145.アメジストに願いを込めて
「これは…」
一昨日、街の露店で見かけた物だ。
店主の男性に勧められた一角にあった、アメジストのネックレス。確かにいい品ですねと私が言った、角度によって色が違って見えるもの。
思わず視線を上げると、ぱちりと合った目を困り顔でそらされた。
「…お前にやる。」
――アベルが、私に?
ぶわっと心が温かくなって、自然と顔がほころぶ。封筒とネックレスを抱きしめるようにして、私は胸いっぱいの気持ちを込めて微笑んだ。
「ありがとう、アベル。とても…とっても嬉しいわ。」
「…俺に貰ったとは言うな。誰に勘違いされても困る。」
「えぇ、もちろん。」
アベルは優しいから、これをくれただけ。特別な意味なんて無いと、ちゃんとわかっているわ。
横からじっと見つめて、彼の瞳がこちらを向くのを待ってから聞いた。
「今、つけてみてもいい?」
「…好きなように。」
私はさっそく首の後ろに手を回したけれど、封筒とネックレスを持ったまま、今つけているダイヤのネックレスを外すのはちょっと大変。
もたついていたらアベルが手を伸ばしてくれたので、私は手を下ろして背を向けた。
留め具が外され、ダイヤの代わりにアメジストが胸元を飾る。そっと振り返って、どきどきしながら聞いた。
「どうかしら?」
ネックレスを見たアベルは少しだけ目を細め、緩やかに瞬いて私と視線を合わせる。
「…よく似合っている。」
そう言って微笑んだ彼はどうしてか、少し困ったようにも見えた。
言葉を求めた事に呆れられたのかもしれないし、私がはしゃぎ過ぎだと思ったのかもしれない。
心臓はとくりと鳴った。
嬉しくてつい差し出した手を、支えるようにして取ってくれる。この胸にある温かな気持ちが伝わるようにと願いながら、私はその手を握って微笑み返した。
「大切にするわ。ずっと」
「…大したものじゃないだろう。包装もしてない。」
「関係ないわ。貴方がくれた物だもの」
「光栄だね。未来の――」
夜空を光がはしる。
それはあまりに鮮烈で、私達は並んで空を見上げた。
まるで流星のように高く、広く弧を描いていくつもの光が飛んでいく。ショーが始まったのだ。建物の三方向にあるバルコニーの入口が全て開け放たれたのか、会場の音楽がこちらにも聞こえてくる。
メリルと同じ《色彩変化》の持ち主もいるのだろう。曲に合わせて七色の炎が空に華を散らし、渦を巻く。大きな飴玉のように浮かぶ水は、内側に抱いた光に照らされながら波打ち、弾けて消えた。
ヴァイオリンのソロが始まり、咲き乱れる炎の花々の間を一際強く温かな光が飛び回る。辿った道を残すように、光の粒子がきらきら舞っていた。物語に出てくる妖精を思わせるその光景には、覚えがある。
「…ウィルの魔法だわ。」
以前、私が泣いていた時に見せてくれたもの。ウィルの優しさが詰まった魔法だ。そっと握り直した手を、アベルは黙って握り返してくれる。
『君とアベルが傍にいてくれたら、俺はきっと何だって頑張れるよ。』
えぇ。大丈夫よ、ウィル。
アベルが離れていこうとするのなら、私はちゃんと、この手を掴んでみせるから。
私達は――
「…ずっと、貴方の傍にいるわ。」
夜空に輝く光を見つめて、呟いた。
アベルの指が僅かに動く。隣を見ると、彼はゆっくりと繋いだ手を離した。
「あ…今のはね、」
「わかってる。」
そうなの?
ウィルとの会話を説明しようとした口を閉じる。音楽は再び豪華な合奏になり、様々な魔法が空を飛び交う。
こちらを向いたアベルは緩い動きで私の胸元に手を伸ばしたけれど、その目が何を見ているかはわかったから、私は動かずにじっとしていた。
ただアメジストをすくっただけの指は、ほんの一瞬素肌に触れる。指先だけでも、胸の鼓動は伝わってしまうのかしら。
小さな紫を映す金色の瞳に、睫毛が影を落としていた。
「君が、ウィルとの約束を果たせるように。」
――そういう願いを込めて、贈ってくれるということ?
