撃を受けたとしても、馬車ごと崖から転落するという状況は考えづらい。
「母上は戦えないから、助けようとして間に合わなかったか…馬車から出られない状況だったか。」
「……出掛ける日取りがわかれば、私、こっそりついて行こうと思っているの。」
「え…」
「げほっ、ごほっ!」
チェスターがぽかんとして、コーヒーを飲んだところだったダンは激しく咳き込んだ。私は大きな背中を横からそっとさする。
「まぁ、大丈夫?」
「だッげほっげほ、大丈夫じゃねッえ、何また無茶言ってんだ!殺しの現場になるかもしれねぇんだろ。」
「えぇ。だからお母様を通じて、騎士団にも協力をお願いできないかと思っているけれど……じっと待っていられないの。できれば貴方達にも、私と一緒に来てほしい。」
咄嗟に注意を呼び掛ける必要があったら、私より実の息子であるチェスターの言葉の方が早く届く。
崖から落とされてしまうというのなら、ダンの強力な風の魔法は助けになる。
一緒に危険な目に遭ってほしいと、言っている。
「んなモン、それっぽい日があったら出掛けるの止めさせりゃいいだろ。」
「……それだと、日を改めてまた起きるかもしれないって事だよね?シャロンちゃん。」
私は頷いた。
そして私達が学園へ行く前に白黒はっきりさせるなら、この冬は逃せないタイミングだ。チェスターは口元に笑みを浮かべ、目を細めて私を見る。
「俺の両親を囮にするんだね。」
「そうよ。」
何事もなければただ、見守るだけ。
でもあえて、そんな言い方はしなかった。チェスターは一つ息を吐いて、頷く。
「わかった。それらしい日が分かれば君に知らせるし、俺も必ず行くよ。」
「…ありがとう、チェスター。」
私はほっとして顔をほころばせた。ダンが片眉を上げてがしがしと頭を掻く。
「メリルに説教されても知らねーからな。」
「一緒に怒られてね。」
「あぁ!?」
紅茶を喉に流して、チェスターはソファの背もたれに身を預けた。
「ただ……どうしようかなぁ。現場ってたぶん、王都の外だよね。」
「えぇ、恐らくは。」
「ちょっと困るのが…俺、公的な申請書出さないと、王都出れないんだ。」
「………、あっ。」
そういえば、そんな決まりあったわね。




