154.迷いなき人
私は不思議に思って、二人が見た先に目をやる。
険しい表情をしたオレンジ色の髪の女性が木陰に立っていた。待ち合わせ相手が遅れてるのかな。…どこかで見た気もする。
それから旅人っぽい格好の男の人が何人か…いつからいたんだろう。剣を提げている人もいて少し怖い。騎士みたいに直立不動の人もいるから、広場の買い物客が彼らをじろじろ見ている。
「…すげー数じゃねぇか。どうしたんだ?」
レオが小声で聞いた。ルイスは困り顔で頬に手をあてて息を吐く。――あ、女の子っぽい。なんて思ってしまった。
ダンさんが横から軽く小突くと、ルイスは手を下げて軽く腕を組んだ。
「ちょっと、色々ありまして。とうに相手は捕まったので、解決しているのですが…」
「色々?大丈夫だったのか?」
「おー。俺が腹ぶっ刺されたぐらいだ。」
「「えっ。」」
私とレオの声が重なる。
反射的に揃ってダンさんのお腹を見るけど、ベストの下なんてわかるはずもない。
「これでも公――…あー、とっくに治ってるから気にすんな。」
ダンさんは平然とそう言った。
刃物で刺されたなら結構な怪我だと思うけど、いつの話なんだろう。もし女神祭の期間中なら、治癒の魔法でも使わないと治りきらないはずだ。
ルイスが貴族だから、使用人のダンさんもしっかりした治療を受けられた…のかな?
「そりゃ心配されるよな。土産は俺が行く時でよかったのに。」
「だって……たまには僕だって、カレンに会いたいじゃありませんか……。」
ルイスがしゅんとして潤んだ目で私を見る。心臓がぎゅんとした。うぅ…。きっと、心配していた家の人も同じ手口でやられたんだ。
「あぁ…シ…ルイス、カレン大好きだもんな。」
レオが直球で言うものだから、顔が熱くなる。
私としては、ルイスがどうしてそんなに私を気に入ってくれているのか…お世辞で言っているわけではないとひしひし伝わってくるから、余計にわからない。
「全人類の宝だと思っています……。」
「い、いくらなんでも言い過ぎだよ…!」
真剣な表情のルイスが本気なのはわかったから、恥ずかしいので抑えてほしい。頬に両手をあてるけど、全然熱が冷める気配がない。ダンさんが呆れた声を出した。
「あんま言ってっと、またあの坊ちゃんに叱られんぞ。」
「ん…そう、ですね。」
ルイスは顎に手をあてて眉を下げる。
初めて会った日にはアンソニーが彼女を諫めていた様子だったから、坊ちゃんというのは彼の事だろう。
「なかなか来れないなら、カレンを招待するのは駄目なのか?」
レオの提案にどきっとする。
私が貴族のお屋敷に遊びに行くなんて、想像した事もなかった。だって、作法も何も知らな……レオが知ってるとも、あんまり思えない。もしかして、行ってもいいのかな。
淡い期待を胸に視線を戻すと、ルイスは苦渋の決断を迫られたような表情で首を横に振った。
「それは……駄目、です。」
「何でだ?」
レオが意外そうに聞き返す。
私は唇をきゅっと閉じた。レオと違って、ルイスに何か教えられるわけじゃない。一緒に励むものがあるわけでもない。そんな平民がお屋敷に行けるはずもなかった。
ルイスは申し訳なさそうに私を見て言う。
「カレンには、自衛の術がまったくない。」
「それなら、俺が送り迎えしたら…」
「四六時中守れるわけではないでしょう。……攫われて、人質にでもされたら。」
眉を顰めて、ルイスは小さく呟いた。
全然想像もしてなかった理由で、私は瞬きを繰り返す。自衛?ルイスのお家に行くのは危ないということ?お金目当てに怖い事をする人がいるのだろうか。もしかして、ダンさんが刺されたのも。
「……俺は、そんなに危ない事なかったけど……」
レオはそう言ってくれたものの、考え込むように眉根を寄せている。自分が平気だったからと言って、安易に私も大丈夫とは断言できないのだろう。
確かに、明らかに活発そうで「鍛えてます」という身体つきのレオと私では、一人で出歩いた時の危険は比べようもない。
この下町で私が一人でも無事なのは、人通りが多い道を知っているから。それと、狙っても意味がないからだ。危ない人達はもっと……貴族の子供とかを、狙う。
「お前はあの師匠がいんだから、まともに下調べするような奴からは手ぇ出されねぇよ。敵に尻尾差し出すようなもんだ。チビには後ろ盾ないだろ。」
「それ言ったら、ルイス自身がそうじゃないのか?こ……ルイスの家に手を出す奴なんて……あ。いたから、ダンが怪我したのか。」
「えぇ。……一応、僕が命を助けた方…のはず、だったんですけどね。」
哀しいというよりは残念そうに目を伏せて、ルイスは呟いた。そんな人がダンさんを襲ったなんて、ひどい話だ。
「ともかく。カレンに遊びに来てもらう事は、僕の長年の夢なのですが…」
それは言い過ぎだと思う。
「知り合ったのいつだと思ってんだ。」
ダンさんがぼそっと突っ込む。
本当に、ルイスの中で私はどんな存在として扱われているのだろう。いつか幻滅されてしまう気がして少し怖い。
「貴女の身の安全を考えると、止めておいた方がいいんです。」
「そっか…」
「くぅ……学園では…学園ではたくさんお喋りしましょうね…。」
泣いてしまわないか心配になるくらいふるふるして、ルイスが言う。もちろんだよと精一杯笑ったら余計に彼女の目が潤んだ。
私の手をしっかりと握って、心の奥まで見られてしまいそうなくらい真っ直ぐ、私を見つめる。
「入学まであと四ヶ月未満。共に過ごせる日々を、楽しみにしています。」
「…ひゃい……」
女の子とわかっていても動揺して、噛んでしまった。
ダンさんが大欠伸をする。
「……はぁ。そういや、お前らは何の話してたんだ?…おめーが首傾げてただろ、レオ。」
レオが思い出せない顔をしたせいか、ダンさんは続けてそう言った。
何の話だったかな。
「あーそうそう、ジルさん?の話だ。」
大きく頷きながらレオがダンさんを指さして、彼にその指を掴まれてぐりっと曲げられた。ちゃんと関節が曲がる方にやっていたので痛くはないと思う。
ルイスの手がぴくりとして、私の手をそっと離す。どうしてか、レオを見た彼女は少し目を見開いている。
私はどうしようか少し迷った。
あの時サングラスをかけていたのはきっと、印象強い瞳を見せて正体が露見するとよくな……あれ?じゃあどうして私に見せてくれたんだろう。
ルイスやレオ達に話しても良い事なのだろうか。アンソニーの意見が聞きたいけど、彼はここにいない。……そういえば彼も、どうしてあの人と一緒にいたの?
