153.あまりに鮮烈な、
男の子と同じ服を着ているのは、汚れても大丈夫だから。
暑い日でもローブを羽織ってフードをかぶるのは、老人のような髪色を隠したいから。女なのに男の格好をしていると言われたくないから。気持ちわるいと指をさされたくないから。
あまり人と目を合わせないようにして、薬草を、花を、売っていた。
でも、あの日。
『君の髪はとても美しい。俯く必要はないと俺は思うよ。』
まるで王子様みたいにきらきらした男の子が、優しく微笑んでそう言った。
バーナビーと名乗った彼も、弟のアンソニーも、友達だというルイスやレオ、ダンさんも、誰も私を嫌そうな目で見る事はなかった。
ルイスはどう考えたって言い過ぎなくらいに私を褒めてくれて驚いたし、その後もよく来てくれるようになったレオは、私の経験を聞いて「人の色がどうかなんて考えた事もなかった」なんてポカンとする。たまに姿を見せるダンさんは、「キョーミねぇわ」と言う。本当に、私の髪や瞳の色なんて気にしていないようだった。
よくからかいに来ていた男の子達は見かけなくなって、意地悪を言う大人の人も遠巻きになった。悪口を言われたり、突き飛ばされたり、商品を駄目にされたりする事がなくなった。お父さんやお母さんに無理に笑ってみせる必要もない。
まだどこか夢心地のような気分でもやっぱりレオは来てくれるし、時々ルイスの話もしてくれる。来年皆と同じ学園に通える日が楽しみで仕方ない。
そんな日常の中、あの人は私に衝撃ばかりを与えていった。
広場のベンチに座り、お弁当のパンを手にしたまま、私は食べるでもなくぼんやりと遠くを見つめる。
思い返すのは女神祭の二日目の夜の事だ。
お店のお金を盗られてしまって、レオと共に追いかけた先で出会った人。
久し振りに見るアンソニーは不機嫌な顔をしていて、背の高い少年と一緒だった。彼がお金を取り返してくれたと聞いて、私はお礼を言う。フードが脱げていた事に気付いて慌てたけれど、その人は何も気にしていなかった。
夜なのにサングラスをかけていて、不思議だとは思っていて――
『揃いだな。』
そんな事を言って、サングラスを下げた彼は笑った。
真っ白な瞳。
私の髪と同じ色。ただ、ただ、驚いた。
とても…綺麗、だったから。
この色を褒めてくれたバーナビーやルイスには、私の髪もあんな風に見えているのだろうか。
でも、やっぱり色を隠しているんだと思った。
私と同じようにこの人もきっと、周りから嫌な目で見られたくないから、夜でもサングラスをかけている。
そう思ったのに。
『みんな道を空けろ!』
女神祭が終わった次の日、お使いで大通りへ出た時の事だった。
切羽詰まったような誰かの声で、周りの人達は聞こえ始めた蹄の音へ目を向ける。街の方から三頭の馬が駆けてきていた。後続には重そうな金属の荷馬車が、この国の物ではない国旗を高々と掲げている。
『帝国の連中だ!!』
『子供達を離すな、飛び出したら殺されるかもしれねぇ!』
『何であんな少年が先頭に?まさかあれが…』
『黙って避けて!どこから難癖つけられるかわからないわ!』
大人達は叫んだりはせず、けれど鋭い声で言葉を交わしていた。
帝国――戦争ばかりしている怖い国。アクレイギア帝国。
今年の女神祭には帝国の第一皇子が来訪予定だと、恐ろしい人物らしいと、そんな噂は私も知っていた。
皆、充分過ぎるくらいに道を空けて、それでも怖いもの見たさなのか、この場からいなくなる人は少ない。私も同じだった。壁に身を隠しながら顔を出して様子を窺った。ドカドカと荒々しい蹄の音が近付いてくる。
先頭の馬に乗っているのは、軍服を着た背の高い少年だった。
後ろだけ長い朱色の髪も、自信たっぷりな笑顔も、見覚えがある。