整えられた黒髪が柔らかく風に揺れ、空を駆ける光に照らされている。ネックレスから離れたアベルの手を、私はしっかりと両手で包み込んだ。
「大丈夫。なんにも心配いらないわ」
「…君ときたら、少し目を離しただけでも何かしら巻き込まれてる。」
「ふふ、そうかもしれないわね。」
「笑い事じゃないんだけど。」
「では貴方が、ずっと私を見張っていてくれる?」
微笑んで見上げた先で、アベルが僅かに目を見開く。ぴくりと動いた指先からも彼がたじろいだ事がわかって、いたずらが成功した子供のような気持ちになってしまった。
「…馬鹿を言うな。」
「ふふっ、冗談よ。そこまで迷惑をかけられないもの。」
「迷惑という話ではないけど…」
視線を彷徨わせるアベルに安心してほしくて、私は大切に彼の手を握る。祈るように。
「大丈夫。私は、貴方達と一緒に生きてみせるわ。」
もう、最悪自分がどうなってもなんて考えない。
皆が笑っていられる未来を確信できるまで、それをこの目で見るまで、一緒に。
「……シャロン」
名前を呼ばれて見上げると、アベルは真剣な目をしている。優しく握り返してくれる手に、むしろ私の方が安心させられてしまう。
淡く微笑んで、彼の言葉を待った。
「俺は…」
言いかけたアベルが視線を横にはしらせ、素早く腕を振る。
盾のように生み出された波がばしゃんと弾け、屋上に飛び散った。どうやら空を駆けていた炎の一部がここに落ちたらしい。誰もいない予定の場所だものね。
「全然気付いていなかったわ、ありがとう。」
「…いや。水はかかってないな?」
「えぇ。貴方も大丈夫ね」
アベルは頷き、後ろを向くよう手で指示する。
私は大人しく背を向けた。首筋に指が触れて、ネックレスが持ち上げられる。
「もう外してしまうの?」
「会場に戻って気付かれたら何て言うつもりだ。」
「ん…そうね。」
私はしゅんと気落ちしながら、封筒と一緒にポケットにしまっていたダイヤのネックレスを横へ差し出した。
このポケットは花飾りとドレープの裏に隠されていて、傍目からはわからない。しかも内側には投げナイフを三本収納できるようになっている特注品だ。アベルがくれた物はサイズが違うから別の場所に隠し持っている。
さすがにお城の舞踏会にナイフを持っていくのはよくないでしょうかとお母様に聞いたのだけれど、「そういう時こそ必要よ~。私も持って行くわ」と笑顔でゴーサインを頂いた。…お母様、どんな経験を積まれているのだろう。
「…弟は大丈夫か。」
私の手にアメジストを落とし、代わりにダイヤのネックレスを取りながらアベルが聞く。
「元気なのだけれど、筋肉痛に苦しんでいるわ。」
「そうだろうな。」
「貴方がどれくらい鍛えているか知りたいと言っていて…もしまた時間があったら、クリスと話してあげて。」
「わかった」
細いチェーンが肌を擦って少しくすぐったい。
アベルの手が離れて、私は元通りに彼へと向き直った。
「ありがとう。」
「…そろそろ戻るか。ショーが終わらない内がいい」
明るい夜空を見上げてアベルが言う。
私は「そうね」と返したけれど、戻ろうとした彼の手を掴んで引き留めた。
「さっき…何か言いかけていなかった?水で防いでくれる前に。」
振り返ったアベルはほんの一瞬目をそらして、再び目が合う。落ち着き払った表情に胸がざわついた。今のは、やり取りを思い出そうとしただけ?それとも…
するりと私の手を解いて、アベルは軽く腕組みをして顎に手をあてた。
「そうだった。急ぎではないけど少し相談がある。魔法関連だから、またいつかの夜に。」
「……わかったわ。」
アベルからの相談なんて珍しい。今すぐ聞いてしまいたいところだけど、会場に戻らなければ。
少しの不安を胸に抱えたまま、私は歩き出した彼を追うように足を踏み出した。
「それと、リュドにはもう近付かなくていい。」
「大丈夫かしら?決してひどい事をされたわけではないし、失礼にならないか心配で…」
「理由が必要なら俺の名前を出せ。話は合わせる」
「…ごめんなさい、ありがとう。」
