146.それはまだ先の話
城の中庭に一人、女性が佇んでいる。
騎士の礼服に身を包み、漆黒の髪は頭の後ろの低い位置で縛っており、前髪は金色のヘアピン二本で留め、鼻から下を黒い布で覆っていた。腰の帯剣ベルトは左右に一本ずつ、細身の剣が納められている。
「リビー」
聞き慣れた声に呼ばれて、彼女は茶色の瞳を動かした。
百九十センチは越えているだろう長身で、薄緑の髪をハーフアップにまとめた男。閉じているか開けているかもわからない目、にこやかな口元。
「何の用だ、ロイ。」
「拗ねている同僚をなだめに来ました。」
「私の事ではないだろうな。」
「ンッフフ。えぇ、もちろん違いますとも。」
舞踏会の最中、第二王子アベルのパートナーを転ばそうとした輩がいた。
彼の護衛騎士たるリビーは怒り心頭で犯人を締め上げたが、他の騎士から「わかってたけどやり過ぎ」などと言われ、取調室から摘まみ出されてしまったのだ。
「…アベル様の邪魔をするなど、万死に値する。」
黒い布の下で唇を尖らせ、リビーは不機嫌に零す。
ロイは「まったくですね」と返しながら、彼女の隣に立って空を見上げた。二人の胸元を飾る揃いのペンダントが、空を駆ける魔法の光を反射している。音楽に合わせて魔法が駆け巡る素晴らしいショーであるのに、リビーの瞳にはまったく浮き立った様子がない。観賞というより観察するような目だ。
初日にアベルと共に街の巡回に出た時も、飾り付けられた街並みや女神像にあまり興味を示していなかった。彼女にとってはそんなものより主の命令の方が大切なのだ。
「……何をしている?」
跪いて手を差し出したロイを見て、リビーは少し目を丸くする。
驚いた時素直に首を傾げてしまうあたりが、まるでまだ幼い少女のようだとロイは微笑む。
「ダンスの誘いですよ。父君から習いませんでしたか?」
「…習いはしたが……我らが跪くのは、アベル様に対してだ。」
「えぇ、主従においては。ですが、ッフフ。私がアベル様をダンスに誘うわけにはいきませんからね。いかがですか?同志として、一曲。」
「……お前の思考は時々理解できない。」
困ったように眉を寄せながらも、リビーは手を重ねる。立ち上がったロイを真っ直ぐに見つめるその眼差しは信頼に満ちていた。見られた側がほんの一瞬、怯んでしまうくらいには。
「だが、理解しなければいけないとも思わない。お前が信用に足る男だとわかっていれば、それでいい。」
「…えぇ。ありがとうございます、リビー。」
純粋過ぎる娘だと、ロイは思う。
この世の唯一としてアベルを崇拝し、主への感情は異なれど立つ場所は同じ者としてロイを信じる。それは眩しいほどに美しい強さで、しかし唯一を失えばすべてが終わる、あまりにも弱い生き方だ。
「言っておくが、踊るのは苦手だ。」
「フフ、良いんですよ適当で。誰も見ていないし、試験じゃないんですから。」
「…ロイ、もう少し縮めないのか。組みにくい。」
「どうかご容赦を。合わせますので」
空を駆ける炎の馬にも水の鳥にも、光の蝶にすら二人は目もくれない。
曲に合わせて基本的なステップを踏むばかりで、時々リビーが躓いてはやり直す。ダンスホールでもない芝生の上で、ドレスも無しにくるくると。
「楽しいか?」
「はい、とても。」
「そうか。」
リビーが快くダンスを了承する相手など、ロイかアベルくらいなものだろう。そしてアベルと踊るなどという精神的負荷を考えると、まともに踊れるのはロイだけだ。
それをわかっていて、ロイは彼女をくるりと回す。リビーはダンスの動作に慣れないだけで、体幹は鍛えられている。危なげなく回ってロイの元へ戻ってきた。
――きっと貴女は、アベル様を喪えば終わるのでしょうね。他の誰が傍にいたとしても。