前を見据える、白い瞳も。
『うそ……』
無意識に声が漏れていた。
間違いなく、あの夜アンソニーと一緒にいた彼だ。帝国の軍人だったなんて。
――目が、合った。
数えきれないくらい沢山の人が、彼を見ていたのに。
前を見据えていた白い瞳は、まるで私の声が聞こえたみたいにこちらを見た。ほんの一瞬で視線は戻ってしまったけど。彼は私の前を通り過ぎていく。
『殿下、ちょっとスピード落とせます?後続がもちませんよ!』
蹄の音に紛れてそんな声がする。
私は目を見開いて思わず振り返ったけど、荷馬車に遮られてもう、あの人の事は見えなかった。
軍人、じゃない。
私の髪を「揃いだな」と言って笑った、白い瞳を持つあの人は…
「おーい、カレン。起きてるか?」
声をかけられて、はっとする。
こげ茶色の髪にいつものバンダナ。琥珀色の瞳が不思議そうに私を見ている。レオは軽く手を振りながらやってきて、私の隣に座った。
「目ぇ開けたまま寝てんのかと思った。」
「そんなわけないでしょ。ちょっと考え事してただけだよ。」
「あれ?何かお前今日……」
「…うん。」
続くだろう言葉に先に頷いて、私はパンをかじった。
ずっと「勇気のいること」だったはずなのに、どうしてか今日はただ、「そうしよう」とだけ思って。
「違うような違わないような…気のせいだな。なんでもねぇや。」
「………。」
レオは女の子にあんまりモテないと思う。
私はちょっとだけ眉を顰めて口の中のパンをもぐもぐする。それくらい気にしてないんだろうなと思うけど、今日くらいは気付いてほしかった。
「相変わらず食う量少ないよな…前から思ってたけど、もっと食べて太った方がいいんじゃねぇか?」
「太っ…女の子になんて事言うの!」
「だってお前ガリガリだから、見てて不安になるって。」
「ガリガリ…!?もう!失礼だよ!」
「え…そうか?悪い。」
レオは謝ってくれたけど、その顔にはありありと「まずかったのか?」と書かれている。男兄弟が多いからって、そんなでよくルイスの鍛錬相手なんて務めているものだ。
薄紫色の髪と瞳をした、とても綺麗な顔立ちの少女。
貴族のお嬢様で、下町では男装してルイスと名乗っている。風変わりな事にレオと剣の鍛錬をしていて、たまに買い物に来るダンさんは、彼女の家の使用人のようだった。たぶん、護衛。
「ルイスに同じような事言ってないよね?駄目なんだから。」
「言っ…てねぇと思う、たぶん。」
歯切れが悪い。
きっと彼女に対しても思った事はあるんだろう。レオは苦い顔で頭を掻いた。
「でもあいつはなぁ。剣振り回してるとことか散々見てるし、結構強いし、不安はないって言うか。」
「強いの?」
二人が手合わせをしているとは聞いていたけど、もちろん見た事はない。
聞き返すと、レオは当然という表情で頷いた。
「すげぇよ、ほんと。体術なら俺より全然上だし、入学前なのに魔法も頑張ってるし。」
「そうなんだ…」
今までぼんやり思い描いていた「貴族のお嬢様」のイメージとはだいぶ異なっている。もしかして騎士の家系なのかな。
つい、騎士服を着たルイスの笑顔を想像してしまう。かっこいい。
「俺、魔法はてんで苦手だったけどさ。ルイスとかダンと話して、ちょっとはマシになった。」
「あれで……?」
「おう、あれで。」
私は思わず深刻な顔で聞き返してしまった。
魔法の練習をすると言うから見に行ったけど、火の玉をあてるはずが火柱が上がっていた。安全のために川でやっていて本当によかった。
「前はそもそも発動できない事が多かったからな。」
「そっか……。」
あわよくば私も少し練習を、なんて思ってたけど、空高く上がった火柱を見てすっかりやる気をなくしてしまった。ちゃんと大人の教師がいるところでやった方がいいと思う。私は学園でゆっくり学ぼう、と決めた瞬間だった。