公爵家の娘としてしっかりしなくてはと思いつつ、いざという時の逃げ道があるのはありがたい。アベルは私に止まるよう手で示し、先に屋上の縁から下を覗く。
「なんだ、終わったのか。」
ジークハルト殿下の声だ。
アベルは降りる事を殿下に伝えて私をひょいと抱える。私はその首の後ろに腕を回し、ぴったりと寄り添った。
「怖いか?」
「いいえ。この方が安定性が良いと聞いたことがあって。」
「…確かにそうだな。気付いてなかった。」
「他の女性はこうしてこない?」
どうしてか、今日アベルが一緒に踊っていたキャサリン様の顔が浮かぶ。それから、カレン。ゲームのスチル画像に、アベルが彼女をお姫様抱っこしているものがある。突然の事で、カレンは腕を回したりはしていなかったけれど。
「別に。そもそも機会がない」
「そう…」
私を抱える腕に力が入る。バルコニーへ降りるのだろう。
「…ウィルと俺以外にやるなよ。勘違いされても面倒だ」
「えっ?」
聞き返したけれど、アベルが足を踏み出して会話は途切れる。
確かサディアスに運んでもらった時にも、やった事があると思う。緊急事態で、しかも空を飛んでの移動だったからやむを得ずではあったのだけれど。
勘違いされると面倒、という話だから大丈夫かしら?さすがに誰彼構わずここまでくっついたりはしないもの。
風の魔法もなしに、とん、とんと手すりを経由してアベルはバルコニーへ着地した。
そっと下ろされて一息つく。相変わらず、こちら側のバルコニーには他の人がいない。皆、反対側や廊下からショーを見ているのかしら。
長い脚を組んで椅子に座っているジークハルト殿下は、機嫌良さそうに笑みを浮かべて私達を眺めていた。う~ん、さすが未来の皇帝陛下。たったそれだけの姿が絵になっているわ。
「ハハ、仲の良い事だ。」
「我が国の民を投げるのは、これきりにしてもらいたいね。」
「どうだかなァ?」
「…ジーク。」
「悪くない時間だっただろう。もう少し素直に喜んでほしいね。」
ジークハルト殿下がけらけら笑い、ふと視線を遠くへやって合図するように右手を上げる。何かあるのかしらと視線の先を辿ると、空を駆け巡る魔法を見事に避け、一羽のカラスが殿下の腕に留まった。
「ちょうどいい。お前達、こいつを覚えておけ」
真っ黒なカラスは目をパチパチさせ、きゅるりと首を傾げる。かわいい。前世では飼育下のカラスを見る機会なんてなかったから、ちょっとどきどきする。つつかれたりしないかしら?
その左脚をよく見ると黒い足環があり、模様が彫られていた。
「俺の使い鳥だ。合図をすれば寄ってくる」
「少し、視力に自信がありませんね…。」
私は頬に手をあてて呟いた。
空高く飛んでいるカラスが足環をつけているかどうかすら、見分けられる気がしない。おまけに黒い足環だなんて余計にわからないわ。ジークハルト殿下はくつくつと笑う。
「用があればカラス全てに手を振っておけ。どれかはコイツかもしれんぞ?」
それはただの変な人では…。
「まぁ、滅多にこの国を飛ぶ事はないだろうがな。二号、これがアベル、こっちがシャロンだ。いいな」
了解とでも言うように、カラスが小さく鳴く。二号という事は一号もいるのかしら。
おそるおそる指を伸ばしてみると、大人しく撫でさせてくれた。ちょっと感激だ。
「勝手に来た時は俺が使いに寄こしたと思え。手紙か何か持っているはずだ」
「わかった。」
「あァ、シャロン。もし用があったとして、名をそのまま書くような馬鹿はするなよ。俺の事は…そうだな。ジルとでも。」
「それでは、私はルイスと。」
「いいだろう。アンソニーとやらへの愚痴を書き連ねても構わんぞ。」
「まぁ。ふふふ」
喧嘩でもしたら俺のところに来いと、愚痴くらい聞いてやると言ってくださった事を思い出す。つい笑ったらアベルが不服そうに眉を顰めるものだから、私はくすりとして彼の腕に手を添えた。
曲の終わりと共に夜空には炎が大輪を咲かせ、その内側から突き抜けるように水の花が現れる。美しい輝きを放っていた光が散っていく。
湧き起こった拍手の中、アベルは光の消えた星空を見上げていた。
部屋の天井に亀裂が入ってたので、来週も更新が少ない予定です。