たとえアベルが死んでも、ロイはそのまま生きるだろう。
彼に忠を尽くすと決めてはいるが、依存しているわけではないからだ。護衛騎士になる前の日々が戻ってくるだけのこと。しかしリビーは違う。それをロイはよく理解している。
アベルが、いつの日か自分達を置いて消えるだろう事も。
「…なんとかして、ついていかないといけませんねぇ。」
「何の話だ。」
「アベル様と我々で各国を周る旅、など。」
「我が君の望みとあらば。しかし、そんな話は聞いた事がないな。」
「えぇ、私の想像です。フフ…楽しそうじゃありませんか?」
促せば、リビーは少し考えてから嬉しそうに目を細めた。
三人での旅となれば、必然的に殆ど一緒に行動する事になる。それは彼女にとって至福だろう。
ロイが遠回しに探りを入れても、アベルは真意を口にしない。
稀に見せる何かを諦めたような目はウィルフレッドとの関係が原因だと思っていたが、改善しても変わらないどころか、懸念が一つ消えたかのような、これで心置きなく――とでも言うような眼差しをするようになった。
命ある限りアベルに仕えるつもりでいるリビーには、アベルがいれば大丈夫だと信じているチェスターには、あの目はわからない。いなくなる可能性など微塵も考えていないだろう。
彼に心酔している者ほど、彼が完璧でない事に気付けない。
『それで?ロイ、お前は何がいい。』
『フフ、《保留》でお願い致します。いつか、思いついた時に叶えて頂きたく。』
『なるほど、お前らしい。…あまり無茶は言ってくれるなよ。』
――はてさて、私は貴方がたを失わずにいられるでしょうか。
自分より小さく細い手を大切に握って、ロイは微笑んだ。
◇
「素晴らしかったぞウィル様ーーー!!」
「ばっ、やめろ!!」
「うわぁ!!」
ショーが終わってほっと息を吐いたのもつかの間、額に滲んだ汗を拭う暇もなくウィルフレッドは横に吹っ飛んだ。
茶髪をポニーテールに結った女性騎士――セシリアに飛びつかれたせいだ。もちろんそのまま押し倒す事はせず、しかし不敬ながら第一王子を抱きしめてぐるんぐるんとその場で回っている。
「最高のショーだった!皆との息もぴったり合っていたな!練習の成果が出ていた!」
「せ、セシリア、嬉しいけどちょっと止まっ…」
「止まれ馬鹿!!」
その大声でセシリアがぴたりと止まる。赤紫の瞳を丸くし、怒鳴られた事を不思議に思うようにぱちぱちと瞬いて声の主を見やった。緑髪を低い位置で縛って身体の前へ流し、黒い瞳を抱く目は不機嫌に吊り上がっている。
「どうしたんだ、ヴィクター。大声を出して。」
「どうしたじゃない、ウィルフレッド様を離せ!」
「ああ、そうか!感動のあまりついな。すまなかった、ウィル様。」
「い、いや…大丈夫だ。少し目が回ったけれど。」
城の上階にある広いテラスで、共にショーを担当した騎士や魔法使い達が緊張の解けた顔で笑い合っている。会場から響く拍手に達成感を噛みしめながら、ウィルフレッドはふらふらとセシリアから離れて苦笑した。
「ウィルフレッド様、こちらを。少しは魔力が回復します。」
「ありがとう、ヴィクター。」
参加した全員が魔力を消耗している中、一人だけ回復というのも憚られたがウィルフレッドは大人しく薬瓶を受け取った。正規の魔力回復薬は苦みがあるものの、幻覚症状や暴走の心配なく一定量の回復が見込める。
蓋を開けて一気に飲み干し、薬瓶を返す。ウィルフレッドが一息ついたのを見計らって皆が駆け寄って来た。
「ありがとうございました、第一王子殿下!ご一緒できて光栄でした…!」
「本当にお疲れ様でした!やはり王家の方ともなると魔力の保有量が違いますね。」