ちなみにその後は駆け付けた騎士さんに私まで怒られた。
「レオは、ルイスの事を知ってるんだよね。」
私の質問に、レオは一瞬意味を考えるように瞬きしてから頷いた。
知り合いとか友達という事ではなくて、本当の名前を、誰なのかを知ってるかという話だ。
「アンソニーやバーナビーの事も、知ってるの?」
レオが困り果てた顔で目を泳がせる。
初めて会った日に、アンソニーは学園に行ったら「改めて名乗る」と言っていた。その時はよくわかっていなかったけれど、今はもう、彼らもルイスと同じなのだろうとわかっている。
「あー…まぁな。」
「……ずるい。」
「えっ!?悪い、でもそれはだって、俺がどうこうできるアレじゃねぇんだって。」
「わかってるよ。」
つい口がとんがってしまう。がぶがぶとパンを食べ進めた。
友達の中で私だけはぐれ者になっているような気分だ。レオは本人の許可も無しに言いふらすような人ではないし、仮に教えてくれるとしても、広場のベンチでは言わないだろうけど。
「じゃあ、アンソニーと一緒にいた人は?」
「えっ?」
レオがきょとんとして私を見る。
何で今それを聞くのかわからないという顔だった。あれ?私も目を丸くしながら最後のひと欠片を飲み込んだ。
「あの笑いっぱなしの兄さんか?」
「うん……えっ、あの人が誰かは知らないの?」
「全然。」
「そ、そうなんだ。」
てっきり知っていると思ったから驚いてしまった。
でもよく思い出してみればレオはあの時、「帝国の皇子も来てて大変なんだろ」なんて話題を出していた。知っていたらそんな事言わないはずだ。
「……え?カレンは知ってるのか?何で?ジル…だったよな?名前。」
「え、う…」
うん。
と反射的に頷いてしまいそうになったけど、私は彼の名前は知らないんだった。
首を傾げたレオが私の後ろに目をやって、「あ」と声を漏らす。
何を見たのかと振り返れば、少年――の格好をしたルイスが、ダンさんと一緒にこちらへ歩いてくる。もう肌寒いのに半袖のレオと違って、きちんと薄手のコートを着ていた。
「こんにちは、レオ、カレン。」
「ルイス!久し振り。ダンさんも、こんにちは。」
思わず立ち上がった私の前まで来て、ルイスは優しく目を細める。薄紫色の髪は結い上げて帽子の中に隠しているみたいだった。
「今日はフードを下ろしているんですね。貴女の美しい髪に太陽の光が反射して、まるで天使の輪があるようです。たとえその背に純白の翼があったとて、僕は驚きはしないでしょう。」
「あ…あり、ありがとう…。」
相変わらず、ちょっと言い過ぎだ。頬がじわじわ熱くなってくると、ルイスはそれに気付いたみたいに微笑む。余計に恥ずかしい。
ダンさんが辛辣な目で私達を見下ろしている。
「あー、そっか。フード下ろしてんのか!何か違うと思ったんだよな。」
納得したと手を叩くレオを、ルイスがきょとんとして見つめた。「一目瞭然では」と顔に書いてある。その通りだ。
相変わらず上着を着ていないダンさんが、提げていた紙袋二つを私とレオにそれぞれ突き出した。
「祭の土産だとよ。」
「いいのか?」
「あ、ありがとう!」
私とレオは驚きながら受け取り、中をちらりと見る。
綺麗に包装された箱が入っていた。下町で売っているような物ではないと一目でわかるけれど、紙袋の方はどこにでもありそうなものだ。盗られるといけないからだろう。
お礼を言うと、ルイスは「本当はもっと早く渡したかったのですが」と眉を下げて笑った。薄紫色の瞳が同意を求めるようにダンさんを見る。
少し苦い顔をした二人は後ろを見やるように視線だけ動かして、でも振り返りはしなかった。