「…レオ、ジルさんというと?」
迷っている内に、ルイスが穏やかな声で聞いた。
レオは琥珀色の瞳でちらりと周りを見てから、私達にだけ聞こえる程度に話す。女神祭の二日目の夜に、お店のお金が盗られたこと。二人で追った先で、アンソニーと一緒にいた朱色の髪の少年が犯人を捕まえてくれていたこと。
レオが言うには、ジルという名前は彼が名乗ったのではなくて、アンソニーがそう呼びかけたら「それは俺の事か?いいだろう」なんて笑っていた、らしい。
……どういうこと?
もしかして偽名なのかな。あの時レオは、帝国の皇子様の名前を何と言っていたっけ。
ダンさんは覚えがないみたいで、黙って話を聞いている。
「んで、カレンは誰なのか知ってる感じだったから、何でだ?って聞いてたとこ。」
「カレンが…?そうなんですか?」
「う、うーん…」
ルイスにじっと見られて、私は視線を彷徨わせてしまう。
彼女は知っていて聞いてるのか、知らないのか、どちらなんだろう。でも、本人が堂々と街中を馬で駆けていたのだから、別に隠す事ではないのかもしれない。
「あの……レオ、大声出さないでね。」
「お、おう。」
注意すると、レオは片手で自分の口を押さえた。
今から何を言われるのかという顔で私を見ている。私はルイスに目を戻した。
「女神祭が終わった次の日に、お使いで大通りに行って…そこを、帝国の人達が馬で駆けて行ったの。先頭にいたのがあの人だった。」
「……帝国の人、って事か?え?同年代くらいではあったよな。」
そっと口から手を外してレオが首を傾げる。
ルイスはもう思い当たったのだろう、その顔に疑問は見当たらない。
「殿下って呼ばれてた。」
「え――…」
ぱん、と、レオは自分の口を手で塞いだ。
瞬きしてから、またそうっと外す。目はずっと、信じられない様子で私を見つめていた。
「……ジーンハルト殿下?」
「んっ…。」
レオの呟きにルイスが笑いかけたのか口を上品に押さえ、私達から顔をそむけた。
そういえばあの夜も、レオがそんな名前を口にしたらあの人はけらけら笑っていた。当のレオはぽかんとしているけど。
「んんっ…えぇと、それはきっと、ジークハルト第一皇子殿下、ですね。」
「あ、あぁ~…だからめっちゃ笑っ…」
ルイスが小声で訂正して、私はなるほどと頷く。レオは言葉を途切れさせて少し青ざめた。
「え?俺、本人がいるのに名前を間違えたってことか?」
「そうなりますね。笑っていらっしゃったなら、怒ってはいなかったんだと思いますよ。」
「えぇー、本当に大丈夫か?だ、大丈夫、だったから今ここにいるわけだけど。」
「ふふ。」
朗らかに笑うルイスを、ダンさんが横から三白眼で見下ろしている。
どうしたのかなと思って見ていたら、ルイスも気付いて彼を見上げた。ダンさんが口を開く。
「何でそんなのがほっつき歩いてんだよ。危ない奴なんだろ?」
「下町にいらっしゃった理由はわかりませんが…話の通じる方ではあるようですね、噂によると。」
「ルイスが言うなら…ていうか確かに、よく笑う気のいい兄さんって感じの人だったな。ちょっと笑い過ぎなくらい。」
「本当か?お前らまとめて騙されてるんじゃねぇだろうな。」
眉を顰めたダンさんが言うけど、レオはピンとこないみたいで「そうかなぁ」なんて首を傾げている。
私も、あの夜に会った彼はあまり危ない感じはしなかったと、思う。
大通りで見かけた時は少し圧倒された。馬の勢いが凄かったせいもあるけど、前を見据えるあの目が、まるで一切の迷いがないように見えて――…
「アンソニーがいたなら、どの道悪い事はできなかったと思いますよ。」
「…ま、そうか。」
ダンさんは急にどうでもよくなったみたいに息を吐く。
にこりと笑いかけたルイスは、ふと誰ともない場所へ視線をやって、軽く握った拳を考え込むように口元にあてた。
「しかし……会いましたか。そう……」
それきりで手を下ろした彼女の唇は、私との別れを惜しむ言葉を紡ぎ出す。
何を思って呟いたのかは結局、聞きそびれたままだった。