「殿下、学園から戻られる年の祭りにはまた私達をお呼びくださいね!」
「それまでにもっと魔法のコントロール上げときます!」
ヴィクターにそれとなく制止され一定の距離を保ちつつ、彼らは目を輝かせて話しかける。国の第一王子と話せる機会などそうはない。ウィルフレッドは一人一人名前を呼んで感謝と労いの言葉をかけ、微笑んだ。
「‘ お!来た来た! ’」
階段を降りて会場横の廊下まで戻ると、リュドが顔をパッと輝かせて大きく手を振る。横には通訳と共にいるナルシスの姿もあるが、他の客達は既にダンスホールへ戻ったようだ。
リュドは満面の笑みで、堪えきれないと言わんばかりにその場でピョンピョン飛び跳ねている。
「‘ すっげ~良いショーだったぜ、ウィルフレッド!めっちゃキレーだった!! ’」
「‘ ありがとう、リュド。そう言ってもらえて嬉しいよ。 ’ナルシス殿下も、楽しんで頂けましたか?」
「えぇ、非常に楽しかった!昨日と一昨日も拝見しましたが、間違いなく今宵こそが最も美しい夜空だったと言えるでしょう。」
感動に頬を紅潮させたナルシスは握手を求め、ウィルフレッドが応えるとその手をしっかりと握った。プラチナブロンドの髪がさらりと揺れ、薄い青色の瞳は潤んでいる。
「愛するロズリーヌにも見せてあげたかった。あぁ殿下、できる事なら学園で会われた際、今日の魔法を少しばかりでも見せてやってください。きっと喜びます。」
「……そうですね、互いに都合のよい時がありましたら、是非。」
ウィルフレッドは完璧な微笑みを浮かべて返した。
ナルシスの妹、ヘデラ王国第一王女ロズリーヌの留学先はツイーディア王国に決定したのだ。
少々、いや、割とふくよかな彼女はどうやら、ロベリア王国から帰国して以降ダイエットに励んでいるらしい。ナルシスはなぜかそれをウィルフレッドやアベルが何か言ったせいだと勘違いしていたが、ロズリーヌ自身はきちんと否定していたと言う。
城の応接室で会った時の食べ放題我儘放題な彼女からは考えにくい言動だ。
「第一王女殿下に再びお目見えする時を、楽しみにしておりますよ。」
学園生活が平和でありますようにと願いながら、ウィルフレッドが言う。途端にナルシスがハッとして眉根を寄せた。
「…ウィルフレッド殿下、貴方まさか妹を狙っていませんよね…」
「いえそんな事は決して!本当に。ありませんからどうかご安心ください。」
「‘ ナルシスって本当に妹大好きだよなぁ。 ’」
ナルシスの通訳から話を聞き、リュドが頭の後ろで両手を組む。
そのまま身体を横へ傾け、上半身ごと首を傾げるようにしてウィルフレッドを見上げた。
「‘ さっきシャロンって子と話したんだけどさ~、ウィルフレッドかアベルの婚約者だったりするのか? ’」
「‘ な……、いや、まだ決まってはないけれど。候補ではあるかな。 ’」
「‘ 候補か!じゃあオレにも可能性はあるって事だ。 ’」
「えっ。」
驚いて目を丸くするウィルフレッドの表情をちらりと観察し、リュドは眦を下げて明るく笑う。
あの娘が双子の王子にとって大事な存在である事は確からしい。
――ならさっさと婚約して縛っとけばいいのに、馬っ鹿みてぇ。
「‘ リュド、君はまさか… ’」
「‘ 冗談だって、ウィルフレッド!すげぇ可愛いし良い子だから、好きは好きだけどな! ’」
「‘ お、脅かさないでくれ。え?好きではあるのか…? ’」
「‘ オレらは明日帰っちまうけど、またどっかで会いてぇなって話! ’」
「‘ なんだ、そういう事か。 ’」
リュドはほっと息を吐くウィルフレッドの背中を気さくに叩いた。
彼らと遊ぶのはまだ先だなと、そう思いながら。




